スリランカ旅行記:2日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
大昔の首都を訪れる
遠路はるばるやって来たスリランカ、国の約70%強が仏教徒である。スリランカにインドから仏教が伝来したのは紀元前247年に、アヌラーダプラ郊外のミヒンタレー(Mihintale)という場所だったそうだ。今日観光する、大昔に首都だったアヌラーダプラはまさにその仏教の影響を大きく受けた建造物がある場所である。
ようこそ仏教国のスリランカへ! これからもちょくちょく現れるのでヨロシクね!
スリランカで初の昼食
さてスリランカ最初の観光は・・・と、その前に昼食タイムとなる。ネゴンボのラマダホテルから1回トイレ休憩を挟んで、約4時間かけてやって来たアヌラーダプラの街。ここではホテルの中にあるレストランで食事を取ります。
(Heritage Hotel Anuradhapura)
住所:Galwala Rd, Pothanegama 50000
ホテルの入口ではシギリヤレディーのような像がお出迎えしてくれています。
スリランカで滞在中の食事は全部ツアーで付いていたけど、その殆どはこのようなホテルの中にあるレストラン会場だった。
スリランカでの一般家庭では1日3食は全部カレーで、殆どが辛いという。”日本人が想像するカレー”はあくまでも日本のカレーでしかなく、日本以外では同じカレーでも質は変わってくるのである。
まずはスリランカでも老舗ビールメーカーが販売する「ライオンビール・ラガー(Lion Beer/Lager)」を早速味わいます。1881年に創業したライオン醸造所(Lion Brewery)はインド&アジア地区でも老舗である。こちらは大瓶で1本850ルピー(約500円)、レストラン価格だけどグラスは冷えたのを持って来てくれた。
スリランカ特有のカレーは何種類か置かれていたけど、ボクは日本国内でも辛めのカレーがダメなので様子見という事で無難なルー1種類だけを選ぶ。
インドやスリランカではこのような国民食カレーを食べる時は、スプーンなどは使わずに右手を使って食べる。左手は不浄の手とされているので、必ず彼らは右手のみを使うのである。日本では寿司を手で食べたりするので、それと似たような感覚なんだろう。
こういう観光客向けのレストランでは、現地民が食べる味や料理ではなく、海外からの観光客が食べれる料理にしてくれているので全然問題なく食べれる。しかもそこそこに美味しいし。
さて、スリランカで最初のライオンビールを嬉しそうに飲む男。
ここは単なるレストラン会場ではなく、綺麗なホテルだったので料理を食べ終わってから、ちょっと中庭を見てみる事にする。
すると南国であるスリランカらしく、ホテルの中央には大きなプールが用意されている。スリランカでも場所によって雨季の時期が違ったり、乾燥地帯があったりで滞在する場所によって気候は変わってくる。
今回の旅では宿泊するホテルのプールに飛び込む事は残念ながら無かった。
スリランカにはアジアゾウ属のスリランカ・ゾウ(Sri Lankan elephant)が生息している。種類としてはインド象とは少し異なり、スリランカ固有の象である。現在では約3,000頭が生息しているが20世紀初頭には約10,000頭居たとされていて、今では絶滅危惧種に登録されている。
人類が象牙欲しさにゾウを乱獲したり、生息域を荒らした影響じゃな!
見た感じは綺麗そうなヘリテージ・ホテルだけど、ネットの口コミを見ると客室は古く、あまり良くはないみたい。ただここだけの問題というよりかは、スリランカのホテル全般にそういった傾向が見られるようだ。だから今まで泊まって来たホテルと比較するのではなく、スリランカで泊まった他のホテルと比較しないといけないようだ。。
ホテルの前には湿地帯があり、その先には湖が見えている。この湖はティッサ・ウェア(Tissa Wewa)と呼ばれる人口貯水湖である。大昔の首都だったアヌラーダプラに水を供給する為に紀元前3世紀に造られたそうで、このアヌラーダプラには2,000を超える数の人造湖があるという。
緑が溢れるヘリテージ・ホテル。ただここだけではなく、基本的にスリランカ国内は緑に溢れる国である。
古都アヌラーダプラに到着
ネゴンボから約4時間を掛けて移動してきた、1982年に世界遺産登録された「アヌラーダプラ(Anuradhapura)」の街。日本で言うと奈良のような場所に当たるかも。
ちなみに今中央競馬会には、この「アヌラーダプラ」と名付けられた馬が所属している。そんな馬名の由来は勿論この街から付けているのである。
こちらの看板の一番上にある、昔女子高生の間で流行った”丸文字”のように書かれているのが”シンハラ語”である。現在スリランカでも公用語はこのシンハラ語とタミル語の2つである。タミル語は上から2番目に書かれている文字で、南インドのタミル人から伝わったもの。
何気なくこのシンハラ語とタミル語が両方が看板に書かれていて、それぞれに公用語と今はなっているが一時はシンハラ語のみを公用語にしていた為に、スリランカのタミル人が反乱を起こして内戦が20年間以上も続いた。その内戦により国は経済的なダメージを負い、内戦に巻き込まれて約10万人以上の人が亡くなったという。
ワシから見ると些細な違いだと思うけど、現地民にとっては戦争する位に大事なアイデンティティーなんだろうな・・・
紀元前3世紀頃に古代スリランカ王国時代の国王だったデヴァナンピヤ・ティッサ王(Devanampiya Tissa)は、紀元前247年にインドから渡ってきたマウリヤ王朝:3代目国王「アショーカ王」の息子であるマヒンダ(Mahinda)が仏教を伝来したとされている。その仏教伝来の後にこのアヌラーダプラに、仏教関連の建物を造ったのである。そのマヒンダは当時32歳でそのままスリランカに住み着き、その後48年経った80歳の時に亡くなったという。
アショーカ王のおかげで、インド国外に仏教が広まったのじゃ!
