世界的絵画を猫に置き換えた、シュー・ヤマモトの「CAT ART展」Part5【仙台旅行記㉓】

仙台旅行記2020年秋-㉓

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(Shu Yamamoto’s “CAT ART Exhibition” Replaces World-Famous Paintings with Cats)

猫になるだけで可愛くなる名画!

今回も前回までに引き続き、宮城県石巻市にある石ノ森章太郎氏の記念館「石ノ森萬画館」で、企画展示として行われていたシュー・ヤマモトの「CAT ART展」を鑑賞していきます。

今回の【CAT ART展】パート5で最後となります!

 

【石ノ森萬画館】

住所:宮城県石巻市中瀬2-7
営業時間:9時~18時頃(シーズンによって時間・休み変動あり)
電話番号:0225-96-5055
入場料:大人840円/中高生520円/小学生210円

 

 

 

日本芸術の猫絵画!

さて随分と楽しめる「CAT ART展」だったけど、これからの『日本の芸術コーナー』が最後のブースとなっている。これまでは世界の名画ばかりを見て来たけど、日本の絵画だとどういった猫アレンジがされているかが楽しみでもある。

 

『鮭』
by 高橋猫一

こちらは江戸時代の末期から明治時代にかけて活躍した、日本猫でも最初に西洋風絵画を描いた第一人猫とも言われている高橋猫一の作品。元々は千葉県の藩士の家に生まれて剣術などの指導を押し付けられるが、自分がしたかった絵画の道を選び、また20歳過ぎに洋画を見て稲妻が体に走り、それから日本に駐在していたイギリス猫画家の元で修業して洋画に取り組む事になる。

 

こちらの『鮭』は彼の代表作でもあり、とても有名な作品らしいけど、今までに全然見た記憶が無い。それに猫ヴァージョンとは言いながら、元々の絵に猫が飛びついているだけと、あまり遊び心が見られないような気がするが。。

オカン
オカン

私の時代は教科書にこの絵、載ってたのよ!

 

『カフェにて』
by 藤田猫嗣

こちらは医者の家に生まれながらも絵画の道を進んで、パリを拠点として20世紀前半に活躍した藤田猫嗣の代表作の絵である。彼はフランス留学をして日本に戻るが、日本では最先端の芸術が学べない事を悟ると、医者である父親の援助もあって再びパリの地へ向かう。そしてパリではピカソなど当時の超一流芸術家などと交流し、絵画を技術を極めていく。そして彼の絵画の特徴が「乳白色の肌」で、この色彩は当時のパリでも誰も再現する事が出来ずに、彼のトレードマークにもなっているという。

 

藤田猫嗣は結婚を5回したり、第二次世界大戦時には従軍画家として日中戦争で現地に赴き、そこでありのままの光景を絵に残した。しかし日本が破れると戦争画を描いたとして戦犯の疑いを掛けられ、国外脱出する。そしてこの絵はその後にニューヨークで描いたもので、それから再びパリに戻ると国籍もフランスに帰化し、それ以来日本に帰国する事はなかったそうな。

 

 

『麗子像』
by 猫田劉生

こちらも大正~昭和初期に活躍した洋画家:猫田劉生の作品であるが、洋画家としては珍しくパリなどの海外留学をした事がなく、パリ留学を終えて帰国した猫田清輝の指導を受けて洋画を学んだ人物。こちらの麗子は大原麗子ではなくて、猫田劉生の娘だった麗子である。

 

猫田劉生は余程娘が可愛い存在だったのか、彼は38歳という早世だったがその晩年の作品はこの娘の麗子を題材にした絵ばかりを描いていたという。父親からすると娘が産んだ孫は息子の孫よりも可愛く思えてしまうと聞いた事があるが、猫田劉生は残念ながら早死にしてしまったので、そんな可愛い孫の顔までは見れなかったようだ。。

 

『湖畔』
by 猫田清輝

こちらは猫田劉生の師匠的存在である、猫田清輝の作品。江戸時代末期に薩摩藩士の家に生まれてその後フランス留学をするが、当初は法律を学ぶ予定が絵画の方に興味がいって、結局約10年間に渡ってフランスで絵画を学ぶ。そして日本に帰国後は東京美術学校などで生徒を教えて、多くの学生に洋画を伝えていった。

 

洋画タッチの絵画で和服を着て頭にかんざしを付けている女性の構図は、何ともミスマッチな感じにも見えない事もないけど、当時はまだ開国し出した明治時代という事もあって、これだけの洋画をマスターした人物はごく僅かしか日本国内に居なかった事だろう。

 

