南海平野線跡(2023年6月)-13:完結編
訪問:2023年6月
路面電車の生き残り!
ここ大阪市内で約40年前まで走っていた「南海平野線跡」を探索して、再び戻ってきた今船駅周辺。
阪堺線「今船駅」周辺にて
今回探索した南海平野線跡も最近までその存在を全く知らなかったが、別に存在していた「南海天王寺支線跡」を調べている途中で、その存在に気付いたのである。
そしてかつての大阪市内には市電が溢れる位に走っており、その市電が大いに活躍した後に、逆に交通渋滞を引き起こす要因とされて姿を消してしまったという、何とも皮肉な歴史を知るのであった。。
人間は都合良い時だけ、チヤホヤしてくれるんだ・・・
それと阿倍野交差点付近から南海平野線跡の架線柱が並んで、その柱が運んでいた電気ケーブルはこの辺りまで延びていた。
そしてその電気ケーブルが繋がっていたのは、この目の前を走る阪堺線の路面電車だった。
先程阿倍野交差点付近で走っていた路面電車は「上町線」で、この阪堺線とは元々は違う鉄道会社が興した路線であった。
20世紀初頭は拡大と競争を背景に、大阪の鉄道会社は延伸と合併を繰り返してきた。
20世紀半ばには戦争下での国策で強引な吸収合併も行われ、戦争後にはこの阪堺電気軌道などに見られる会社分離も行われた為に、その歴史は複雑化していて一般人にはなかなか覚えにくい鉄道の歴史となっている。
それと「鉄道」と言っても、『馬車鉄道』という馬が曳いていた鉄道や、『蒸気機関車』という蒸気機関を使用して動力を生み出す「汽車」など、多くの鉄道が生み出された。
その中でも人類の近代化に大きく貢献した電力を使う鉄道が、最終的には一般的になっていくのである。
蒸気機関が日本国内にもたらされた時にはそれなりの衝撃があった事だろうが、その蒸気機関も100年あまりで衰退してしまう。
20世紀は生き残るのに厳しい時代やで!
この現在は「阪堺電気軌道:阪堺線」と呼ばれる、大阪市浪速区:恵美須町から堺市の浜寺駅前までを繋ぐ路線は、1912年に全線開通してから約110年が経過している。
ただ近年には利用客の減少により廃線話が浮上しており、上町線に比べると運行本数も少なくなっている。
この21世紀は、鉄道なんて消えてしまいそうや・・・
そして先程の電気ケーブルは更に西側にまで延びていて、その先を進んで行くと南海電車の高架があった。
ちなみに小さい頃に何度もその前を通った事のある「玉出変電所」は、そんな電車に電気を送る施設として1911年に造られた建物だった事を知ったのである。。
天下茶屋にて
という事で「南海平野線跡」の探索旅はこれにて終了となり、南海天王寺支線の起点ともなっていた天下茶屋駅付近のアーケード商店街「天下茶屋商店街」にやってきた。
この天下茶屋商店街は、南海電車「天下茶屋駅」近くにある「天下茶屋駅前商店街」に比べると、駅から遠い事もあってそこそこに寂れた商店街となっている。
そんな寂れた雰囲気の天下茶屋商店街を東に抜けていくと、その先には阪堺線の線路が見えてくる。
まだ現役の線路と駅があるにも関わらず、とても静かな雰囲気となっている「西天下茶屋駅」だった。
「喫茶店:ナカノ」と「コーヒー:ルンバ」
ちなみにこの西天下茶屋駅で、最近発見した”ストロングな珈琲”を飲めるがこちらの「喫茶店:ナカノ」というお店。
住所:大阪府大阪市西成区天下茶屋2-5-15
営業時間:9時~18時頃(※不定休)
電話番号:0666539575
なお、店内は手前に2つのテーブル席と、それ以外はこのカウンター席のみというあまり広くはない店内。
また店内は昭和レトロな雰囲気がとても感じられるお店で、女将さんらしき人もそれなりの雰囲気を醸し出していた。