イスルムニヤ精舎の見学
そんな紀元前3世紀に造られた「イスルムニヤ精舎(Isurumuniya Viharaya)」の見学をこれからしていきます。
ここがそんな古代紀元前3世紀に造られた、仏教寺院関連の入口である。
スリランカでの仏教施設では、このように靴を脱いで預ける必要があるのじゃ!
そして大体の場所では靴を預ける場所には係員がいて、”靴を預ける費用”が発生するのである。ちなみに今回のツアーでは度々仏教施設を訪れるので、その際に靴代を個別に払うのは面倒なので先払い(トイレ代込み)で370ルピー(約220円)を現地ガイドさんに渡した。
スリランカに仏教を伝来したインドのアショーカ王の長男であったマヒンダ王子は、本来ならインドの王を継ぐ座にあったのだが、母親の位が低くて王になる事は認められなかったという。そして彼も王位を継ぐつもりもなかった為に、スリランカに居場所を求めて旅立ったのではと考えられている。
それとマウリヤ朝のアショーカ王(Ashoka)はインドのみならず、周辺国に仏教を普及させた一番重要な人物である。彼は祖父であるチャンドラ・グプタがインドを統一した後に、彼の代で東南海岸のカリンガ王国を滅ぼして南インドも統一した偉大な王様。
アショーカ王はカリンガ王国を滅ぼした時に10万人にも上る人々を虐殺した。しかし後に自分の行った行為に対して後悔の念に駆られて、王に即位後7年目に仏教徒となった。そしてインドの国教として仏教を選び、全国に普及していく。そしてそれはインド国内には留まらず、東アジアやスリランカは勿論、ギリシャまで及んだという。
過ちを犯してその間違いに気付いた時に、どういう行動をするかが大事じゃ!
そんなインドからやって来たマヒンダは、狩り中だったスリランカのデヴァナンピヤ・ティッサ王と出会い、仏教を伝来した。これは紀元前247年の6月の満月の日とされていて、その日は”仏教伝来の日”(ポソン・ポヤ・デー:Poson Full Moon Poya Day)と今でも祝日となっている。
ちなみにスリランカでは毎月満月の日はアルコールを飲むのが禁止されています。どうしても飲みたい人は前日までにアルコールを購入しておきましょう。
この敷地を入った直ぐは芝生が少し生えた土ですが、ここも当然靴を脱いでからしか入れない場所です。ただこの辺りはいいのですが、岩の上を歩く場所は直射日光により地熱を持って岩が暑くなっているので、汚れるのを覚悟で靴下を履いておいた方がいいのである。
できれば使い捨て感覚の靴下を履いてきた方がいいようじゃ!
イスルムニヤ精舎敷地内の景色 動画
そんな敷地内には、小さな池が見えます。これは貯水池ではなく、汚れた体を清める沐浴する場所だという。
先には別の日本人団体がやって来ていた。このスリランカを訪れた2月上旬は中国人団体観光客が出国禁止になっていたので、全然中国人観光客をスリランカで見かける事は無かった。普段だと多くの中国人観光客が来ているそうだ。
本堂のある階段にも、それぞれの段にこのような装飾がされていて、なかなか芸が細かいスリランカである。
こちらが階段を登った上にある本堂で、この中には仏像が置かれています。日本は神道&仏教の教徒が大多数を占めているけど、専門職のお坊さん以外だとあまり仏教については詳しくはないと思う。
日本ではあまり知られていないけど、仏教国では仏像の前で写真を撮る時に禁止されている行為がある。
①仏像と一緒に写真を撮る際は、ピースなどのポーズはNG
②仏像に背を向けての記念写真はNG
観光する際はちゃんと現地のルールを守ろうね!
