信州松本旅行記2022年3月-40
旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)
座っての諏訪湖見物!
ここは長野県諏訪市にある、諏訪湖の畔に造られていた「高島城跡」。明治時代に廃城となった高島城は、その後本丸が公園として整備され、戦後になって天守や一部の門などが再建されて、このように城跡らしい景観を楽しめる場所となっている。
高島城跡にて
この高島城跡では復興天守として1970年頃に天守の建物が再建されており、それに合わせて本丸の北側にあった「冠木門」という櫓門も再建されている。天守だけよりも、このような立派な門があった方が、より城跡の雰囲気が出てくるのである。
ここにあった高島城は『浮城』とも呼ばれる程に、諏訪湖の中に突き出た場所に築城された城だったようだ。その為に、本丸の西側は諏訪湖に面していた時代もあったが、後に諏訪湖の畔が干拓地として埋め立てられた事もあって、今では内地に造られた城というイメージになっている。
この門は「冠木(かぶき)門」という名前が付けられているが、冠木門とは門の柱の上に1本の貫を通しただけの”簡単な門の構造”を指す言葉らしい。
しかし、ここにあった門はそんな単純な造りの門ではなかったとされており、築城初期は冠木門であったものの、後の時代に改築されて、このような立派な櫓門に姿を変えたと考えられている。
この高島城は中世時代に城が建っていた場所では無く、戦国時代の終わりにこの地を任された「日根野 高吉」が諏訪湖に突き出していた土地に新しく城を築いたという。その突き出した島には漁業に携わる人々が元々生活していたが、その際にそれらの住民を立ち退かせて城を築いたとされている。
そして諏訪湖に突き出していた島に本丸を設置し、内地側に内堀を設けて、その裏側は諏訪湖で守られるという城だった高島城。そして二の丸、三の丸は諏訪湖沿いに造られていき、諏訪湖を中心として考えていた藩のようにも思える。
高島城の天守は本丸の中心部ではなく、諏訪湖沿いの北西隅に造られていた。これは最も城内で攻めにくい場所が北西隅だったと考えられる事から、このような端っこに建造されたようだ。
天守の建物も本丸の中央部分に建っているというイメージが強いけど、色んな城跡を訪れてみると、このように本丸の角に造られていた城跡も意外と多い。天守は敵が攻め込んできた際に藩主が籠城する”最後の砦”だった為に、背後に敵が入って来れないような断崖の石垣などを背にして、角に建造された物も多いのである。
確かにこのように水堀と高い石垣をバックにすれば、そこから敵が攻め込んでくるという懸念が無いので、最も防御に適した場所に自然と天守が建てられていた事が分かる。
このように全国に多々残っている城跡でも、同じように見えてもそれぞれに個性が見え隠れしている箇所が必ず存在している。だから、城跡を訪れる時には、その個性の違いを見出すように見学していくと、更に城見学が楽しくなるのである。
そろそろ、疲れてきましたが・・・
標高が約700mと国内でも高い部類にある諏訪市では、毎年冬になるとこの広大な諏訪湖の湖面が凍結してしまう。その冬場は凍った諏訪湖を歩ける為に、穴を空けて行う「わかさぎ釣り」などが冬の風物詩ともなっている。
※凍った湖面を一般人が歩く行為は危険とされているので推奨されていません。
そしてもう1つの冬の諏訪湖名物詩が『御神(おみ)渡り』という、諏訪湖の凍結した湖面の氷がぶつかり合って、バリバリっと音を立てて盛り上って小さな山脈のようになる自然現象が、昔からの神事として崇められている。
ただそんな神事として崇められていた自然現象も、地球温暖化の影響かで、ここ5年間は確認されていないという。地球温暖化現象は年毎にどんどん気温が上昇していく為に、もう今後は『御神渡り』を見れるのが奇跡に近い確率となってくるのかもしれない。。
『御神渡り』が見れなくなる時代が来るなんて・・・
普段海抜が高くない地域に住んでいる人間からすれば、標高が高いだけに寒くなる地域のイメージが全然湧かない。この訪問時は3月10日頃と冬場は過ぎていたものの、このように石垣の日陰部分には白い髭のようにも見える雪が残っている景色が見られた。
白い髭のようにも見えた残雪部分に目が行ってしまうけど、その残雪が残っている天守台の石垣も見逃してはいけない。
この天守台の石垣部分は、下の方が年季のある石垣の外観をしており、真ん中位から上の方に積まれている石垣は新しくて綺麗な外観となっている。その為に上部分は天守が再建された時に積み替えられた可能性が高い。
そしてこのような石垣で一番の注目ポイントが、この角に造られている「隅角石」である。重たい建造物が載せられる石垣を支える大黒柱と言っても過言ではない「隅角石」は、石垣に使われる石の中でも綺麗に削られて、精密に積まれている。
加藤清正が築城した熊本城では、数年前の震災で倒壊した石垣があったけど、周りの石が倒壊してもこの隅角石だけはしっかり残っている光景が見られた。
”奇跡の一本足”とも呼ばれていたな!
諏訪湖の畔で小休止!
