神聖な天安河原近くにある、緑がカラフルで美しい「栃又の棚田」【宮崎旅行記㉘】

宮崎県旅行記2020年-㉘

 旅行期間:2020年10月18日~22日

綺麗な田んぼの景色!

宮崎県に来る前はあまり見所のある場所がないかと思っていたけど、実際に来てみるとこのような大自然が創り出した景観だけで充分に楽しめる場所だった。他の場所では人類の建造物などを観光する場所が多いけど、宮崎県ではそんな物が少ない代わりに大自然が長い時間を掛けて創り出した天然芸術作品を眺める事ができる。

 

 

天安河原の洞窟にて

こちらは日本神話でも有名な太陽神:天照大神が弟の乱暴ぶりに嫌気が差して隠れた洞窟「天岩戸」の近くにある「天安河原」という大きな洞窟で、天岩戸に隠れた天照大神をどうやって引っ張り出そうかと他の神々が作戦会議をした場所だとされているようだ。

 

 

天安河原の景観 動画

 

 

そんな引き篭もりを引っ張り出す作戦会議が行われたこの場所は、別名「仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)とも呼ばれているそうだ。この場所にやって来た観光客は、立ち入りはおろか写真さえ撮影できない天岩戸よりも、立ち入りが出来るこの洞窟を見る事によって満足しているようにも見える。

 

奥にあった祠は一応小さな神社の建物で「天安河原宮」となっており、”八百万神”などの神様が御祭神となっているようだ。なおここで使われる「八百万の神」とは、自然界に存在する物には全て神が宿っているという考えのもので、一時歌で有名になった「トイレの神様」もその一部である。

 

この洞窟には気味が悪い程に、石が積み重ねられている光景が見える。ボクはこのように石を積み重ねるという行為をしたいと思った事がないだけに、このような行為をした人の考えがイマイチ理解できない。。

 

この天安河原の洞窟はガイドブックやパンフレットなどでよく目にするので、全然この天岩戸を調べて来ていない観光客はすっかりここに天照大神が隠れた洞窟だと勘違いしてしまい易い場所。特にこの洞窟内側から、鳥居を入れて外向きに撮った写真などは非常に目にする機会が多い。

 

この洞窟内にある神社の祠の手前に造られている丸太の鳥居と、その周囲に積み重なっている石群。別に神様が「石ころを綺麗に積み上げてくれ!」と言った訳でもないけど、人間ってのはパワースポットでは不思議とこのように石を積み重ねてしまうようだ。

 

こちらは洞窟の奥深くに造られた、小さな神社の祠。仏教でもそうだけど、山の上や人里離れた場所など神社や寺を建てるのが困難に思える場所でも、平然と建物が造られているのをよく見かける。ただし本当にそこが神様の場所であれば、その神様の土地を侵略しているだけなのだが、それについては宗教は自分勝手なものなので無視しているようだが。。

ブッダ君
ブッダ君

宗教は神様の為ではなく、自分達の為に祈るものじゃ!

 

スリランカを訪れた時にもこのような洞窟の下に寺院を作っていた世界遺産の場所を訪れたけど、場所は違っても人類の考える事は一緒なんだなと感じる。

 

ただスリランカのダンブッラ石窟寺院では、仏教迫害の為に洞窟に逃げ込んで暮らしていた影響で洞窟の下に建物が作られる事になったのだが。

 

人間は神様を見る事が出来ないけど、近くに神様を感じる事によって、長年信仰を繋いできた。だから神様がいると埋め込まれている人間の脳は、このような景色を見ると”神秘的な場所”という認識になってしまうのだろう。

 

このような積み重ねられた石は積み木のようで、平らな石でなくとも上手い事バランスを取れば、それなりに積み重ねられるようだ。なお「願いを込めて小石を積むと願いが叶う」と誰かが言い始めた影響で、昔はなかったこのような光景になったみたい。

ブッダ君
ブッダ君

人間の枯れる事ない欲望の表れじゃ!

