瀬戸内海を支配していた村上海賊のミュージアムで・・【愛媛旅行記㉘】

愛媛県/松山旅行記㉘

 旅行期間:2020年9月23日~26日

 

敢えて入らないという選択肢

さてしまなみ海道サイクリング旅は伯方島で昼食を食べるという目的を達成したので、今来た道を引き返して今治方面へと帰る事にした。こちらに見えている橋は先程渡って来た「伯方・大島大橋」で、これを渡って大島方面に戻る。

 

ただ次の大島ではさっき通ってきた道や島を縦断するしまなみ海道を通らずに、東側の外周道路を進む予定。そして「村上海賊ミュージアム」という、昔この瀬戸内海を支配していた海賊の村上氏の記念館があるというので、それもちょっと寄り道しようと思っていた。

 

このしまなみ海道サイクリングロードは綺麗に整備されていて、とても快適に走る事が出来る。近年はインバウンド需要を見込んで、このような観光資源にかなり力を入れているというのが見て取れる、道路に書かれたペンキの新しさ。

 

この伯方島と大島を結ぶ「伯方・大島大橋」では、このように原付バイクは自転車や歩行者と同じ道を通過するようになっている。ただしこの辺りを原付バイクで走る人は地元民が多いので、そんなに危ない運転をする人は少ないと思うし、そこまで心配する必要はないとは思う。

 

さっきは反対に進んだ橋だけど、1回通っている場所を通過していくと、何だか懐かしさを少し感じる。やっぱり初めて訪れる場所と2回目に訪れる場所では、ちゃんと脳が働いていて無意識にそれを識別しているのだ。

 

 

大島に戻る

そして橋を渡って、先程まで外周を走って来た大島に戻ってくる。ここには料金箱が設置されているけど、この橋は地元企業スポンサーの後押しもあって、無料で通行する事が出来る。

ただし寄付金という形で、料金箱にお金を入れるのもアリです!

 

貨物船とかの船はもっと広い太平洋を走っているものかと思っていたけど、実際には荒波が起こる可能性のある外洋ではなくて、このような落ち着いた内海を運行する船が多いようだ。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

コッチの方が最短ルートだし、何か異常があっても陸地が近いから瀬戸内海を運行する船が多いけ!

 

さて橋を渡ってそこから降りて一般道に出てくると、立ち寄ろうと思っている「村上海賊ミュージアム」の看板が見えてくる。この瀬戸内海を支配していた村上氏は戦国時代にも影響力を持っていたけど、「海賊」と表現されているように海外のバイキングのように通る船を見境なく攻撃して略奪していた訳ではないようだ。

どちらかというとこの瀬戸内海の海域を守る海賊という役割で、海上の関所を守っていたという方がニュアンスが近いかもしれない。

 

大島でこの村上海賊ミュージアム方面の東側外周ルートだと、最初に渡ってきた来島海峡大橋までは約12kmの距離がある。もし今治城の天守閣がまだ開いている時間に戻りたければ、博物館や他の展望台に寄り道する時間は無い。

 

「今治城を取るか?」、それとも「大島にある博物館や展望台を取るか?」という選択肢を頭の中で色々検討しながら走っていると、このような人工的に削られたような島が瀬戸内海に見えてくる。

 

ここにあるのはその瀬戸内海の海賊だった村上氏が居城にしていた「能島城跡(のしま)」と、それに属する小さな島の「鯛崎島」。こちらは小さい方の「鯛崎島」で弁財天の建物が唯一あって、毎年夏になると”弁財天祭り”が行われるという。

 

 

こちらの要塞跡のような島が「能島城跡」で、村上水軍が居城としていた城。戦国時代に活躍した村上水軍だが全国を統一する事になる秀吉の軍勢に敗れてしまい、ここは廃城となって江戸時代には誰も手を付けなかったので城跡としては綺麗に保存されているという。

 

この島は無人島ではあるが今では「能島城跡上陸と潮流クルーズ」で、この島に上陸する事も出来るようだ。この時もこの島周辺を走る小さなクルーズ船が見えていたし。

鯛五郎丸
鯛五郎丸

桜の時期は綺麗に桜が咲くので、花見をしに来る人もいるタイ!

 

さてそんな能島城跡をたまたま発見できたりで、同じ道を帰らずに違う道を走れば、それはそれでこのように新しい発見を見つける事も出来る。

だからなるべく普段通る道よりも、通った事の無い道を積極的に選びましょう!

