愛媛県/松山旅行記㊿
旅行期間:2020年9月23日~26日
どうりで名物餅となっている訳で
ここは愛媛県松山市内で道後温泉街の近くにあり、昔からお遍路さんや道後温泉に立ち寄る多くの観光客がやって来る、人気な「石手寺」。そんな寺の境内には普通に見られる仏教寺とは少々趣が異なり、日本国外の仏教国から輸入してきたような仏陀の像なども沢山見る事が出来る場所となっている。
日本の仏教寺では、まずこのような女性の裸体を思わせる像などまず見かける事が出来ない。しかし2020年2月に仏教国であるスリランカを訪れた際には、このような女性の像なども沢山見られた。このような仏教は同じ仏教でも”上座部仏教”と呼ばれる、スリランカや東南アジア(ミャンマー・タイ)などの国で派生した仏教である。
お釈迦様の石仏の庭にて
石手寺境内には先程入った狭い洞窟や宝物殿などは入場料金が必要な場所だったけど、この仏陀のストーリーが表されている「石仏の庭」は入場料が必要なかった。という事で大手を振って進んで行く。
ここにはこのようなスリランカではよく見かけたような仏陀が送った一生について、彫られた石に飾られているのが見えてくる。日本では仏陀はお釈迦様となっていて、それ以外にも色んな形に姿を変えて沢山の神様が存在しているので、このように仏陀にのみ焦点を当てている寺は殆ど見当たらない。
なおこちらは「仏陀、生まれる」という仏陀が誕生した時を表している。伝説によると生まれたばかりの仏陀は『天上天下唯我独尊』という言葉をいきなり喋ったとされている。ただこれで注目なのは仏陀の母親と見られる女性が、仏陀が晩年過ごした寝釈迦ポーズをしている所。
この寝釈迦ポーズは、遺伝なんじゃ!
そして一国の王子として生まれた仏陀は、両親から贅沢な生活を与えられて、その恩恵を経て贅沢に少年時代を過ごして成長する。そして早々に結婚して、子供も設けている。
一国の王子と言っても当時は世界各地で常に戦争が起こっている時代なので、勿論贅沢に暮らすだけではなくて、戦争が起きた時の為に武術の訓練は必須であった。そんな王子:仏陀は特に弓矢の技術に優れていたが、それで人を殺すのは間違っていると考えるようになっていった。
そして王子でありながらその国を継ぐ事は考えずに、出家する道を選ぶ仏陀。その意志を隣国マガダ国のビンビサーラ王に伝えると、自国に来るようにスカウトされて勧誘されるが、決意の固かった仏陀はその誘惑を振り切り修行の道を歩むことになる。
そしてまずは当時仙人と呼ばれていた人達に会いに行くものの、自分の目指す方針と異なっていた為に、結局は自分で独自の修行を考える事になる。そして約6年に渡り色んな修行を試みて、それでも悟りが開けないので挙句の果てには食欲にも打ち勝つために極度の断食修行を行う。
この時は体脂肪率0.001%だったんジャ!
次の石仏板は残念ながらこのように植物が遮ってしまっていた。しかしこの寺の住職は無益な殺生を避ける為に、あえてこうしていたのか?
そして約6年に及ぶ苦行をしたにも関わらず悟りが開けなかった為に、苦行の必要性を疑う事になった仏陀。そして苦行を辞めて川に行くと、そこでスジャータという娘と出会い、牛乳を分けてもらう。それで生気を回復した仏陀は近くにあった菩提樹の木の下で、1人静かに瞑想を始めた。
そんな菩提樹の下で瞑想をしていたら、仏陀は35歳にして遂に悟りを開く事に成功したのである。悟りとは苦行の果てに代替えとして得れるものではなくて、自分の内面と向き合う事で気付ける領域なのであった。
そんな悟りを開いた仏陀の噂を聞きつけて、心に苦しみを持つ人々が沢山彼の元へと押し寄せる。そんな苦しむ人々に対して仏陀は嫌がる事なく、悟りの精神を説いて教え回る事になる。
そして独創的な石手寺らしく、こんな仏陀のストーリーが彫られている石仏ばかりの園内に、このような狸の信楽焼を大胆に配置している。普通の考えをしているとまずこんな所に信楽焼をド~~ンと置く訳がないので、これも何か仏陀に関連した要素があったのかもしれない。
んな訳、アルカ~~イ!
そして毎日信者となった人達に悟りを伝えていくのも段々シンドくなってきたので、このように寝釈迦ポーズを編み出して、楽して布教をするようになった仏陀?!。
これは母親からの遺伝されたポージングじゃ!
