九州縦断旅:大分編
旅行期間:2020年8月中旬
サンドイッチ型城下町
さて大分県に入り宇佐神宮から始まる神社や寺巡りを終えた後は、案内してくれている”エロ坊主オジサン”から”変わった武家屋敷&城下町”の形をしているという杵築市に連れて来てもらった。
住所:大分県杵築市南台 or 北台
【観光施設:入場時間】9時~17時(最終入場は16時30分)
【杵築城を含む7施設の共通入場券】 大人1200円 中学生まで600円
杵築(きつき)市の武家屋敷&城下町にて
車は近くの杵築ふるさと産業館の無料駐車場に置き、その「サンドイッチ型城下町」と呼ばれる武家屋敷群へと向かいます。武家屋敷は鹿児島県にある出水麓武家屋敷群跡や知覧武家屋敷群などを見ていたので、「今更武家屋敷なんて見ても・・・」と心の中で思っていた頃合い。。
番所の坂を登る
この杵築地方には杵築城もあるけど、再建された城は全国どこでも似たような物だけど、ここ杵築の武家屋敷&城下町の形は全国ここだけだそうだ。
だから城より敢えてこの武家屋敷&城下町を見て欲しいのよ!
この杵築の武家(侍)屋敷は高台に造られており、主に北台と南台の2か所の高台に造られている。上り坂の脇には石垣が造られており、攻め込まれた際の守りを固めていた事が伺える。
番所の坂を登ると、その名前の通りに番所らしきゲートが見えてきた。昔はこの高台にある武家屋敷に出入りする番所が6か所設置されており、その出入りは役人で固く見張られていた。なので下に住む商人などが自由に高台の武家屋敷群へ出入りするという事が出来なかったようだ。
昔はこの番所は今みたいに坂の上ではなく、坂の下に設置されていたという。今の時代ではず~~っと24時間、この柵は開いているが当時は夜になると閉められていたという。
北台武家屋敷群にて
そしてその番所の坂にあるゲートを抜けると北台武家屋敷ゾーンに入る。ここ杵築ではこの北台と南台の2か所に武家屋敷が造られている。
ただ武家屋敷群って言っても、現代的な建物も混ざってんちゃうの・・??
いや、ここの武家屋敷群はなかなか立派やけ!
そして目に入ってきたのがこちらの大きな、昔の屋敷風な外観をしている幼稚園。鹿児島で見た武家屋敷群は純和風な建物の隣に殺風景な現代の建物があったりしてガッカリだったけど、この杵築武家屋敷群は外観だけは何とか昔ながらの武家屋敷群のイメージを維持できているように感じれた場所だった。
まあ流石に現代は21世紀なので、この武家屋敷群に車などの車両乗り入れ禁止などの処置はされていなかった。ここが完全に観光地であれば車両の完全進入禁止にしても面白いかもしれないけど、武家屋敷群といえどもここで住んでいる人達もいるのでそれはなかなか難しいようだ。
こちらから見える坂は、この杵築城下町を代表する2大坂である。奥の高台は南台武家屋敷群でそこから写真真ん中に下る坂が「志保屋の坂(塩屋の坂)」、対する手前の下に向かって伸びる下り坂が「酢屋の坂」である。そしてこの坂の名前からしても分かるように、奥の南台武家屋敷群と手前の北台武家屋敷群の間に、低地にある商人たちが暮らす町が造られているのだ。
この南北の高台にある武家屋敷群の間に挟まれた、低地にある商人町。これが食べるサンドイッチ・・・ではなく、武家屋敷群に挟まれたという形で”サンドイッチ型城下町”と呼ばれる由縁なのである。
全国に沢山城下町はあれども、このサンドイッチ型城下町はここだけなんよ!
ただここからその”サンドイッチ型城下町”の説明をされても少しピンとしない感じだった。だけど後で下の商人の街に降りて、更に反対側南台の武家屋敷群からの街の景色を見ると、その”挟まれた城下町”の感じがよく理解できると思う。
ただ武家屋敷といっても古来の純和風的な家ばかりなので、それらの建物自体には日本人は見慣れているのであまり興味が出てこない場所かもしれない。だけどここでしか見れないものもあるかもしれないと、一応期待しながら見回る事にする。
この武家屋敷群にはこのような家でも5か所が有料施設となっている。この大原邸は大人300円子供150円の入場料になっている。なおこの武家屋敷群&杵築城に入れる共通入場券が割安で販売されているので、もし沢山の有料施設を見学した人はその共通入場券を購入した方がメリットがあると思う。
杵築市の有料施設7か所をそれぞれ単体で購入すると大人1750円が、この共通入場券を購入すると1200円になるとの事。
またそれとは別に着物を着て来た人は入場無料というイベントを行っている。杵築市の城下町にある「レンタルきもの和楽庵」では事前予約が必要だが、着物レンタル&着付けが1人3000円で行える。カップルなら割引とかもあったりして、せっかくの武家屋敷群見学を楽しむのに着物レンタルしてもいいかもしれない。
この日も数人が着物姿で、城下町を散策している姿を見かけましたよ!