 

 

村上海賊ミュージアムにて

そんな能島城跡から約7分程外周の道をそのまま真っ直ぐ進むと見えてきたのが、こちらの「村上海賊ミュージアム」。2004年に開館した記念館でそれまでは「村上水軍博物館」という名前だったが、この2020年4月から「村上海賊ミュージアム」という海賊をアピールする名前と変わったようだ。

 

【村上海賊ミュージアム】

住所:愛媛県今治市宮窪町宮窪1285番地
営業時間: 9時~17時頃(※定休日:月曜日)
電話番号:0897-74-1065
入場料金:大人310円/学生160円(高校生以下無料)/65歳以上250円

 

 

こちらにある立体に彫られている石碑は、小説家の和田竜による長編歴史小説『村上海賊の娘』のヒットに関連して造られたもの。この物語はこの地方を支配していた村上水軍の当主であった村上武吉の娘が、海賊として海上に入り活躍する話だという。

 

 

そんな村上海賊ミュージアムの手前には「能島水軍潮流体験船/水軍レストラン」という建物があり、ここから瀬戸内海の海流が激しい場所へ向けてクルーズする船が出航する乗り場でもある。

 

そしてそんな村上海賊ミュージアムの館前に鎮座している石像は、この瀬戸内海を支配していた能島村上家を率いていた村上武吉のもの。この村上武吉は1530年代に生まれたとされていて、主に戦国時代に生きた武将である。ただ能島村上家は一国を支配していた訳ではなくて、中国地方を絶対的な力で支配していた毛利家に従順していた。

 

村上海賊ミュージアムの庭は、このようにちょっとお洒落な感じとなっていて、瀬戸内海の1つの島にあるとは思えないような凝った装飾となっていた。

 

勿論村上水軍については前から知っていたけど、そこまでしてこのミュージアムを見たいとも思っていなかった。でもとりあえず来たからには、少しでも館内を見学してみようかと思う。ただあまりここで時間を使うと今治城が閉まってしまうが。。

 

こちらの「村上景親」はさっきの能島村上家当主:村上武吉の次男で、小早川隆景の家老となって文禄の役では朝鮮半島に出兵して活躍した人物である。

 

この能島村上家は毛利家の繁栄と共に勢力を拡大したが、秀吉や家康が天下を統一した事もあって、最終的には瀬戸内海の海賊が一蹴されて安全な航海路となった為に、海賊という仕事は廃業せざるを得なくなってしまうのであった。

 

この瀬戸内海を支配していた村上家も戦国時代には、「因島村上家」「能島村上家」「来島村上家」と3つの系統に分かれている。なのでそれぞれに少し家紋が違うが、基本的な”丸に上の字紋”は全てに共通している。

 

村上海賊ミュージアムの2階部分は有料ゾーンだったけど、1階部分は少しだけ展示品があってそれらは無料だった。なので無料ゾーンを見学してトイレも借りただけで、残り時間を優先して結局全部は見学せずに後にする事に。

 

という事で村上水軍の歴史などを詳しく勉強するのを諦めて、再び大島の南西側外周の道をまた自転車を漕いで進んで行く。

 

その途中には「九十九島(つくもじま)」という小さな島が見えてくる。こちらの城は室町時代に能島城の支城となっていた場所だが、その後に放棄されて長い時間が経過して無人島となっているので、今ではこのように木々が生い茂っている島となっている。

 

 

この日はレンタサイクルを借りてサイクリング旅を楽しんでいる人をあまり見かけなかったが、この大島の南東側外周ではそんなサイクリングをしている人を一切見かけなかった。

 

というよりも地元の人達も殆ど見かける事が出来ずに、車も殆ど動いているのを見かける事も無かった。なので紐の付いていない凧のように、どんどんと道を疾走していくのであった。。

 

この辺りは「吉海町(よしうみちょう)」という地域で、ここでもこのようなしまなみ海道に架かっていると思われる橋のデザインが描かれている、デザイン・マンホールが設置されていた。

 

そして村上海賊ミュージアムを犠牲にして、代わりにちょっと無理するけど大島の南部にある「亀老山展望公園」の展望台へ向かう事にした。しかしこの大島の南東側外周の道をただ進めばいいと思っていたけど、ある程度進むとこのような看板にブチ当たる。そして国道がある右に曲がるか、それとも「道悪し」と書かれている真っ直ぐな道を進むかという分岐点に差し掛かる。

今更国道に合流するなんて面白くないので、道が悪くても真っ直ぐ進みます!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓愛媛・松山旅行記:初回↓↓

【愛媛旅行記①】まずは松山空港から道後温泉までシャトルバスで移動
2020年9月下旬に訪れた愛媛県松山市内を中心として巡った旅の旅行記スタート。伊丹空港から愛媛県の松山空港へとJAL便で渡り、シャトルバスを使って道後温泉に向かいます!
タイトルとURLをコピーしました