北九州を代表する小倉城に入城し、お城内に展示されている資料を勉強

九州縦断旅:北九州編

 旅行期間:2020年8月中旬

 

北九州のシンボル、小倉城

JR小倉駅周辺にある小倉城へと進む-2

ここは北九州の小倉の街。そんな小倉の街中に周囲を掘りに囲まれて、悠然とそびえる小倉城へとやって来ました。16世紀の戦国時代後半に中国地方を支配していた毛利家によって造られた城で、その後1600年に細川家が入城してその後約7年間の歳月を掛けて増築し天守閣まで備える城に生まれ変わった。

 

小倉城にて

JR小倉駅周辺にある小倉城を近くから眺める

こちらは小倉城の東側から掘りを挟んで眺めた景色である。例に及ばず、この小倉城の天守閣も昭和34年(1959年)になって再建されたもの。日本国内にあるお城もその殆どが近年再建された物が多いので、そういう事を知ると少し有難味が減るような気がする。ただしそんな事は気の持ちようなんだけどね。。

 

小倉城

住所:福岡県北九州市小倉北区城内2−1 
tel:093-561-1210
【営業時間】 ※年中無休
4月~10月—9:00~18:00
11月~3月—9:00~17:00
※最終入場・・閉館の30分前
【入場料】
大人350円  中高生200円 小学生100円

 

 

 

 

JR小倉駅周辺にある小倉城を近くから眺める-1

しかし「なぜこのクソ暑い炎天下の盆休み期間中に、この九州を訪れるのか?」と思われる位に、直射日光を浴びると更に暑かったこの時。しかし地元の大阪に居ても暑いだけだし、暑さに負けて動きを止めるつもりも毛頭無かったので、暑さに対抗する気持ちで九州に乗り込んだのである。

 

小倉城の堀を眺める

こちらは小倉城を取り囲む内堀。あまり綺麗な色はしていないが、鯉などの魚が泳いでいそうな雰囲気はある。お城の堀などは元々景観を良くする為に造られたものではなくて、あくまでも城の防御用に造られたものである。だから本来であれば堀の水質などはあまり気にする必要がないのだが。

 

小倉城の石垣と堀

お城の石垣を見ると、小学生高学年の時に写生会で大阪城を描いたが、その時にお城の建物や天守閣よりもその土台である石垣をメインに描いた事をふんわりと思い出す。勿論絵描きの才能なんてまるでないボクの絵だったけど、その絵が地域の区で入賞して天王寺の近鉄デパートでの展示会に出た思い出がある。

しかし今となってはその時に描いた大阪城の絵は、どこにあるのか不明なのであるが。。

 

小倉城敷地内の見取り図

こちらは小倉城周辺の案内図で、近くには小倉出身の松本清張記念館八坂神社などがある。今いる場所の後ろには小倉城庭園なる日本庭園もあるみたいだけど、ここはとりあえず小倉城の天守閣へと向かう事にする。

 

小倉城敷地内へと進む

まずは小倉城内へと通じる大手門へと進む。元々はちゃんと有事の際の事を考えて、城内へと入る大手門は真っ直ぐではなく、このように折れ曲がるような入口となっている。日本のお城の通路によく見られる造りである。

 

小倉城敷地内へと進む-1

この小倉城を訪れた2020年8月中旬は、既に”GO TO キャンペーン”が始まっていてホテル宿泊や飛行機込み宿泊パックなどを利用すると35%オフ(正確には35%は税金の補助が出る)になっていた時期。今回の旅は行きは新幹線、帰りはJALのマイルを使ってのタダ飛行機だったのでホテル代のみ35%オフだった旅。でも安宿ばかりだったので、そこまで金額的には恩恵はなかったけども。

 

 

小倉城敷地内へと進む-2

この時期は真夏だったのでとても暑く感じるけど、勿論草木なども大変な時期だろう。今までよりも気温が暑くなってきているので、それに順応していく種子が生まれてくるのだろうか。

 

小倉城への入口

大手門から小倉城の入口へと進んで行くと、約2分もしない位で簡単に小倉城天守閣の入口へと到着します。周辺にはコロナ禍と真夏の一番暑い時間帯だったからか、全然人影は見えませんでした。

 

小倉城の天守閣を眺める

色んな所を観光で訪れると大体の所は入場料が必要ですが、それをケチって中に入らない時もありますが、興味がある場所だと「その入場料分に価値がある場所なんだ!」と思う事にしています。そう前向きな気持ちになれば手持ちのお金は若干少なくなりますが、その分見学した場所の知識などを手に入れられます。そうやって得た知識はかけがえのない、見えない財産となって自分に蓄積していくのである。

あとはその見えない財産をどう使うかは自分次第!

