和歌山市旅行記2021年1月-⑨
旅行期間:2021年1月某日(当日旅)
当たりクジ付き?!
ここは”徳川御三家”の1つでもある「紀州徳川家」の居城だった和歌山城。この紀州藩だけで37万石あったが、飛び地の伊勢や大和の国も合わせると、合計約55万石を治めていた紀州徳川家。
城内の見学は続く!
こちらは「元禄札/茶屋札」と呼ばれる、紀州藩内で初めて発行された藩札である。こちらはお札にも書かれているように「元禄15年(1702年)」に発行された紀州藩オリジナルの紙幣で、一定量の銀と交換できる”兌換(だかん)紙幣”だったようだ。ただ約5年の流通を経て廃止となり、1730年に新たな紙幣が発行されたものの、それも約3年程で廃止となった。
このような藩オリジナルの紙幣を新たに造り出すという背景には、その藩の財政難が大きく影響している。なお、この藩札は一応”銀札”というように一定量の銀との交換が約束された兌換紙幣なのであるが、発行元がその発行総数に相当する銀を持っていない場合が多かった。その為に藩の信用力が落ちれば紙幣の価値が下がり、また改易となってしまえば紙屑となってしまうリスクもあった。
そしてこのようにオリジナルの紙幣(通貨)を生み出すと、一般的に起きやすいのが”インフレ”である。本来ならその紙幣価値を担保する金銀保有量以上に紙幣を発行してしまうので、大量に市場に紙幣が出回ると大概インフレになるという結末が歴史を見れば立証されている。
そして2021年から世界的にインフレの兆候が見え始め、2022年に入ってからはロシアのウクライナ侵攻によって資源大国であるロシアから資源を買い入れていた国が経済制裁を行い、それによって原油などの資源価格が大きく高騰してしまった。
日本は数年前からインフレ率+2%を目標に金融緩和を続けてきたが、世界的に大きなインフレに見舞われた2022年になって、国内のインフレ率が+2%に到達しようとしているのに金融緩和を終えようとする姿勢が見えない。このようなインフレ蔓延を目の前に金融政策で間違った方向に進むと、大概その後はロクな事が起きないのであるが・・・。
金融政策は間違いだと判ったら、直ぐに変更しないと・・・
こちらは幕末に発行された「五か国通用札」という、紀州藩だけではなく他の五か国でも使えるように認めた藩札。幕末は江戸幕府を引きずり降ろそうという西側諸国を打倒する為に、大きな資金が必要だった。江戸時代後半となると御三家の紀州徳川家でも財政難となっていたので、長州征伐などの資金難対策として新たな紙幣が発行された。
こちらは紀州藩の飛び地でもあった伊勢松坂で、地元の豪商らが1823年に発行した「松坂札」というオリジナルのお札。なお、この伊勢松坂は秀吉の配下だった武将:古田 重勝が”伊勢松坂藩”として治めたが、後に石見国浜田藩に移封となり、それ以降は紀州徳川家の領地となっている。
伊勢商人で有名な松坂だね!
現代は”松阪牛”しか思い浮かばないわよ!
これらのお札の上の方に、わざわざ矢印で表示されていた「お亀(お多福)」のハンコが押されていた。この”お亀のハンコ”は10万枚に1枚の割合で特別に押されていたらしく、縁起的な物として当時はプレミアが付いていた事だろう。
さて、連立式天守となっている和歌山城内は見学ルートが意外と広く、まだ終わりではない。江戸時代の歴史に興味を持っている人であれば楽しめる回廊だが、歴史に興味が無くて高い天守閣の上からの景色を満喫した人にとっては、早く建物から出たくなる瞬間かもしれない。
そろそろ見学も疲れてきたよ・・・
江戸後期の名医「華岡青洲」コーナー!
