愛媛県/松山旅行記52
旅行期間:2020年9月23日~26日
猫はいつの時代にも愛される!
ここは道後温泉街の近くにある「道後公園」という、元々は南北朝時代の14世紀から戦国時代の後半までここに存在していた「湯築城」の跡地ともなっている場所。
しかし江戸時代に造られた豪華なお城ではなくて、もう少し古い時代に造られた平山城なので、しっかりした石垣などは殆ど見られずに今ではこのように緑が広がる公園といった印象になっている場所でもある。
そんな公園と化している場所でも、このような城があった当時を思わせる堀が中心部を取り囲むように造られているのが見える。こういったさり気ない堀がある事によって、昔ここに城があったというロマンに浸る事が出来るようになっている。
この湯築城跡は”日本の100名城”にも選ばれているが、戦国時代後半にここを居城としていた伊予松山国を支配していた河野家が秀吉の軍勢に敗れて敗走して以来廃城となっていた為に、よく見られるような城跡の建物などは残念ながら現存していない。
湯築城の資料館にて
そんな昔の建造物は一切残されていない湯築城だけど、”日本の100名城”にも選ばれているのもあってか、せっかくやって来た観光客を少しでも満足させる為に道後公園内には、入場料無料の「湯築城資料館」が設置されている。
確かに城跡を見に来た観光客が展望台だけの景観を見てもあまり満足できないので、入場料無料という言葉に惹かれて湯築城資料館へと向かう。
このような資料館も入場料が100~200円位かかるイメージがあるけど、松山市の厚意によって無料となっていた。
無料というワードに弱いのであります・・・
この資料館自体はそんなには広くなくて、まずは入口で住所や連絡先などを専用の用紙に記入して、検温して入る。するとボランティアガイドのようなおじいちゃんが「時間あれば先にビデオ上映するから、それを見て行って!」との事で、まずは奥の部屋で湯築城跡についてのガイダンス映像を観賞する。
その映像を見終わってから資料館内に展示されている、湯築城跡から発掘された土器などを見学していると、こちらの「猫の足跡のある皿」が目に入る。この湯築城跡が使われていたのは14~16世紀で、今から約500~600年程前の時代。そんな時代からこのように猫ちゃんが、当時の人々に愛されていたのが分かる一品である。
普通はお皿に猫ちゃんの足跡が付いていたら失敗作となって即破棄されているハズだけど、このお皿は城内で見つかった為に逆にその足跡が入っているという事が重宝されていた可能性が高いという。現代は空前の猫ちゃんブームとなっていて街中の至る場所では猫ちゃんグッズが販売されているけど、このように実際に猫ちゃんの肉球マークが刻まれた彫刻作品はあまり見かける事が出来ないので、当時としても偉いさんのお気に入り作品だったのかもしれない。
こちらの模型はこの「湯築城跡」を再現した模型で、このようにして上から眺めると城跡っぽい雰囲気に見えてくるような気がする。
しかしここ湯築城跡では約200年間に渡って、この地を支配していた河野家が居城にしていた場所なので、今はこのような緑溢れる場所となってしまっているけど、当時は愛媛県内でもとても栄えた場所だったのであろう。
この伊予国を支配していた河野家は平安時代後半に平清盛率いる平家に属していたが、源平合戦では源家側に付いて平家勢を撃退する事に貢献する。それ以来この伊予国を支配していた河野家は瀬戸内海を守る海軍としても名をはせ、今では村上水軍と呼ばれる村上家はこの河野家に属していたという。
なお時宗の開祖でもあり、全国を回って温泉を開発した事でも有名な「一遍上人」は、この河野家の子孫である(河野通広の息子)。
こちらの壁には河野家が昔、この松山市周辺に造っていたという城の案内図が設置されている。このように昔は全国に無数の城が造られていたのであるが、そんな数えきれない城も江戸時代に入って徳川幕府の発した”一国一城制”によって、その殆どの城が廃城となってしまっている。
この河野家は瀬戸内地方の海上を守備していた地の利もあって、壇ノ浦の戦いでは激しい海流をものともせず、海軍を出して平家を打ち破るのに大きく尽力した。しかし戦国時代に入ると毛利家に属するも、新たな時代の覇者の元に敗れ去り、歴史から姿を消してしまった。。
この湯築城跡は放棄されていたが明治時代となって発掘が進むが、一時は牛が飼われていて搾乳場となっていたり、時にはこの円形になっている場所を利用して競馬なども行われていたという。
そして今見られるようなしっかりと管理された道後公園になったのは、道後温泉本館を造った道後湯之町:町長の伊佐庭如矢の尽力のおかげである。観光客は旅行にやって来たついでにこのような城跡や公園などを何も考える事なく見学していくけど、これらの施設などが保存・維持されている裏にはこういった人々が尽力した歴史が必ずあるのだ。
だから「あって当然!」という考えではなくて、「このような場所を残してくれて、ありがとう!」という気持ちを持ちながら、このような場所を見学すべきだと思う。
世の中には、感謝する事ばかりタイ!
