東京旅(2022年11月)-42
訪問:2022年11月中旬
喜ぶ管理人!
東京旅3日目は神奈川県の鎌倉市にやって来て、まずは鶴岡八幡宮の大鳥居と境内を見学してから、次に近くにある”ある歴史上の有名人のお墓”を訪れる事にした。
鎌倉市内にて
誰のお墓かと言えば、『鎌倉幕府』を建立した源頼朝のお墓である。
ちなみに2022年に大河ドラマで放送された『鎌倉殿の13人』は、鎌倉幕府を描いたドラマでありながらも、主役は源家ではなく、鎌倉幕府を支えた後に政権を支配した北条家の北条義時が主役という設定だった。
NHK大河ドラマは、歴史上で光が当たらなかった人物を取り上げる事が多いぜ!
約2年前に鎌倉に来た時には源頼朝のお墓に立ち寄らずに帰ってしまったけど、さすがに2022年は鎌倉を舞台にした大河ドラマが放送されていただけに、絶対見逃せない場所となっている。
しかし歴史的にはやっぱり鎌倉幕府を創建した「源頼朝」が一番有名だし、学校の教科書で必ず出てくる有名人でもあるので、鶴岡八幡宮から歩いて行ける距離にあるだけに、その存在を知ってしまったら”行く”という選択肢しかあり得ない。
このように鶴岡八幡宮近くの路地には案内板が多数設置されていて、そんなに迷わずに源頼朝のお墓を目指して進む事ができる。
ただそのお墓のある場所までの地域は住宅街となっているので、あまり騒がずに通るべき場所ともなっているが。
その源頼朝のお墓があるのは、鶴岡八幡宮からすぐ東側。
歩いても数分の距離なので、時間に余裕がある人は訪れるに越したことはないだろう。
法華堂跡(源頼朝のお墓)にて
そして鶴岡八幡宮近くをフラフラと歩いていると、奥の方に小高い山が見えてきて、その上に上がる階段があった。
源家という家柄は昔の時代には由緒正しい家柄として箔があったので、戦国時代前後の大名はその”源家”の家系である事をアピールする人達も多かった。
この源頼朝のお墓では、江戸時代に源頼朝を支えた人物として、長州藩の毛利氏や薩摩藩の島津氏などの祖先を祀ったお墓も設置されているようだ。
ただそんな鎌倉幕府を築いた源頼朝も、時代が経過すると過去の偉人として忘れられていき、ここにある墓も時代と共に荒れ果てていったという。
しかし、後年になってその源頼朝のお墓として新たに整備され直し、今では立派な墓地として管理されている場所になっている。
そして源頼朝のお墓に繋がる階段を登っていくと、その階段を清掃していたオジサンが登ってくる観光客に向けて、簡単なこの場所の説明をしていた。
この管理人のオジサン曰く、「大河ドラマの影響で多くの人が訪れてくれるのは、大変ありがたい事です!」と言っていた。
まあ2022年がピークかもしれないぜ!
源頼朝というと鎌倉幕府を築いた偉人として知られているけど、意外と源家は頼朝以降は3代しか続かなかった。
その後はその補佐をしていた北条家が”執権”として、実権を握っていた時代が長く続くのである。
現在見られる源頼朝の墓は近年に新しく整備されているので、このような階段も綺麗になって、非常に丁寧に管理されている雰囲気を感じる。
そんなお墓前の柵には、こちら『笹竜胆(ささりんどう)』の家紋マークも入れられている。
この笹竜胆家紋は源頼朝の代名詞的存在にもなっており、鎌倉の雰囲気を感じるポイントにもなっている。
その階段を登っていくと、正面に見えてきたのが「源頼朝の墓」である。
この辺りは源頼朝を祀る法華堂跡だった場所で、源家が滅亡した事もあって荒廃していったが、江戸時代の中頃に薩摩藩の島津重豪によって整備されたという。
薩摩藩の第8代藩主だった「島津 重豪(しまづ しげひで)」というと、個人的に思い入れが深い人物でもある。
前に鹿児島県を訪れた時に薩摩藩の勉強をした際に、この島津重豪時代が大きなターニングポイントとなっており、それ以降の幕末の激動の時代に主役ともなった薩摩藩の源流的存在にもなった人物である。
子供と借金を沢山作った人物だぜ!
しかし、この源頼朝の墓はそんな島津重豪によって整備されていた為に、今日でも見られるお墓となっている。
現代人からすれば見られて当然と思っているかもしれないけど、今から800年近く前の人物のお墓が残されているという事は、それまでの間にこの墓を守ってきた人がいるという事でもある。
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼朝は大泉洋がコミカルに演じていたが、その演技の中でもそれまで信頼していた家臣にあっさり抹殺を命じるなど、冷酷さをも持ち合わせていた。
ただ現代とは違ってこの鎌倉時代などには、自分以外に信用できる人物などなく、たとえ身内といえども明日になれば敵になる可能性があったので、利用価値が無くなった瞬間に殺される対象に移り変わっていた時代でもある。
この時代は生き残った者が勝者だぜい!
現代とは想像も付かない程に厳しい時代で、常に身内に裏切り者が出ないかを日々警戒していた鎌倉時代。
それだけに昨日の友も、次の日になれば泣く泣く斬り捨てる対象として実行できる人物しか生き残れなかったのかもしれない。
『泣いて馬謖を斬る!』という言葉通りだぜ!
近くの路地を歩いていると、犬ではなく「オカメインコ」探しのビラが電柱に貼られているのを見かけた。
犬とかだったらまだ近くに居そうな感じがするけど、鳥は羽があるので遠くまで飛び去っていそうにも思うのだが。。
鎌倉時代なんて今から約800年も前の時代なので、その当時の人物など想像にも出来ないレベルである。
続いて源頼朝の墓脇にあった小高い山の上に繋がる階段があったので、ここの上にも何かありそうな予感がしたので、とりあえず進んで行く事にする。
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年11月上旬に訪れた、2泊3日の東京旅です。