郡中港駅から、海が広がるレインボーな五色浜を目指す【愛媛旅行記㊹】

愛媛県/松山旅行記㊹

 旅行期間:2020年9月23日~26日

 

輝く海岸?!

さて松山市内で正岡子規の資料が展示されていたりする「正宗寺:子規堂」の見学を終えた後は、再び伊予鉄の電車で松山市でも南西部にある伊予市へと向かう事にします。という事で再び伊予鉄道の松山駅へとやって来ました。

 

伊予鉄道の路線でも先程乗っていた伊予鉄高浜線とは違って、「伊予鉄:郡中線」という松山市から南西部の伊予市まで向かう路線に乗り込みます。松山市駅から郡中港駅までの運賃は、こちらの切符にも記載されているように480円となっている。

 

 

 

伊予市の郡中港駅に到着

伊予鉄の路線はJRとは違っておよそ15分間隔で電車が行き来しているので、あまり待たされる事なく、松山市駅からは25分で「郡中港駅」に到着します。

 

この駅は「伊予鉄:郡中線」の終点となっていて、ここは単線の折り返し駅となっている。それと先程乗ったJR四国の予讃線「伊予市駅」は歩いてすぐの場所にあるので、電車の乗り換えにもよく使われる駅ともなっている。

 

今日はあまり松山市内で色々と訪れる予定にしていなくて、ブラブラとブラタモリ状態の散策デー。一応本日の締め括りとして、この松山市の南西部にある海岸「五色浜」から遠くの海に沈む夕陽を見て締めようという考え。

 

ここは「伊予市」という街で、伊予という名前を見ると「伊予柑」が連想される。その通りにこの伊予国だった場所から広がった事もあって、その名前の由来になっているけど、今の産業としては削り鰹節の国内シェアが約60%を占めているそうだ。

 

 

郡中港駅を降りるも周辺には特にお店とか賑やかな場所は特に目立ったものがなくて、とりあえず五色浜という如何にも光り輝いていそうな海岸へと向かう。すると途中にこのような銅像が見えてきた。こちらの銅像の主は「岡部仁左衛門」という明治~昭和時代の実業家で、今ではこの辺りの名産になっている削り鰹節を製造して全国に広めた人物だという。

 

この五色浜まで向かう通りは昔は海岸に続く街のメイン道路だったようにも見えるけど、今ではシャッターが閉まっているお店も多くて、ちょっと寂しい感じになっていた。

 

そして少し歩いて行くと、そんな道路の角にこのような古そうな建物が見えてくる。いかにも見た感じ、だいぶ前に造られた建造物であると推測する。そんなこちらの建物は「山惣商店」という今では化学肥料と醤油を販売する商店となっているが、江戸時代末期に造られた宿跡で約160年程の歴史がある建物だそうだ。

 

この建物にはわざわざこのような案内板が取り付けられており、この建物が造られたのは1860年と推測されている。今でも日本国内には所々にこのような江戸時代に造られて現存する家屋が見られる場所があるけど、このように見学施設とはなっておらず現役の商店としてその建物が使われているというのはとても珍しいように思う。

 

ただこの辺りでそんな歴史ある建物は他には全然なく、山惣商店以外は今どきの建造物だらけで、それほどレトロな街並みはなかった。そして海岸へと向かっていくと「郡中港」という名前の通り、船が沢山停泊している港が見えてくる。

 

ただこの漁港も夕方に繁盛する場所ではないので、とても静かで全然人がいない。そういう意味では静かでいい場所なんだけど、港に来るとどこでも同じような光景に見えてしまうので、さっさと海岸へと向かう。

 

さて目の前には海が広がってきたけど、残念ながらこのように今日はどんよりとした雲が空を厚く覆っていたので、期待していた夕陽は見れそうになくて、僅かに夕焼けがチラっとだけ見えている。

 

ただ興味がないとこのような船も同じ船が並んでいるようにしか見えないけど、この中央の船は車用カーシェード(日除け)でアメリカのアニメ映画『カーズ』の目がプリントされたものが置かれていたので、それがあるだけでこの船がとても可愛く見えてしまう。

 

 

そしてすんなり港から五色浜に行けると思っていたが、港から五色浜までは橋が繋がっておらず、ちょっと道を迂回しないといけなかった。そんな迂回した道を進んでいると、このような墓石屋さんが目に入ってきた。

 

特に変わった墓石屋さんでは無さそうだけど、一応店内を横目で見てみると「令和」と文字が入った墓石が目に入る。ただ日本国内にはこの「令和」という苗字が入った人はいないらしく、これはあくまでも令和さん向けではなくて、宣伝用として彫られたものと考えられる。

 

