「瑞鳳殿」という仙台市にある伊達政宗のお墓をじっくり見学する【仙台旅行記㉝】

仙台旅行記2020年秋-㉝

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(Take a closer look at Zuihoden, the tomb of Date Masamune in Sendai City.)

伊達政宗の墓

ここは仙台市内にある、伊達政宗の霊廟(墓)である「瑞鳳殿」。ここは無料で見れる訳ではなくて、入場料を払わないと見れない建物だけど、仙台を代表する偉人である伊達政宗のお墓はこのようにとても華やかな建物となっているので、お金を払ってまで見る価値があると思う。

仙台の政
仙台の政

余に見合う豪華さじゃ!

 

 

 

瑞鳳殿の見学!

伊達政宗というと戦上手というか、周囲が敵だらけだった伊達領を大きく広げた名将であった。またそれと共に文化や風流にも精通して、単なる戦だけの武将ではなくて、茶道や料理などにも手を伸ばして研究していたという。

 

こちらは伊達家を代表する家紋の『竹に雀』。ただ調べてみると本来は上杉家で使われていた家紋の1つだったみたいだけど、色んな事情を経て伊達家の家紋としても使用される事になったようだ。なので当時の家紋というのは絶対的な物ではなくて、同じ家紋が全国で使われている事も多々あったようだ。

 

「伊達者」というお洒落な恰好をしている人を差す言葉があるけど、どうやらその由来はこの伊達家から来ているという説がある。というのも朝鮮出兵の際に出陣地である佐賀県の名護屋城に兵を送る際に、伊達家は京を通過して九州へと向かった。その京を通過する際に伊達家の兵隊の恰好が、従来の兵隊の質素な物ではなくて、豪華絢爛な恰好をしていた為に京の街で噂となり、そこから「伊達者」という言葉が生まれたとか。

 

確かにこの伊達政宗の霊廟を見ていると、その伊達者という言葉が付けられる兵隊の総大将だった人物の印象を嫌でも感じてしまう程に豪華で鮮やかな装飾が施されている。これだけの霊廟を江戸時代初期に造った訳だが、火の無い所に煙は立たないという言葉通り、伊達政宗の華やかなセンスが凝縮されている建物に見える。

 

そんな伊達政宗のお墓の横には、このような供養塔が数基建てられているのが見える。こちらは伊達政宗が亡くなった際にその家臣たちが一緒に殉死し、その人達のお墓だという。

 

大昔の古代エジプト時代には死後の世界で主人と共にする為に、身の回りの世話をする従人なども一緒に埋葬されたけど、ここ日本では仕える主人に命を捧げて奉公するという考えだったので、主人が無くなれば自分の命を絶つという文化が長く続いていた。明治の終わりに明治天皇が亡くなった際には、日清戦争などで活躍した乃木将軍も明治天皇の後を追って自決した事でも有名だけど、最近は他人に命を捧げるという文化が無くなっているのでそうやって自決する人の話は殆ど聞かないが。

 

この建物の下には伊達政宗の遺骨が納められた棺があり、それと共に色んな埋葬品なども出土した。その際に出土した兜や鎧や装飾品などの一部は、この瑞鳳殿の脇にある資料館に保存されている物もある。なお伊達政宗の遺骨は再びこの霊廟に納められる事になっているが、その骨から再現された顔の模型なども資料館内に展示されている。

 

第二次大戦中に日本本土への空爆を計画していたアメリカ軍は、主に軍需産業の工場や基地などをメインに爆撃したのであるが、このような歴史的な建造物であるお墓も標的になってしまったとはとても残念である。

 

こんな戦国時代~江戸初期頃に活躍した武将の骨が実際に埋まっているお墓ってのも、少ないような気がする。というか他の墓などが掘り起こす事がない為に、調べる事すら出来ないのであるが。。

 

ここではオーディオガイドも用意されていたようで、単なる解説ではなくて、多言語にも対応しているようだ。しかも専用の機器を使うのではなくて、こちらのQRコードからアプリを読み取れば、そのまま使えるそうだ。

 

 

この2020~2021年はコロナ禍の影響で海外からの観光客が激減してしまったが、将来的には日本も観光大国としてインバウンド需要を大きく見込んでいる為に、外国人向けのサービスを拡大していく必要がある。ただ日本の中には国を出た事が無い人が多く、その人達は日本語だけで充分だと思っている節もあるので、なかなかこういった取り組みが進まないかもしれないが。。

 

霊廟の前に飾られていた、このブルーとスカイブルーとホワイトの組み合わせの装飾を見ていると、イスラムチックなデザインの装飾にも思えてしまう。この伊達政宗が治めていた仙台藩もスペインなどと交流があった為に、そのようなイスラム建築の文化が少し入っていたのかもしれない。

 

お墓って言うと墓石が建てられているだけの所が多いけど、このように豪華絢爛な霊廟が建てられているのもあまり目にする機会がない。江戸時代には神格化されていた徳川家康の霊廟も設置されているけど、実際にそこに遺骨が埋葬されているかまでは不明である。

 

それにしても想像以上に豪華な装飾だった、伊達政宗の霊廟。それだけ偉大な人物だった事が象徴されているかのようだけど、冷静に考えれば古代エジプトの大きなピラミッドはこれ以上に手間が掛かっているので、当時としては絶対的な人物だったのが分かる。

 

