【スリランカ旅行記㉙】ポルトガル統治時代に造られたゴールのオランダ教会

スリランカ旅行記:4日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日

 

ゴールという街

スリランカ:ゴールの街まで向かう道沿いの海岸線

先程寄り道したカシューナッツのお店から約2時間バスに揺られて、やって来たゴール(Galle)の街。周囲にはインド洋を眺める事が出来ます。

 

 

ゴールの街にて

スリランカ:ゴールの旧市街地を囲む要塞跡

バスを降りてまず目に飛びこんできたのはこちらの要塞の壁である。元々はポルトガルがここの港の支配を強固にする為に地盤を造った要塞で、その後の支配を受けたオランダが更に強固な要塞へと改造した。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地を囲む要塞跡に到着

そして36ヘクタールに及び面積の城壁が築かれて、アジアに現存するヨーロッパ人の造った城壁としてはこのゴールの城壁が最も大きい規模だという。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地を囲む要塞跡の道を通る

そしてこの城壁で囲まれた旧市街地は、1988年に文化遺産『ゴール旧市街とその要塞群』として世界遺産に登録される事になる。

 

 

ゴールの旧市街地にて

スリランカ:ゴールの旧市街地を囲む要塞跡の道にある、地図

城壁の下をくぐって旧市街地へと入ると、まずは世界遺産のマークが入っている看板を見つける。こちらにはこの旧市街地の地図と建物一覧が書かれていた。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあった運動場でクリケットをする人達

そんな入口脇の運動場では、やっぱりここでもクリケットが繰り広げられていた。スリランカの国技はバレーボールだというけど、どこの街でもバレーボールをしている風景は全然見かけなかった。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地-2

ヨーロッパの都市で見かける旧市街地とはまた違った雰囲気の街で、アジアにヨーロッパの街並みが現存する場所といった感じの街である。

ブッダ君
ブッダ君

ヨーロッパ人が支配していた場所の名残じゃ!

 

スリランカ:ゴールの旧市街地から見える灯台

奥には時計塔が見えていて、この手前の入口にはマシンガンを携帯した兵士が警備していた。ちなみにこの兵士は海軍に所属しているそうで、ここは港町なので海軍の指揮下にあるようだ。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にある建物を眺める

スリランカにやって来た海外からの艦船はポルトガルが初めてではなく、その100年程前に中国の鄭和艦隊がゴールの街を訪れている。2回目に鄭和艦隊がゴールを訪れた1409年に、ゴールの街に漢文&タミル語&ペルシア語の3言語が書かれた石碑を建てたという。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会跡

ポルトガルが最初にセイロン島に辿り着いたのは1505年で、嵐を避けようとして漂着したのが始まりである。最初は特に侵攻する様子も無く香辛料貿易の基地にしようとしていたポルトガルだったが、1517年にインドから出発したポルトガルの艦隊群17隻の圧力により、当時のコッテ王国に港要塞の建設許可を迫ったのである。

 

オランダ教会にて

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会を訪れる

このスリランカ訪問時はあまりスリランカの歴史について勉強していなかったので、「あれ、ポルトガルが造った教会じゃないの??」と思っていたオランダ教会を訪れる。

 

【オランダ教会】(Dutch Reformed Church-Galle)

 

住所:Galle 80000, Sri Lanka

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の看板

こちらのオランダ教会は1755年に建てられたプロテスタント派の教会で、元々はこの場所にポルトガルが建てたカトリックの修道院跡に造られたという。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会に入る

ポルトガルの統治後の1602年にセイロン島へ進出してきたオランダは、当時ポルトガルと対峙していたキャンディ王国と同盟を結ぶ。そしてお国騒動で国力が低迷していたポルトガルをキャンディ王国の後押しもあって、撃退する。しかし奪い取ったゴールやコロンボの街はキャンディ王国に返還すると、事前に決めていた約束を反古にしてセイロン島の侵略を始めたオランダ。結局キャンディ王国からすると、戦う相手が違うヨーロッパ人に変わっただけであった。

 

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会に入って見えた看板

14世紀に発端を興す宗教改革の影響により、プロテスタント派の国だった当時のオランダ。だからこの建物はプロテスタント派の教会で、スリランカに現存するプロテスタント派の教会としては最古のものだという。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の床にある墓石