 

小倉城入口前の看板

こちらは小倉城の歴史について説明してくれている看板。丹後国宮津城主であった細川忠興が関ヶ原合戦の後、その武勲が認められて豊前国中津に国替え&加増(12万石→33万石)され、その居城として新たに建造したのがこの小倉城である。

 

小倉城入口看板

小倉城を造らせた細川忠興は、豊前国小倉藩初代藩主として細川家を発展させていく。この細川忠興は豊臣秀吉お気に入りの”七将”(他/福島正則・加藤清正・池田輝政・浅野幸長・加藤嘉明・黒田長政)に含まれており、正室は明智光秀の娘である細川ガラシャ。悲運な死を遂げたキリスト教徒だった細川ガラシャは、芥川龍之介や司馬遼太郎などの小説で取り上げられたり、NHK大河ドラマなどにも度々出てくるのである。

 

小倉城入口前の券売所

こちらは小倉城の入場料が記載されている看板である。

 

チェック

ちなみに小倉城庭園や松本清張記念館も一緒に見学したい人には共通券が販売されているので、そちらを利用すると割安になります!

 

2施設共通入場券(小倉城&小倉城庭園)
→560円(大人)/320円(中高生)/160円(小学生)

小倉城&小倉城庭園の2施設共通券であれば、通常お城350円+庭園350円=700円(大人)が560円と割安になる。

 

3施設共通入場券(小倉城&小倉城庭園&松本清張記念館)
→700円(大人)/400円(中高生)/250円(小学生)

小倉城&小倉城庭園&松本清張記念館の3施設共通券であれば、通常お城350円+庭園350円+記念館600円=1300円が700円と割安になる。

 

 

小倉城に入ります

今回は小倉城内しか興味が無かったので、小倉城のみの入場料350円を払ってお城へ入ります。なお券売機はこの階段を登って城の中に入った場所に置かれています。

 

 

小倉城内の見学

小倉城に入ったすぐの場所

券売機でチケットを購入し、入口で検温してもらって小倉城内部へと入ってきました。とりあえず外が灼熱の暑さだったので、冷房の利いている屋内に入れただけでなんとなく嬉しい気分になります。

 

小倉城に入ったすぐの場所-1

入ってすぐの場所には小倉城が背景に写るプリクラも置かれている。今ではどこにでも置かれているプリクラだけど、冷静に考えれば片手の指ほども使った事がないボク。

 

小倉城に入るとこのように城の歴史コーナーが広がっています

そして噴き出る汗を抑えるために少し涼んだ後は、入口に沿って続く主に小倉城や細川家の歴史一覧が壁に張られているコーナーを進みます。この2020年は最初の3ヵ月しか海外旅行できなく、このGO TO キャンペーンが始まって以降は国内旅行に専念し、逆に国内を旅行する事によって、今まで軽視していた日本の歴史をよ~~~く学ぶ事になるのである。

 

小倉城に入るとこのように城の歴史コーナーが広がっています-1

この小倉は九州でも重要な場所で対馬列島を通じて、中国大陸や朝鮮などとの貿易も盛んであった。それだけに大事な要所なので、徳川家康は有能な細川忠興にこの地を任せたのだろう。

 

小倉城に入るとこのように城の歴史コーナーが広がっています-2

1602年から約7年間に渡って造られた小倉城は、この写真左側にもあるように1837年に天守閣を含む本丸が焼失してしまう。その本丸焼失から2年後に本丸は再建されるのだが、その際無くなった天守閣は再建されずであった。

 

小倉城内にあるキリスト関連のミニチュア

こちらはキリスト教徒であった細川ガラシャのミサが行われている様子を再現した、ミニチュア模型。この江戸時代前の戦国時代後半に布教しだしたキリスト教の恰好も、こうやってその当時の人達の服装の中では違和感しか感じられない・・・。

 

「ガラシャ夫人」の名前は今まで度々聞いた事はあったけど、ガラシャというのは洗礼名でキリスト教徒だったという事はこの時に初めて知ったのである。それまで無知過ぎたといえばそれで終わるが、こうやって国内でも色んな所に足を運んで色々見物しているとそれで多くの事を学べると再認識した瞬間でもある。

 

