石手寺の奥深くにある奥の院と宝物殿【愛媛旅行記㊾】

愛媛県/松山旅行記㊾

 旅行期間:2020年9月23日~26日

 

色んな物が眠る石手寺

ここは松山市内の道後温泉から歩いて行ける「石手寺」の、細い洞窟を進んで行った先に出てきた道。昔の時代には抜け穴として使われていたような小さな洞窟を進んできたけど、待ち受けていたのは普通の裏道。。

 

そんな裏道に出て引き返そうかなとも思ったけど、せっかくなので「何かあるかもしれない」と思って周辺を散策すると、このような「奥の院:入口」と文字の彫られた石碑と閻魔大王のような像が上に設置されているのが見えてきた。

 

 

石手寺の奥の院にて

そして全然ひと気のない、奥の院へと通じる道を進んで行きます。このように全然人がいなかったので、この道を通っていると蜘蛛の糸が絡みついてきて、「普段は誰も来ないのか?!」と思いつつも進んで行きます。

 

途中には葉っぱが青い紅葉なども見えて、秋頃にはこの辺りも紅葉が綺麗な景色が見えるのかなと妄想しながら歩く。

 

すると程なくして目の前に、このような大きな建造物などが見えてきた。それにしても大きな金色の建物が目に入って来て、期待感ワクワクである。

 

これが「奥の院」という場所らしいけど、仏様を祀る場所というよりは物置のような感じがする奥の院。このような大きな金色の色が塗られている玉ねぎ型の建造物や置物の種類が、この石手寺が一般的によく見られる仏教の寺とは趣が異なる感じを受ける。

 

仏教は仏陀を中心として色んな神様が崇められている多神教。それでもその頂点に君臨するのは仏陀。

 

このようにビー玉を包み込むような手と共に、その上には仏陀の足跡が彫られたものが見えている。一応人間として生まれてきた仏陀だけど、通常の人間とは身体的に違った特徴が多くあったそうで、中でも足の裏は独特となっていて土踏まずが全くない偏平足となっているのだ。

ブッダ君
ブッダ君

これは私が変わっているのではなくて、皆さんが変わっているだけジャ!

 

そんな奥の院の回廊には、このような一見気色悪いような顔をしているオジサンの形をしている木造が、沢山並べられていた。ここの住職がもしかしたら作った木像か、それにしてもよくこれだけあるなと感心してしまう。。

 

そしてこちらの像はスリランカなどでも見かけた、29歳で出家した仏陀が色んな修行を試みて、最終的に極端な断食修行を行っていた時の様子を想像して造られた像である。あまりにも壮絶な断食を仏陀は行ったとされていて、このようにあばら骨がハッキリと外から見て分かる位にやせ細った。ただ体には血管が浮き出ているけど、意外と顔の血管は浮き出ていなかったが。。

ブッダ君
ブッダ君

細かい所の突っ込みは、タブーじゃよ!

 

それにしてもこの奥の院の金色建物は、ドラクエ世代からするとキングスライムにしか見えない。ひょっとしたら今の住職は、ボクらと同世代のドラクエ世代だったのかもしれない。。

 

それにしても沢山の像が置かれていた奥の院だけど、一般人にはそこまで楽しめる場所でもないように思う。そして来た道を引き返す事にしたが、その奥の院から道を挟んだ向かいにはこのような不便な場所にも関わらず、小さな子供達の元気な声が聞こえる幼稚園が見えた。

 

まだ午前9時前という事もあって、観光客なども活発に動き出す時間帯ではなかったので、全然ひと気が無かった道。僅かに幼稚園へ子供を送る車が通る位であった。

 

 

再び、石手寺の洞窟へ

そして来た道を引き返して、さっき通った洞窟へと再び差し掛かる。しかしこの洞窟は昔は抜け穴として使われていた為か、このように道路側からは一見洞窟があるようには見えないようなカモフラージュがなされていた。

 

再び洞窟内に入ると、先程と変わらず暗闇が待ち受けている。こうやって見ると先程歩いている時にブツかりそうになった足元のお地蔵は、歩行者道のセンターポールのようにも見える。

 

この洞窟も足元は綺麗にコンクリートで舗装されていたので、とても歩き易くて掃除もされている。100円という入場料ではあったが、初めて石手寺を訪れる人にとっては充分に楽しめる場所ともなっていた。

 

そして再び石手寺の境内へと戻ってくる。こちらは鎌倉時代に建てられたという、今では国宝ともなっている「仁王門」を裏側から見たもの。昔の時代に造られた物は木造建築物だらけなので、今後火災が起きない事を祈るだけである。

 