 

洞窟内にある神社の建物はそこまで古そうには思えないけど、洞窟内にあったらあまり潰れる事がなさそうに思う。だからもっと古い建造物かと思っていたけど、そうでもなさそうだった。

 

そんな小さな神社の鳥居前には、こちらの「洗心」と書かれている台が設置されていたけど、このようにここも石ころが積み重ねられていた。

 

今回天岩戸の穴は見逃したけど、代わりにこの天安河原をその場所だと思い込んでいたので、充分に満喫はできた。ただ信仰がないボクにとっては、このように石を積み重ねるという行動が考えられないので、石には触れないでおこう。。

 

ここを訪れた時にはすでにこれだけ石が積み重ねられていたので、この時は石を積み重ねる人の姿を見る事が出来なかった。しかし人間の欲望というものは果てないものなので、願いを叶えたいという人達が今後も石を積み重ねると、次に来た時には神社の建物には近づけなくなっているかもしれない。。

 

たぶん天岩戸を「ここだ!」としていた方が、インパクトがあって良かったかもしれない天安河原。もしこの天安河原を訪れた人にアンケートを取ったら、ここが天岩戸だと勘違いしていた人が半分以上居ると個人的には思っている。

 

さて気持ちのいい森林浴ウォーキングを充分に満足したので、再び岩戸川沿いの遊歩道を戻っていきます。

 

そして帰り道の天岩戸神社でトイレに立ち寄ると、男子トイレの中に見慣れぬ恰好をした人を見かける。10年程前に1回だけ百貨店で間違えて、女子便所に入ってしまった事がある(気付かずに用を足してしまった・・)。それ以来、トイレに入る際は2~3回男子用かを確認して入るようにしているのだが、この時も念入りに確認した後だったので少々ビックリしたのである。。

 

普通トイレ掃除はオバサンなどがしてくれている光景を見慣れているけど、ここは神社だから巫女さんの恰好をした人がトイレ掃除をしていても全然不思議ではない。

しかしその姿を初めて見たので、今回はビックリしたという話でした。。

 

高千穂町にある神社はさっきの高千穂神社もそうだったけど、日本神話の世界観を醸し出しているような雰囲気が感じられる場所が多い。自分では無信仰だと思っているけど、無意識の底では神の存在を信じているからかもしれない。

 

駐車場への帰り道を歩いていると、途中に「国歌君が代に読まれているさざれ石」と書かれた、大きな岩が見えてくる。日本国内で育つと「君が代」は勿論誰でも知っている歌で、そこに出てくる「さざれ石」も勿論みんなが知っているけど、実際にさざれ石を見た事があるかと聞かれると意外と見た事がない。

 

「さざれ石(細石)」というのは、石の種類ではない。てっきりこういう名前の石の種類かと思いやすいけど、実は石の種類ではなくて、色んな石が集まって固まった岩を「さざれ石」と呼んでいるのだそうだ。

 

なおこのさざれ石は宮崎産の岩ではなくて、岐阜県から贈られたものだそうだ。国歌「君が代」では、長い年月を経てさざれ石が巌になって、さらに苔が生えて来る景色を歌にしたものである。

 

だからここに飾られていたさざれ石は単なるさざれ石ではなくて、このように苔がいい具合に生えている。だからまさに国歌に出てくる程の外観をしているので、ここに設置されているのだろう。それにしてもこれぐらいの風格が出てくるのは、考えられない位に長い年月が必要なのだろう。。

 

 

カラフルな栃又の棚田にて

そして天岩戸神社を後にしたのが16時過ぎ頃。その戻る途中の道沿いには夕焼けになりつつある空と共に、左側に広がる棚田が見えてくる。このような棚田の光景も普段はあまり見れる機会がないので、ここでも少し休憩して景色を眺めてみる事にする。

 

 

ここは「栃又(とちまた)の棚田」と言われる棚田がある場所で、農林水産省が選ぶ”日本の棚田百選”にも名を連ねている棚田。「棚田百選」なんて全然言葉自体聞く機会がないけど、宮崎県では11箇所の棚田が選出されているそうだ。

 

 

そろそろ夕方になってきて、空には鱗雲が良い感じに拡がっている景色も見えている。高千穂町から宮崎市内に戻るには、車でまた3時間前後が掛かるので、もうしばらく高千穂町の景色を楽しむとする。

 

平坦な土地に造られている田んぼを見てもあまり気にはならないけど、このように棚田はその段差が芸術アート作品のようにも見える景色となっている。

 

 

栃又の棚田の景色 動画

 

 

この辺りでは「田んぼアート」という、田んぼを利用して絵が描かれている所もあるようだけど、ここでは自然の棚田がこのようにカラフルな芸術作品のように見える場所ともなっている。人間は色んな色彩を開発して鮮やか絵を描くけど、やっぱり自然が織りなす色彩には敵わないように思える景色。

 

このような景色が見られるのも、のどかな宮崎県らしい所。あとはこのような景色が広がっている場所を探して、そしてそこで静かに佇んでその場の雰囲気を楽しめると、より楽しくなってくる宮崎旅である。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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