九州縦断旅:北九州編
旅行期間:2020年8月13~23日
門司港のレトロ
さて今回の灼熱の炎天下8月の盆時期に訪れた北九州市。当然の如く気温は35度付近で照り付ける太陽光線がジリジリと肌を焦がしている感じを受けつつも、それに負けずに観光をしていきます。
門司港駅にて
ここは北九州JR路線としての最北端であり、ゼロ地点。ここから九州各地へと向かって出発していく始発駅でもある。この駅舎は昨年(2019年)に改装リニューアルしたばかりなので、レトロな駅舎であるにも関わらずに全然古臭くもなく、かつ近代的な感じを匂わせない内装となっている。
レトロな雰囲気を醸し出す門司港駅舎ではありますが、昨年リニューアルしただけにこのようになんとスターバックスの店舗も一見それと分かりにくいデザインで調和されています。
この切符売り場兼案内所のドアは、レトロな雰囲気で木の枠を使っている。昔はこんなドアとかも全部木で出来ていたというのを思い出させてくれる内装である。
ここから先は改札なのでキップを買わないと奥には進めない。流石に改札の所は昔のままではなく、自動改札機という現代のハイテクノロジーが設置されている。ここもレトロに便乗して有人改札にして、手もぎりキップなどを使っても良かったのかもしれない。
その自動改札の横には昔の有人改札がそのまま残されている。ただしあくまでも飾りとして残されているだけのようだ。。
1988年にはこの門司港駅舎は国の重要文化財に認定される。本州や中国大陸との貿易港として栄えた門司港であるが、関門トンネルの開通で九州半ばまで一気に鉄道が通り、また戦後に中国や朝鮮地方との貿易が落ち込んだ影響もあり、以前の活気が無くなってしまった門司港。なので現代人にとっては「門司港」と聞いても、そこまでイメージする物が浮かんでこない存在となっている。
1889年に諸外国との貿易をする港に認定された為に、多くの外国船を迎え入れてきた門司港。今では車で渡れる関門橋や関門海峡の地下を通る関門トンネルで電車や徒歩などでも行き来できるが、昔はそんなものはなく船でしか関門海峡を行き来する方法が無かった。
ここは門司港にやってきた船から、降りてきた九州内へと入ってくる渡航者の通路跡。その壁には第二次世界大戦末期に渡航者を監視していた、このような覗き穴の跡が残っている。
駅舎の裏側には2階へ登る階段の入口がある。この上には「みかど食堂」という、1914年にリニューアルされた2代目門司港駅舎の2階に造られた高級フレンチ料理屋さんをこの度の再リニューアル時に復活させたレストランである。なお、このみかど食堂を経営していた会社は明治時代から駅舎内に食堂を開設した”日本初”の会社であり、日本全国の駅に食堂を展開していったが、時代の移り変わりに付いて行けずに2012年に廃業する事となった。
こちらはホーム側の駅舎に組み込まれている、コンビニのファミリーマート。門司港駅舎の雰囲気に合わす為に、店舗外観の色も控えめな深緑が用いられている。
そのコンビニの横にはこのような古そうな洗面所がそのまま残されているのが見える。
その洗面所の横にはお手洗いが造られている。男子便所と女子便所の間には、何やら大きいお手洗い用の器みたいなのが見える。
そんなお手洗い場で顔をジャブジャブと洗う”エロ坊主オジサン”。この時はちょうど真夏の時期で、灼熱の炎天下だったのでこのように顔を洗うと、とても気持ちがいいのである。女性はお化粧をしていたりする関係で簡単にはこのように外で顔を洗えないが、男性はこのように気軽に顔を洗える。
あ~~冷たくて気持ちいい~~!
そんなお手洗いの水を供給する器は「幸運の手水鉢」と名前が付けられている。第二次世界大戦中には戦時中の物資不足もあり、大砲や弾を造る為に寺の鐘などを没収され鋳造されたりしたが、この手水鉢はそれを逃れて未だに門司港に存在し続けている。
簡単に新しくリニューアルされた門司港駅舎を見学した後は、ボクの歩きたい関門トンネルの方へ足を進めるが、このように8月中旬の炎天下の日差しはとても厳しいものがある。
そんな門司港駅の広場を挟んだ向かい側の一等地には、「日本郵船」のビルが見える。明治時代の赤レンガの建物に比べると比較的新しそうに見えるけど、実際には1927年に建てられたアメリカンオフィスでエレベーターも完備されているという。なお1階には先程門司港駅内にもあったファミリーマートが、この日本郵船内にも入っているのが見える。ただ外観が抑え目な色になっているので、コンビニがあると一目では気付きにくい。
そして門司港駅前広場に造られている、こちらの銅像は何だろうか??
