仙台旅行記2020年秋-⑥
旅行期間:2020年11月3日~5日
(After seeing the statue of Date Masamune at Sendai Castle, we went to the Aoba Castle Museum to study.)
勉強しないと分からない!
この大きな三日月の前立てを付けた兜を被って馬に乗っているのは、あの有名な伊達政宗の像。今の時代から約400年程前に生きていた人物であるが、今でも仙台市民にとっては英雄として心にある存在となっている人物でもある。
仙台城跡の本丸にて
ここは仙台城跡の中でも一番高台となっている本丸。本丸には城の中でも藩政の中心地であった場所であり、また敵が攻めてきた時の為に一番見晴らしがいい場所になっている。しかしこの仙台城ではあまりにも強固な城構造となっており、平穏な時代となってしまった江戸時代には逆に不便な場所となってしまった。なので仙台藩2代目藩主の時代からは、下に二ノ丸を造って住居を移してそこで藩政も行うようになったそうだ。
本丸からの眺め! 動画
今の時代にはこのように馬に人が乗る光景なんて、牧場や乗馬体験できる場所でしか見かける事が出来ない。しかし昔の時代には位の高い人は特別に馬に乗る事が許されており、このような乗馬している像などはそれだけその人物の位が高かった事や、その威光を表している事が多い。
この伊達政宗騎馬像は戦前に造られた物が金属類回収令の為に没収されて、戦後に最初に造られた時の型を使用して再建された物になっている。このように戦時中は金属不足により全国的に設置されていた像が回収されてしまうが、その土地で慕われている人物の像はその後に再建された物も多い。
その騎馬像の土台脇に嵌め込まれているレリーフも注目して見ると、こちらは支倉常長が団長として選ばれた『慶長遣欧使節』派遣のシーンを描いた内容となっている。この江戸時代にヨーロッパに渡った日本人がいるとは思わなかったけど、戦国時代には九州から選抜された青年団(伊東マンショなど)が既にヨーロッパに渡っており、江戸時代前に日本人はローマを訪れてローマ法王に謁見しているのである。
初めて見る伊達政宗騎馬像を見て、ひとり興奮しながら写真を撮ったりしていた。そしてオカンの姿を探すと、近くの椅子に腰かけている姿が見られた。どうやら仙台駅近くからこの仙台城まで歩いてきて、更には本丸までの坂道でだいぶ疲れた御様子だった。。
本丸までの坂道、結構シンドイで~!
そして本丸の敷地内には別の人物の銅像も設置されているのが見える。こちらの人物は「土井晩翠(どい ばんすい)」という、この仙台出身の詩人であり、英文学者でもあった人。
そんな土井晩翠の名前が有名なのは、滝廉太郎が作曲した『荒城の月』を作詞しているからでもある。『荒城の月』という名前を思い浮かべると滝廉太郎の名前しか出てこないかもしれないけど、この曲は滝廉太郎が全てを作っている訳ではなくて、作曲しかしていなくて詩は土井晩翠が考えたものとなっている。
なので先日訪れた大分県竹田市にあった「岡城跡」では、滝廉太郎が中高生時代を過ごした場所なので「この岡城跡をイメージしながら作曲したので、荒城の月の荒城は岡城です!」と謳われていた。しかし仙台に来ると荒城の月を作曲した土井晩翠がこの仙台出身なので、「荒城の月の荒城は、この仙台城です!」というようにお互い主張しているという訳だ。
※他にも富山城など、その諸説は色々とあるようです。。
そしてこちらにある大きな鷲のような鳥の像が目立つものは『昭忠碑』という、明治時代に勃発した西南戦争や日清戦争などに従軍した陸軍第2師団戦没者に対する慰霊顕彰碑となっている物で、明治35年(1902年)に建立されたという。
こちらは鷲ではなくて、日本書紀で神武天皇を勝利に導いたとされる「鳶(トンビ)」をモデルにしているという。なおこちらの鳶のブロンズ像は戦時中の金属類回収令対象に当たらず現存し、明治時代に造られた貴重なブロンズ像となっているそうだ。
しかしこの鳶の像は2011年に起きた大震災の際に、倒れて割れてしまった。その為に今見られる像はその後に綺麗に修復された物になっているようだ。
この本丸にはさりげなく、このように焼きもろこしを販売している屋台が見える。こんな仙台城の本丸で伊達政宗騎馬像にとても近い場所に出店していた屋台なので、もう少し仙台らしい食べ物を提供していてもいいのではと思ってしまった。。
焼きもろこしも旨いでござる!
そして本丸の敷地の一部は宮城県護国神社所有の土地でもあるので、このように本丸に大きな宮城県護国神社の姿が見える。城の本丸の中心部にこれだけ大きな神社が建立されているのって、あまり見た事がないような。。
ワシが死んだ後に、大きく様変わりしてしまったでござる!
