九州縦断旅行記(秋)2020年-㉝
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Visiting the main shrine of Yutoku Inari Shrine, then heading for the inner sanctuary on top of the mountain!)
豪華な御本殿!
ここは佐賀県でも南側にある鹿島市に造られている、鍋島氏が造った「祐徳稲荷神社」。日本全国に多く造られている稲荷神社の中でも日本三大稲荷にも数えられており、更には九州にある神社の中でも2番目に参拝客が多い程に人気な神社となっている場所でもある。
ここを訪れた時期は境内から15m上に造られている御本殿まで登る階段には、このように風鈴が取り付けられていたので、ここにいるだけでその綺麗な音色を聴いて心が休まる感じになれた。
ちなみにこの風鈴は1個500円で、短冊に願い事を叶えて設置できる物なので、この祐徳稲荷神社のしっかりした商売感覚が垣間見える風鈴でもあった。所詮神社と言えども収入が無いと運営が出来ないので、何かにつけて御利益があると説明して、その対価としてお金を得る事に注力している神社が多い。
ボクはアチコチを写真や動画に撮ったりしているので中々前に進まないけど、旅行先では一切写真を撮らないエロ坊主オジサンが、上で待ちきれないような顔をしてこちらを見ているのが分かる。1回の旅行で数千枚もの写真を撮るボクからすると、記憶代わりに写真を撮っているので、スマホで写真を撮るという事は瞬きしている事に近い感覚。しかし全く写真を撮らないエロ坊主オジサンからすると、なかなか先へ進めないので内心イライラしていたのかもしれない。
最近の若いヤツは、目で見て記憶する事しないからダメだね!
この祐徳稲荷神社では15mの高さにある本殿までは階段を登らざるを得ないけど、途中からバリアフリー化も兼ねてエレベーターが設置された。しかしそんなエレベーターもこの祐徳稲荷神社では、300円という利用料が必要だという。しかしそんな300円の利用料を払ってでも、エレベーターを利用する人は結構いるそうだが。
祐徳稲荷神社の御本殿にて
そして下から約15m登ってきて目に入ってくるのが、こちらの御本殿。なお今見られる御本殿は3代目の建物となっていて、1957年に再建された物で御神楽殿と同様に総漆塗りとなっている。
漆というのは昔の日本ではとても高価で重宝された物。今では漆塗りの器などで目にする機会が多いけど、その漆の原料がどうやって入手されているかは一般的にはあまり知られていない。というのも漆の原料は漆の木から採れるのであるが、その漆の原料は漆の木の血(樹液)なのである。
漆の木も人体と同様に傷つけられると、その傷口を塞ぐ為に樹液を出して、その傷口を固めようとする。その習性を利用して漆の木に傷をつけていき、徐々に流れ出してくる樹液を回収するという、人間でいえば拷問して血を搾り取るようなやり方なのである。
そしてその漆の原料の採り方が残酷なのは、いきなり大きな傷を漆の木に与えるとショックで樹液が出てこないので、最初は小さく傷をつけて傷に慣れさせてから徐々に傷口を大きく刻んでいくという。そしての漆の樹液は、一旦ある程度樹液を回収してから傷が癒えるのを待って回復させてまた採るのではなくて、一気に樹液を回収して木が枯れてしまうやり方が基本的なのである。
漆の木は一般的に成熟するのが12年前後掛かるそうだけど、約12年掛けて育った漆の木から採れる漆原料は茶碗1杯分程。だからそれほどに貴重な漆だったので、昔の人達は漆が塗られた製品を重宝していたのである。
またそんな漆の樹液は一度固まると、酸を掛けても塩やアルコールなどを掛けても分解されないので、紫外線を例外とはするものの、器などの外観を漆で塗ると基本的には劣化しない。実は地球上で最も硬いとされているダイヤモンドでも、それを溶かす「王水」(濃塩酸と濃硝酸を交ぜた物)という物には負ける。しかし漆にそれを塗って実験をしてみた所、そんなダイヤモンドさえ溶かす液体にも耐えたという。
それだけにとても重宝されていた漆が、とても豪華に使われている御本殿。そしてお賽銭箱には佐賀藩を治めていた鍋島氏の杏葉紋が取り付けられているのが見える。
この本殿がある場所は15mの高さにあるのでそこそこに見晴らしがいいけど、ここからだと周囲にあまり見える建造物や特徴的なものが無い為に、あまりパッとしない景色が広がっているが。。
それにしても扉などにも金が使われていて、とても豪華な扉や内装となっている本殿。このような内装を見ていると、かなりの儲けがある神社としか、思えなくなってしまう。。
本来は神様へのお賽銭という事で神社にお金を落としていく参拝者だけど、神社側からしたらそのお金が貴重な収入源で、それを神様の為にもなるように、このような豪華な内装の装飾にお金を使っていくのだろう。
個人的にはこのような金キラな内装が神々しいとは全く思わないけど、世界中の人々は仏陀の像を金箔で包んで黄金色の像を造ったり、内装が金だらけのキリスト教会を造ったりと、金色を神様の威光と同じように感じて有難がる節がある。
そしてそんな本殿の天井にも、このようにそれぞれに細かく杏葉紋の家紋マークなどが、同じ模様が無い程にデザインを変えて描かれているのが見える。天井画がこれほどカラフルなデザインになっている神社の本殿も、あまり見た記憶が無いので斬新である。
そしてこの本殿近くで見かけたのが、先程階段に設置されていた1個500円の風鈴である。収入が無いと運営できない神社だけにどうしても収益をあげようと色んな物を販売するのは分かるけど、やっぱり金キラな本殿などを造れる神社は収入源を作るのも上手なようだ。
そしてそれ以外にも何種類もの、アイデアの限りを尽くした御守りが展示されているのも見える。「キレイ守」や「かわい守」や「足腰守」など、ちょっと販売が強引過ぎる位の御守りなどがあったけど、逆に祐徳稲荷神社の商売上手さが垣間見れる場所でもあった。。
山の上にある「奥の院」に向かう!