「和布刈る、神の五百段、ぬれてくらし、白虹」と文字が彫られているのが見える。
ここですかさず案内役の”エロ坊主オジサン”から、間髪入れずにこの銅像の説明が飛んでくる。元社会科教員だった影響で地理や歴史に関しては話題豊富なオジサンで、今回の旅では本当に色んな知識を教えてくれた。
オレ、社会科教師やってただけに歴史にも詳しいけん!
この3人の像は和布(ワカメ)を刈っている”和布刈(めかり)神事”の様子だという。この和布刈神事とはこれから向かう関門海峡に架かる関門橋の袂にある、約1800年前に起源を持つ和布刈神社で毎年旧暦の元旦に行われるワカメ狩りである。
まだ寒い2月中旬の真夜中(2~4時頃)に冷たい関門海峡の水の中に足を踏み入れて、そこに生えているワカメを刈るという年一回の伝統的な行事。一番右の像が抱えているのは暗い水面を照らす松明である。真ん中の像は刈り取ったワカメを入れる桶であり、3人一組で行われる。なお2021年は2月12日(金)の真夜中に行われる予定だそうだ(下記HP参照)。
昭和初期までは栄えた門司港周辺の街並みも戦後になると港の交易が減少し、廃れてしまう。しかし1995年に逆にその歴史ある建物群を活かした”門司港レトロ”で売り出し、観光客の獲得に成功した。そのレトロな雰囲気を売り出して成功した門司港を真似して、他にも続々とレトロを売り出す街が続出している。
勿論この門司港には初めてやって来たが、この周辺は全然古臭くも無いし、下手に汚れている建物もなく街がとても綺麗である。
そして港の方に歩くと奥には関門橋が見えて、その奥に見える山は下関側の火の山公園。普段ならロープウェイで頂上まで登れるみたいだけど、この時は動いていなかったようだ。
この左側にあるのが下関側と北九州を結ぶ、昔ながらの渡船乗り場である。関門海峡を渡るには昔はこの渡船しか交通手段が無かったのである。なお、この炎天下の中でも1台だけ人力車のお兄ちゃんが頑張って営業していた。「何でこの海沿いにいるのか?」と思っていたら、ちょうど下関側からの渡船が到着する場所だったから。
門司港周辺の景色を眺める 動画
こちらの建物は1917年に建てられた「旧大阪商船」の建物を修復したもので、一般開放されている。1ヶ月の間に50隻前後の船が海外の貿易先へと出航して行っていた門司港では、このように商船の会社跡が沢山見られる。
こちらの大きな建物は「プレミアホテル門司港」で1999年にオープンした、門司港や関門海峡を望める景観が人気なホテル。一時は不調に陥りホテル運営会社が撤退し、代わりに第三セクターが運営する時期もあったが、門司港レトロの人気と共に満室になる時もあり、裏にあったオフィス部分も現在では客室に改装されている。
こちらは先程正面から見た「旧門司三井倶楽部」を反対の裏側から見ている。昔日本に来日したアインシュタイン博士は、日本人の資質を見て絶賛したという話が残っているそうだ。
こちらの白い建物も商船会社の物で、会社の前身は1868年に起源を持つ「ホーム・リンガー商会」であり、この建物自体は1962年に再建された物。長崎に居たグラバーさんの関係でイギリス人商人がここに居を構えて商売を行っていた。ちなみに”エロ坊主オジサン”はこの建物にも詳しかったが、その詳しかった訳はというと「別れた奥さんがここで昔勤めていたから・・(笑)」だそうな。。
自分勝手なオレに愛想尽かして、嫁さん出ていっちゃって・・・(笑)
左奥に見える高層マンションは日本を代表する建築家である黒川紀章氏が設計した「門司港レトロハイマート」である。1999年に完成した高さ103mのこの高層マンションは、このように高い建物が無い門司港周辺の景観を壊すとして反対運動も起きた建造物。ちなみに最上階の31階は北九州市が買い取り、展望台として門司港や関門海峡を見下ろす事が出来る。なお入場料は大人300円で夜もやっているので門司港の夜景などを見る事が出来るようだ。
関門海峡へと向かう