そして今回の旅で最終目的地だった高島城の見学が終わり、予定していた旅程を全て巡り終える。後は松本市内に戻ってレンタカーを返却してから、松本空港へ移動するのみであるが、ちょっと時間的に余裕があったので、諏訪湖の畔でその景色を少し堪能する事にした。
この諏訪湖はカルデラ湖かなと思っていたけど、調べてみると『構造湖(断層湖とも)』と呼ばれる、断層運動によって地殻が引き裂かれた際に出来た湖のようだ。そんな大きな穴に長年掛けて河川から流入してきた水が溜まって、このような広大な湖になっていったという。
諏訪湖を眺める! 動画
この諏訪湖は長野県内では最も面積が広い湖だが、日本国内にすると23位ほどになる。湖の面積ランキングでは北海道内に存在する湖が多数ランキングしている為に、本州の湖が意外と下のランキングに入っている。
そして今日は昼食をゆっくり食べる余裕が無かったので、午前中に立ち寄った道の駅で購入すた「おやき」を、ちょっと昼飯には遅いけど諏訪湖の畔で食べる事にした。
やっとおいらの出番が来たじゃん!
15時近くになってやっと昼飯にありつけるとなって、早速「おやき」にかぶりつくオカン。。
旨い、旨い!
オカンが食べた「おやき」は、恐らく切干大根が入った物だったようだ。
おやきの中身は野菜などが豊富に採れる長野県だけあって、茄子や野沢菜などが入った物が人気のようだ。
冷めた豚まんの、中身が野菜Verみたいやな!
大阪人は普段から、”551蓬莱”の「豚まん」を食べ慣れている民族なので、このような”肉まん”の食べ物を食べた際に、知らず知らずのうちに「豚まん」と比較した感想を口にしてしまうのである。。
この「おやき」という存在も、今回長野県に来るまで全く知らなかった食べ物であった。しかし、このように実際に自分の足で長野県を訪れた事によって、その現地ならではの郷土料理を味わい、更にその知識が身に付くのであった。
おやきを全国区の知名度にしたいじゃん!
そんな「おやき」の中に詰められる具の中でも、鉄板なのが長野県らしい「野沢菜」である。長野県にある野沢温泉村地域で栽培されてきた事から「野沢菜」の名前となっているが、元々は四天王寺付近で栽培されていた天王寺蕪(かぶら)の種子を持ち帰って栽培されたという説もある。
そしてレンタカーに乗って諏訪湖を去る際に、諏訪大社の大きな鳥居が見えてくる。こちらは諏訪大社の「下社春宮 大門(一之鳥居)」で、諏訪湖に来たのであれば日本で最も古い部類に入る諏訪大社も訪れるべきなのであろうが、今回は時間的な制約があった為にスルーしたのである。。
松本市内にて
そして松本市内に戻ってきて、レンタカーを返却して、松本空港へ向かうバスターミナルのある「アルピコプラザ」へと向かう。アルピコグループは信州地方の電車やバスなどを運営するインフラ会社なので、観光客にとっては知らず知らずのうちにお世話になる会社でもある。
そんなアルピコプラザ内にあったバスターミナルの券売所には、こちらのアルピコグループのバスをイメージした自動販売機が設置されていた。最近ではこのように自動販売機のデザインが、その設置する場所に合わせた”ご当地デザイン”になっているものをよく見かける。
そしてバスターミナル内で、松本空港行きシャトルバスのチケットを購入するオカン。バスターミナル内に有人券売カウンターがあったけど、このシャトルバスのチケットは「機械で購入してください!」と一蹴された為に、慣れない機械に手こずるオカンであった。。
せっかく人が居るんやから、売ってくれたらエエのに・・・
そして松本空港行きシャトルバスの待ち時間を活かして、アルピコプラザ内にあるスーパーマーケットで松本のお土産などを最後まで物色する。
こちらは『松本城』という名前が付けられた、地元松本市で日本酒を製造している「笹井酒造 株式会社」の商品。国宝の松本城にあやかってか、『酒宝』という文字がラベルに入っていたのが印象的だった。
こちらは午前中に立ち寄った青木村の道の駅内にあった、農産物直売所で購入した『干しリンゴ』。
旅を開始し始めた頃はお菓子やアルコールにばかり目が行っていたけど、ある程度旅をこなしていくと、このようにその地元で採れる野菜やフルーツなどに目が行くようになってきた。色んな材料を誤魔化しても作れるお菓子などと違って、このような農作物は誤魔化しが利きにくいのもあって、より地方で見ると美味しそうに見えてしまう。
こちらは信州名物でもある栗を使ったお菓子「栗もち最中」。リーズナブルなお値段だったので購入したけど、いざ食べてみると最中のパサパサに口中の水分が取られてしまって、口の中がカスカスだらけのような感じになってしまった・・・。
あんまり安い菓子は、美味しくないで!
という事でスーパーなどで時間調整をして、松本空港行きのシャトルバスがそろそろやって来る時間となる。
残すは再び戻る松本空港内の雰囲気を楽しんで、それから大阪に帰るだけとなるのである。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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