鹿児島城本丸跡にある歴史資料館「黎明館」で、鹿児島の歴史をお勉強

九州縦断旅:鹿児島編

 旅行期間:2020年8月中旬~下旬

 

鹿児島の歴史もお勉強

鶴丸城跡地にある黎明館

さて鹿児島市内の中心部でもある鹿児島城(鶴丸城)の本丸御殿跡だった場所に来ています。島津家の居城だった鹿児島城(鶴丸城)には元々天守閣のような建物は、最初から造られていない珍しい城。小さい大名ならまだしも70万石を一応超える(籾も入れていたので実質石高はもっと低かった)大大名なので、それぐらいであれば当然の如く豪華な天守閣を造っていてもおかしくはなかった。

江戸時代に入った時に関ヶ原の戦いで西軍に付きながらも、何とか家康に家をそのまま認めてもらった時に逆らう意思がないという意味で天守閣を造らなかったのか? それとも昔から続く質素な薩摩隼人魂の影響で豪華な建物を造らなかったのか? それともそんな豪華な建物を造る費用自体がなかったからなのか?

個人的には江戸幕府に敵対心が無いと見せる為に、天守閣を造らなかったと考えます!

東郷どん
東郷どん

鹿児島には豪華な建物よりも、そんな金があれば農民たちに分け与えるべきでごわす!

 

鹿児島県歴史資料センター「黎明館」にて

黎明館の玄関

こちらは鹿児島県歴史資料センター「黎明館」の正面玄関。何故か10人位の地元の高校生たちが入口に立って挨拶をしていた。後で聞いてみると彼ら高校生が地域の小学生などを招いて、先生役となって案内するイベントの為だった。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

学ぶには教えるのが一番効果があるけ!

 

鹿児島県 歴史・美術センター 【黎明館】

住所:鹿児島県鹿児島市城山町7−2
営業時間: 9時~18時 ※定休日月曜
入館料金: 大人400円/高校生以上250円/小中学生150円

 

 

 

 

歴史・美術センター展示室へと入る

黎明館の入口

鹿児島県歴史資料センター「黎明館」でチケット(400円)を購入して、中へと進んで行きます。なお館内は一部撮影可能な場所があるけど、半分以上は撮影はできない。。

個人的にはこういった博物館的な場所は全部撮影可能にして欲しいけど、権利の問題とかがあるのでね・・・

 

黎明館の入口床下にある、鹿児島の南西諸島の地図

その入口の足元にはこのように鹿児島の南西諸島の立体地図が、足元下に設置されていた。鹿児島もこの九州本土の部分だけではなく、沖縄の手前までの範囲にある島までが鹿児島県となっている。ただ江戸時代には琉球王国(沖縄)を支配していたので、もっと領土が広かった訳である。

なおこちらには与論島と上には沖永良部島が見えるが、この沖永良部島は西郷隆盛が薩摩藩の実権を握っていた島津久光を怒らせた為に島流しされた島である。約1年に渡る牢獄での監禁生活は過酷な状況にあり、狭い牢屋だったので満足に動く事も出来なかったという。なので西郷隆盛は軟禁が解けた後に鹿児島本土に戻った時には、島津斉彬公の墓前まで這いつくばりながら行ったそうだ。

東郷どん
東郷どん

あの時はさすがにキツかったど、久光を怒らせたのを少し後悔したでごわす!(笑)

 

黎明館の入口床下にある、鹿児島の南西諸島の地図2

こちらは鹿児島本土と沖縄の中間あたりにある奄美大島とその南にある加計呂麻島である。この辺りは琉球王国の支配下にあったが薩摩藩により強制的に黒糖栽培ばかりにさせられて、しかも年貢も黒糖で収めて余った黒糖も全て薩摩藩に搾り上げられる。最初の頃は黒糖密売の管理が甘かったので良かったが、大借金を抱えた薩摩藩が調所笑左衛門に財政改革を担当させるとその甘い管理に目を付けられる事になる。

 

ソテツのイメージ

ソテツ(植物)の写真

そして徹底的に砂糖の密売が禁止されて、もし違反したら処刑されるという厳しい管理体制が敷かれる。そんな強制労働状態の農民は過酷な状況で島から逃げ出したり、身売りしたりする者が続出したという。また飢饉が訪れると食べ物が無くなり、多くの餓死者を出した。その教訓を踏まえて今の奄美大島では、ソテツという植物が多く植えられているが、これは非常食として食べる為に植えられた歴史があるのだ。

東郷どん
東郷どん

このソテツ、食べた事あるけんど全然美味しくなかったでごわす・・・

この2020年10月に奄美大島も行きましたが、その旅行記がいつ公開できるかは分かりません・・・

 

黎明館の入口床下にある、鹿児島の南西諸島の地図1

鹿児島県というとやっぱりこの薩摩半島と大隅半島の部分をイメージするけど、実は南北にとても長い範囲を持っている県である。とても2回の旅行だけでは全部を回り切れない位に広いのである。

開聞茸
開聞茸

また薩摩半島に来てタケ!