というのもその行為が仏様に対して”失礼な行為”に当たる為である。でも仏像自体は普通に写真を撮っても問題はないけど、近くに仏教徒で熱心に祈っている人達も居るので、その人達の邪魔にならないように写真を撮らないといけない。
スリランカでもお参りする際には体の前で手を合わせる。日本では合掌となっているが、厳密には蓮花の実をイメージしたようにちょっと膨らみを持たせるのがポイントである。
スリランカのこのような寺院では、その多くに献花台が設置されていて、信仰深い人達はここにお花を置いていた。
このアヌラーダプラの街は紀元前4世紀から11世紀までスリランカの首都となっていた。しかし南インドから侵略してきたチョーラ軍の攻勢の前にアヌラーダプラの街を手放し、ポロンナルワの都市に逃げる。そしてそのタイミングでポロンナルワに遷都された後は、約900年間に渡って表舞台から姿を消し、人々の存在から失われてしまうのであった。
実に紀元前3世紀に造られたイスルムニヤ精舎だけど、近年に再建されたこの建物。
下を見ると何やら”マジシャン会長オジサン”が左側を指差している。
そんな沐浴スペースの端には、コインが投げ込まれている場所がある・・・ではなく、その周辺の岩に象の彫刻が彫られているとの事。
ここからはよく見えないけど、ここに3匹の象が彫られているという。大昔から存在する象だけど、人間の起こす環境破壊によりスリランカ象はここ100年間の間に大きく生存数を減らすのである。
そんな岩の上にもよ~~く見ると彫刻が彫られているのが見える。こちらは雨を降らす神様「パッジュンナ」が彫られているそうだ。
無造作に外に置かれていた靴だけど盗まれないのか、ちょっと不安になる。一応係員みたいな人が居てるので、大丈夫だったけども。
こちらの建物内には大きな寝釈迦像が置かれていて、壁には絵が沢山描かれているらしいが残念な事に改装工事中・・・。ちなみにこの改装工事に費用を払っているのは、日本人なら知っている、あの浅草寺なのである。
なんでも浅草寺の五重の塔の最上階には、1966年にこのイスルムニヤ精舎から送られた仏舎利(お釈迦様の骨)が安置されているという。その関係もあって出資しているようだ。
スリランカでは仏教の影響で、至る所で菩提樹を見る事ができる。ちなみに今回は植物について博識を持っている方がいらっしゃったので、近くに居てると「これは〇〇〇だよ!」とか教えてくれた。
岩の上にはストゥーパ(stupa)と呼ばれる仏塔が見える。古代インドから伝わったもので、涅槃(ねはん)の境地を象徴する高い建物となっている物で、中には仏舎利が保管されているという。
イスルムニヤ精舎内の博物館内にて
大きな寝釈迦像は改装工事中で見れなかったけど、横にあるこちらの博物館には入れるとの事。
こちらは王族ファミリーの像があり、6~8世紀に造られた物のようだ。真ん中に見える大きな人物は紀元前161年~紀元前137年の間、シントラ王だったドゥッタガマーニ(Dutugamunu)で、シントラ王朝の中でも特に偉大な王とされている人物。一時このアヌラーダプラの街が南インドのタミル人:エラーラ王に支配されている時期もあったが、ドゥッタガマーニ王の時代に取り戻した功績があり、今でもシントラ人の間では英雄視されている。
そしてこの彫刻で有名な話があり、そんな偉大な王であったドゥッタガマーニ王の息子であるサリーヤ王子がある少女と恋をした。しかしそんな彼女は当時カースト制度があったスリランカでは、最も低い庶民の位であった。そんな位の低い彼女との結婚を諦めるように、息子に迫った偉大な王であったドゥッタガマーニ王。しかしその息子サリーヤ王子はそれを拒否し、合わせて王位も拒否したのである。そして王位は結局息子に引き継がれなかった。
だが後年彼女との結婚を渋々認めたという話もあり、そんな話に伴いこのように一緒の姿が彫られたとされているのである。ちなみに王の左側に座っている2人がそのサリーヤ王子とその奥さんだという。
よくある、王子による駆け落ち話である。当時はカースト制度真っ最中の時代でも、生まれた家柄は関係なく愛を貫いたサリーヤ王子の行動は個人的に正しかったとは思う。
結局日本から遠い国も昔から、人間らしい泥臭い、同じような生き方をしていたというのが理解できる場所でもある。
ただスリランカでは伝統的にお腹周りがぽっちゃりとした女性が綺麗とされている。
こんな旅はまた次回に続きます!
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