九州縦断旅:熊本編
旅行期間:2020年8月中旬
いつまでも耐える角石
さて熊本城本丸内での特別見学通路(有料ゾーン)から見渡せる景色を楽しんで、熊本城を後にしようと思っていたら、通路に立っていた係員さんから教えてもらった”角石”で未だに耐えて立っている建物があるというので、熊本城敷地の西側にある二ノ丸公園の方へとやって来ました。
熊本城敷地内にて
この二ノ丸公園には昨日も熊本城を見に来た時にやって来たけど、そんな足元の石垣が崩れながらも角に敷き詰めた角石のみで耐えている建物など見なかったけども・・・と思いつつも、何人かの係員さんに聞いたら「二ノ丸公園の北西側から見られるよ!」と教えてくれたので向かう事にする。
この二ノ丸があった場所は今では広場となっており、「二ノ丸広場」や「熊本城公園」とか呼ばれる場所となっている。そしてこのように大きなクスノキなどが生えており、自然豊かに感じる気持ちいい場所でもある。
この二ノ丸広場のある本丸の西側の場所は、昭和前半までは陸軍の兵舎などが立ち並んでいた場所でもある。しかし第二次世界大戦での敗戦を受けて、それらの施設はどんどんと撤去されていき、今ではそんな名残もないような綺麗な緑色の場所となっている。
戌亥櫓にて
そして二ノ丸広場を内堀沿いに北の方に進んで行くと、向こう側で塀が崩れているのが見えてくる。まるで地滑りのような崩れ方をしている塀だけど、土砂の上には雑草が生えているようにも見える。熊本地震で崩れたのは約4年前でとりあえずそのまま放置しているので、そんな崩れた場所にもチラホラと生命力の強い雑草が生えてきているようだ。

本当に雑草はひと夏の間で、ビックリする位に成長するからね!

植物の生命力を舐めたらイカンばい!
そしてそんな崩れた塀の先に回り込むと、なにやら櫓のような建物が踏ん張って立っているのが見えてくる。これが「戌亥櫓(いぬいやぐら)」で、加藤清正が熊本城主だった時代に造られた建物を平成15年(2003年)に復元して再建されたものである。
昨日のこの辺りを歩いたけど、もっと城寄りの内堀の中を歩いたので、逆に反対側から戌亥櫓を遠くから眺めていたのだった。
北側の方から眺めてみると、確かに戌亥櫓の北側の石垣真ん中部分がエグれているように崩れているのが見える。このような石垣は外側には大きな石が嵌められているけど、内側には小さな石が緩衝材的な感じで詰められていて、大きな衝撃などをクッション代わりに吸収するシステムとなっているようだ。しかしそんな衝撃が震度7とかの強大なパワーだと受け止めきれずに、このように破裂したように真ん中部分から崩れてしまうそうだ。
この戌亥櫓は加藤清正時代に元々は造られたものだが、明治時代になって廃藩置県が行われて廃城令なども出て、この熊本城は陸軍の管理下に置かれた。すると陸軍の責任者は邪魔な建物などを解体して、もっと城内を使いやすいように改造した。その際にこの戌亥櫓や未申櫓と共に西側の出丸の石垣自体も撤去されてしまった。
その明治時代に撤去された西出丸と共に再建された戌亥櫓と未申櫓は、約100年ぶりにこの場所に復活したのである。だけど平成の時代になって再建された建物(石垣含め)であるので、「さすが清正時代の石垣!」という感じで声を出せる建物ではないのである。しかし平成時代に再建された石垣も、そんな昔の技術を継承してきた石積み職人たちが築いた立派な石垣であるという事を証明している戌亥櫓でもある。
「もうちょっと近くから戌亥櫓を見たいな~~!」と思っていたら、本丸の北西側の内堀跡に降りれるようになっていた。一応近くにいた係員のオジサンに聞いてみたら、下に降りて戌亥櫓を見る為にこのように造られている場所だった。
下から見ると確かに迫力がある、角石で支えられている戌亥櫓。既に”奇跡の一本角石”とも呼ばれた飯田丸五階櫓はさっき写真で見たけども、結構下の石垣が崩れて不安定だったけど、この戌亥櫓はまだ比較的安定してそうに見えるのでまだこのようにそのまま金網も無しに放置されているのだろう。

ただこの戌亥櫓だけ見ると、簡単に崩れそうにしか見えないのだけども・・・

コイツは簡単には崩壊しないばい!
この戌亥櫓は元々は本丸の北西側を警備する建物である。高い石垣の上に造られているので、遠くまで見回せたハズだろう。
このように崩れ落ちそうになっている戌亥櫓の結構近くまで立ち寄る事が出来て、これはとても感激した。崩れないと思っていた城の石垣がこんな風になっていて、逆に石垣が崩れてもこのように角の石が支えとなって重たい建物を支えているのを生で見れるとはとても感激である。