こちらの肖像画は「華岡 青洲(はなおか せいしゅう)」という、世界的に最初に全身麻酔をして外科手術(乳がん摘出)を行った医師である。日本古来の漢方医学と西洋の医学を組み合わせて実証実験を繰り返し、数種類の毒草を配合して麻酔薬を開発した人物でもある。
トリカブトなどの今でも毒草となっている植物などを適量配合し、その薬の実験を動物で行い、それから華岡青洲の母親や妻で人体実験を行った。なお、現代に生まれた人からすれば、自分や身内の体で人体実験を行うという行為が恐ろしく思えるけど、病気治療薬の歴史はこのような幾度もの人体実験を経て、改良されて完成したのである。
こちらの書物は『瘍科瑣言(ようかさげん)』という、1000人を超える程の門下生を抱えていたという華岡青洲の講義を書き記した物。ただ華岡青洲の教えは秘密主義となっていて、彼の門下生で最も優秀だったとされる本間玄調は”麻酔薬”の調合を無断で書物にて公開した為に破門されたという。
このように昔使われていた医療器具などを見ると、背筋がゾクっとするような感覚になる。しかし物や科学の乏しい昔は、実際にこのような医療器具が使われていたようだ。
現代に生まれた事に感謝するわ・・・
華岡青洲は父親が死去した後に跡を継いで開業し、後には藩主やその家族を診察する”奥医師格”というお抱え医師に出世している。ここ紀州藩だけではなく、当時の日本国内でも有名だった華岡青洲は乳癌患者の対策に頭を悩ます事になる。乳癌はその癌組織周辺を大きく切除する必要があるが、意識がある状態では大きな苦痛を伴って手術が行えなかった。
そこで何年もの歳月を費やして開発したのが、麻酔薬『通仙散(つうせんさん)』である。こちらにはその通仙散に使われたという、6種類の植物のサンプルが展示されていた。主に中国古来より伝わる漢方薬などでも使われている物だが、毒性もあるので致死量を摂取すると死に至る、恐ろしい麻酔薬である。
これらを少しずつ配合量を増減させて、何回も人体実験を行った。その治験者には華岡青洲の妻や母親が選ばれ、死と隣り合わせの治験が行われ、華岡青洲の妻は実験の末に失明してしまったという。
こちらは和歌山出身の作家:有吉 佐和子が1966年に出版してベストセラーにもなったという、小説『華岡青洲の妻』。
この麻酔薬の調合には、約20年間の歳月を費やしたようだ。最初は動物実験を行い、ある程度の道筋が見えた所で人体実験を行った。このような治験では自らその実験台になった例が多く、昔の医学者などが文字通り、実を粉にして薬などを開発していったのである。
こちらは「薬研(やげん)」という、古来より生薬などを磨り潰して調合する際に使われていた道具。現代では科学の進歩によって機械で生産される事が殆どだが、昔はレシピの内容に従って、手作りで薬が調合されていたのである。
こちらの看板は「養寿丸(ようじゅがん)」という、肺病や黄疸の秘薬とされていた薬を宣伝していた物。この養寿丸の調合方法は秘密になっていたようで、秘密主義の華岡青洲が開発した薬だったのかもしれない。ただ秘密主義の華岡青洲ではありながら、その教えを受けた門下生は立派な医師となり、破門された本間玄調は後に水戸藩お抱えの医師となったようだ。
こちらは”紀州藩も持っていた軍船”という、徳島藩を治めていた蜂須賀家の家紋「丸に卍」が入っている船の模型。江戸時代には和船と呼ばれた昔からの一般的な船以外に、海外の西洋船などを所有する事が禁じられていた。しかしペリー提督が蒸気軍艦で浦賀に乗り付けてくると、江戸幕府は危機感から一気に西洋軍艦の製造や買い付けに動きだすのであったが。。
こちらの壁には「金沢城」・「上田城」・「松本城」の写真が飾られている。まだ旅行記制作が追い付いていないけど、上田城と松本城には今年2022年に訪れた。なので次の訪問目的は、”加賀百万石”と謳われた金沢城となっている。
最近、石川県でも地震が多いから怖いな・・・
こちらの札は明治時代に使われていた、大阪から出港する蒸気船乗り場でその船を知らせる目印だったとされる「船名札」。船の名前や船長の名前も記されているのが分かる。
こちらは「道中独案内図」という、1840年頃に発行された旅行者の為の案内マップ的な地図だったようだ。このように江戸後期になってくると、日本国内への旅行を行う人が増えてきたようで、初めての1人旅に携帯する必需品だったのかもしれない。
こちらは琵琶湖周辺の地図のアップで、距離なども描かれているのが見える。なお、現代の地図では電車の路線にも思える線だけど、江戸時代には電車という乗り物が存在していなかったので、これらは徒歩で多くの人達が行き来した街道が記されている。
和歌山城の天守閣は1850年に再建された後、明治時代になっても取り壊される事なく、昭和時代を迎えた。しかし、真珠湾攻撃から発生した太平洋戦争の過程で、ここ和歌山市も空襲を受けて、その際に天守閣などの建物が焼失してしまった。その後1957年から鉄筋コンクリート造りでの再建工事が行われ、総工費約1億2000万円かかって翌年に再建されたようだ。
総工費1億2000万円って聞くと「安っ!」と感じてしまうけど、勿論これは現在の物価ではなく、今から60年前の物価での費用であり、また木造建築物とは違って鉄筋コンクリート造りだったので、案外工期も短く済んで製作費用も抑えれたのかもしれない。
日本全国には数百以上のお城があったとされるが、その中でも代表的な城が今では『日本百名城』という認定を受けている。ただこの『日本百名城』に特別な資格があるという訳ではなく、『日本百名山』と同じように「日本百名○」が好きな日本人向けの称号の一種だろう。
3度目の和歌山城天守閣見学は、約1時間で出入り口に戻ってきた。前にここに来た時には、その見学時間の半分以下で出てきたように思う。過去の自分とは違って、今のボクは江戸時代の歴史に興味マンマンなので、新しい知識を大量にインプットできた素晴らしい場所に感じたのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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