 

鹿児島南部の生態系

鹿児島県はただでさえ日本の都道府県の中では2番目に南部に位置する県なので、当然本土などに比べると南国の植物などをよく見かける。そんな鹿児島でもここ大隅半島の南端の岬である佐多岬の植生が、このように再現されていた。鳥類なども冬になると越冬する為にどんどん南へと南下してきて、南西諸島の休憩地点となる佐多岬などによく立ち寄るのだろう。

 

鹿児島南部の生態系1

去年(2019年)に佐多岬を訪れた時は、まず駐車場のど真ん中に大きなガジュマルの木があって、それを見て「あ~~やっぱりここは南国だな!」と思った瞬間であった。普段は植物関係には殆ど興味が無いのであまり気にしていなかったけど、やっぱり鹿児島では南国の植物を多く見かける。

開聞茸
開聞茸

南国のキノコもいっぱい生えているタケ!

 

 

志布志城の模型

黎明館に置かれている志布志城跡の説明

次は大隅半島東側の宮崎県境の「志布志」という場所にある志布志城の説明がある。この志布志という町の名前がちょっと厄介で、「鹿児島県志布志市志布志町志布志という志が6回も使われる住所などもザラにあるという。ここまで市町村番地名まで志布志を使う場所というのも珍しくて、それを逆手にとって「志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所」という早口言葉のようにヤヤコシくして注目を浴びている。

東郷どん
東郷どん

おいどんは一回しか「志布志」と言わんでごわす!

 

 

黎明館に置かれている志布志城跡の模型1

この志布志城は築城時代は不明らしいが12世紀頃からの資料が残っており、戦国時代になって島津氏の領土となり外城の機能を果たしていた。この志布志城とは「内城」「松尾城」「高城」「新城」という4つの城が近くにあって、その総称である。その中でも内城跡は2005年に国の史跡として指定されている。

 

黎明館に置かれている志布志城跡の模型

この模型は志布志城が最も繫栄していた戦国時代頃の景色を再現したもので、建物はあくまで想像で作られているそうだ。あくまで城なので戦闘を意識した造りになっている山城で、戦闘が無い時は逆にこのような山城の上まで荷物を運んで昇り降りが大変だっただろうなと思ってしまう志布志城である。

 

鹿児島にあった古い柱

次の展示はお墓に置かれていそうな石碑や五輪塔のような物が見える。五輪塔は五輪石塔婆とか呼ばれたりするけど、元々の起源は仏教の仏舎利(仏陀の骨)を入れて祀る仏塔(ストゥーパ)から来ているそうだ。それが日本に入ってからは供養塔や供養墓という意味合いで設置されている所が多い。

 

鹿児島にあった古い柱2

この五輪塔はその形にちゃんと理由があって、地・水・火・風・空の5種を表しているので「五輪塔」と呼ばれているようだ。

開聞茸
開聞茸

月・火・水・木・金とは違うんタケ!

 

鹿児島にあった石塔1

こちらの石碑は本来供養塔として使われた為に、板状なので板碑と呼ばれているとか。昔から無念の心境で亡くなっていった人達を思う気持ちは、今とも変わらずに何ともやりきれない気持ちだったのだろう。だからこそ、このような供養塔が昔から造られていたようだ。

 

鹿児島にあった石塔

宗教の形も時代によって大きく変貌したようだ。仏教が入ってきた初期は寺や仏様の像を造る事に多額の資金を投入したが、その後は石に信仰する仏を刻んで慎ましく祈る気持ちが大事だと悟ったようだ。

ブッダ君
ブッダ君

アレほどワシを偶像崇拝するでないと、やかましく言ったのに・・・

 

 

鹿児島にあった古い柱1

不満や不安な気持ちはやっぱり今も昔もそれを抱えるのではなくて、外に出す事で気晴らしにしていたのだろう。そういう気持ちでこのような板碑が沢山作られたのであろう。。

 

鹿児島の歴史の説明パネル

次はこの黎明館の敷地となっている鹿児島城(鶴丸城)本丸御殿跡地についての説明パネルがあった。元々は江戸時代になってから初代薩摩藩主:島津家久時代に造られた城で、明治6年頃の火災で本丸御殿は焼失してしまい、薩摩藩第12代藩主:島津忠義はその火災の影響で、居城をこの鹿児島城ではなく仙厳園内に移すのである。

 

鹿児島の歴史の説明パネル1

この本丸跡地には教育施設が色々と形を変えて建てられてきたが、本丸跡地に教育施設が造られたというのも珍しいように思う。明治時代になって廃城令が出て、全国の城で陸軍の軍備に必要のない城はどんどんと払い下げられた。本丸ではなく二ノ丸や三ノ丸といった場所には学校施設などが造られている場所はそこそこに見かけるけど、さすがに本丸跡地に造られているというのはあまり今まで見た事がない。

 