城が修復されたら、こんな角石が支える光景は見れんばい!
二ノ丸広場横に造られていた売店では、”熊本城の特別見学通路の完成記念”としてそのデザインの麒麟ビール缶が販売されていた。お土産用のパック売りだけではなく、勿論冷やされた缶ビールも販売されていて、この暑さの中で冷えたビールを飲むのは最高に気持ちがいいけど、「まだビールを飲むには早い!」と我慢する事に。。

まだ辛子蓮根にありつけてないから我慢ばい!
そしてその売店内には熊本城の復旧工事についての本が3冊置いてあって、それ以外にも地震前に見学可能だった天守閣や本丸御殿内の煌びやかな景観が載っている本もあったけど、最終的に吟味して選んだのはこちらの熊本城についての歴史が綴られている字がメインの本。

この本を読んで得た知識を、ブログに活用させていただきました!
桜の馬場 城彩苑の「わくわく座」の見学
そんな奇跡的に現存しているかのように見えた戌亥櫓を見物した後は、特別見学通路との共通券を購入した、桜の馬場 城彩苑の「わくわく座」という資料館を見学する。ここは勿論屋内なので冷房が効いており、さっきまで炎天下の下に居た為に火照っている体を休める為にも休憩がてらに立ち寄る。
そんな「わくわく座」の入口で検温をしてから入ると、まずは加藤清正の人形が虎を抱えた状態で出迎えてくれます。片手に持った虎は”虎退治”でも有名な話もあっての事だけど、頭に被っている長帽子の正面にある丸い場所には加藤清正が熱烈な信者だった日蓮宗の「南無妙法蓮華経」といった念仏が描かれていたそうだ。
こちらの城の模型は江戸時代から未だにその造りを残している、重要文化財(昔の国宝)にも指定されている宇土櫓である。この建物は江戸時代からそのまま解体される事もなく、かつ明治10年の火災でも焼失する事なく、今日まで約400年間に渡って熊本城内に君臨する第3の天守閣的存在でもある。

熊本城の施設の中でも、復旧されれば一番に入ってみたい建物です!
約4年前の熊本地震で被災して崩れた石垣。しかし全てマイナスの事ばかりではなく、崩れたからこそ初めて分かる石垣の構造だったり、使われていた石垣の岩の詳しい調査が出来る貴重な機会でもあるのだ。

だから失ったマイナス面ばかり見るのではなく、得れるプラスな点にも目を向けよう!

さすがポジティブで前向きな男の意見ばい!
こちらの石はそんな熊本地震があったからこそ発見された貴重な石で、裏側に面白いものが描かれているという。
その崩れた石垣の岩の裏側には、このように人型の絵のようなものが彫られていたそうだ。現代人からすると某番組の”絵心の無い芸人”で出てくるような人を描いた絵にも見えるけども。。
こちらにある説明板では「丈夫な石垣になるようにと、石工が願って彫った」とされているけど、これは単なる想像でしかない。人手が足らない石工が数合わせに息子を連れてきて、その息子が悪ふざけをしてこのような絵を彫ったとも考えれる位に人の絵が幼稚にも思えるが・・・。
そしてこちらには熊本城に1960年に再建された天守閣に取り付けられていた瓦が、熊本地震の際に落下したものである。この熊本城天守閣が再建される時も予算が無くて熊本市民に寄付を頼みこみ、高額寄付者の名前をこのように瓦の内側に記すというような努力で最終的には見事天守閣が再建される運びとなった。
こちらの映像シアター室では、今回の地震によって崩れた熊本城に関する内容となっていた。崩れてしまった熊本城を嘆くよりも、新しく生まれ変わる様を見守って欲しいというような強い熊本であって欲しいと思う。
そしてこちらは江戸時代に行われていた参勤交代の様子を再現した模型が飾られている。今思えばこの参勤交代というシステムはよく出来たもので、江戸時代が約300年近く存続したのもこのような各藩に余力を溜めさせないシステムがあったからかもしれない。
今まであまり江戸時代には興味を示していなかったボクだけど、国内旅行しかできなくなった2020年は江戸時代~明治時代~昭和初期の時代に関して、とても興味が出てきた頃合いだった。勿論それにはそんな関わりのある事件などが起こった場所を訪れたのが原因でもあった。
そんな参勤交代に興味を抱いたのが、この2014年に映画公開された『超高速!参勤交代』という佐々木蔵之介主演作品の影響で、2015年の「第38回日本アカデミー賞」最優秀脚本賞/優秀監督賞/優秀主演男優賞に輝いた作品である。実はこの参勤交代というシステムは地方の藩を疲労させる浪費メカニズムで、大大名程に多くの配下を引き連れた派手な参勤交代を行わないといけなかったようだ。しかし貧乏藩からすると、ただでさえお金がない中でも周囲の目を気にして派手に見せるという苦悩が描かれたコメディータッチの笑える映画であった。
映画『超高速!参勤交代』予告編 動画
まだ江戸に近い藩ならいいけど、九州にある藩は江戸までの参勤交代は基本歩きで1か月以上を掛けて多人数で出向いていたという。今では全く無駄に見える行為であるが、その参勤交代の行列が通った道が街道となり、また途中に泊まった宿場などが栄えていく事になる。
逆に考えるとそれだけ無駄な大名行列をせざるを得なかった、当時の江戸幕府が強大な力だったというのが分かる。しかしそんな江戸幕府もしっかりと終焉を迎える日が来るのである。世界各国の歴史を見ても、必ず長期政権になればなる程に綻びが出来る。平家物語でも有名な下りの『盛者必衰の理をあらはす』にもあるように、地球上ではどんな優秀なシステムでもあっても時間が経つと崩壊するようになっているのだ。

