首里城横にある世界遺産「玉陵」は、琉球王国の歴代国王が眠るお墓【沖縄旅行記⑬】

沖縄旅行記2020年秋-⑬

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(The World Heritage Site “Tamaudun” next to Shuri Castle is the tomb of the successive kings of the Ryukyu Kingdom 【Okinawa Travelogue13】)

琉球王国の名残の場所

沖縄県旅初日のメインの観光は那覇市内で、沖縄を代表する観光地である首里城を見学した後は、その近くにある世界遺産にも登録されている「玉陵(たまうどぅん)」という、琉球王国の国王やその親類などのお墓となっている場所を訪れます。

 

【玉陵(たまうどぅん)】

住所:那覇市金城町1-3
営業時間:9時~18時頃(※年中無休、最終入場17時30分)
入場料金:大人300円、中学生以下150円
電話番号:098-885-2861

 

 

 

玉陵(たまうどぅん)の見学

これから見学する玉陵は、首里城公園から道を挟んだ西側に位置している。意外と近い場所にあった玉陵だけど、入口はその西側の方になっているので多少歩かないといけない。なおその前の道の反対側には「沖縄県立首里高等学校」があり、その校舎からはトランペットなどを演奏している吹奏楽部が奏でる音楽が聞こえていた。

 

この玉陵も沖縄県で9箇所の複合遺産となっている『琉球王国のグスク及び関連遺産群』に名を連ねる遺跡となっており、この首里城付近では首里城跡園比屋武御嶽石門と共に3箇所の世界遺産が見られる場所ともなっている。

 

この「玉陵」という文字を見ると、本土の日本人からすれば「たまりょう」とか「ぎょくりょう」などと読むのかと思ってしまうけど、これは沖縄では「たまうどぅん」と読むのが正解である。

琉球姫
琉球姫

「たまうどん」でも通じませんので!(笑)

 

この玉陵は世界遺産と共に国の史跡にも指定されており、その墓室などは国宝にも指定されている。琉球王国の歴史からいうと、琉球王国を統一したのが1430年頃の第一尚氏王統:尚巴志王とされている。そしてそれから40年後に尚巴志王の血筋ではない尚円王が王位に就き、そこから第二尚氏王統となって約400年間に渡って琉球王国を治めた。

 

玉陵はそんな第二尚氏王統のお墓となっており、それ以前の第一尚氏王統の歴代国王の遺骨などは保管されていない。このお墓を造ったのが第二尚氏王統:第3代である尚真王が、父親で初代国王となった尚円王を葬る為に造った霊廟だからである。

 

入口から敷地内を進んで行くと、まずはこちらの料金所が見えてくる。ここでまずは入場料金を支払うのであるが、そのお墓があるのは左手になっていて、そのお墓から発掘された骨やその骨が入っていた器などはこの建物の中にある資料館に展示されている。

 

この玉陵の見学は18時までとなっているが、最終入場は17時30分となっていて、ここを訪れたのは17時20分頃と意外とギリギリの時間となっていた。チケット売り場の人が「もう暗くなってくるから、先に左手のお墓跡を見た方がいいですよ!」と伝えてくれたので、その言葉に従って先に墓を見に行く事にする。

 

沖縄を訪れるまではそこに世界遺産なんてあると考えていなかったけど、この沖縄は日本本土とは違う独自の文化を築いた琉球王国が治めていた場所。そんな独自な文化を持っていた琉球王国時代の遺跡が、沖縄県で9箇所も複合遺産として世界遺産に認定されている。しかし琉球王国時代に首都機能を持っていたのが、沖縄県でも南側の方だったので、この9箇所の分布もその大半が沖縄県の南側に集中しているのである。

 

 

玉陵でお墓を見学!

さて係員さんの言う通りにまずは左手の通路奥にあるという、お墓跡へと向かう事にします。しかしそこまで向かう道には、このようにガジュマルなどの木が植えられていて、密林に足を踏み込むような感覚を受けます。しかしそんなにお墓までの距離がある訳でもないので、敷地内をそんなに歩く必要もなかったが。。

 

そんな緑に溢れたように見える通路を進んで行くと、右側には石が積み重ねられた石垣のような建造物が見えてきます。沖縄県で世界遺産に認定されている場所では、このような琉球王国で築かれた石垣のような石造りの建造物をよく見かける事が出来ます。

 

 

玉陵を進む! 動画

 

 

石造りの建造物ばかりがある世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』のような印象を受けたけど、冷静に考えれば今から約400~500年前の建造物なんてこのような石の建造物以外では劣化して崩れたり、焼失してしまったのが多いので、このような石造りの建造物が自然と残って、それの大半が世界遺産に認定されたのであろう。

 

さてそんな石造りの石垣のような場所に造られていた門を進むと、中には大きな中庭があり、更にその先にも石垣と共にその奥に霊廟らしき建物が見えてきます。ただこのお墓の建造物も首里城と同じように第二次世界大戦時に、激しい砲撃などを浴びてその大半が崩壊してしまっており、今見られる建物は戦後に復元された物となっている。