そして出てきたコーヒーは、ノリタケらしい器で、味は”ストロング”となっている。
美味しい珈琲でした♪
路面電車と共にその駅近くに生き残っている、昭和らしい雰囲気を残す喫茶店。
年を重ねる程に、今の若い20代の人が開いているコーヒー屋よりも、このような年季を感じさせてくれるお店に足が向かってしまうのである。。
ちなみに西天下茶屋駅近くには、この「喫茶店:ナカノ」だけではなく、駅のすぐ隣にも実は喫茶店がある。
西天下茶屋駅の下り線ホームと一体化していた「コーヒー:ルンバ」も、ここもかなりの歴史がある喫茶店となっていて、地元民に人気の場所となっていた。
ただ、「コーヒー:ルンバ」の内装はリフォームしてあるので、店内の”オールドレトロ”な雰囲気を求める人は「喫茶店:ナカノ」がいいのかもしれない。
だけど「コーヒー:ルンバ」の女将さんは愛想良さそうなので、阪堺線の線路散策などで寄り道するにはうってつけのお店にも思えた。
ストロング珈琲か、美人ママかのどちらを選ぶかやな!
同じ阪堺電気軌道の路線でも、利用客の多い上町線は7~10分に1本の電車が来るけど、この利用客の少ない阪堺線は約30分に1本の電車しか来ない。
そういう意味では、本数の少ない阪堺線の電車の方が、より”希少価値”が感じられるかもしれない。
上町線「東天下茶屋駅」にて
そんな西天下茶屋駅から歩いて、東の方にある上町線の「東天下茶屋駅」にやって来る。
住所:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町3
この東天下茶屋駅付近は「阿倍野区阿倍野元町3丁目」にあるので、この近くに住む人からすれば「ここを天下茶屋というのもな・・・」と思ってしまう名前でもある。
この東天下茶屋駅は今の上町線の前身となる”大阪馬車鉄道”が、明治33年(1900年)に天王寺駅前との間で運行する路線を開通した当時に造られた駅である。
その当時にはこの駅から西側に行った先に『天下茶屋遊園』という、料亭などが立ち並ぶ歓楽地があったという。
今ではその跡地は殆ど見られないけど、この「小西朝陽館御殿」という皇族を持て成す為に造られた料亭が残されており、”国の登録有形文化財”となっている。
自分の兄ちゃんが通っていた晴明丘小学校の向かい側にある「朝陽幼稚園」の敷地内に、その料亭跡の建物と庭が隠されているようだ。
この近くには、桑名正博の実家跡もありますよ!
そんな東天下茶屋駅のホーム南側には、こちらの「馬車鉄道跡」という文字が彫られた石碑が置かれていた。
現代人には考えられないけど、この「馬車鉄道」とはその名前の通りに”2本レールの上を移動する乗り物”を馬に曳かせていた鉄道だった。
明治時代にはまだ汽車が少なかった時代に、手軽に運行できた馬車鉄道は人気となった。
だが、時代が経つと他の路線で電車が運行し始め、馬が曳くだけでは多くの人が乗った車両を引っ張れない事もあって、次第に姿を消していったという。
このように現在生き残っている鉄道も、激動の時代を何とか生き抜いてきた鉄道ばかりであり、その裏では数えきれない程の鉄道が消え去っていったという訳でもある。
今回廃線跡を訪れた探索であったが、逆に今生き残っている鉄道の「適者生存」という、自然の淘汰システムを乗り切った鉄道に何気なく労力も無く乗れている日々に感謝すべきだという事を悟った旅でもあった。。
ホンマに少しは感謝せえよ!
※電車好きでもない人間が調べた内容なので、間違っている情報や追加情報などがあれば、コメント欄にてご指摘頂ければ幸いです。。
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓南海平野線跡探索記:過去分↓↓