小倉城内にある、侍の人形

その歴史が描かれているコーナーを歩いていて、パッと後ろを見ると禿げ頭にロン毛の人が座っているのを見つけて少々驚く。その後、少し経ってからこの禿げた頭の人が人形だという事に気付く。。

 

小倉城内にあるお城の説明

現在の小倉城天守閣は第二次世界大戦後の1959年に、再建されたもの。日本全国には多くの現存する城や城跡があるけど、それを復元したり、保存したりするのも多額の経費がかかる。だから財政的にも全て残せばいいものでもないというジレンマが発生する。本来であれば過去の遺物はなるべく将来へ残すべきだとは思うけど、お金がないと何も始まらないしね。

 

小倉城内にある最初に連れてこられたゾウの説明

こちらの壁には大きなゾウさんの絵があった。「ゾウも歩いた長崎街道」ってどういうことだろうか?

 

小倉城内にある最初に連れてこられたゾウの説明-2

隣にある説明書きにこのように書かれていた。このゾウさんは象として初めて「広南従四位白象」という官位を与えられたので有名な象である。この象が日本に上陸したのは1729年の江戸時代、”暴れん坊将軍”でも有名な第8代将軍:徳川吉宗の頃である。

この時代に清国に対して江戸幕府が象を発注し、オスとメスのつがいを日本に持ち込んだが残念ながら上陸後数ヶ月でメスは死亡してしまう。残ったオス1頭だけ冬を越した後は江戸の待ち受ける将軍様の所に象を届ける為に出発したが、当時はまだゾウのような特別大きな生き物を輸送する大型船が無かった為に、江戸までの一路を徒歩で向かったという。ただ流石に関門海峡だけは石炭運搬船に強引に積み込んで、海を渡ったそうだ。

 

小倉城内にある最初に連れてこられたゾウの説明-1

長崎を出発し74日も掛けて江戸に無事辿り着いたというが、その道中は将軍の大事な品物なので通り道の藩は最大級の手当てを施したという。また江戸へ向かう途中に京都に着いた時に、このゾウが天皇に謁見する事になったが無官位の者が天皇に会うという事が無礼だったので、わざわざ「広南従四位白象」という官位が与えられたという。

結局このゾウは江戸城まで辿り着き、徳川吉宗の元まで行ったものの、飼育費などの管理費がとても高く付くという事で民間に払い下げになったそうだ。そしてゾウを買い取った商人はこのゾウを見世物に使い、またゾウの糞を乾燥させたものを薬として売り出して、当時は国内で大きなゾウブームが起こったという。

 

 

小倉城内にある、祭太鼓の写真

その横には祭に参加している人達のパネルが飾られていた。太鼓も見えるのでひょっとすれば、さっきJR小倉駅で見た太鼓叩きの像に関係している祭かもしれないと察知する。

 

 

小倉城内にある、祭太鼓の写真-1

こちらの中には、江戸時代から続く小倉の伝統的な祭りである小倉祇園太鼓で使われていた、現存する最古の太鼓だという。1780年製とされていて平成25年に革の張り替え作業をしたら、内側に1780年に作ったと書かれていたのが発見されたという。

 

小倉城内にある、虎の絵

そして次は大きな虎が静かにこちらを狙っているようなイメージの絵が見えてきた。それか逆立ちにチャレンジする虎だったかもしれないが。でもこうやって逆立ちしているように縦長に描かれる絵ってのも、少々珍しいように思う。ちなみにこの虎はどの角度から見ても見返してくるように描かれていて、高さ4.75m×幅2.5mという大作。

 

小倉城内にある、写真撮影OKマーク

こちらの虎の絵は『迎え虎』というタイトルで佐藤高越氏によって昭和35~36年に描かれたもの。小倉城が消失した慶応2年(1866年)が寅年だったのにちなんで、小倉城の天守閣が再建された1959年を記念して、小倉城へやって来る人達を出迎える雄虎を描いているという。

 

小倉城内にある、色んな説明書き

小倉城再建の、そして未来の平和を祈願して描かれた虎の絵。まるで本物の虎が居ても不思議じゃない位に迫力のある絵である。この佐藤高越氏は1900年に新潟で生まれ、虎ばかりを描く専門画家になる。そして佐藤高越氏は宇佐神宮にも動物の絵を描いているという。

 

小倉城内にある、色んな説明書き-1

こちらには初代の小倉城が建てられた時の建物の説明が書かれている。なんでも「唐造り」という当時では珍しい技法で、説明にもある通り、4階と5階部分には屋根のひさしが無くて、しかも5階部分の方がせり出していたそうだ。

