神奈川旅行記2020年秋-58
旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(After admiring the Eurasian cultural goods in the city of Yokohama, we headed to the Osanbashi Bridge. [Kanagawa Travelogue 58)
綺麗に生まれ変わった桟橋
前回に引き続き、今回も横浜市内にある「横浜ユーラシア文化館」内の見学を続けていきます。この横浜ユーラシア文化館が入っている建物には別の階に横浜都市発展記念館もあるけど、そこは写真撮影が禁止になっていて、この横浜ユーラシア文化館の方は写真撮影が可能になっているので、要注意である。
住所:神奈川県横浜市中区日本大通12
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:月曜/他)
電話番号:045-663-2424
入館料:各 大人200円/小中学生100円
横浜ユーラシア文化館の見学!
こちらには「タイの山岳民族」の服装が展示されているのが見える。タイではカラフルなデザインの「タイパンツ」がよく売られている光景を見たけど、タイパンツ自体は地元の漁師が履いていたズボンなので、こちらの山岳民族の衣装とは少し違うようだが。
こちらには赤くてカラフルな布が展示されている。個人的には地味な色の服よりも、原色でカラフルな見た目の服が最近お気に入りなので、こういった布などに惹かれてしまう。
こちらは『王書(シャー・ナーメ)』という、約1000年程前にイランの叙事詩人だったフェルドウスィーがペルシア語で仕上げた”イラン最大の民族叙事詩”である。古代ペルシア時代の神話からサーサーン朝までの時代の様子が描かれているようだ。
そしてこちらは紀元前3世紀に・・・・ではなくて、2009年という近代に出版された世界的に大人気となった日本の歴史的コミックでもある『スラムダンク(SLAM DUNK)』のモンゴル語訳Ver。個人的はちょうど世代のど真ん中に当たるスラムダンクだけど、全然読んでいないのでそのストーリーを殆ど知らないのであるが・・・。
スラムダンクのモンゴル語訳Verでは、このようなモンゴル式キリル文字が採用されている。このような漫画も今から1000~2000年も経った未来になれば、歴史的な書物として博物館で保存されて、多くの見学客が見ているのかもしれないな。。
そして次のブースには馬の形をした先端部分が何とも特徴的な「馬頭琴(ばとうきん)」が見えてくる。モンゴルでは「モリンホール(Морин хуур)」とも呼ばれる民族楽器で、2本の弦が特徴的な擦弦楽器である。
世界中の多くの国ではそれぞれの国でこのような弦楽器が見る事が出来るが、先端の持ち手部分が馬の頭になっているのは大草原の遊牧民であるモンゴル民族の特徴がとても出ているように思える一品でもある。
『~モンゴル馬頭琴 今と昔~』 動画
この馬頭琴の弦などには馬の毛やナイロンなどが使われており、文字通り馬に関連するモンゴルらしさが出ている。沖縄などで見た三線もハブの革などが使われていたが、それぞれの土地の文化が出ている弦楽器はその特徴の見所と共に、その材質にも注目すべきである。
こちらにはユーラシア大陸周辺で発見された、古代のコインが展示されているスペース。昔は物々交換が当然だった時代もあったが、それでは段々不便になっていき、貨幣という交換手段が生まれていくのである。
その中で流通したコインには、時のローマ皇帝などの顔が模られており、その時代の権力者の様子が垣間見られるデザインとなっている。日本の貨幣は主に中国大陸から伝来した物を流用している時代が長く続き、江戸時代にはオリジナルの金小判などが造られたけど、このような皇帝をモチーフにした物ではなかった。
このような古代の貨幣が象徴するのは、その時代にどの勢力が繁栄していたかを後年に知らせる遺品でもある。そういう意味では古代の貨幣をこうやって鑑賞していく事で、その当時の古代の歴史も合わせて学べるのである。
そして横浜ユーラシア文化館での見学を終えて外に出ると、こちらのちょっと風変わりな石造りの郵便ポストが見えてくる。日本国内には色んな形の郵便ポストが設置されているのを目にする機会があるけど、このように赤くもなくて石のそのままの外観になっている郵便ポストというのも珍しいように思う。
ここは横浜港郵便局が建っている場所で、”外国郵便創業の局”というプレートが取り付けられているのが見える。昔の外国から届く外国郵便は今みたいに日本郵便が取りまとめていた訳ではなくて、各国の領事館などがそれぞれに取りまとめていた。そんな外国郵便を一手に引き受けたのがこの横浜港郵便局で、明治8年(1875年)に開業されてその100周年を記念したのがこのプレートのようだ。