出水武家屋敷群の模型

黎明館にある、出水武家屋敷群を再現した模型

こちらは鹿児島県でも薩摩半島の北側にある、出水武家屋敷群の模型が展示されていた。この出水武家屋敷群は去年鹿児島に来た際に訪れたので、さっきの志布志城の模型とは違って、まだ頭の中にその景観が残っているので楽しみな模型である。

 

 

黎明館にある、出水武家屋敷群を再現した模型1

江戸時代当時の薩摩藩には武士の割合が他の藩に比べて、とても高かった。しかし江戸時代はそんな武士達が活躍する場が殆どない、基本的に徳川幕府が日本全国を牛耳る平和な時代だった。だから薩摩藩内では溢れた状態になっている武士はそのプライドから農民に成り下がる事が出来ずに、ただ喰う為に止む無く懐に刀を差したまま農作業を手伝ったりしていたという。

黎明館にある、出水武家屋敷群を再現した模型2

しかしそんな武士としてのプライドを持ち続けた薩摩では、薩摩隼人と呼ばれるように血気盛んな人種だったという。肩が触れ合うだけで抜刀して、相手に斬りかかるのも日常御茶飯事の荒くれ者集団と他の藩からは見られていたようだ。

東郷どん
東郷どん

薩摩では下手したら、子供でも切腹を命じられていたでごわす・・・

 

 

昔の天文館の模型

黎明館にある、天文館を再現した模型3

今では鹿児島市内の繁華街として有名になっている「天文館」だが、そこは薩摩藩第8代藩主:島津重豪が天文学用に建設した設備があった場所(明時館とも)。それ以降は特に目立った物も無かったこの場所は、昭和初期頃になると開通した路面電車の影響で色んなお店が集まるようになっていく。

 

黎明館にある、天文館を再現した模型

するとこの辺りから近代日本の匂いを感じるような、ちょっとレトロな感じの舞台セットみたいな雰囲気になってくる。こちらにあったカフェ「プランタン」は、フランスのパリにあったカフェを真似て銀座に”日本初のカフェ”として一号店が出店された。その後天文館にもプランタン・カフェが造られる。

 

黎明館にある、天文館を再現した模型1

このフランスを真似たカフェで、本場のフランスになかったシステムが導入されている。それはひらひらを付けた衣装のウエイトレスを、日本では配置したのである。だから単なるカフェではなく、そういった可愛らしいウエイトレス目当てのお店へと変貌していったとか。。

 

黎明館にある、天文館通りを再現した模型

昭和初期頃の天文館通りだろうか、看板の文字が反対側から書かれているのを見るとレトロな時代感を醸し出しているのを感じる。右側の看板にある「丹下左膳」は昭和初期に人気となった、架空の剣士のストーリーである。

 

黎明館にある、天文館を再現した模型2

今の日本の学生にはまず見られなくなった、マント姿の学生らしき姿も右側に見えている。このマント姿はポルトガルのコインブラ大学で今も伝統的に使われているけど、昔の日本でも西洋式を取り入れてこのような恰好をしていたのは初めて知った。。

 

黎明館にある、天文館通りを再現した模型1

昔の日本にはタバコはなくて、代わりに煙管があったけど、開国して西洋文明が一気に入ってきてタバコも普通に普及していったのだろう。

この時代のイメージが全然湧かないけど、『忠犬ハチ公』頃の時代なのかな?!

 

黎明館にある、昔の人力車

このような人力車も西洋から入ってきたけど、日本では籠が今のタクシー代わりに使われていたようだ。だから藩の要人などはあまり自分で出歩かずに、タクシー代わりの籠をチャーターしていたようだ。

東郷どん
東郷どん

おいどんも籠に何回も乗ったけど、普通の籠は小さすぎて乗り心地は良くなかったでごわす!

 

 

黎明館の2階にて

黎明館にある、鹿児島に昔から伝わる祭の衣装

黎明館の2階に上がると、昔からの民族舞踊というか祭事に使われたような衣装や仮面などが置かれているコーナーに出くわす。東北地方の”なまはげ”ではないけど、ここ南国の鹿児島でも似たような着ぐるみが使われていたようだ。

 

黎明館にある、鹿児島に昔から伝わる祭の衣装1

日本列島の中でも南国に位置する鹿児島では、他の地域に比べると昔から西洋人などが流れつく事が多かったのかもしれない。昔は西洋人という認識が無かったので、髪の毛が金色になっていたりするだけで「鬼」だという扱いになって、追い回される事になっていたのだろう。

 

黎明館にある、鹿児島に昔から伝わる祭の説明

こちらは鹿児島の民俗行事の中では最大の祭りだという『市来の七夕踊り』(国指定重要民俗文化財)の説明パネルがある。ツクイモンとは鹿・虎・牛・鶴などの張り子(作られた被りもの)の事。

 

黎明館にある、鹿児島に昔から伝わる祭の衣装2

そんな虎らしきツクイモンがこちらに展示されていた。ただ虎は日本にはいなかったハズなので、中国か朝鮮半島から伝わってきた民俗行事なのかもしれない。ちなみにこの祭りは、今の時代でも200人前後が参加して行われる人気の祭りだという。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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