この瑞鳳殿は1979年に復元された後、2001年に改修されているが、その際に九曜紋の鬼瓦から元々設置されていた龍頭の鬼瓦に差し替えられている。このような鬼瓦1つにまでも気を配って、元々あった建物により忠実に再現しようとしている心掛けが感じられる。

 

こちらは脇にあった瑞鳳殿資料館だけど、残念ながら館内は写真撮影禁止となっている。写真撮影出来ないのが残念ではあったけど、館内には伊達政宗の遺骨から再現された顔や、埋葬されていた出土品の一部などが展示されているので、ここを訪れる際に立ち寄るべき場所でもある。なお、ここは入館料は無料となっている(もうすでに入場料を支払っているので)

 

こちらはそんな写真撮影が出来ない資料館の脇にあった梅の木で、「臥龍梅(がりゅうばい)という朝鮮半島への出兵から引き揚げる際に持ち帰って来た物だそうだ。

 

秀吉の晩年は病に伏して気が狂ったともされていて、その壮大な野望だった朝鮮半島侵略は多くの兵士に大きな負担が虐げられたが、文化面からするとその際に日本国に持ち帰ったこのような植物や、また焼き物の職人などによって新しい文化が日本の中に組み込まれる事にも結果的には繋がっている。

 

今この資料館が建てられている場所には、元々は「御供所」というお供え物を準備する建物があったそうだ。勿論空襲の際にこの御供所も焼け落ちてしまって、復元はされずに今は資料館となっているけど、その当時の雰囲気を残している。

 

屋根瓦に取り付けられている鬼瓦も、家紋マークよりも荒々しい生物の鬼瓦の方がカッコイイ。元々は災難を追い払うために悪霊などを退散する程、当時恐れられていた存在の鬼や龍などが瓦に取り付けられている。このような考えは中世以前に中国大陸から渡ってきた儒教の考えの一部のようだ。

 

この瑞鳳殿が復元されてから約40年以上が経過するけど、今では当時と比べると比較的簡単に造形物が造れる時代となっている。3Dプリンターで簡単な銃まで造れる時代であるが、まさかこの龍頭鬼瓦は3Dプリンターで造られた物ではないと思うが。。

 

 

この瑞鳳殿が造られた場所は、元々は自然溢れる場所だった所。なのでお墓以外には背の高い木々しか目に付かない場所となっている。

 

いまいちスマホでの写真撮影に慣れていないオカンも、その綺麗な装飾に惹かれて色々と写真を撮っている様子が見られる。

オカン
オカン

思っていたよりも、めっちゃ綺麗やな!

 

なお瑞鳳殿の有料ゾーンとなっている伊達政宗の霊廟がある場所は、このように出口に自動ドアが設置されていて、反対側から入って来れないようになっていた。なんでこんな場所に自動ドアが設置されているのかと思っていたけど、反対周りで来たら入場料を払わなくてもこのドアの場所まで来る事が出来るからで、その対策だったようだ。

オカン
オカン

誰かが出る隙に入る事も出来そうやな!

仙台の政
仙台の政

ちゃんと入場料を払って見学しないと、成敗するゾ!

 

この瑞鳳殿は伊達政宗の霊廟ゾーンが有料となっていたけど、それ以外にも彼の子孫の霊廟なども設置されているので、それらも順番に見学していきます。

 

その前に見えてきた大きな慰霊碑は、明治初期に勃発した戊辰戦争で亡くなった兵士たちに捧げるもの。この2020年に国内旅行をするまでは江戸時代~明治時代の歴史になんか全然興味が無かったけど、日本の色んな所を訪れて更にはブログで旅行記を作成しているウチにどんどんとその時代について興味が湧いてきて、知らず内に勉強してしまった。

 

長い江戸時代に終止符が打たれて明治維新によって明治政府が樹立されて、新しい時代がすんなり始まったと思っていた。しかし実際には従来の既存勢力が新しい台頭してくる勢力に対して反発し、しまいには日本を分断する程の激しい内戦へと発展した。

 

明治政府の新政府軍と旧来の江戸幕府による旧幕府軍との戦いだった戊辰戦争で、仙台藩は旧幕府軍側に付く事になる。しかし最終的には新政府軍が勝利し、敗北した旧幕府軍側に加担していた仙台藩は大きく領土を削られて、貧しい生活に追いやられる事になる。

 

そのような貧しい暮らしに追い詰められた仙台藩の人々だが、明治政府が主導していた北海道開拓事業に名乗りを挙げる。北海道開拓というのは寒い雪深い地域で凍死する可能性も大いにある大変な仕事であったが、伊達家の誇りを胸に仙台藩の家臣たち一部は北海道に移住する事を選択するのであった。

 

そしてもう少し進んで行くと、次は伊達政宗の子孫である仙台藩主2代目と3代目の霊廟があります。こちらも伊達政宗の霊廟と同じく豪華な装飾となっているのですが、伊達政宗と比べるとネームバリューが弱い為か、あまり熱心に見学している人は見れなかったが。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓仙台旅行記:初回↓↓

伊達政宗の築いた杜の都:仙台で、旅の初めは秋保大滝から【仙台旅行記①】
2020年11月上旬に訪れた、宮城県仙台への旅。初の仙台に到着した後は、早速有名な名勝である「秋保大滝」へとバスに乗って向かいます!
タイトルとURLをコピーしました