このように開国してから約150年以上が経過している日本では、全ての事が当然の如く行われているけど、それらは先人達が苦労して築き上げてきた訳である。このような現代に生まれてしまうとそんな過去の人達の苦労にはあまり気付けないけど、このように歴史的な開港された街に来ると色んな事を勉強できるのだ。
そんな歴史的な建物が並んでいる横浜市内でも目立つのが、こちらの「神奈川県庁舎」の建物。1927年に建てられた神奈川県庁舎の塔は”キングの塔”という愛称で、近くにある他の2つの塔と共に横浜市民に昔から愛される建造物ともなっている。
そしてフラフラと歩いていると、さっき横浜開港資料館2階の休憩室から道路を挟んだ向かい側に見えていた横浜貿易協会の建物が見えてくる。この建物も1929年に建てられた物で、さっき見た神奈川県庁舎が建てられた同時代に建造されている。
そして何よりも気になっていたのが、この2階部分の窓部分に配置されていた火が噴き出ているトーチだった。最近よく目にする火のようなオブジェは、疑似化された暖炉のような物ばかりだけど、どうもここは本物の火が焚かれているようだ。
サンアロハで焚かれる火! 動画
こちらは横浜貿易協会ビルの1~2階部分に入居している「サンアロハ:みなとみらい山下公園本店」という、ハワイアンな料理が楽しめるレストランだった。ただ1人で入るお店というよりは、何人かの仲間と入って楽しむようなお店だったので、昼時近くではあったが入らなかった。。
横浜港の大桟橋へ向かう!
それから昨日の横浜港夜のクルーズの際に見えた「横浜港:大さん橋」の方へと向かう事にした。この大さん橋入口周辺にも横浜港クルーズの船が出航している場所なので、この辺りには多くの船が停まっている光景が見られる。
横浜市内の歴史博物館や他の資料館などを熱心に見学していると、あっという間に13時を過ぎていたので、大さん橋へ向かう途中に良さげな昼飯を食べれそうなお店も合わせてチェックしておく。出来れば横浜らしい料理を食べたいが、最終的には食べれれば何でもいいと思ってしまうのであるが。。
料理は食べれるだけで幸せなんじゃ!
こちらは大さん橋の手前に造られている「大さん橋ふ頭ビル」で、横にはクルーズ船の乗り降りする桟橋なども設置されている。ちなみにこの大さん橋付近は幕末に開港してから外国からの貨物が急増した為に、1894年に造設された桟橋である。
そんな1894年に造られた桟橋も関東大震災(1923年)で崩壊してしまった。しかし貨物輸送などに重要な桟橋だったので直ぐに復旧工事が始められて、1925年9月に桟橋は復活し、それ以降は横浜港の大事な桟橋となってチャップリンが来日した時もこの桟橋から降り立ったという。
この大さん橋からは大きく変貌を遂げた横浜の街が見えている。ただ変貌したのは横浜の街だけではなく、その横浜の商業を大きく支えた横浜港周辺も大きく変わっている。この大さん橋も関東大震災以降に再建された橋から、1964年に開催される東京オリンピックに向けて大改修が行われて、より多くの人々を出迎える横浜の玄関口へと成長していく。
そして大さん橋の先へと進んで行くと、このようなエントランス部分が見えてくる。今では国際船客ターミナルとして活躍する大さん橋も大幅なリニューアル工事を経ているので、昔のような単純な桟橋ではなく、モダンな建造物に変貌を遂げている。
そして奥の方に見えている橋は横浜ベイブリッジで、1989年に開通した長さ860mの橋。しかし横浜港では世界的な大型クルーズ船が入港する際に、この横浜ベイブリッジの下を通行する事が困難な場合があり、この横浜ベイブリッジを渡った先の大黒埠頭が大型クルーズ船の停泊地になる事もあるようだ。
こちらは大さん橋の国際客船ターミナルの建物上で、このように子供達が遊べるような広場になっている。こちらのフリースペースは『くじらのせなか』との愛称が付けられており、横浜港の中でも人気の観光スポットにもなっているようだ。
大さん橋ターミナルからの景観! 動画
この屋上のフリースペースはローマ遺跡の円形劇場のような階段状のスペースも設けられていたりで、横浜が開港した当時の桟橋の面影は全然感じられない場所に変わってしまっている。桟橋というと地味に船が発着するだけの場所に思ってしまうけど、横浜港では港を象徴する観光スポットに変わっているのである。
その下にあるのが、こちらの国際客船ターミナルで本来はこちらのスペースがメインの場所になっている。ただコロナ禍では海外へ運航するクルーズ船が営業していない事もあって、閑散としていたのであったが。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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