愛媛県/松山旅行記㊳
旅行期間:2020年9月23日~26日
竹やぶのみきゃんチャン!
愛媛県松山市の北西にある梅津寺駅から南側に歩いて行った先にある「港山城跡」へ向けて、進んで行きます。雨はちょっと先程小降りになってきたけど、またそれから止んでといったモヤモヤした日になりそうな1日である。
今歩いている道路は「愛媛県道19号松山港線」という、松山市内から続いている道で、旧道は”三津街道”とも呼ばれていた道。そんな道路の民家裏には先程ここまで乗ってきた伊予鉄高浜線の線路があるけど、このように金網などは設置されていなくて、ダイレクトに線路にまで行ける。都会だったら絶対に金網などが設置されていて線路内には立ち入れないようになっているけど、こういった光景も地方ならではである。
さっき見た歩行者専用の踏切では遮断機は下りっぱなしで警報機は無かったけど、このように車が通れるサイズの踏切にはちゃんとしたものとなっている。そして目の前に見える小高い丘のような山に、目的の港山城跡があるハズ。
港山城跡にて
「港山城跡」の入口を探してウロウロと歩いていると、その南側にこのような慰霊碑と階段を発見する。
住所:愛媛県松山市港山町6-8
このちょっと細い階段が「港山城跡」へと続く階段で、今では綺麗に山の頂上が整備されて公園のようになっているそうだ。
この港山城跡は室町時代からこの松山市周辺を支配していた河野家の水軍が居城にしていた場所だが、戦国時代の後半に四国に侵略してきた秀吉の軍勢に敗れて、それ以降は廃城となってしまった場所。
この城跡も外から見ると、単なる竹がいっぱい生い茂っている竹藪にしか見えない。恐らく前までは何も手入れされずに竹が生い茂る山だったようだが、2016年頃にこの港山城跡を整備して公園のような物を造ったという。
なので単なる山道というよりは、このようにコンクリート造りの階段ではないけど、それなりに整備されている道を登っていく。
でもここまでは全然城跡という感じを受けない、単なる山といった印象。まあ約400年も前に放棄された城跡なので、そこに何かが残っているかを期待する方がいけないだけなんだけど。。
少し登るとこのような広場があり、ちょっとした宴会が行われる会場のように椅子やテーブルが並べられていた。ひょっとしたら花見用のスペースとなっていたのかもしれない。
さて先を進むと、このように竹藪の中を進んでいるという感覚になってくる。普段はなかなかこのような竹藪の中の道を歩く機会がないので、ここ登山道の散策は気持ちがいいもんである。
そしてここでも全然人が居なくて、この港山城跡に滞在時には1人ともすれ違う事が無かった。それだけマイナーな城跡であり、かつコロナ禍の影響も少なからずあったのだろう。
ただこの道も定期的に管理はされているのだろうけど、そこまで人が来ないからか、このように倒れてきている竹がそのままにされていて、こちらの進路を邪魔していた。ただ普通に道を進んで行くよりも、こういった少々の障害があった方が楽しめるのであるが。
そして先の方に何やら城跡だけあって、石垣のような物が見えてくる。いくら約400年前の城跡でも地中にしっかりと埋め込まれた石垣が残されている所は多い。
ただこの石垣は想像していたような立派なお城で造られている石垣とはイメージが違って、最近誰かが石垣を造ろうと思って一杯石を運んできて積んでみたけど、想像以上にしんどいので諦めた”中途半端な石垣”のように見えるのは気のせいかな・・・?!
普段竹藪を歩く機会がないけど、このように長く育った竹は上の方が黄緑色の葉っぱが太陽に照らされて、綺麗な景観を創り出してくれている。
昔読んだ漫画『美味しんぼ』で今の時代に少なくなっている竹藪の大事さを説いている回があったけど、その中ではこのような”手入れされた竹藪は宝物だ”という風に扱われていた。今の時代は多くのお金に変換できるものが価値あるものとされるようになっているけど、このように昔ながらの自然はお金に換える事が出来ない程の宝物である。
この港山城跡の山もそんなに高い山じゃないので、散策ついでに行ける位の高さ。なので5分前後でこのようにそろそろ頂上が見えてくる高さなので、年配の人でも簡単に上まで行ける場所でもある。
地方のちょっとした山などを登ると野生動物と遭遇する可能性があるけど、ここではそんな野生動物が生息してそうな気配が全く感じられなかった。本来は野生動物がいるのが当然なのだが、昔からこの周辺で生息してきた人間たちが野生動物を駆逐していっただけなのだが。。
登り出して約5分で目の前に、明るい光景が目に飛び込んでくる。さて「港山城跡の頂上には何があるんだろう?!」とウキウキな瞬間である。
昔はこんな城跡も放置されて道もなく荒れ果てていたのだろうけど、今では海外観光客のインバウンド需要を見込んで、色んな場所の歴史跡が掘り起こされたり整備されていて、観光する人達にとっては段々いい環境ができつつある。
港山城跡の頂上広場にて
そしてこちらが港山城跡の頂上にある広場。「港山城跡」とはなっているが、このように当時の建物の面影を残すものは、特に見当たらない・・・。
この城は水軍用の城だったので、このような海沿いの高台に造られていた。なので城として防御の要というよりは、海上を警戒する砦のようなイメージの場所だったのだろう。
こちらの広場からは先程まで歩いていた梅津寺駅方面が見えている。この港山城跡の最寄り駅は「港山駅」があるけど、さっきの梅津寺駅からは歩いて1駅の距離なのでそんなに遠くはない。
先程までは一旦晴れ間が差して明るい空が見えだしていたけど、今はこのように分厚い雲が上空を占領してしまっている。また雨が降って来るかもしれないけど、いつもながら傘は持っていないので、その時は雨を気にせずに歩くのみである。。
港山城跡の景色 動画
さてここでも今回の旅の強力な相棒となっている、自撮り棒兼三脚スタンドを使って撮影を試みる。普段はなかなか写真に写る機会のない”みきゃんボクサーパンツ”が嬉しそうな顔をしているような?!
こんなふざけた事が出来るのも、この港山城跡広場に人が全然いなかったから。それにしてもこんな可愛らしいデザインのパンツなのに、昨晩温泉に浸かった後にこのパンツを履いた際に周囲のオジサンが無反応だったのがとても残念だった記憶が蘇る・・・。
今どきの人はオマエが変態やと思って、ヘタに声を掛ける事はせんけ!
さてそんな竹藪の山の頂上からの景色や自撮り写真を楽しんだ後は、これ以上ここで見るものも無さそうなので山を下りる事にします。特に城跡らしき痕跡が感じられない場所ではあるけど、ここから見られる景観は城があった昔の時代を思わせてくれるような気がしたのであった。
それにしてもちょっとした散歩にはちょうどいいルートの港山城跡。家の近くにこのようなリラックスできる場所があるというのは、地方のいい所であろう。
帰り道で再び先程もあった倒れている竹の場所に差し掛かるが、ここでも軽快に難所を乗り切る。しかし行きの時もここで蜘蛛の糸がまとわりついて、帰りも蜘蛛の糸がまとわりついてきた。人の通りが少ない山道などは至る所に蜘蛛が糸を張っていたりするので、それだけ注意である。
こんな旅はまた次回に続きます!
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