 

 

玉陵を進む!② 動画

 

 

首里城周辺には沖縄に駐留した日本軍の総司令部が近くにあったからもあって、激しい攻撃を受けてこれらの歴史的な建造物は無残にも破壊されてしまった。なので沖縄にある世界遺産の建物でも、戦後に復元された物が意外と多いのである。

 

そしてそのお墓を奥に進んで行くと、このような石造りの建物が見えてくる。この敷地内には全部で5棟の建物が造られており、沖縄を攻める米軍からしたら、この建物に敵が潜んでいる砦のように見えたのかもしれない。

 

沖縄の世界遺産に認定されている場所の中でも、このように石造りの建物が何個も造られているという場所は他には見られない。他の場所では城の石垣のようにこのような石造りの物があったけど、建物全部が石造りという物はここだけ。

 

このお墓の扉は固く閉められており、中には残念ながら入る事は出来ずに、外から眺めるだけとなっている。またこの玉陵全体には全部で70人程の遺骨が葬られているという。約400年続いた王朝なので、1国王が20年間国王を務めたと仮定しても20人国王が居た計算になる。それら国王の妃もこのお墓には収容されており、また昔は今みたいに医学が発展していないので、早世する人も多かったので意外と多くの人が葬られているようだ。

 

琉球王国って自然が豊かな場所のようなイメージがあるけど、意外と樹木などは日本本土ほど無かったので、木造建築物というのは昔から沢山造られていた訳でもないそうだ。だから琉球王国では建物を建築する際に薩摩藩などから木材を輸入しており、どちらかというとこのような石造りの建造物がメインだったのかもしれない。

 

そんな墓地の石垣の上には、よ~~く見ると何かの像のような物が乗っかっているのが見える。一見すると猿のようにも見えるけど、これは魔除けの獅子が置かれているという。

 

こちらの写真の方が分かり易いと思うが、座っているというよりも立っているように思える獅子が設置されていた。この獅子の像は「沖縄県の有形文化財」に指定されており、国宝に指定されているのはこの遺跡全体ではなくて、骨が安置されている石室5棟だけとなっている。

 

このように石造りの門や石垣だったので、何百年もの間に朽ちる事なく現存してきたのだろう。日本国内の現存する城などでは主に木造の門となっているが、その大半が現存していると思っても実は修復されて手直しされて現代に至っている物が多い。木造建築物の場合では今までに度重なる改修工事が必要となるので、意外とその管理も大変なようだ。

 

こちらには表面が朽ち果てたように見える、年代物の石碑が建っていた。これは「玉陵碑」という1501年に輝緑岩(中国産)に彫られた、この玉陵に葬られる資格が列記された石碑だという。このお墓を造った、第二尚氏:第3代国王の尚真王の子供のうち、長男と次男を除いたメンバーの名前が彫られているという。尚真王は8人の子供を残したけど、その中でも争いがあった事が伺える、歴史的な石碑となっている。

 

琉球王国は意外と約400年程もの長期政権を築いており、実は江戸幕府よりもその期間が長かった。江戸時代前半に薩摩藩に侵攻されてからは日本の属国になったものの、琉球王国としての地位は認められて存続し、最終的には江戸幕府が終焉し明治政府が樹立した際に日本に組み込まれて消滅してしまった。

 

 

東の御番所にて

そんな霊廟跡の脇には、このような木造建築物が立っているのが見える。この辺りにあった建物は第二次世界大戦時に壊滅してしまっているので、恐らくこの建物も復元された物だろうが。。

 

こちらの建物は「東の御番所(あがりぬうばんじゅ)という、この墓地の管理人などがいた場所で、また葬儀などに使われる道具などが保管されている場所でもあったようだ。また法事の際には来訪した国王の控室としても使われた場所らしい。

 

また2000年頃に行われた発掘調査では、この下から昔の陶磁器の破片や、建物の柱を支えた礎石なども発見されており、それらの遺構跡の上に砂を約45㎝ほど乗せて保護した上に、今見られる建物が復元されて造られたという。

 

ただその復元された建物内はとてもシンプルで、普通に昔の日本家屋的な木造建築物になっていて、畳が敷かれていたり、障子があったりと特段沖縄らしく変わった建物という感じは受けない。

 

そして居間部分には、沖縄戦以前に撮られた写真が飾られている。復元作業というのもこういった写真や図面などを基に、元々あった状態にほぼ近い物を造らないといけないので、このような写真は貴重な手掛かりになった事だろう。

 

夕方で閉館間際という時間帯に訪れた事もあって、静かな感じだった玉陵。騒がしいお墓というのもどうかと思うけど、やっぱり那覇市では首里城は欠かせない観光地だけど、この玉陵は意外と地味で目立たないので観光客もそこまで訪れる人気スポットという訳でもなさそうな雰囲気を感じたのであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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