今では松山市民や道後温泉にやって来る観光客の憩いの場所となっている道後公園だけど、この公園を保管・維持しようという人が居なければ、このような史跡や緑が溢れた場所は人類によって破壊されていた事だろう。
だからこの道後温泉本館も今から約120年前程に「ここに100年後も人々を魅了する建物を造ろう!」と考えて、それを実行した人のおかげである。だからただ道後温泉に来て温泉に浸かって、みかんジュースを飲んで終わりではなくて、少しはそういったこの地域に貢献した人々の歴史についても勉強してみるべきだと思う。
さてそろそろ11時となり、松山空港行きのシャトルバスが出る道後温泉駅付近に戻ってきました。今日の飛行機は13時頃の便なので、11時30分発のバスに乗る必要がある。
ただまだバスが到着するまで約25分もあって少し早過ぎたけど、もう今日の観光予定は全て完遂して思い残す事が無くなったので、バスが到着するまでここでボ~~ッと周辺を観察しながら時間を潰す事にする。
松山空港行きのバスに乗り込む!
そしてバス停で待つ事約25分で、予定通りの時刻にオレンジ色の車体をした松山空港行きのバスが到着する。
この時は席はガラガラだった。なおこの2020年9月の翌月から、このバスを運営する伊予鉄グループの乗り物は一斉値上げとなっていて、勿論この空港行バスも値上がりしている。なおその値上げの背景には2020年に起こったコロナ禍の影響で利用客が減り、その運営費用の赤字を埋める為に仕方なしに値上げせざるを得ない状況となってしまったようだ。
このようなバスでもしっかり運転席には透明のビニールで仕切られていて、コロナ対策もキチンと行われていたけど、全国的に旅行客が激減するとこのような公共交通機関を運営している会社にとっては大赤字となった2020年。
このコロナ禍で被害を被った人からすると大災害に遭ったという感覚なんだろうけど、考え方を少し違う目線にしてみると、未来なんて常に保障されているものではないし、常に何が起こっても不思議ではない。だから悲観的な考えで過ごすよりも、「新しい時代が来たから、今までの常識を捨てて新しい考えを受け入れて生きていく!」位の気持ちになった方がいいのかもしれない。
この松山空港行きのバスは途中でJR松山駅に寄り道する。するとこのように土日祝限定で運航している「坊っちゃん列車」が走っているのが見える。ただ残念ながら昔の蒸気機関車のように、煙をモクモクと上げながら走ってはいなかったけども・・・。
帰りの松山空港にて
そして道後温泉から松山空港までは約35分ほどで到着する。3日ぶりに戻ってきた空港を見ると、何だか帰ってきた印象を持ってしまう。
こちらは松山空港内に置かれていた「みかんジュースタワー」で、最初にこれを見た時はいくらでもみかんジュースが飲めるかと思っていたけど、実際に飲んでみると結構濃厚だったので意外と沢山は飲めなかったみかんジュース。。
帰りの飛行機は13時20分発のJAL便。出来れば夜の便が良かったけど、今回も楽天JALパックで予約したのでこの昼間の時間帯しか飛行機の便が空いていなかった。
今まで空港の荷物検査の場所はゴッタ返している光景しか見た事がなかったけど、この2020年は逆にゴッタ返す光景を殆ど見る事が出来なかった年でもあった。しかし空港に到着して終わりではなくて、ここからまだ空港内の散策が始まるのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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