この地球上では面白いように、この法則が何にでも当てはまるのです!

いや、辛子蓮根だけはいつの時代の人々にも愛される味ばい!
こちらは戦国時代の成人男性の平均身長が低かった時代に、ゆうに1m90cmを超えていたという加藤清正の等身大パネルである。ただ昔の武将の逸話はその勢力の文章書きが担っていて、大将の事を悪く書く者はおらずに良いようにしか書かなかったので、本当にこれだけ大きかったというのは??であるが。

もし本当に大きかったら、こんな長帽子なんて被る必要もなかったように思うけども・・・
こちらは熊本城内の模型が置かれており、そこにスポットライトが当たってそれぞれの建物について説明してくれるという優れもの。今ライトが当たっているのは昭和になってやっと再建された、全国的にも珍しい大小ある天守閣。
全国には沢山城や城跡が残っているけど、それぞれに同じ城の造りに見えてしまうけど、細かく見るとその城を築いた支配していた人間の特徴が出ている。それに気付ける位に興味を持って城を見ると、単なる城がとても面白い城に見えてくる。
今回の熊本地震によって崩れてしまった石垣もあるし、崩れなかった石垣もあるし。そして外敵の侵入を防ぐのに効果があった石垣もあるし、あまり効果が見られなかった石垣もある。石垣1つを取っても、外敵の侵入を防ぐのも大事だけど、このような地震で崩れない構造も大事である。

一概にどちらがいい石垣とも言えないので、難しいのである!
こちらには明治時代初期のまだ天守閣が現存している頃の写真を基にした、再現画像が映されている。まだ城としての機能が保持されていた時代のものである。ただし江戸時代には内戦がほぼ無くなっていたので、その城の機能が活かされる事がなかったのが勿体ないのではあるが。
そしてこちらは現代の熊本城付近の景色である。一度は取り壊された建物や石垣などを再現して造り直した為に、あまり大きな変化には見えないけど、現代になると背景にはビルなどの大きな建物群が見えるし、緑がより一層増えているようにも見える。
こちらは本丸御殿の下にあった「闇り通路」である。ここは外敵がここまで侵入してきたら、この暗い空間を生かして外敵の侵入を阻むという防御システムを兼ね備えていた場所である。

というようにお城の建物全てには、有事の備えが必ず用意されているのである!
江戸時代に立派な城を築いたハズなのに明治時代になって、そんな立派な城を廃棄した日本人。しかし現代になってまた昔の城の様子を復元するという、他から見たら意味不明な日本人の行動のように見える。ヨーロッパでは昔ながらの景観や建物を維持する事に努めているので、それらの国からすると本当に変な事をする日本人にしか見えないのかもしれない。
さて熊本城内の桜の馬場にある「わくわく座」での資料などを見学した後に、熊本市電の1日乗車券を500円で購入する。こちらの熊本市内を走る市電は、乗車区間に関わらず一律大人:170円 子供:90円。なのでこの1日乗車券を購入して、元を取ろうとすると最低3回以上電車に乗らないといけない。

一応3回以上乗る事を視野に入れて、購入してます!
そしてよくある1日乗車券のシステムで、このように使う日付の場所を削るタイプの乗車券であった。今のIT全盛下でもこのようなアナログな乗車券が重宝されているようだ。
そして熊本市電の乗り場が見えているけど、その奥に見える高い建物にまずは用がある。というのもある程度の街中にある観光地近くには県庁や市庁舎があって、その上階が展望台となっている建物が多い。そしてそんな建物の展望台は入場料金が不要でそれなりにいい場所に建設されているので、意外と良い景観を見下ろせる穴場スポットなのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓九州縦断旅行記:初回↓↓
