仙台市博物館で学ぶ(Part6)、国宝で記憶遺産の「慶長遣欧使節関係資料」【仙台旅行記㊵】

仙台旅行記2020年秋-㊵

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(Learning at the Sendai City Museum (Part 6), “Materials Related to the Keicho Mission to Europe,” a National Treasure and Heritage of Memory)

仙台のお勉強タイム6!

仙台城敷地内にある仙台市博物館で長らく展示物の見学をしてきましたが、今回のこの国宝なども展示されている『慶長遣欧使節関係資料』で展示物は最後となっています。最後の最後で江戸時代のキリスト教関連の品を見れるので、気合入れて最後までしっかりと見ていきたいと思います。

オカン
オカン

さすがにもうシンドイわ・・・

 

【仙台市博物館】

住所:仙台市青葉区川内26-仙台城三の丸跡
※令和6年3月31日(予)まで大規模改修工事の為に休館中
電話番号:022-225-3074

 

 

※仙台市博物館は令和6年3月31日(予)まで、大規模改修工事の為に休館中です。

 

 

仙台市博物館の見学!

江戸時代といってもその初期頃はキリスト教については禁止されておらず、秀吉の時代にバテレン追放令などは出ていたものの、徳川家康天下の時代となってもそのキリスト教についてはヨーロッパ諸国と銀などの貿易をしたい狙いがあったので、暗黙の了解としてキリスト教の布教は許されていた。そしてあるスペイン人提督が難破して日本に辿り着き、その世話と新しい船の建造を仙台藩に委託した事で色んな物に興味津々だった伊達政宗の心を刺激する。

 

それが嵩じてスペインとの国交へと乗り出し、伊達政宗は支倉常長を日本人リーダーとして海外宣教師を含む「慶長遣欧使団」を結成し、アメリカ大陸経由でヨーロッパの地へ送り込んだ。なおこちらは慶長遣欧使団の記録を記したローマで1615年に発行された書物であるが、「IDATE MASAMVNE」と伊達政宗の名前が書かれているのも見える。

 

この書物はローマの歴史学者がマドリードからローマへの旅に同行し、通訳を兼ねてスペイン国王やローマ法王との謁見の様子を詳細に書き記しているという。そんな本の先頭には当時のヨーロッパには珍しい、武士姿でちょんまげ・刀を帯同するスタイルの支倉常長が記されている。

 

こちらはその伊達政宗遣使録(伊達政宗は同行していない)が、ドイツ語Verに翻訳されたもの。現代の日本でも珍しい姿の人間が、当時のヨーロッパに上陸したとなると話題になり、隣国でも話題になったようだ。

 

こちらは「支倉常長銅板画」で、フランドル出身の銅版画家の作品。ヨーロッパに渡る前からキリシタンだったとされる支倉常長は、武士の姿なのにロザリオなどを身に着けているという細かい部分まで描写されているのが見える。

 

ヨーロッパでは既にこの時までにドイツ人のグーテンベルクが活版印刷技術を開発済で、この時は銅版画がメインで印刷されていた。日本ではまだ手書きだった時代に既に印刷技術が発展しており、このような書物は多数発行されていたので、それで今でも現物が残されているのである。

 

こちらはレプリカだけど、ヨーロッパへ送り込んだ慶長遣欧使節に持たせた伊達政宗が作成した、ローマ法王宛の書状。この作品の案内には「ラテン語で内容が記されている」とあるけど、筆記体の日本語で記されているように見えるのは気のせいかな?!

仙台の政
仙台の政

こちらはラテン語Verではなく、日本語Verでゴザル!

 

どうやらこの時に作成した書状はラテン語Verと共に、日本語Verの2種類が存在したようだ。勿論日本語だと現地のローマ法王達には何が書かれているかが理解できないけど、金箔・銀箔が貼られている豪華な書状なので、相手を讃えている物だと文字が読めなくてもある程度推測できる物となっているようだ。

 

こちらは約7年後に日本に帰還した支倉常長が持ち帰った、ローマ法王から伊達政宗への贈り物である、スリランカでの伝統的な短剣である。スリランカには独自のインド象がおり、その象牙を豪勢に使った美しい彫刻が彫られた柄も出来栄えが凄い。。

 

こちらは帰国した支倉常長が早速伊達政宗に献上した短剣であるが、てっきり英雄的な存在として盛大に帰国を迎え入れてくれるかと期待していただろうが、時代は大きく変わっておりキリスト教禁令となっていたので、目立った歓迎はされずに仙台藩にも居場所が無くなってしまっていた支倉常長。

 

 

こちらは「ロザリオの聖母像」というタイトルが付けられているキリスト教の絵画で、支倉常長が帰国途中に立ち寄ったフィリピンで入手した絵だと考えられている。また中央縦部分に大きな損傷が見られるが、こちらはこの絵を半分に折り畳んだ際に出来たとされている。

 

支倉常長も期待マンマンでキリスト教の本場であるヨーロッパに乗り込むが、念願のローマ法王との謁見も出来たものの、一番の狙いだった通商条約交渉が芳しくなく、結果としては交渉失敗に終わる。またヨーロッパでも最初は歓迎されたものの、あくまで通商目的の団体であり、キリスト教が日本国内で弾圧されている話もヨーロッパに届いていたので、彼らは冷遇されてヨーロッパでも居場所が無くなり、強制送還のようにアジアに送り出されてしまう事になったとか。

オカン
オカン

まさに時代に翻弄されたという人達やな。。

 