この大原邸は有料施設の中でも高い部類の300円の入場料設定だけあって、杵築藩の上級武士が住んでいた場所らしい。美しい茅葺屋根や広い庭にある回遊式庭園など、この大原邸は大分県指定有形文化財に指定されているだけあって、その高い入場料も納得の場所みたいだ。
だけど同じような武家屋敷は見た事があるので、ここはパス・・・
そんなケチケチしていると、大事な事を勉強できずに見過ごすけ!
この杵築市にある武家屋敷群は「杵築市(北台/南台)伝統的建造物群保存地区」として、2017年に重要伝統的建造物群保存地区に認定されている。
厠にて
そしてそんな特徴的な城下町で約20分ほどのフリータイムとなる。何回も見た事のある杵築市武家屋敷群を今更見ても仕方ないという”エロ坊主オジサン”は、この厠(トイレ)で休憩するとの事。
この厠(トイレ)がある建物も一応武家屋敷跡で、純和風の日本家屋になっていて、靴を脱いでだが屋敷内を自由に見回る事で出来るようになっていた。なので他の所に入場料を払って入らずでも、武家屋敷を体感できるように思える場所でもある。
さて今日は朝から運転ばかりだったので少しお疲れだったのか、死んだ蝉みたいに裏返しになって床の間に横たわる”エロ坊主オジサン”。
意外と面白い寝方をしていたね!
ここで寝てたら蚊に咬まれてしまって、痒いけ~~!
この厠の敷地内にはこのように手入れされた松などが植えられているので、無料のトイレだけしかない場所と侮る勿れの場所である。
磯矢邸にて
トイレを済ませて歩き回っていると、また別の武家屋敷が見えてきた。こちらは「磯矢邸」という、1816年頃に建てられた藩主などの休憩場所としての役割があった為に茶室や寛げる室内が現存しているという。
ここも先程の大原邸と同じように入場料は単体だと300円が必要な場所。なのでここもその値段だけ見ると、それなりにお金を支払って中を見学してみる価値があるのだろうと推測する。
このように有料施設前にはそれを示す看板が置かれている。足元には着物を着ると入場料無料との書かれている。これをする事により城下町に日本古来の着物姿の人が増えると、よりこの城下町が日本らしいものに見えてくるのでこの「着物だと入場料無料」というのはグッドアイデアだと思う。
能見邸(台の茶屋)
そんな有料の磯矢邸も残念ながらパスして歩いていると、また別の武家屋敷が見えてくる。こちらには「台の茶屋」との看板があり、ここでお茶が楽しめる場所のようだ。
ここは杵築市の藩主であった松平家の出身地である三河の能見の場所を姓にした、第5代杵築藩主の9男が住んでいた家だそうだ。平成20年から2年かけて保存解体修理を行い、今ではその武家屋敷内でカフェやお土産を置くスペースまで造られているそうだ。
「武家屋敷はあまり見る気が無いから・・・」と言ってた割に、入場料無料の看板に引き寄せられるように門をくぐってしまう自分がいた・・・・。
やっぱり無料の文字のパワーは凄いね!