床にはこのように髑髏マークが入った墓石が埋め込まれている。教会の床には神父や修道士達の亡骸が葬られているのはよく見る光景だけど、このような髑髏マークは初めて見た。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会内の景色

オランダの教会として建てられるが、その後この地を代わって支配したイギリスによって後年この教会は改修される。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の床にある墓石-2

床に葬られているのは主にオランダ時代に亡くなった人達だそうだ。こちらにも髑髏マークが見える。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会内の祭壇

あまり派手さはなく、質素な感じの内装の教会であるが、このように一応ステンドグラスも飾られていた。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会内の祭壇に立つ、現地ガイドさんのパリタさん

祭壇に立ってツアー参加者さん達に、この教会についてを説明する現地ガイドのパリタさん。こうやって手前から見上げると牧師さんのように見えてしまう感じがした。

だが実際にはあわてんぼうな添乗員さんから、事ある毎に怒られていた印象しか残っていないような・・・

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会内の景色-3

そしてこのように壁を見ると、墓石が嵌め込まれているのが見える。こちらの壁にはイギリス統治時代に改修されて使われていた時に、葬られた人達の亡骸が壁に埋め込まれているそうだ。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の床にある墓石-3

なのでオランダ時代とイギリス時代によって、人が葬られている場所が違うのである。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の床にある墓石の上を歩くネコちゃん

そして久々に猫ちゃんを発見した。スリランカに来てからは満足に猫ちゃんと遊べていないので、そろそろ遊びたくなってきた頃合いである。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会にある髑髏マーク

こちらのバツマークは何を意味しているのだろうか? 先程の髑髏マークと同じような意味合いで使われているのかもしれない。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の床にある墓石-4

キリスト教の国では基本的に死者は土葬で葬る。というのもいつの日か、「最後の審判」という今までに生きていた全員が一斉に復活して、天国行きか地獄行かをジャッジする日が来る。その復活した時に自分の死体が残っていないと復活した時に体が無くなるから、死体は火葬では無く土葬にしないといけないという考えだそうだ。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の壁にあるイギリス人の墓石

壁に収められている亡骸はイギリス人の物。

「南無阿弥陀仏~~ナンマイダブ~~!・・・」

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の外にもある墓石

教会の裏にも墓石が数十個置かれていて、夜にはあまり訪れたくない所である。そんな教会裏には男女兼用の無料トイレがあったので、そこでトイレタイムとなる。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会にあるパイプオルガン

歴史はある教会だけど、意外とあまり見所が無い教会でもある。こちらは上に設置されているパイプオルガンである。

 

スリランカ:ゴールの旧市街地にあるオランダ教会の壁にあるイギリス人の墓石-2

ゾンビ映画の概念は、この土葬で葬られた死者が復活した時の様子を想像しているものである。死者も死んだ時の肉や皮が付いている状態の体だったらいいけど、骨だけになった体でもし復活してしまってもどうしようも無いと思う。人間の体というものは骨同士が靭帯や軟骨などで繋がれて上手い事動くものであって、骨だけでは立つ事すら出来ないのである。

 

オランダ教会内部の景色 動画

 

ゴールの旧市街地のオランダ教会の床にある墓石

そして床にある墓石に刻まれている髑髏マークは、当時マラリア病で亡くなった人をさすという。マラリア原虫を媒介するハマダラカ(蚊)が原因であるのは、この当時はまだ発見されていなかった。感染症とは分かっていたので、マラリアに侵されて亡くなった人を区別する為にこのような髑髏マークが入れられたと考えられている。

ブッダ君
ブッダ君

昔から感染症は、人類の大きな敵だったんじゃ!

 

ゴールの旧市街地のオランダ教会の床にある墓石-2

海賊のマークのようにも見えるけど、答えは「マラリア病で亡くなった人」を区別するマークでした。

 

ゴールの旧市街地のオランダ教会をテリトリーとするネコちゃん

オランダ教会の外に出てみたら、先程教会内を走っていた猫ちゃんを発見する。警戒感の強い猫ちゃんだったら、触らないでおこうと思って近寄ってみた。

 

スリランカで初めて触る猫ちゃん 動画

 

ゴールの旧市街地のオランダ教会にある墓石

ただこの教会の墓石に記されていた髑髏マークは、大雑把なマークとして決められていたようで、造られた墓石によって微妙にデザインが違っていた。

こちらの髑髏マークはちょっと可愛く見えるような・・・?!

