仙台市内で瑞鳳殿を目指し歩いている途中に見つけたボロボロの洋館【仙台旅行記㉛】

仙台旅行記2020年秋-㉛

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(A tattered Western-style building I found while walking to Zuihoden in Sendai City.)

仙台市内をウォーキング

さて今回の仙台旅最終日3日目の朝を迎えます。そしてまずは宿泊しているANAホリデイ・イン仙台の朝食会場へ向かいますが、なんと朝食会場の前には入場待ちの行列が出来ていました。この頃はホテルでもコロナ禍の影響もあって、朝食会場などでも席の間隔を空けたりと席数を減らしている所が多かったのですが、その対策で入場制限を行っており事前に訪れる時間帯を予約するなどの工夫がされているホテルが多かった。

 

 

ANAホリデイ・イン仙台で朝食を

他のホテルで朝食に訪れる時間帯を前日などに聞かれていたのでこのANAホリデイ・イン仙台でも聞かれるのかと思っていたら、このホテルでは一切聞かれなかった。「朝食の時間帯は聞かなくていいの?!」と正直思ったけど昨日の朝食時はそんなに混んでいなかったので油断していたら、今朝は朝食会場へ入る行列に並ばなくてはいけなくなってしまった。

後から感じた事は朝食会場への訪問時間を聞かないという事は、その際の混雑を避けるように促すという事よりも、その訪れた時に混雑していたら待っていてもらうというホテル側の姿勢が出ていたように思う。他のホテルはお客さんの立場を考えて朝食会場前で混雑するよりも事前に訪問時間を聞いて、待つ事なく朝食会場に入ってもらおうという気持ちが見えたけど、ここはそんな気持ちが全然見えなかった。

 

また行列が出来ている割に朝食を済ませたテーブルがなかなか掃除されなくて、せっかくテーブルが空いたにも関わらず、なかなか次のお客さんが中に入る事が出来なかった。それと朝食は和食と洋食の基本メニューを頼めるようになっていたのだが、その料理も運ばれてくるのが遅くて、ボクらよりも先に注文しているのに全然料理が出てこずイライラしている様子がモロに体に出ているビジネスマンも見かける有様。しまいには料理が全然運ばれてこないので、愛想尽かして会場を出ていく人も見かける程だった。。

 

そんな様子を見ているとホテルにチェックインした時に見かけたお局様のような女性が、朝食会場を見にやって来たけど特にその混雑がすぐに解消される訳ではなかった。そしてやっと運ばれてきた和食の料理もたったこれだけなのに、平気で15分以上も待たせるなどでホテルのオペレーション側の問題が見て取れた。このコロナ禍ではホテル側も色々と大変なんだろうけど、客商売としては自分がしんどくてもお客さんからお金を貰ってサービスを提供している限りは、そのお客さんを満足させる事を第一に考えていくべきだと思う。

オカン
オカン

確かに混雑していたね・・・

 

歩いて瑞鳳殿を目指す!

さてホテルへの不満はさておき、今回の仙台旅は2泊3日で今日が最終日。帰りの飛行機は19時なのでまだたっぷりと仙台を満喫する時間は残っているが、乗り放題チケットは昨日で期限が切れているし、今日は伊達政宗の霊廟である「瑞鳳殿」や仙台博物館など仙台市内を散策する事にした。

 

ホテルをチェックアウトし荷物は預かってもらおうと思っていたけど、仙台駅から僅か徒歩で5分程の場所にあるホテルに再び戻って歩きたくないオカンは、仙台駅ナカのコインロッカーに荷物を預けるという贅沢ぶりを発揮する。

オカン
オカン

だって最後に歩くなんてシンドイやん!

 

ボクの荷物はリュックサック1つだけだがオカンの荷物は小さなスーツケースもあったので、それをガラガラと引きながら歩くのは思っていたよりもシンドイようだ。という事で仙台駅ナカのコインロッカーに荷物を預けて、万が一預けた場所を忘れたら困るので証拠写真代わりにコインロッカーの写真も撮っておく。

 

仙台旅3日目も相変わらずの晴れ。ちょっと雲が見えるけど特に雨も降る事もなく、今日一日を楽しめそうだ。雨が降らないと晴れた景色を楽しめるのも大きいけど、徒歩で歩く時に傘を持たずに歩けるのが大きい。傘が持っているだけで荷物が増えてしまうので、荷物を極力減らしたいボクにとっては晴れるに越したことはない。

 

さて今日は瑞鳳殿と仙台城敷地内にある博物館に訪れる予定だが、今回も電車やバスには乗らずに徒歩で向かう事に。この道は初日に歩いたのであるが、その土地を満喫しようと思えば徒歩で歩けば歩く程に記憶に残り易い。