この能見邸は敷地面積が1440㎡もあるだけあって、とても庭が広い造りになっているお屋敷だった。まずは入口から立派な松がお出迎えしてくれる。なお建物の中からは歴史ある日本家屋の中でお茶を楽しんでいる女性グループの、楽しそうな声が聞こえてきている。
さっき外の壁越しに見えていたバナナの葉が、この屋敷にあったものだった。日本で売られているバナナは実に99.9%以上が輸入物だけど、チラホラとこのようなバナナの葉っぱが生い茂っている光景を目にする事がある。ただ実際に実がなるか、それが美味しいかは不明であるが。
このお茶屋である能見邸の中で、着物姿に身を包んで純和風を楽しむ一団の姿と楽しそうな声を把握しつつ、その広い庭を1人散策する。やっぱりこのような城下町は普通の服で散策するよりも、着物を着て散策すると一段とテンションが上がるのであろう。
さてそんな茶屋でお茶を飲む訳でもなかったので、冷やかした後に”エロ坊主オジサン”が休憩していた厠を除くと、縁の下で完全に熟睡モードに入っているように見える”エロ坊主オジサン”が横たわっている。もし他の観光客の人がこのオジサンが横たわっている姿を見つけたら、「もしかしたらこの人、死んでるんじゃないの?!」と間違われそうな感じだった・・。
いや~~気持ちよく寝れたけ~!ただ蚊に足を刺されて痒い・・・
商人の町に降りる
さてそんな眠れる獅子を起こさぬように忍び足で厠から出て、サンドイッチ型城下町の高台に挟まれている商人達の町へと降りて来てみた。この辺りには江戸時代から続く商店がいまだに残っていたりと、歴史ある建物だけではなく、その商売も伝統を引き継いで継続しているお店もチラホラと存在しているようだ。
この商人の町は見事なまでに平地部分に造られていて、完全に高台の武家屋敷と隔離されている。下手に武家屋敷群の中に商店がチラホラあるよりも、このように専門店街のように分けられている方が侍や商人達にとって住みやすかったのだろう。
こちらの坂は北台武家屋敷群と商人の町を繋ぐ「酢屋の坂」。整った綺麗な坂道だけど、今は見られないが昔はここにも番所があって常に通行人は監視されていた。それとこの「酢屋の坂」という名前の由来は、この辺りで商売を営んでいた1人の商人に由来するという。
そんな「酢屋の坂」と相対する、商人の町から南台武家屋敷群に繋がるこちらの坂は「志保屋の坂(塩屋の坂)」と呼ばれている。これらの坂道の名前の由来となったのはこの辺りで酒屋を営んでいた塩屋長右衛門が、南台の坂の下で塩屋を営み繁盛させ、その次は北台の坂の下で酢屋を営み、これまた繁盛させた為にこのような商店の名前が付けられているんだとか。
南北高台武家屋敷に繋がる坂道 動画
南台武家屋敷群側にて
商人の町を一望した後は「志保屋の坂(塩屋の坂)」を登って、今度は南台武家屋敷群側に登ってみた。この辺りからだと少し高台になっているので、この周辺の杵築市のサンドイッチ型城下町を見晴らすことができそうだ。
そしてこんな城下町があるという事は、この近くにお城があるという事。その通りで東側に小さくお城が見えて、こちらは杵築城で室町時代に当時の有力者であった木付氏によって造られたのが起源。なおこの杵築という地名は元々はこの木付(きつき)氏に由来しており、18世紀初頭に幕府の朱印状に「木付」ではなく間違って「杵築」と記載されていた為に、この地方の名前を杵築に改めたという。
最近日本各地を旅するうちに足元にあるデザインマンホールに目が行くようになってきた。それぞれの地域の特性が顕著に表されているので、マンホールを見ているだけで勉強できる事もある。そしてこの杵築市ではなぜかカブトガニのデザインになっていたが、ここ杵築の守江湾は干潟地となっていて、昔は瀬戸内海や北九州などでよく見られたカブトガニが今ではこの辺りか佐賀の伊万里湾などでしか見れなくなっているという。
このカブトガニは恐竜が存在していた約2億年前から形を変えずに未だに生息しているので、シーラカンスと共に”生きた化石”と呼ばれている。しかしそんな長い歴史を生き抜いてきたカブトガニも、ここ200年の人類による横暴の影響で絶滅の危機に陥っているそうだ。
高台から杵築の城下町を眺める 動画
このように高台から眺めると、見事に南台側と北台側の武家屋敷の間に、低地にある商人の町がサンドイッチされているのが見て取れる。”サンドイッチ型城下町”と聞くと、食べ物のサンドイッチを連想してしまったけど、このように挟まれたという意味のサンドイッチ城下町であった。
しかも武家屋敷と商人の町を繋ぐ坂道はそれなりに急傾斜となっている。武家屋敷は守りを固める意味でも高地に造ったのだろうけど、商人は重たい商品を担いで上まで登るのも一苦労だっただろう。
そしてそろそろ集合時間が近くなってきたので、初めにいた北台武家屋敷側に戻るとする。すると「酢屋の坂」の上で”エロ坊主オジサン”が待ち構えていた。ただそんな”エロ坊主オジサン”は下から登ってくるボクに気付いていなくて、同じような赤い服を着たお兄ちゃんが近くに居て、それをボクだと思い込んで喋りかけていたそうだ・・・。
いや~お主に似てたんでな~~思わずそう思い込んで喋ってたよ~~!
こんな旅はまた次回に続きます!
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