こちらは支倉常長がヨーロッパを訪れている際に、クロード・デリュエという現地の画家が描いた、『日本に現存する、実在の日本人を描いた最古の油彩画』とされている支倉常長の肖像画である。日本を長く離れていた事もあってか、ちょんまげ頭の頭頂部はツルツルではなくて、毛が生えているようにも見える。

 

この支倉常長が日本国内に持ち帰った品々は合計47点にのぼり、それらはまとめて2001年に『慶長遣欧使節関係資料』として国宝に指定される事になる。しかしそれらの大半は支倉常長が帰国後に仙台藩に没収されてしまっているので、保管状態は良好のようだ。

 

こちらの肖像画は結構細かく描かれており、さすがに先程見た銅版画とは全然細かさが違う。キリストが磔にされた像に向かって、黒装束に指輪を付けて、またモミアゲもしっかり伸ばしている支倉常長の姿が描かれているのが分かる。またこの作品も縦に傷跡が見えるので、この作品も折られて傷が付いたのが分かる。

 

こちらは慶長遣欧使節団がローマを訪れた時に、当時ローマ法王だった「パウロ五世」の肖像画である。支倉常長を含む慶長遣欧使節団がローマを訪れた以降、明治時代になるまで約250年間に渡ってローマを訪れる日本人はいなかった。

 

なので明治時代になってから岩倉使節団がヨーロッパを訪れた際に、自分達よりも約250年も前に日本人達が訪れている事を知って、とても驚いたという(※1580年代には伊東マンショを筆頭に天正少年使節が既にローマを訪れている)。というのも江戸時代には支倉常長達がヨーロッパに渡ったという事は大きく取り上げられなかった為に、闇に葬られた事実となっていたからである。

 

この支倉常長が日本に持ち帰った品々は単に日本だけの国宝ではなくて、昔のヨーロッパの品なので世界的に歴史のある宝物として共通認識の物にしようと「ユネスコ記憶遺産」に申請して、2013年にその内の3点がユネスコ記憶遺産に認定される事になった。

 

こちらは先程の支倉常長の肖像画とは異なる別の作品で、ローマ側で保管されていた肖像画を日本人が模写したレプリカの作品となっている。同じ人物の肖像画でも書き手が変わるだけで、顔の大きさから全体のイメージが全然違ってくる。

 

こちらの肖像画は支倉常長がヨーロッパに持って行った衣装が細かく描写されており、刀のツバに浮彫されていた伊達家の九曜紋なども忠実に描かれているという。ただこれだけ細かく描かれているという事は、肖像画のモデルとして長時間拘束された事だろう。。

 

 

「ローマで歓迎された」とあるけど、これは最初に訪問した時は遠路はるばる困難な道のりを乗り越えてやって来た事に対しての賛辞の意味合いもあったが、最終的にはお互いの要望が折り合わずに強制送還のような形で追いやられる事になったのである。。

 

こちらは今から約400年も前の事なので、勿論飛行機など無いので海路で一旦アメリカ大陸のメキシコ経由で、ヨーロッパに向かったとされる航路が説明されている。行きは約1年を掛けてヨーロッパに辿り着き、帰りは約3年掛けてフィリピン経由で帰国した。なおヨーロッパに渡った慶長遣欧使節団のメンバーも全員が帰国した訳ではなく、現地に留まった人もいた。そしてヨーロッパではその時に残った日本人の血を引く日系人が、今もヨーロッパに存在しているという。

 

 

慶長遣欧使節関係資料を眺める! 動画

 

 

こちらは十字架とキリストの像である。キリストの像には絵の具の跡があるらしく、その当時は色付けされていた可能性があるそうだ。またキリスト像は手先や片足部分が無くなっており、十字架も四分割に壊されていたものの、破棄される事は無く仙台藩で保管されていたようだ。

 

江戸幕府を立ち上げた徳川家康も海外文化から得られる富に期待していたが、イエズス会の宣教師達の思惑の裏にスペイン王国がその国の支配を企んでいる事実を流れついたイギリス人に知らされる。既に当時の日本国内には沢山のキリスト教宣教師が各地で布教活動を行っており、沢山のキリスト教信者が生まれていた。それに危機感を感じた徳川家康はキリスト教禁令を発令し、徹底的にキリスト教を弾圧する事になる。

 

こちらは十字架と青銅製のメダイで、支倉常長が持ち帰った品。既に国内には大名までもキリシタンになっている程にキリスト教に浸食されていると感じた家康の施策は、彼の死後も徹底的に続けられて全国で多くのキリシタンが棄教せずに殉死していった。

 

宗教という物は恐ろしいもので、実在しない架空の万能とされている神様という存在を庶民に植え付けるだけで、何かしらの救いを求めている人間はいとも簡単に洗脳されてしまう。せっかく色んな困難を乗り越えて、日本全国を支配する事が出来た家康からすると、西洋の宗教によって日本の支配を奪われる事が何よりもの恐怖だった事だろう。

 

ボクは無信仰な人間なので神様を崇拝するなんて気持ちはあまり理解できないけど、キリスト教徒からするとこのようなロザリオを所持している事で、イエスキリストを信仰していると証明できる物質だったのだろう。

 

こちらのロザリオは木製と骨製の2種類があり、木製には象牙の輪が付いているという。ちなみにロザリオとは日本の仏教でいう数珠のような物。宗教は違えど、似たような道具が用いられていたようだ。

 

こちらにはバラバラに欠けてしまったメダイのパーツも展示されている。残された物の彫刻を調べると、右に展示されているような聖ヨハネ像が刻まれたメダイだったと考えられている。

 

このメダイはキリシタン弾圧の際に没収されてバラバラにされたと考えられているが、その破片の一部がちゃんと残されていたので、これも国宝となっている。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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