 

ゴールの旧市街地に立ち並ぶ建物の景色

西洋建築物が立ち並ぶ、このエリアはポルトガル・オランダ時代に築いた盤石な要塞&城壁のおかげでスリランカ王国側からの攻勢を防ぐ事に成功した。

 

 

ゴールの旧市街地に立ち並ぶ建物の景色-2

またコロンボの街に侵攻したコッテ王国も、海の利があるポルトガルの艦隊により艦上からの砲撃により撃退される。

 

オランダ教会付近の景色 動画

 

ゴールの旧市街地に立ち並ぶ建物の間を走るトヨタの車

スリランカで主に走っているトヨタ社の車はインド産が多いけど、日本車を海外で見ると少しホッとしたような気分になる。

 

ゴールの旧市街地に立ち並ぶ建物の景色-2

そして再びゴールの街を歩きだすと、また奥の方に大きな教会が見えてきた。

 

ゴールの旧市街地に立ち並ぶ建物の景色-3

ゴールの街で要塞を築いたポルトガルはその当時交易でヨーロッパに持ち帰った、スリランカの名産品であるシナモンが莫大な利益を得ていた。なのでそのシナモンを独占してポルトガルに一定の価格で販売するように迫った。最初は交易目的で訪れたような形を取るが、その内に宣教師を送り込み自国の宗教を広めて、その国の国力を弱めて乗っ取るのが彼らの目的であった。

日本は難破して漂着したスペイン船から、ポルトガルのそういった戦略を聞かされてポルトガルを追い出し、オランダとのみ鎖国しながらも貿易を続けたのである。

 

ゴールの旧市街地にあった郵便局跡の建物

ここは郵便局だった建物だけど、かなり老朽化しているように見える。

 

ゴールの旧市街地にあった郵便局跡の建物-2

そんな郵便局だった場所の名残を残すのが、建物の前に設置された赤い郵便ポスト。

ここに郵便物を投函したら、ちゃんと回収に来てくれるのだろうか?

 

ゴールの旧市街地にあったオールセイント教会

こちらはイギリス統治時代に造られた「オールセイント教会(All Saints’ Church)」で、1871年に完成した”ゴシック・リバイバル”(Gothic Revival)という建築様式の建物。

 

ゴールの旧市街地にあった旧オランダ東インド会社の跡

こちらの茶色の外壁をしている建物は、”世界初の株式会社”とも言われるオランダ東インド会社の跡地である。

 

ゴールの旧市街地にあった旧オランダ東インド会社の跡-2

オランダ東インド会社は正式には「連合東インド会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie)」と呼ばれる。

 

ゴールの旧市街地にあった旧オランダ東インド会社の跡-3

そしてその社名を略したのが「VOC」で、オランダ東インド会社のマークにもこの略語が入れられているのである。そのマークはちょうどこの写真中央に入れられているのが見える。

 

ゴールの旧市街地にあった考古学博物館

この辺りの建物は考古学博物館になっているようだ。

 

ゴールの旧市街地にあった考古学博物館-2

こちらの像は、セナラス・パラナヴィタナ(senarath paranavithana)というスリランカ人の考古学者の物で、1940年に初代考古学コミッショナーに任命されたそうだ。

 

ゴールの旧市街地でアシスタント君と遊ぶオジサン

後ろを振り返るとそんな歴史的な建物よりも、せっかく購入したポケトークを使ってバスのアシスタント君と何やら会話を楽しむ”マジシャン会長オジサン”の姿が見えた。このイケメン・アシスタント君は日本に行きたいけどお金が無いので「日本行きのお金を援助してクダサイ!」と言っていたのに対して、”マジシャン会長オジサン”は「まずは日本語を覚えてください!手始めに1日5個日本語を覚えましょう!」と言い返していた。

 

 

ゴールの旧市街地にあった歴史的な建物を眺める

歴史的な東インド会社も、イギリスの東インド会社やオランダの東インド会社など、色々と存在していた事をゴールの街で初めて知ったのであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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