こちらにはこの「石手寺」の説明が簡単に記されていて、創建は728年という奈良時代。しかし今境内で見られる文化財などの建物は、先程の仁王門のように鎌倉時代以降に造られている。

 

こちらは鐘を衝く鐘楼で1333年に建立とされている、国の重要文化財となっている建物。鐘楼というともっと簡素化された建物に鐘が取り付けられているだけをよく見るけど、こちらはしっかりした建物に鐘が収められていた。

 

この石手寺内はそこそこ綺麗に管理されているけど、さっき見てきた奥の院とかを見れば分かるように、ちょっと雑雑しているような雰囲気を感じる場所ともなっていた。

 

そして寺の奥へと進んで行くと「宝物殿」という看板が見えてくる。この宝物殿は大人200円と入場料が発生する。いつもながら「入ろうかな?どうしようかな?」と思ってしまう入場料。。

 

そんな宝物殿の建物前まで行くと、その入口脇にこのような中国の大道芸人みたいに手の上に人を乗せている像が見えてくる。ただこんな面白い像にも関わらず、近くの木の葉っぱがだいぶ伸びていたので、それが邪魔してせっかくの面白い像の全容が見えなかった・・・。

 

石手寺の宝物殿にて

こちらが「宝物殿」の入口で、係員とかは特に見当たらなくて、手前にある賽銭箱に入場料200円を入れて入場するシステム。いつもならあまり入ろうとは思わないけど、ここは写真撮影が可能だったので、それを見て「写真を撮れるんだったら、入ろう!」と思って進む事に。

 

そして宝物殿の中に入ると、仏教関連の古い置物が沢山展示されているのが見える。この寺には敷地内に色んな像が放置というか置かれているのが見えたけど、このような入場料を取る場所だけあって、それだけこの寺でも特別な物が置かれていると推測する。

 

後で見るけど寺の敷地内には、このような滑らかな仏陀の像が多く置かれていた。恐らく日本で造られたものではなくて、インドやスリランカなどのような仏教源流の地方から流れてきた物のように見える。

 

そしてこちらには、昔のダルマ親父のような水墨画も展示されている。もし今こういうオジサンがこの恰好で街中を歩いていれば、間違いなく変質者として通報されるのであろう。。

 

こちらには「衛門三郎(えもんさぶろう)」という、四国でお遍路さんの起源を作ったとされている人物のストーリが書かれている巻物がある。伝説によるとこの衛門三郎という人物は、自分の家に托鉢に来た僧侶を家から追い払った。すると毎日その僧侶は家にやって来たが、それでも毎日家からたたき出した。するとそれ以降その僧侶は姿を消し、それから衛門三郎の子供たちが1年毎に死んでいき結局息子たち全員が死んでしまった。そしてその叩き出した僧侶が空海だった事を知って、後悔の念を覚えた衛門三郎が空海を探して遍路の道へと旅立ったという。

 

 

だからお遍路さんというのは単に寺を回って、それぞれの寺で信仰を捧げるというものではなくて、1人のオジサンが後悔の念で空海が居そうな寺を順番に回っていっただけだったみたい。だから通常の順番とは逆に回るお遍路さんも、空海を探す為に逆にその道を回った事から来ているのかもしれない。

 

そして結局衛門三郎は空海に出会えずに息絶えそうになるが、最後の死に際に空海がやって来て枕元で彼の最後の希望を聞いた。すると「次に生まれ変わってくる時は河野家に生まれてきて、人々の役に立ちたい!」と言い残して死んでしまった。

 

するとその翌年に河野家に新しい子供が生まれたが、その子供の片手は握りしめられたまま開こうとしなかった。そしてある僧侶が祈るとその手が開かれて「衛門三郎」と書かれた石が出てきたという。そんな経緯があって手に持たれていた石から、この寺は「石手寺」と名付けられたという。

 

この寺にいる僧侶や掃除をしている人達はこれだけの仏像の頭部があっても何も感じないだろうけど、一般人がちょっとヒンヤリとして薄暗い宝物殿でこのような首から上の頭部ばかりを見ていると、薄気味悪い感覚しか感じないだろう。

ブッダ君
ブッダ君

この像の目を動かすと皆ビックリして逃げてしまうので、それを見るのが楽しいんじゃ!

 

今のネット時代とは違って昔は仏教の伝来も、僧侶が書物などには残さずに直に話して広めていたという。そしてこのような像を作る事によって、その見えない神様を具現化して可視化させる事により、不安な信者の心を鎮めていたのだろう。

 

こちらの作品は「木造獅子像」というもので、鎌倉~南北朝時代頃に造られたものとされている。このような石手寺でも大事なお宝が展示されている宝物殿だけど、お化け屋敷としても使えそうな感じを受ける場所でもあった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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