 

ここは仙台市内でもメインストリートの1つとなっている「青葉通り」で、道路脇の街路樹が特徴的な幅が広い道路。そして最近ではその道路の下に地下鉄も開通されて便利な通りになっているが、このようにボクが見るのは街灯の上に設置されていた伊達政宗の姿がデザインされているプレートであった。

 

旅行先では時間がない時以外は、あまりグーグルマップを見ないようにしている。グーグルマップなどの最近のハイテクを活用すれば最適に移動できるのであるが、その代わりに失うものも出てくる。それは人類が何十万年以上も掛けて築いてきた脳みその奥深くに刻まれた人間の五感で、ちょっと前までは自分の地理感覚に従って動き回っていた。昔はカーナビが無かった時代に地図を見ながら運転していた世代も、一旦カーナビに慣れるとカーナビ無しでは目的地に辿り着けないようになってしまう。そう思うと便利な一方に何が失われているかを考えながら、行動をした方がいいのかと感じる。

 

 

デフォレスト館(旧シップル館)にて

ちょっと調子に乗ってグーグルマップに頼らずに自分の感覚に従って目的地に向かうのが良いと言っているけど、それで間違いなく目的地に辿り着ける訳ではない。この時も案の定目的地の瑞鳳殿に向かっているハズが、早く曲がり過ぎて住宅街に迷い込んでしまった。そして迷いながら道を歩いていると、こちらのボロボロになった洋館が見えてきた。

 

【東北学院大学デフォレスト館】

住所:宮城県仙台市青葉区土樋1-6-1 東北学院大学土樋キャンパス内

 

 

このボロボロな洋館はなんと日本で最古の宣教師住宅だという。明治20年(1887年)に建造された洋館で、海外からやって来た宣教師の住居として使われ、その後は隣接する東北大学の教授研究室として大学施設となった建物。

 

2011年の東日本大震災までは現役の建物として使われてきたが、大地震の影響で漆喰などが剥がれた事もあって、この建物の使用が中止されて、2012年には登録有形文化財になって名前も今の「デフォレスト館」に変わったようだ。

 

便利なグーグルマップなどを使わないと、このように道を間違えて違う方向へと進んでしまう事もあるけど、旅ではそんな道を間違える事も新しい物と出会う機会である。最短距離を進むと無駄な時間を掛けずに目的を達成できたと思うけど、人生には紆余曲折が必要で、今回も道を間違えたからこそ日本最古の宣教師住宅を発見出来たのである。

オカン
オカン

道を間違えた言い訳は要りません!!

 

道を間違えたという言葉をよく使うけど、人生には元々決まった道など存在しなくて、自分が進む事によって道が出来ていく。だから人生で「あの時、選択を間違えた!」という言葉を使う人を見かけるけど、それは道を間違えた訳ではなくて、その道を進んで自分にプラスとなるものを発見出来なかった言い訳にしか過ぎないと思う。

オカン
オカン

だから、もう言い訳は要りません!!!

 

そして広瀬川にブツかり、その川沿いの遊歩道を歩くと、このように熊が出没した事があるから注意という案内が見える。こんな東北でも随一の大都市である仙台市内でも、熊が出てくる可能性があるという。ただ大自然が残る北海道ではないので、そう簡単に熊が出てくる事もなさそうであるが、一応頭の隅っこに記憶しておく。

 

仙台市内に流れる川を代表する広瀬川。仙台城の外堀を兼ねていた川だけあってそこそこに幅が広いので、架かっている橋も少ない。なので対岸に渡ろうと思えば遠くに見える橋まで行かねばならず、必然と歩く時間が増える。いつもなら歩くのは全く問題がないボクもこの時は松山旅行時のサイクリングで痛めた膝の骨部分がチクチクと痛みだしていたので、この時は珍しくオカンに後塵を喫したのである。。

オカン
オカン

ざまあみろ~、いつも偉そうにしているバツや!

 

こんな場所でも熊が本当に出没するのかと思うけど、この広瀬川の対岸には林が見られたりして自然が残っている場所もある。ただ冷静に考えると熊が出てくるというよりも、本来は熊などの動物が住んでいた場所に勝手に人間たちが占拠して住み出したので、熊にとっては人間の勝手な行動は大きな迷惑になっている事だろう。

 

 

橋から広瀬川を眺める 動画

 

 

 

瑞鳳殿の入口に到着!

