神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-56
訪問:2022年12月中旬(2泊3日)
学びの場!
東京都台東区駒形にある、かつてエースカバンのエース社の東京本社だった建物にある「世界のカバン博物館」の見学は、まだまだ、まだまだ続きます。
結構なボリュームを展示してるから、疲れるデ・・・
「世界のカバン博物館」の見学!
革製品というとイタリアで昔から作られていたイメージが強いが、動物の「皮」だった物をそのままにしていると腐敗が進んで使いものにならないので、『なめし』という工程で「皮」を「革」に変えていくのである。
より一般的な”なめし”は、図にあるように皮を固い物で叩く事で、柔らかい革に変えていく。
ただ”なめし”工程の前処理で動物の皮に含まれるたんぱく質を除去する為に、以前に訪れたモロッコのフェズの町では、昔ながらの手法である「鳥の糞」などを水に溶かして使っていた。
その為に、フェズの革なめし工房近くに行くと、鳥の糞の匂いがとても臭くて、革製品屋内の見学には事前にミントのような葉っぱを渡されて、ミント葉の匂いで臭い匂いを誤魔化しながら、店内を見学した記憶が甦る・・・。
あんな臭いのに、革にその匂いが残らないのは凄いよね~!
19世紀のヨーロッパでは上流階級の人程に多くの衣装が必要だった為に、左側にある「ワードローブ・トランク」という大きなトランクも作られていく。
それと共に右側にあるような「旅行トランク」は、船旅で世界を巡る時代に突入した事もあって、万が一船が難破した際に浮き輪代わりに使えるとして大ヒットしたという。
19世紀後半から大ブームとなった世界旅行に行く富豪は、大量に荷物を持って移動していた。
それにつられて多くの人々が海外旅行しだすと、大量に荷物が船や鉄道に積まれていったが、港や駅でその荷物を仕分けする作業員として「ポーター」という作業員が生まれた。
日本でも駅に荷物を運ぶ赤い帽子を被ったポーターが多く存在していた時代があり、今でも『赤帽』(全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会)と呼ばれる軽自動車での運搬業の名前の由来にもなっているようだ。
19世紀にはそれまで貴婦人は腰辺りから「シャトレーン」でブラ提げていた荷物から脱却し、必要最低限の物だけを入れられるコンパクトなハンドバッグが人気となってくる。
一番右側に写真のある「柳行李(やなぎごり)」は、昔の日本人が長旅に出る際に”おにぎり🍙”を入れていたケースという印象が強い物。
カバンの形態もその時代に応じて姿を変えていき、20世紀には自分で持ち運ぶする事が多くなってきた為に、概ねコンパクトタイプのカバンが増えていく。
明治以降の日本国内では、欧米に海外留学した人物達がその技術の差に愕然とし、そこから欧米に近づこうと最先端技術や機械を日本に導入していった。
1877年に開催された第一回内国勧業博覧会では、西南戦争が勃発中にも関わらず上野公園で開かれ、8万点以上の品が展示され、多くの画期的なカバンも出展されていたようだ。
女性が手に持つ小さなカバンは「オペラバッグ」などと呼ばれ、言葉通りにオペラ鑑賞に行く時にちょっとした手荷物を入れれるだけの小さなサイズとなっていた。
現代の小学生には当然のアイテムとなっている「ランドセル」も、明治時代までは国内に存在しなかった物で、明治20年頃に当時の総理大臣だった伊藤博文が後の大正天皇が学習院に入学した際に献上したのが始まりとなっている。
元々は「背嚢(はいのう)」という、ヨーロッパの軍人が使っていたバックパックが起源だぜい!
右側の「アタッシュケース」はフランス語が起源となっているが、英語読みでは「ブリーフケース」とも呼ばれている。
”大使館随行員”という意味合いも持つ「アタッシュ」のフランス語からも、大事な書類などを運ぶ機密性が高い物を入れるカバンとしてイメージが強い。
”ブリーフ”と聞くと、白いパンツを連想するけ!(笑)
右側の「ボストンバッグ」は1922年頃に日本に入ってきたカバンだが、意外にもこの名前は”和製英語”らしく、日本でしか通用しない呼び方だそうだ。
それと20世紀は女性の社会進出が著しく進んだ時代でもあったので、見た目を重視する女性達のアイテムとして、カバンは多くの流行を生み出していく。
女性はその日の気分や服装に合わせて、カバンを使い分けるよね~!
