愛媛/松山旅行記⑤
旅行期間:2020年9月23日~26日
松山城ロープウェイ乗り場周辺にて
こちらは愛媛県松山市の中心部にある松山城の本丸へと快適に登れる「松山城ロープウェイ」の乗り場。松山城は勝山という標高約130mの山の上に造られているので、本丸まで訪れるにはこのロープウェイに乗るか、階段を登るかである。ただ標高130mというとそこまで登り道がキツイ訳でもないので、徒歩でも充分に登れる場所でもある。
そんな「松山城ロープウェイ乗り場」の入口脇に、このような銅像を見つけたので足を止めて見てみる。こちらは松山市にゆかりのある夏目漱石の代表作品『坊ちゃん』の主人公と、その小説の中に出てくるマドンナをイメージした作品のようだ。
夏目漱石の代表作である『坊ちゃん』という作品は勿論誰もが耳にした事がある程だけど、実際にその小説を読んでどんなストーリーになっているかという事は意外と知らない人も多いのではなかろうか? 勿論ボクもこの『坊ちゃん』という作品は読んだ事が無くて、内容は知らずでタイトルのみしか知らない。。
そして建物の反対側には別の騎馬像が見えている。こちらは「加藤嘉明」という戦国時代の武将がモデルで、江戸時代になってこの伊予国の大名であった時代にこの松山城を建築させた人物でもある。元々は秀吉に気に入られていた武勲に優れた武将であり、加藤清正らと共に”賤ヶ岳の七本槍”の1人にも数えられている。
そうして秀吉の下で出世した加藤嘉明であるが、秀吉の死後は石田三成と対峙して関ヶ原の合戦では徳川家康率いる東軍に参加した為に、江戸時代にはこの伊予国や後に会津藩などの領地を任された。今でもしっかりとした松山城が現存している事が評価されて、熊本城にとっての加藤清正のように、ここ松山城でもこの加藤嘉明が未だに松山市民に尊敬されている存在となっているそうだ。
そんな加藤嘉明の銅像を見た後はちょっと先に進むと、こちらの「東雲神社」という伊予松山藩の藩主を祀る神社の入口が見えてくる。ただこの伊予松山藩は加藤嘉明(外様)1代→蒲生家(外様)1代→(久松)松平家16代と継いでおり、このは東雲神社は加藤嘉明を祀る為の神社ではなくて、(久松)松平家が藩祖の松平定行を祀る為に造った神社である。なおこの松平定行は徳川家康の甥っこである。
この神社へと登る階段をそのまま登っていくと、松山城の本丸や天守閣へ通じる道となっているので、東側から本丸へと登りたければこのルートを使う必要がある。
ただこの時はもう14時を過ぎていたにも関わらずまだ昼食を食べていなかったので、松山城の本丸に登る前に何かお腹の中に入れておこうと思って、この周辺の飲食店を物色する事に。
「媛寿し」にて昼食を
このロープウェイ乗り場周辺には鯛めし屋さんなどが多くあって、それらのお店を見ていると鯛が無性に食べたくなってきた。ただ鯛めしを昼間から食べるにはちょっと豪勢過ぎるので、1000円以下の鯛の刺身が食べれるお店を探していると目の前に1軒の寿司屋が表れた。
1人旅をしているとまず寿司屋さんに入る機会は殆どないけど、ランチ時にはお得なセットメニューなどが用意されている寿司屋。この寿司屋「媛寿し」は15時までサービスランチを提供しているようで、旬握りセット以外にも海鮮丼やマグロや鯛などを使った丼も800円で提供しているという看板に誘われるがままに店内へと吸い込まれていく・・・。
松山ではやっぱり鯛を食べるタイ!
「媛寿し」の店内は寿司屋というよりも飲み屋さんの方が近い雰囲気。この訪問時は年配の大将が1人で切り盛りしていた。まずは鯛炙り丼と瓶ビールを注文して店内でテレビを見ていたら、元TOKIOの山口達也がこの前日に酒気帯び運転の疑いで逮捕されたニュースが流れていた。
さてそんなワイドショーは見ていても時間の無駄なので、先に出てきたこちらの瓶ビール「アサヒプレミアム生ビール 熟撰」を味わう事にする。この時は9月の下旬に差し掛かっていたが、まだまだ夏の残暑は残っており、天気のいい日に外を歩き回っているとまだ汗が噴き出す気候でもあった。
汗を掻いた後ほど、ビールが美味しいのです!!
ビールが出てから約3分後位に、こちらの「鯛炙り丼」がお目見えした。ただ鯛も天然鯛と養殖鯛では値段が全然違い、この800円という値段で提供しているという事は養殖の鯛だったかもしれない(店には未確認・・)。
鯛丼ではあるものの、これも一種の「鯛めし」と呼べるものかもしれない。丼内に入っていた半熟の卵を割ると、トロ~~リと黄身が流れ出てきて、宇和島風鯛めしのように炙った鯛の刺身に絡めて美味しく頂く。
愛媛県では鯛の生産量が日本一を誇るんタイ!