『猫街道三拾三次 日本橋 朝の景』
by 歌川猫重

こちらは19世紀にフランスで流行ったジャポニズムにも大きな影響を与えた、江戸時代後半に活躍した木版画で風景画などを描いた歌川猫重の有名な作品である。元々は人物画をメインにしていたが、このような風景画に移っていき、江戸時代を代表する作品として現存している。

 

現代の東京日本橋付近はこの絵でも見られるような木造の橋などは見られずに、鉄筋コンクリート造りの橋や更には川沿いに高速道路が架けられて、すっかり様子が変わってしまっている。高度経済成長期に交通渋滞解消の為に東京都内に高速道路が造られたが、沢山の立ち退きをすると大変だったので、川沿いに高速道路を建設した名残りとなっている。

 

 

『猫街道三拾三次  川崎』
by 歌川猫重

猫街道三拾三次は江戸から京まで向かう道中を描いている風景画なので、日本橋を渡って西に進む道中に川崎も通っている景色が描かれている。今も昔も海沿いの街だった川崎も、今ではこのような素朴な景色ではなく、日本有数の工業地帯となっているが。

朋ちゃん
朋ちゃん

私は川崎育ちだけど、こんな景色は見た事ないね~!

 

現代では堅固な橋を架けられる技術が生み出されているので、そこら中の川には橋が架けられている。しかし江戸時代当時には木造の橋が多くて、また大雨や嵐が来た時には川が氾濫してその橋が流される事も多かった為に、このような渡し船が日本全国で見られたようだ。

 

『猫街道三拾三次 京都 三条大橋』
by 歌川猫重

現代では東京から京都までは新幹線で約2時間で到達できるけど、この江戸時代にはこの約500kmの道のりを2週間程掛けて移動していたそうだ。また佐川急便でもお馴染みの飛脚であれば3~4日で到着出来ていたらしく、また藩お抱えの急ぎ飛脚だったら、それよりも更に早く移動出来ていたそうだ。

 

参勤交代の行列に庶民が遭遇すると、道の脇に移動して行列に道を譲って、通り過ぎるのを見守らないといけない。またそんな大名行列の邪魔をすると、斬り捨て御免となっていた。川崎で起きた大名行列を邪魔したとして外国人が切り捨てられた”生麦事件”もあったけど、書状を届ける任務の飛脚はそんな大名行列に遭遇しても、立ち止まる必要が無かったという。

 

『黒鼠屋』
by 竹久猫二

こちらは大正時代を代表する画家だった竹久猫二の作品で、数多くの美猫画を残した猫画家だった。そんな彼の代表作でもあるこちらの『黒鼠屋』は、パリの画家が同様の構図で描いた作品を参考にして描かれているとか。

 

猫はペットとしてネズミを飼うのが多くなっているようだが、その最大の試練は毎日のキチンとした手入れではなくて、そのペットを食べたくなる誘惑と闘う事らしい。そうなると単純にペットとして育てるというよりは、非常時の食料として育てているようにも思えてしまうが。。

 

『納涼美猫子宝遊』
by 菊川猫山

こちらは江戸時代の浮世絵師:菊川猫山の代表的作品で、なかなか思ったように歩いてくれない幼い子供の手を引きながら、その我が子の様子を見守る母親の優しい姿が描かれている。

 

江戸時代後半に流行った浮世絵は、まずは絵を仕上げる絵師が絵を作成し、それを木版に彫る彫師がその絵を綺麗に模写して木版を作成し、そして出来上がった木版で綺麗に印刷する摺師という工程を経て仕上げられた作品だった。なので単純に絵師だけで仕上げられた訳ではないので、それぞれに腕の立つ職人がいないと最終的に綺麗な作品には仕上がらなかったようだ。

 

『サイボーグ ゼロゼロニャイン』
by 石ノ森猫太郎

こちらはこの場所が石ノ森章太郎の記念館「石ノ森萬画館」だけに、その代表作を猫化した作品も展示されている。ボクら世代以下の年齢だとこの『サイボーグ009』を見た事ない人ばかりなので、もしこれのアニメを再放送するのであれば、このように可愛い猫化した『サイボーグ ゼロゼロニャイン』Verでアニメ化して欲しいと思う。

 

サイボーグ猫の割には猫には欠かせない髭や肉球などもそのまま描かれており、いまいちサイボーグ感があまり湧いてこないようにも思えるけど、それらをキャラクターから省いてしまうと、このキャラクター達が猫に思えなくなってしまうからだろうな。。

 

 