20世紀は世界中を巻き込んだ世界大戦が2回も起きた時代であるが、それと共に戦争目的に開発された新素材が新しく生まれた時代でもあり、その為に色んな素材で作られたカバンが生まれるキッカケともなった時代でもある。
1920年頃には女性の化粧品などを入れる専用のカバン「ヴァニティーバッグ」が生み出されたが、これは江戸時代の日本で人気だった印籠を参考にして作られたという。
ヘンな片仮名の名前にせず、「印籠バッグ」にしとけや!
20世紀初頭までは移動の際には重たく大きいカバンを持ち運んでいたが、車社会が進む毎にカバンを自分で持ち運ぶ距離が短くなっていった為に、それに適応した肩にかける紐がない「クラッチバッグ」などが人気を博していく。
「セカンドバッグ」とも呼ばれているぜい!
20世紀初頭に開発されたプラスチックの技術は、画期的な素材として瞬く間に人類の生活に普及していき、勿論このようにカバンにもプラスチック製の物が使われていく事になる。
アメリカの航空部隊向けに軽いグラスファイバーを用いたスーツケースが改良され、それまでの旅行スーツケースというと重たいイメージが付き物だったのだが、軽くて丈夫な素材が旅行鞄業界でのゲームチェンジャーとなっていく。
1953年にエースカバンが発売した新素材「東レナイロン」を使用した「ナイロンバッグ」は、”軽くて丈夫で汚れが落ちやすい”という謳い文句で、あっと言う間にエースカバンの代名詞的アイテムに成長していく。
1950年代以降は新たに開発された素材が出回り、それらを使って軽量化されたカバンが多様化した時代でもある。
そして近代は有り余る程のカバンがその辺に溢れる”カバンの多様化”の時代となっており、現代に生まれた人々はそのカバンの起源を知らずに、ただ自分が気に入ったというだけで使っている人が多い事だろう。
右側の1968年に発売された「マジソンバッグ」もエースカバンが開発したカバンで、累計2000万個を売り上げる大ヒットとなった。
ただ「マジソンバッグ」は特に特徴がある訳でもなく、発売当時にアメリカンプロレスの聖地でもあった「マジソン・スクエア・ガーデン」の名前をアルファベットで入れただけのスポーツカバンであるが、それでも当時アメリカ文化贔屓だった若者達に大きく売れたという。
これも流行り物やな!
第二次世界大戦が終結してから人工的な素材を使ったカバンが大量に出回ったが、1970年代に入るとそれまでの人工的素材を見直して、綿などの天然素材を使ったカバンが人気となっていく。
イケイケドンドン時代から、冷静になったのかもね~!
そして戦後に日本で一大スポーツ産業として急発展したゴルフの世界では「ゴルフバック」が開発されて、多くのゴルフクラブを入れれる専用バッグが今では当たり前のスタイルとなっている。
最近ではノートパソコンを収納できるサイズのカバンがビジネスマンに人気で、用途に応じてカバンが使い分けられているものの、逆に女性の間では用途よりも「どこのブランドのカバンか??」が重要になってきており、世界的な有名ブランドのカバンを身に付けている事がステータスとなっている時代でもある。
カバンは幾らあっても足りません!(笑)
それでもカバンは使い易さと用途が一番重要であり、旅行鞄も軽くて丈夫で使い易いカバンが生み出されていき、ランニングやハイキング時に使われるカバンも機能性重視の物がどんどん増えてきている。
このようにカバンは使う側の快適さと共に、女性の場合は特に”他人に魅せる為のカバン”という役割もある。
その為に実用性のカバンと優雅さを魅せ付けるカバンと、両極端な市場が広がっている現代である。
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。