三津で見つけた「ポンジュース発祥の地」の標柱と公園【愛媛旅行記㊶】

愛媛県/松山旅行記㊶

 旅行期間:2020年9月23日~26日

 

意外と地味な場所

さて愛媛県松山市三津で地元のソウルフードともなっているお好み焼きの”三津浜焼き”を味わった後は、いい気分で三津駅の方向に向けて歩き出します。今日は松山市でも西側の海沿いに来ているので、ここから電車に乗って今度は南寄りの海側を散策しに行く事にしました。

 

そして見えてきた建物は、伊予鉄高浜線の「三津駅」。この三津駅は実は歴史がとても古くて、1888年(明治21年)に松山市駅などと一緒に開業した、四国でも一番最初に造られた駅の1つである。

 

この三津は戦国時代前から河野家水軍の居城となる城があり、戦国時代にその城が廃城になった後は江戸時代に松山藩ご用達の港となったので、愛媛県内でも特に栄えていた場所。だから中心地の松山市駅からここまで初期に電車を通す事になったのだ。

 

この三津駅の開業は1888年とかなり古くて、今見られる駅舎は3代目で2009年に完成したもの。今でも1日約2,000人程が利用する主要な駅として、人々に愛されている駅である。

 

この駅舎は2009年に造られただけあってまだ綺麗な感じで、駅の中では喫茶店があったり、アイスを売っていたりとくつろげる空間となっていた。後でここから歩いて約10分程の距離にある「JR三津浜駅」を訪れるのだが、JRの駅と比べるとこちらの駅の方が喫茶店とかもあってゆったり出来る場所となっていた。

 

ここから伊予鉄に乗っても海沿いの南方面に行けたけど、この近くにあるという「ポンジュース発祥の地」を見たかったので、ここでは電車に乗らずに先に進む。

 

昔から栄えていた場所は殿様が住む城がある城下町や、荷物が行き来する港が多い。だからそんな重要な場所程、明治の早い時期から線路が敷かれている。今ではひっそりとした感じに見える三津の町だったけど、大昔はとても栄えていた事だろう。

 

三津駅を過ぎて更に南下していくと、住宅街が広がっている。グーグルマップによるとこの辺りに「ポンジュース発祥の地」があるとの事だったので、ブラブラと探し回って歩く。

 

この辺りは「中須賀」という地名になっていた。これは前に働いていた会社の同僚に「中須賀」という人が居て、街中とかで「○須賀」とか書かれている文字を見かけると写真に撮って送るのが習慣となっていた。なお中須賀という苗字のルーツは伊予国風早郡中須賀村が発祥とされていて、広島県や大阪に多く分布する苗字だけど、市町村としてはこの松山市が一番多いとか。

 

 

ポンジュース発祥の地にて

そして目的地が全然見つけられないので、仕方なしにもう一度スマホを確認していると、住宅街の一角に狭い公園が見えてきた。こちらが目的の公園のようだ。

 

 

そんな小さな公園の隅っこの方に、このように「ポンジュース発祥の地」と文字の入った記念碑を発見する。この場所はポンジュースを製造販売している、えひめ飲料の三津工場があった場所。1952年に三津工場が造られたが1980年に松山工場に併合されて姿を消し、1994年になって工場跡地を記念してここにこの石碑が立てられたという。

 

このポンジュースが生まれたのは、1952年である。意外とみかんジュースなどは昔からあったように思えるけど、昔は殆ど果汁が使われていなかった低果汁飲料でもジュースと呼ばれていて、かつ果汁が多く入っているのが高かった為に低果汁飲料のジュースが庶民たちには好まれていた。

 

戦後は貧しい時代が続いた日本で、このえひめ飲料の創業者はアメリカを視察して柑橘類を使ったジュースの先見性を見出した。ただこの前訪れたニッカウヰスキー余市工場の竹鶴政孝氏ストーリーじゃないけど、その当時は果汁を多く含んだ本物のジュースよりも安価な偽物ジュースが大衆には好まれた時代。なのでかなりの苦労があって、今のポンジュースに至っているのだろう。

 

今では日本を代表するポンジュースだけど、ここ愛媛県松山市三津から出発した訳である。そんな工場跡は今では公園になっていて、この時は公園を遊び回る子供たちの姿はなかったけど、今ではポンジュースではなくてポンジュースを飲む子供達を生み出す場所となっていた。

 

そしてそんな中須賀町を歩き回っていると、このように杭の上に可愛らしい人形が立っているのが見える。しかしその下には「小便するな!」と文字が入った看板が、取り付けられているのが見えるが。。

 

さて「ポンジュース発祥の地」も見れたという事でこれから電車に乗って南の方まで向かう事にしたけど、さっきの伊予鉄「三津駅」ではなくて、まだ見ていないJRの「三津浜駅」まで向かう事にした。

 