そしておよそ80歳で涅槃(ねはん)となった仏陀は、生きている時だけではなくて、この世からいなくなっても世界に影響を与える。というのも当時インドで大きな勢力を誇っていた国の王様であったアショーカ王は、限りなく残忍な戦いを進めて領土を広げていた。しかし途中で今まで自分がしてきた多くの人々への惨殺を後悔し、仏陀を崇拝するようになり、仏陀の死後は衰退していた仏教をインド全土に広める事になる。
インドではバラモン教やヒンズー教など他にも競い合う宗教があり、戦いを好まなかった仏陀の仏教は彼が居なくなった後は絶滅しかけていた。しかし皮肉にも多くの人達を惨殺してきた1人の王様が、最終的には殺戮を好まない仏教を世界に広げる事に貢献し、もしこの王様が居なければ今頃は仏教が存在していなかった可能性も考えられるのだ。
世の中は成るようになっておるんジャイ!
今までの自分だったらこのような仏陀のストーリーが描かれている石仏を見ても何も感じなかっただろうけど、この2月にスリランカを訪問してこれら仏陀の話に興味を持っていたからこそ、ここでもこうやってそのストーリーを興味を持って見る事が出来た。
なので日本では独自な発展をした仏教だけど、本流の上座部仏教では未だに祖師である仏陀がメインなので、このように仏陀関連の物ばかりを目にする事が出来る。だから今までならこれを見ても「単なる誰かの足跡」としか思わなかったけど、今では「あっ、仏陀の足跡だ!」という程に成長している。
こちらにはまたガリガリの仏陀像が置かれていた。今の時代でも誘惑から自分を振り切る為には、痛みを伴う苦行が必要だと考える人間は多い。特に食欲という人間の生存本能でも重要な誘惑とは、誰もが戦うのだろう。そういえばキリストもどこかの山に籠って、断食をしたと言われているし。
現代でも「断食健康法」というのを取り入れている施設があったり、イスラム教の国では日の出ている時間帯は何も口にしない”ラマダン”という断食の習慣も未だにある。しかし仏陀は約2,500年も前に断食などの苦行を行っても悟りは開けないと悟ったのであった。
秘密の「清浄洞窟」へ進む!
そんな仏陀の話を頭の中で思い出しながら歩いていると、こちらの「清浄洞窟」という新たな洞窟を発見する。なお先程の洞窟とは違って、こちらは無料のようなので遠慮なく入ってみる事にする。
こちらの洞窟は思っていた以上に狭くて、人が1人通れる位の隙間しかなかった。しかし先程の洞窟に比べると極端に短くてあっという間に抜けてしまう。
そして穴を抜けた先は建物内となっていて、更に進んでその建物を出るとこのような石像群がある場所に出てきた。この石像は先日夜にバスでこの前を通った時に、ブルー色にライトアップされていた石像であった。
そしてここでは住職による、朝の御祈りがマイクを通じて行われていた。なので結構な大音量での念仏が唱えられていたので、普段念仏を聞き慣れない人間からすると、少々やかましい場所であった。。
石手寺での朝の法要 動画
そして何とかその場所を抜け出して先程抜けた洞窟を客観的に見直すと、このように僅かな距離でしかも人為的な洞窟となっている外観だった。
そんな風に石手寺の境内を色々と散策していたら午前9時を過ぎていたので、そろそろここを後にして道後温泉街まで戻る事にする。しかし普通の仏教寺に比べると色んな物が置かれていたりして、結構な見所がある寺だった。
お待ちかねの焼き餅タイム!
そして来た時にはまだ開店準備中だった石手寺内の焼き餅屋さんが営業していたので、帰りに立ち寄るとする。ここで販売している焼き餅は、白いスタンダードな米粉のみ焼き餅と、緑入りのヨモギが入った焼き餅の2種類が販売されている。
(※それぞれ餡子入り)
この時はヨモギ味しかなかったけど、それで10個1パックを800円で購入する。この時は自分で食べるつもりは無くて、持って帰ってオカンへのお土産にしようと思っていた頃。
そしてゲットしたこちらが石手寺で大人気の「五十一番食堂の焼き餅」である。まだ出来たてらしく餅が温かいので、冷める前に1つだけ味見をしてみる。
こちらがヨモギ味の焼き餅で、少々焦げ目があるけど、まるでモナカに包まれている餅のようにふんわりしていて、しかも中の餡子が甘すぎないのでとても美味しいのである。
お~~い、ワシの分も買っといてよ~~!
最初の1個は味見用として食べたけど、あまりの美味しさもあって半分の5個を一気に食べてしまう。そこで我慢して一度は残りをカバンに詰めたものの、「持って帰っても冷えてしまっていると美味しくないので、今ここで温かいうちに全部食べてしまった方が焼き餅からしたら幸せだろう!」と考えて、結局この道後プリンスホテルまで到着する間に焼き餅を全部食べてしまっていた。。
食べた感想はイランから、ちゃんと現物を持って帰りなさい!(怒)
焼き餅や その美味しさに 持ち帰りなし!
by 管理人 ヒロ
石手寺の焼き餅が食べたければ、自分で石手寺に行ってくださいという事!
こんな旅はまた次回に続きます!
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