この個展の作者であるシュー・ヤマモトさんは日本にいた高校3年生の時に、漫画界の巨匠:石ノ森章太郎氏のアトリエをアポなしで訪問した時の話がこちらのパネルに描かれている。個人情報についての取り扱いが現在では厳しくなっているが、昔は漫画家などは家の住所が平気で週刊誌などに記載されていたので、家にまで多くのファンが押し掛ける事も普通だったとか。それでも石ノ森章太郎はシュー・ヤマモトを受け入れて約30分に渡って談笑し、色んなアドバイスをくれたんだとか。

 

そんな縁もあって、この石ノ森章太郎の記念館に展示されていたシュー・ヤマモトの「CAT ART展」。そのシュー・ヤマモトと石ノ森章太郎の対談も今から数十年前の事なのでハッキリと何を言われたのか全ては覚えていないようだが、「学校を卒業してすぐに次の道に進むよりも、映画や本などを沢山見て幅広く色んな知識を身に着けた方がいい!」と言われたのは覚えているようだ。

 

日本の社会では高校や大学を卒業すると、すぐに次のステージへと行くのが一般的となっている。しかし人生で最も多感な時期に直ぐに次の事をするよりは、この広い世界中を旅して色んな事を経験した方が、その後の人生をより豊かに過ごせるという石ノ森章太郎の言葉。

 

この言葉は漫画家として駆け出しの頃に出版社から資金を前借して、そして海外旅行に出掛けて色んな文化などの景色を見て来た石ノ森章太郎だから言える言葉である。日本から海外に出た事のない漫画家だったら、絶対こんな事は言わないだろう。

 

そんなボクも20歳の時に兄の結婚式の為にハワイに行った以外は、全く海外旅行に行かずに30歳を過ぎていった。そして30代前半に仕事で得意先の社長に連れられて、初めて中国に行った。殆ど日本から出た事が無かった自分なので世の中の常識は、日本で一般的に見られる風景が普通なのだと思い込んでいた。しかし中国に行くとあまりにも日本と違い、カルチャーショックばかりで目から鱗が落ちっ放しになってしまった。

 

それ以来海外に行くと自分の殻を破れると思って他の地区にも行きたかったけど、会社員を続けているとそのように海外に行く機会は訪れなかった。今から思うとその会社員時代に海外に行けなかったのは行ける機会が無かったのではなくて、自分からそこまで海外に行きたいという強い気持ちが無かったからだろう。

 

しかし30代後半で会社員を辞めた後は何にも縛られる事が無くなったので、自由に生活できるようになった。そうして今まで行ってみたかった海外旅行に恐る恐る踏み出してみた。そうしたら海外の世界は自分が思っていた以上の楽しさで、今までの世界観とは比べ物にならない位の世界が広がっていて、自分の殻を破る刺激ばかりだった。そんな刺激的な体験を経験すると次々に海外旅行に行きたくなってしまい、そこからコロナ禍まで立て続けに十数回も海外旅行に出掛けてしまう。

 

日本というと江戸時代には鎖国していた影響で、他国からの影響をあまり受けずに日本独自の文化を築いた。しかし海外に出ると他の国の大半は昔から他国の影響を沢山受けており、色んな戦争が起きたり、革命が起きたりで多様な文化が形成されている国ばかりであった。

 

また日本とは違う宗教が根強いている国では、その国の人々の考える物の前提が全く違う為に、今まで自分が培ってきたと思っている常識が全く通用しない。そこでその国の歴史や文化などを調べていくと、日本とは全く違う歴史であり、その違う歴史が生み出してきた文化が形成されている事に気付く。そしてその文化を紐解いていくと、その国の人々の考え方がおかしいのではなく、そこで育てばそう考えるようになるのだという事に気付く。

 

そうして自分の今までの常識を横に置いて、新しい常識を頭に詰め込む。そうなると今までの会社員時代の自分を振り返ると、全く色んな事に対して無知だった事に気付く。だから世界に足を踏み出して分かる事は「日本は狭い国」という事で、後輩と出会うと盛んに海外に旅するように勧めるけど、会社員時代のボクのように色々と言い訳して、彼らは海外に出る事なく、凝り固まった考えのまま歳を取っていく事だろう。

 

この個展の最後にはアインシュタインの名言が掲載されていたけど、個人的には人生の辛さから逃げる必要はなくて、逆に喜んで立ち向かうべきだと思う。そしてこの個展の出展者:シュー・ヤマモトと、この記念館の石ノ森章太郎の共通点は海外に足を踏み出した事にある。彼らは自分の成長の為に海外に足を踏み出した訳で、ボクもそうして海外に足を踏み出した。

なので今はコロナ禍の影響もあって海外旅行に行きにくくなっている時代だけど、それでも海外旅行に積極的に行って、自分をどんどん成長させていく必要があるのだ。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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