そして車に乗って関門海峡へと向かいます。なお関門海峡に架かる橋は自動車専用道路の為に、歩行者は通れません。だから別に歩行者専用の地下トンネルが用意されているので、そちらを通って関門海峡を渡る予定です。
関門海峡に近づくと、先程門司港駅前広場で見た和布刈神事が行われるという和布刈神社の大きな鳥居が見えてくる。
その鳥居をくぐると門司港駅周辺から北部へと続く短い観光列車の線路が見えてくる。市民の足ではなく観光客向けの路線なので、あまり本数はないようで電車が走る線路のイメージでは無かった。
関門海峡の手前にある、こちらの「ノーフォーク広場」の駐車場に車を停めて関門海峡へと向かう事に。なお門司港からここまでは歩いても20分位の距離なのだが、ここの駐車場は無料だから停めるそうな。意外と倹約家である”エロ坊主オジサン”だけど、酔っ払うと気が大きくなる典型的なタイプのようにも見えた。。
それにしても海があるだけで、真夏の8月も少しは涼しく見える・・・と思いたい位に暑い日々だった。レトロな雰囲気の門司港だけど、ここから見るとやっぱり先程見た高層マンションが景観を壊しているように見える。。
さて気持ちはすっかり門司港ではなく関門海峡に切り替わっているので、ノーフォーク広場から徒歩でノシノシと進んで行きます!
そしてやっと目の前に表れた関門海峡と関門橋。この関門橋は関門海峡でも一番狭い場所に造られており、全長は1,068mでこの関門海峡を跨ぐ支柱間の長さは712mである。
関門海峡と関門橋を眺める 動画
本州側の下関と九州を隔てる関門海峡の間には地上で見える関門橋の他に、地下には3つのトンネルが存在している。まずは1942年に開通した在来線の「関門鉄道トンネル」が最も古いが、こちらはこの場所ではなくもっと南西側の下関駅と門司駅を結ぶ。ちなみに”関門”とは下関の「関」と門司の「門」から取られた言葉である。
その次に造られたのが「関門トンネル(国道2号)」でこの橋の下辺りにあり、自動車専用トンネルとなっており、合わせて歩行者用トンネルも設けられている。これから徒歩で関門海峡を渡るのに通るのが、この関門トンネル(国道2号)の歩行者専用トンネル部分である。
関門海峡に近寄る 動画
流れがとても激しい関門海峡。今では多くの船がこの海域を行き来するけど、未だにこの激しい流れの潮に流されてしまう船が絶えないという。それと関門海峡の下に造られているトンネルで3番目に出来たのが「新関門トンネル」で、1975年に山陽新幹線専用のトンネルとして造られた。だから先程乗った新幹線で新下関駅から小倉駅間の間に、この新関門トンネルを既に通過してきているのである。
さて関門トンネルに向かう前に水分補給をする”エロ坊主オジサン”。最近は真夏の時期はテレビでうるさい位に熱中症予防が叫ばれているので、その影響もあってかマメに水分補給する”エロ坊主オジサン”。
暑い日は水分補給が大事やけ!
ここからは「めかり観潮遊歩道」となっていて、この関門海峡沿いを歩いて行くと和布刈神社に辿り着く事が出来る道である。
この「関門橋」は1973年に開通しており、約50年が経過している建築物。そろそろ老朽化が出だしているので今回訪れたタイミングでは橋の補修作業中であった。
日本の橋ってあまり人物の名前が付けられる事は少ないように思うけど、海外では結構地名の名前ではなく、その当時の国王などの権力者の名前が付けられる事が多いように感じる。
その関門海峡に架かる関門橋の手前には、このように大きい岩が置かれていた。しかもただ積み上げただけではなく、不自然に下の岩とくっ付いているようにも見える岩である。
今回の旅で色々と説明をしてくれた”エロ坊主オジサン”だけど、この岩には全く触れなかった・・・。でもボトル等で固定していなければ、このような形をキープするには難しい恰好に見えるが。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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