そして神社の横にはお土産屋や資料館なども造られているので、少しそちらに立ち寄ってみる事にする。仙台城はこのように昔の建物が殆ど残っておらずに、代わりに新しい近代的な建造物しか見る事が出来ないようだ。
そしてお土産屋さんの前にこちらの地元仙台の有名な蒲鉾メーカー『鐘崎』の看板商品でもある、笹かまぼこの記念写真用のパネルが置かれていた。そして少々お疲れモードから回復途上にあったオカンを促して記念撮影を行う。すると意外に楽しそうな顔をしていたオカンであった。。
綺麗に撮ってや!!
「青葉城資料展示館」の見学!
そして仙台市博物館ではないけど、本丸にはこちらの「青葉城資料展示館」があったので勉強がてら寄り道する事にしたのである。ただ仙台城跡地を眺めているだけでは、見逃してしまう事も多いので。。
住所:宮城県仙台市青葉区川内1
営業時間: 9時~16時前後(※年中無休)
電話番号:022-227-7077
入場料金:大人700円/中高生500円/小学生300円
※仙台まるごとパスに付いてくるクーポンか、HPの割引チケットを提示すると団体料金に割引になります
こういった城跡などを訪れた際にはその城跡の景色を見ているだけではなくて、なるべく近くに設置されている資料館などを見ておくに越した事はない。せめてその城が出来た時代背景や、どういった人がどういった時代を過ごしていた場所なのかを少しでも知るだけで、より親近感が湧いて記憶にも残り易いから。
本当は下の三ノ丸に造られている仙台市博物館に行きたいのであるが、もう夕方でゆっくりと見学する時間が無いので、仙台市博物館に比べるとこじんまりしている、こちらの「青葉城資料展示館」を選んだのである。
青葉城資料展示館の館内はフラッシュはNGだけど、普通の写真撮影自体はOKとなっている。そんなに広くはない資料館なので、滞在時間は比較的短めの場所のように見える。
まず出迎えてくれたのは、やっぱり伊達政宗である。しかしこちらは仙台市博物館に所蔵されている伊達政宗の絵を、コルトンフィルムに印刷して貼り付けているような、ライトパネルであったが。。
そして展示品を見ていくと、まず出てきたのが「小拵(しょうこしらえ)」という刀の外装と、その小拵に収納されていた「笄(こうがい)」という髪を掻き揚げて括る結髪用具と、「小柄(こづか)」という小刀が見えてくる。現代人には変わらないほどに当時の刀は武士の命ともされていた時代には、その刀の外装に小道具も収納されていたようだ。
こちらは伊達氏14代当主「伊達稙宗(だて たねむね)」が記した書状と、肖像画が置かれている。この伊達稙宗は伊達政宗の曾祖父に当たる人物で1514年に家督を継いで、領土拡大に貢献した人物。
江戸時代になると伊達氏は安泰になったようなイメージがあるけど、室町時代の後半まではこの東北地方では領土争いが常に起こっていて、誰が制してもおかしくはなかった時代。だからこの伊達稙宗~伊達晴宗~伊達輝宗と3代に渡る政権時に、伊達政宗の地盤となる土地を築いてきた訳である。
先祖にはとても感謝しとるでござる!
こちらは伊達稙宗の跡を継いだ、伊達氏14代当主「伊達 晴宗(だて はるむね)」である。伊達晴宗は父である伊達稙宗の政策方針に反旗を翻し、実父を幽閉したが上手くいかずに親子の戦いに発展する。しかし最終的に優勢となって家督を継ぎ、今では上杉家の城となっている山形県の米沢に米沢城を築いて居城としたのである。
しかしこのように約400年以上も前の資料が残っている事にも驚くし、400年以上も前の人達の達筆ぶりにも驚く。当時は電報や電話なども勿論なくて、連絡事というとこのように書状を直筆で書いて、それを特別な飛脚で送っていた。
一般庶民がそこまで字を書いていたかは分からないけど、大名の跡取りとなると将来は必然的にこのような書状を毎日大量に書かないといけない為に、幼い頃から習字の勉強など英才教育が施されていたようだ。今の時代でも筆跡を見るだけである程度その人物の性格などが推測できるので、尚更一国を預かる外交上手な大名となるには、習字の鍛錬が必要だった事だろう。
そして次は11代となっているけど、ちょっとややこしいが中世の頃から続いている「伊達氏の○○代当主」と、仙台藩が成立してからの「第○○代藩主」とは違うのである。だからこちらの肖像画の「伊達斉義(だて なりよし)」は仙台藩の第11代藩主であるので、こちらの11代としか書かれていないとちょっと不親切な表示であると言えるかもしれない。ちなみに仙台藩第11代藩主という事は、伊達氏にすると第27代当主に当たる。
こちらにはその伊達斉義直筆の書状が展示されているけど、さっき見た伊達晴宗の書状と比べると約250年程後の時代の物なので、少しは親近感を感じるような。。
この仙台藩第11代藩主:伊達斉義は30歳頃に死去してしまい幼い実子がいたものの、まだ江戸幕府に御目見が行われていなかった為に、後継者問題でひと悶着起きる原因となった。仙台藩も伊達斉義の時だけでなく何回か後継者問題が起きたけど、全国的に大きな藩でもあったからか、何とか毎回乗り切って明治時代を迎えたのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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