 

小倉城内にある、お城のミニチュアを眺める

この小倉城内の展示物などで写真撮影していいものと、写真NGなものもあった。なのでいちいち「写真OK」マークを見ながらの写真撮影となる。勿論フラッシュは厳禁であるが、出来ればこういった歴史的考察が出来る場所ではその資料を写真に撮って残せるように全面的に写真撮影可にして欲しいといつもながら思う。

 

小倉城内にある、お城のミニチュア

こちらは小倉城天守閣の約1/30スケールで造られた模型である。基本的には昔の焼失する前の資料を基に設計したもので、小倉城独特の「唐造り」もキチンと再現されています。確かにこうやって見ると4階部分に屋根が無いのが、とても不思議に見える造りである。5階部分が4階よりも出っ張っているから、屋根は不要という事なんだろうか?

 

小倉城内にある、お城の説明

この九州旅から、なるべくこういった展示物の説明板を写真に収めるようにしてみた。今までの海外旅行時はだいたい説明板は外国語ばかりだったので読めなかったけど、日本国内だと当然このように日本語で書かれているので、後で見直して復習ができるから。

 

小倉城内にある、小倉名物の説明

この小倉で近年、日本最初の国産葡萄酒(ワイン)を造っていた事を熊本大学が発見したという。小倉第2代目藩主:細川忠利(細川忠興とガラシャの息子で、祖父は細川幽斎と明智光秀)が1628年頃にワイン造りを指示していたという資料が出てきたそうだ。勿論当時外国では既にワインは造られていて、それが日本にも輸入されていたので日本でワイン造りが始まっていたとしても全然不思議ではなかっただろう。

 

小倉城内にある、小倉名物の説明-1

こちらは小倉の代表的な郷土料理である「ぬか炊き」。玄界灘等で獲れた青魚をぬか味噌で炊き込んだ、城下に伝わる独自な料理だという。小倉藩初代藩主である細川忠興や、その息子である細川忠利も気にいっていたのが未だに伝統として残っているようだ。

 

小倉城内にある、小倉名物の説明-2

小倉藩初代藩主である細川忠興の父と言えば、細川家でも一番有名な細川幽斎(もしくは細川藤孝)である。戦国武将としての武芸だけではなく、茶道や和歌などに多彩な才能があり、その影響で息子である細川忠興も茶道などに長じて文化人として称されるようになる。

 

 

小倉城内にある、小倉城の見所

小倉城内には45もの門が設けられていたという。昔は左図にもあるように城の周りは堀が何重にも張り巡らされていたが、現在の小倉城敷地は右図のように周囲がだいぶ埋め立てされた事が分かる。その経緯はそれだけ争い事が無くなり、平和な時代になったという証拠でもある。

 

小倉城内にある、祭太鼓に使われる太鼓

こちらは小倉城の天守閣に設置されていて、何かある度にこの太鼓を鳴らして城下町の人々に知らせを送っていたという。ただ鐘なら遠くまで音が鳴り響くけど、こんな太鼓だと叩いてもあまり遠くまで音は鳴り響かないイメージがするけども・・・。

 

小倉城内にある、祭太鼓の説明

こちらの大太鼓は1866年の長州藩との戦いの際に、持ち去られて行方不明になっていた代物だという。ちなみに下関にある嚴島神社にはこの時に長州藩が持ち去った太鼓が、未だに境内に飾られているという。ここの太鼓と嚴島神社の太鼓が両方とも本物だとすると、小倉城の天守閣には複数個の太鼓が置かれていたのかもしれない。

 

 

小倉城内にある、お城のミニチュアを眺める-1

日本の城は外からその景観を見るだけではなく、このように付属する資料などでその歴史を勉強すると、更に色んな知識を与えてくれるのである。

だから今まで城の歴史とかに興味が無かった人とかは、次からなるべく初めて行った場所にあるお城の中に入って、歴史的な資料などに目を通すのもいいかもしれないですよ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ

↓↓↓↓九州縦断旅行記:初回↓↓

【九州縦断旅行記】小倉から始まり、別府~熊本~鹿児島~桜島と巡る!
2020年8月の炎天下の時期に訪れた九州。まずは小倉で以前バルト三国旅行で知り合った”エロ坊主オジサン”と再会し、門司港へと連れて行ってもらいます!
タイトルとURLをコピーしました