そして鯛炙り丼に付いてきたお味噌汁も結構にいい味噌味が出ていて、これも美味しかった。
気付けばあっという間に丼とお味噌汁と瓶ビール中瓶1本を平らげてしまっていた・・・・。愛媛県では鯛の養殖が盛んらしいけど、瀬戸内海の潮の流れが激しい場所での養殖だけに、天然物ともヒケを取らない味わいなんだとか。
美味しい鯛丼を平らげて食欲を満たした後は、見学欲が溢れている松山城の本丸へと向かう事に。こちらは道路標識にあった松山城の標識だけど、修正テープが張られているような感じで訂正されている跡があった。
松山ロープウェイ乗り場にて
そして再び「松山ロープウェイ乗り場」の建物までやって来る。この2020年はコロナ禍の影響で全国の観光に関連する自治体が運営している施設などでは、体温測定やアルコール消毒や名前・住所などの連絡先を用紙に記入するなどの対策が徹底されていた。
まずは入口を入った先にある自動販売機でロープウェイ/リフトのチケットを購入する。ここでは①ロープウェイ ②リフトと2つの乗り物があって、好きな方を選択できるが料金は同じ。なお大人は片道:270円、往復:520円となっている。
この松山城ロープウェイ/リフト券と松山城天守閣入場券とがセットになったチケットも有るのだが、コロナ禍の影響で天守閣は入場制限が行われている為にそのセット券の販売は中止となっている。という事だけでとりあえず登りだけはリフトで昇って、下りは松山市内方面へ階段を降りる予定で片道分のチケット(270円)を購入する。
こちらの自動販売機のデザインは松山市のイメージに合わせたものが描かれており、伊予弁を喋る自動販売機ともなっていて、また上部には道後温泉本館の正面ファザードを再現した冠のようなものまで取り付けられていた。
館内でリフト乗り場へと向かう為に奥へと進んで行くと、さっき建物の外側から見えていた横断幕の内側にも同じ絵が描かれているのが見えてくる。こちらの絵に描かれている2人の人物は兄弟で、ロシアとの戦争である日露戦争で活躍した松山市の英雄的存在でもある。
松山市ではダントツに正岡子規の存在が過去の偉人No.1であるが、こちらの日露戦争で活躍した秋山兄弟は司馬遼太郎の作品で取り上げられた事もあって、それに次ぐ人気を地元では受けている。ただ個人的には今回の旅で松山にやって来て、これらの展示などを見て初めて秋山兄弟という存在を知ったのであるが。。
それ以外に松山が輩出した偉人では、こちらにあるように高浜虚子や虚子と同年代で”子規門下の双璧”とも称された河東 碧梧桐という俳人が有名である。ここまで過去の俳人が沢山輩出されている街も、松山市以外にはあまり全国的にも見られなくて珍しい土地である。
建物内でロープウェイ/リフト乗り場は3階部分にあるので、そこまで向かうエスカレーターの途中にはこのような昔松山城の天守閣に鎮座していた鯱が展示されていた。
天守閣に飾られている鯱って純金なイメージがあるけど、実際に金で造られているのは名古屋城位であり(正確には鯱の表面に金板を張っており外側だけが金で、鯱自体が純金で造られている訳ではない)、その他殆どの天守閣に設置されているのはこのような普通の鯱である。
名古屋城の金の鯱1匹は、現在の金の価格で2億円前後らしい・・・
鯱が天守閣の上に飾られているのは、中国から伝来してきた火除けのまじないが起源とされている。しかし結局の所は実際には火除けとしての根拠は全く科学的には無くて、単なる飾りと化しているのが実情である。
本当は松山城本丸までは歩きで登りたかったけど、ロープウェイ/リフトも乗りたかった。階段は夜でも登る事が出来るけども、ロープウェイ/リフトは17時になると運行が停止して使えなくなるので、明るいうちに先にリフトを乗っておく事にした訳で。
ロープウェイ/リフト乗り場ではコロナ対策をしっかり行われており、乗り場は一歩通行となっていた。だけどそれ以上にこの2020年9月下旬の平日に訪れると、観光客が少なくて自然とソーシャルディスタンスが確保できていた。
平日に旅する事の最大のメリットは、土日に比べると人が少ない事です!
この松山城は日本全国で江戸時代以前に建てられたお城の中でも、現在に至るまで現存している12個の天守閣の1つである。しかしこの松山城の天守閣は江戸時代初期に建てられた後に全焼して、江戸時代後期に再建されたもの。だから現存する日本国内12個の天守閣の中でも、一番新しい建物でもあるのだ。
ここではロープウェイと、このようなリフトの2種類で本丸へと向かうルートがある。新型コロナウイルス感染対策がしっかりされているとはいえ一応個室となるロープウェイ(換気はしっかりとされている)に比べると、1人乗りのリフトの方が圧倒的に感染リスクが少ないし、そうでなくても臨場感溢れるリフトを自然と選んだのであった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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