そんなチクチクした膝を何とか動かしながら歩いて行くと、やっと「瑞鳳殿」の入口付近に到着した。この場所は仙台藩の初代藩主でもある伊達政宗が、自分が死んだらこの場所に埋めろと指示して、仙台藩主の霊廟となっている場所である。

 

 

この瑞鳳殿入口まで仙台駅から向かうには電車ではなく、街中を循環する観光バス「るーぷる仙台」だとこの入口前まで連れて行ってくれる。お金に余裕のある人はタクシーで訪れている姿も見かけたけど、そうでない人はこの観光循環バスで訪れるか徒歩のどちらかがいいかと思う。

オカン
オカン

バスに乗りたかった・・・・

 

この瑞鳳殿がある場所は経ヶ峯と呼ばれる、元々はこんもりした林だった場所。この場所を訪れて気に入った伊達政宗が自分が死んだ後にここに埋葬するよう指示し、伊達政宗が亡くなった翌年にこの場所に霊廟が建造されたのである。

 

ただそんな霊廟も1945年の第二次世界大戦中の空襲によって、歴史的な伊達政宗の霊廟なども残念ながら焼失してしまう。今見られる霊廟はその後に復元された物が建てられている。また昭和にはこの辺りの霊廟が消失してしまった事もあって木々などが伐採されていき自然が失われかけたが、瑞鳳殿の保存運動が高まり、瑞鳳殿復元と共にこの自然環境も保存される事になる。

 

そんな瑞鳳殿に向かう参道を進んで行くと、無料駐車場脇に「鹿児島県人7士の墓」と書かれている看板を目にする。明治10年の西南戦争で敗北した西郷軍の生き残りは捕虜となり、全国の牢獄に収容される事になる。そしてこの宮城県では約300人の捕虜を収容していたが、彼ら捕虜はこの宮城県の開発に自ら進み出て、明治初期の宮城県開発事業に大きく貢献したそうだ。そしてその後に獄中で亡くなった13人の内、今でも7基のお墓がここに残されているようだ。

東郷どん
東郷どん

我らは政府軍とは戦ったものの、日本の発展に命を捧げたでごわす!

 

そして更に参道を進んで行くと、このように「下馬」と文字の入っている碑を見つける。ドコかで見たような気がする碑だったけど、今では馬に乗って移動する事は皆無だが、昔は馬に乗って移動するのが多かったので、今で言う「車の乗り入れはここまで!」という表示の碑である。

 


 

四天王寺境内にある「下馬」の碑

四天王寺境内にある「下馬」の碑

ちなみにこちらは大阪市天王寺区にある四天王寺境内に鎮座している、そのモデルとなった「下馬石」。四天王寺というと聖徳太子の時代に建立された物なので、この下馬の碑もそれなりに古いものなのかもしれないけど、ただこの四天王寺は再建されているのでまだ比較的新しい碑なのかもしれない。。


 

こちらの「下馬石」は寛文3年(1663年)に大阪市天王寺区にある、四天王寺境内の下馬石を模写して造られた物だそうだ。四天王寺境内はよく散歩で歩く事があり、この下馬石を見た事が有ったので、道理で見た事がある碑だった訳だ。

 

そんな下馬石の脇には「瑞鳳寺」という、伊達政宗の菩提寺が見える。伊達政宗の菩提寺だけあって入口の門には「政宗山」と文字の入った看板も見える。ただ逆に見れば伊達政宗がここに埋めてくれと言わなければ、ここに瑞鳳寺が造られる事にはならなかった事だろうが。

 

ここは瑞鳳殿が造られた1637年に合わせて建立された寺。なおさっき案内を見た西南戦争で負けた西郷軍人の墓や戊辰戦争で敗北した人の墓も、この寺の境内に安置されているという。

 

さっき見た下馬石ではないけど、ここからは車でも上がれない階段が続いている。この階段を登った所に霊廟が設置されているが、そこまで高く登る必要もないので、あまり階段を登りたくない人でも訪れる事は出来る場所だと思う。

 

この伊達政宗の霊廟だった「瑞鳳殿」は仙台城大手門などと共に、戦前は国宝に指定されていた歴史的な建造物。ただここの空襲によって霊廟が消失してしまったけど、その後の復元工事の発掘調査時に霊廟下に埋められている伊達政宗の亡骸や埋葬品などが残っているのが発見された。伊達政宗の亡骸が埋められてから約300年程誰の目にも触れる機会が無かったが、戦争時の空襲によって伊達政宗の骨がまだ綺麗に残っているのが確認されている。

東郷どん
東郷どん

戦争とは皮肉なもんじゃ、負けるのが終わりとは限らんでごわす!

 

という事で今は綺麗に復元されているという、伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」を見に階段を登る事にするのであった。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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