そしてこの祐徳稲荷神社の名物でもある、裏にある山の上にあるという「奥の院」へと向かう事にしまう。話によるとそこそこに階段を登らないといけないという事で、エロ坊主オジサンはいつもの如く
オレは何回も来た事があるけど、下で待ってるから2人で行ってや!
との事。
稲荷神社の総本山でもある伏見稲荷大社でも、その鳥居がズラ~~っと置かれている道を一周するだけで1時間位掛かる。なので個人的にはいい運動になりそうな階段登りだったので、奥の院に行きたがっていた朋ちゃんに同行して登っていく事にする。
その奥の院に繋がる階段の途中に見えた「石壁神社」は、ここに祐徳稲荷神社を造るきっかけとなった、鹿島藩主:鍋島直朝の夫人だった萬子媛が祀られている場所。この夫婦は2人の子を授かるも残念ながら2人ともに早世し、夫人は晩年にここで神仏に身を捧げたという。
そんな神社などを見ながら登っていくと、段々と稲荷神社らしい赤い漆が塗られているような鳥居が見えてくる。やっぱり稲荷神社はこの赤い鳥居が無いと、稲荷神社という雰囲気が感じられないので、そろそろいい感じの雰囲気になってきた。
稲荷神社で数多く見られるこの鳥居は、実は神社側が設置している物ではなくて、参拝客などがお金を払って神社に奉納している物である。京都の伏見稲荷大社では20万円から160万円ぐらいまで大きさによって奉納する鳥居の値段が変わってくるが、この祐徳稲荷神社では10万円ほどから鳥居の奉納が出来るようだ。
そして奉納された鳥居にはその日付や、奉納した人や会社の住所や名前なども明記されている。このような神社に鳥居を奉納する人は地元の有力者だったりするので、見た事がある名前を探しながら歩くのも稲荷神社を散策する時の楽しみ方の1つでもある。
そして奉納された鳥居は木で造られている物が多いので、経年劣化をしてきて永年設置できる訳ではない。なのでどれくらいの期間鳥居が立っているかは分からないけど、鳥居が朽ちてきたら取り除かれて、その部分にまた新しい鳥居が立てられる。
こちらの鳥居も一般人に奉納された鳥居のようだけど、他の鳥居に比べると数倍のお値段がする立派な鳥居となっていた。勿論奉納という形で神社側にそのお金が移り、そして神社側で鳥居を発注してその設置コストを引いた分が神社の利益・・・ではなくて神様への奉納金になるのである。
川崎生まれの川崎マダムである朋ちゃんは普段動き回る仕事をしているようなので、このような階段を目の前にしてもヘッチャラな御婦人。男の子3兄弟を育てた肝っ玉母さんでもあるので、こんな階段なんか屁でもないようだ。
バルト三国ツアーの時にラトビアにあるグートゥマニャ洞穴という場所で、その脇に上が見えない階段が設置されていたので興味本位に登っていくと、その後ろに付いて来ていたのがこの朋ちゃんだった。その階段はある程度上に登ってもまだまだ先が見えなかったので、途中で切り上げる事にしたけど、その時も疲れも見せずにケロッとしていた朋ちゃんの様子を今でも覚えているのであった。。
私はその時の記憶はないな~!(笑)
このようにどんどん鳥居を設置していくと、新たに鳥居を設置する場所が無くなるように思うけど、鳥居を設置するスピードと鳥居が取り除かれるスピードにあまり差がないのか、そこまで鳥居だらけのように感じない祐徳稲荷神社。
しかし稲荷神社の総本山である伏見稲荷大社では、今では数えきれない位に鳥居がどんどんと設置され過ぎて、新たに鳥居を設置する場所が無くなってしまった。なので伏見稲荷大社では工事して新しく道を造って、新しく鳥居を設置する場所を増やしているのである。
そこまでして、神様への奉納金を増やしたいのでしょう・・・
しかしこの祐徳稲荷神社の奥の院までの道のりは結構階段が続くので、周囲ではいざ奥の院を目指して出発したものの、既に息の上がっている年配の方々も見かける。しかしそんな年配の人達を横目に見ながら、先へと進むのであった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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