このような墓石だけじゃなくて、こんな可愛らしいオブジェの形した石なども置いてあるけど、誰が買うのかなと思ってしまう。田舎の大きな家とかにたまに置いてあるのを見かけるけど、一度設置したら簡単には動かせないので、もし買うとなると慎重に決断すべきものである。

 

更に道を進んで行くと、「五色浜温泉」という看板が見えてくる。この五色浜温泉は潮湯を使った温泉で昔からこの辺りで営業していた銭湯だけど、この辺りの土地整備計画が進んでどんどんと周辺の銭湯が姿を消していき、この五色浜温泉も2016年を最後に閉業してしまっていた。

約4年前に閉まった銭湯の看板が、まだ残されていた訳で・・・

 

そんな約4年前に閉まった看板などが残されている町なので、このような「五色浜公園」と書かれている看板も信用できないかと考えてしまうけど、この看板はまだ比較的最近取り付けられたように新しくて、五色浜公園は普通に考えれば閉園するような施設でもないのでこの看板を信用して右折して進む。

 

この五色浜は夏場などは海水浴客で賑わう場所らしいので、そんな海岸へと続く道には沢山のお店があったりするかと思っていたけど、その道中の道には全然愛想がない位に何もなかった。。

 

こちらの道路はこの看板にもあるように「五色姫通り」となっていて、この五色浜という名前の由来は五色姫という源平合戦で敗れて落ち延びてきた5人の御姫様達の伝説から由来しているようだ。

 

九州地方では壇ノ浦の戦いから敗れて逃げてきた平家の生き残り達が隠れて暮らしていたとされる場所が沢山あるけど、この辺りも下関に近い場所なのでそういった話を聞くと可能性を感じる。

 

こちらは「五色浜神社」という神社で、この五色浜の名前の由来となった五色姫を祀る神社でもある。その平家で落ち延びてきた5人の姫達は世の中を憐れんで、最終的には自ら海にその身を投じて命を絶った。するとその後、海岸に5色の石が打ち寄せてきて、それを見た村人たちがその水に飛び込んだ姫達の願いが表れていると思い、それで五色浜と名付けられたという。

 

勿論そういった事に化学的な根拠は存在していないが、昔は今と違って化学が全くの未発達だった時代。そんな頃には噂話が噂話を読んで、人々は聞いた話を膨らんだ話にしてまた別の人に話して、それが結果的には大きな話となってこのようなストーリーが沢山作られていったようだ。

 

 

こちらに胸像が造られていたのは「藤谷豊城」という明治~昭和時代の政治家・実業家で、郡中銀行・南予鉄道会社・伊予汽船会社などの設立に関わり、また郡中町長も担いこの町の発展に貢献した人物のようだ。

 

 

五色浜という位だから、5色に輝く浜辺が待ち受けているのかと思っていたけど、実際には5色の石が待ち受けている浜辺のようだ。勿論松山市の偉人である正岡子規も、この五色浜に来て俳句を詠んでいる。ただ正岡子規が存命の間はこの辺りまでは線路が延ばされていなかったので、電車以外の手段で来ていたのだろう。

 

 

こちらはこの五色浜公園のマップで、中にはグランドなどもあって総合公園のようになっている。もっと自然溢れる場所かなと思っていたけど、思っていたよりも人工的な五色浜のようである。

 

「萬安港」と書かれた説明板が置かれており、ここの港は江戸時代後半にこの郡中代官所(大洲藩)の手代だった岡文四郎という人物がこの辺りに港を造る事を計画し、それが藩に認められてここに港が出来たという。1835年に造られた萬安港が今では郡中港と姿を変えているという。

 

  風船に 縋りて眠き 子が歩く

by  玉岡士郎

こちらには玉岡士郎という人物が詠んだ俳句が彫られている石碑がある。それにしても俳句の都市である松山市内には、このように俳句が彫られた石碑がとても多く置かれている。

 

そして岬の先の海岸の方に進んで行くと、このような石を積み重ねた古そうな灯篭のような建造物が見えてくる。

 

こちらは「萬安港:旧灯台」で明治2年(1869年)になって、港が拡張工事された時にそれまでの木造灯台からこの石造りの灯台へと造り替えられたもの。そして大正元年(1912年)にこの地へ移築されて、主に菜種油を原料にして海を行き交う船に合図を送っていた。しかし1958年に新しい灯台が造られた為に、それ以来は灯りが灯される事が無くなり、今では伊予市が指定する有形文化財としてここに昔の名残を残しているのである。

 

さてイメージしていた夕陽が沈む景色ではなかったけど、やっぱり目の前に広がる海を見ると、何だか心が安らぐような気がする。さて次はここで五色姫ならぬ美人さんが居れば、後は文句が無いのであるが。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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