JRの「三津浜駅」で電車に乗り込む

そして辿り着いたJRの「三津浜駅」だったけど、ここでちょっとした失敗をしてしまった。この2020年夏以降に”GO TO キャンペーン”の影響で急に日本国内を旅行し出したボクだけど、実は地方の実情を全然知らなかった。というのも地方ではその地域の私鉄よりも全国的な元国鉄のJRの方が、ダイアが豊富でより多くの電車が走っていると勘違いしていたのだ。

 

まずは駅に入るとこのような切符の自動販売機が1台だけ、設置されているのが見える。ここは無人駅となっており、切符は必然的にこの自動販売機で購入しないといけない。

 

そしてこのJR三津浜駅からJR四国の予讃線南部の「伊予市駅」まで向かう切符を購入してから、次の電車がいつ出発するのかを確認する為に時刻表を探す。

 

こちらがその予讃線の松山駅・伊予市駅方面に走る電車の時刻表であるが、このように40分~1時間に1本が出発するペースのダイヤとなっていた。今は14時27分頃だったので次の電車が来るまでは、あと約30分は掛かる。伊予鉄に乗っても伊予市駅周辺(郡中港駅)まで行けるし、伊予鉄の方がもう少し電車の本数が多かったのだ・・・。

 

 

しかし無人駅なので購入した切符を返還してもらおうと思っても出来ないので、仕方なしに30分程この駅で我慢して待つ事にした。ただ地方によってはまだ30分の待ちは短くて、平気で1~2時間は次の電車が来ない所もある。

それに比べて30分待ちなんで、屁の河童なのであるが。。

 

JRというと全国に路線があり、日本国内で最大の鉄道会社(地方毎に会社は分割されている)でもあるが、実はJR北海道やJR四国など人が少ない路線は赤字経営が続いている。だからと言って地方に住んでいる車を運転できない人にとっての重要なインフラとなっている電車なので、撤退する訳にもいかない。

 

なので採算が採れない地方に行けば行く程に、このような無人駅やワンマンカーでギリギリの経費で運航されているのだ。これも元々国鉄として国が管理していた鉄道だけに赤字を出してまで運営されているが、完全な民間企業であれば早々に撤退するか、それとも破産して潰れてしまっているかなのである。

 

戻ってきた松山にて

そして何もない三津浜駅でダラダラと約30分の時間潰しをして、やっとやって来た電車に乗り込んでJR松山駅に到着した。JR松山駅は四国の中でも最大の都市である松山市にある駅だが、そんな愛媛県内でも中心地にも関わらず、運行している電車はこのような1車両のワンマンカー。

それだけ採算が厳しいのが、見るだけで分かりますね・・・

 

この三津浜駅から乗ってきた予讃線でそのまま南側にある「伊予市駅」まで行く予定だったけど、特急列車を除いて南側に行く電車はこれから40~50分待たないと出発しないのが分かり、ここで途中下車して伊予鉄に乗り換える事にする。

 

このJR四国予讃線ではこちらにあるように「アンパンマン列車」なるものが運行されており、岡山・高松~~松山区間を走る「8000系アンパンマン列車」の内装は結構凝って造られていて、とてもカラフルなデザインになっているので乗りたくなる。。

 

 

この松山駅で約50分ほどボケ~~っと待つ事を考えたら、歩きで松山市駅まで行った方が健康的にもいいし、松山市の雰囲気を体感できると思い、駅を出る。そして改札で駅員さんに切符を渡すと、「これ、もう少し先まで乗れますけど、ここで降りるんですか??」と聞かれた。こんな地方の駅でも切符の内容をしっかりと確認しているんだなと、少し心の中で感心した一瞬であった。。

 

こちらは「JR松山駅」の正面であるが、この駅が出来たのは1927年の事で、伊予鉄が先に運営していた松山駅の方が断然電車としては古い。そして今の伊予鉄「松山市駅」は元々『松山駅』として営業していたが、後から開業してきた国鉄がこの駅を「松山駅」と名付けたかった為に既存の伊予鉄に圧力をかけて、結局伊予鉄側が折れて「松山駅⇒⇒松山市駅」に改名した過去があるという。

 

そんなJR松山駅は伊予鉄の路面電車やバス乗り場があるけど、そんなに高層ビルディングなどは見当たらなくて、意外と想像していたよりも田舎っぽい印象を受ける景色が広がっていた。

 

さてJR松山駅から伊予鉄の松山市駅までは路面電車でも行けるのであるが、ボクが無職人という事もあって電車賃削減の為に、徒歩で松山市駅を目指す事にする。

 

そして松山市内中心部で見えてきた大きな建物は「済美高等学校」で、一時高校生野球の甲子園大会で優勝をしたりと有名になった学校である。

 

元々は女子高だった済美高校は2002年から男女共学となり、その数年後の2004年には甲子園での春の大会で優勝し、夏の大会では準優勝をする程になった。しかしその後は野球部内での下級生へのイジメ行為が発覚したりと、あまりいいイメージが今は無くなってしまっているが。。

 

 

なおこの済美高校は生徒数が約2,000人と、中国・四国地方で最大のマンモス校でもある。どうりで大きな建物であるが、意外と大学への進学率は低めなんだとか。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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