津波の被害から復興した石ノ森萬画館と石巻ハリストス正教会【仙台旅行記㉗】

仙台旅行記2020年秋-㉗

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(Ishinomori Mangattan Museum and Ishinomaki Haristos Orthodox Church recovering from the tsunami)

津波を乗り越えて!

ここは宮城県石巻市にある偉大な漫画家の石ノ森章太郎の記念館として造られた「石ノ森萬画館」。人造人間が出てくる作品や近未来SF物が多かった漫画家だけに、その記念館のデザインも近未来的な感じになっています。

 

【石ノ森萬画館】

住所:宮城県石巻市中瀬2-7
営業時間:9時~18時頃(シーズンによって時間・休み変動あり)
電話番号:0225-96-5055
入場料:大人840円/中高生520円/小学生210円

 

 

 

石ノ森萬画館にて

そんな石ノ森萬画館も2011年に東北地方を襲った東日本大震災の時に、北上川沿いの中州に建物が造られていた為に被害を受けた。その時は営業が中止されて、その後営業再開するまで1年半以上を要した。

 

今の石巻市に来てみると全然そんな津波で被害を受けた時の実感が湧かない程に復興しているが、このような色んな物が流された写真を見ると津波の恐ろしさを知るのである。街中では水位が1m以上となり、普段は簡単に動かせないピアノや自動車なんかも津波に掛かるとイチコロになる。

 

この石ノ森萬画館周辺も津波によって被害を受けて、この記念館は緊急避難先ともなっていた。津波の恐ろしいのは大きな地震発生後に遅れてやって来て、高い波で打ち寄せてきたかと思うと、その波が打ち寄せた時とは反対に色んな物を引きずって海に帰っていくからだ。

 

スリランカを訪問した際にも2004年に発生したスマトラ沖大震災によって、沿岸部の住民約4万人が亡くなったその傷跡を少しだけ見た。その時に被害が大きくなったのは津波(Tsunami)という言葉を現地の人々が知らなくて、大地震が起こった後に大勢の物見が海岸に出ていったという。そこに大きな津波が襲って大地震で被害を受けた人の何倍も死者が出る事になったのだ。

 

 

周囲に海がない地区だと大地震が起きても揺れの被害だけで済むが、周囲が海で囲まれているとまずは高台に避難しないと時間差で津波という恐ろしい敵がやって来る。こちらは1階部分が浸水した石ノ森萬画館で、色んな物が流されてしまっているのが分かる。石巻市のマスコットキャラクターである『シージェッター海斗』は記念館前に設置されていた像と、館内で販売されていたテーマソングのCDが流されてしまっているという。

 

このように石ノ森萬画館は北上川の中州の北側に造られており、津波がモロに直撃する事は無かったかもしれないが、それでも中州全般に津波が打ち寄せて悲惨な状況になっていたようだ。

 

津波の被害を受けて石巻市の観光名所でもあった石ノ森萬画館には、約7億円もの復興予算が割り当てられて半年の修繕工事を経て営業は再開された。流されてしまった『シージェッター海斗』の像も奇跡的に発見されて、今では再び記念館正面に飾られている。

 

こちらの写真では中州が津波によってほぼ壊滅してしまった様子が見られる。今この石巻市に来てみるとこのような悲惨な光景は全然目にする事が出来ないけど、このような当時の写真を見ると何だか切ない気分になってしまう。

 

東日本大震災が発生したのは日中だったので、勿論この石ノ森萬画館は営業中で観光客などの見学者がいたが、幸いにも迅速な避難誘導のおかげで大きな影響はなかったようだ。津波は大地震発生後の約1時間後に襲ってきたらしく、大地震が起きた時に次にどういう行動を取るかというのを普段から頭に入れて行動をする事が、命を分ける行為になりえる。

 

ただこの記念館も綺麗に修繕されているので、そのような当時の写真を見ないとここが本当に津波で被災した場所とは思えない程である。大地震というのは地球上ではいつ起きても不思議ではない現象であるが、その地震時の対応は忘れてはいけない。

 

だから大震災が風化しないように毎年慰霊祭などを行っているが、やっぱり大地震から20年・30年程経つと、その当時に生まれていなかった世代も増えているので、人々の記憶から忘れられていき易くなる。

 

こちらは仮面ライダーがライダーキックをしている男子便所の案内。ボケ~~としているとたまに間違えて女子便所に足を踏み入れてしまう事もあるので、最近では必ずトイレに入る前に指差し確認をしているのだ。

 

この石ノ森萬画館で石ノ森章太郎作品の展示物を見学するよりも、このシュー・ヤマモトの「CAT ART展」が開催されていたからこそ、よりここでの滞在時間が楽しめたと思う。なお、この「CAT ART展」は2020年9~11月間だけの企画展示となっていて、今では終了してしまっている。ただ度々色んな所で展示会が開催されるので、行きたい人は定期的にチェックするか、下記のような注釈入りの図鑑も販売されているので目を通してみてもいいのかもしれない。

 

 

 

石巻市内の散策!

そんな北上川の中州で石ノ森萬画館の脇には、このように外壁が白くて綺麗に見える教会が建っているが見える。こちらの建物はパッと見では古そうには見えなかったけど、国内に現存する木造教会建築物として日本最古の建物である「旧石巻ハリストス正教会」

 

【旧石巻ハリストス正教会】

住所:宮城県石巻市中瀬3-18
営業時間:9時~17時頃(※定休日:火曜or祝日の翌日)

 

 

この旧石巻ハリストス正教会は明治13年(1880年)に建造された物で、最初からここにあった建物ではなくて、当初は千石町という石巻駅近くに建てられていた。ただ建築されてから約100年後の1978年に起きた地震によって被災し解体する事も検討されたが、歴史的な文化財として保存を望む声が寄せられ、1980年に市の有形文化財となってこの地に移転されている。

 

石ノ森萬画館が2011年の東日本大震災で津波で被災したという事は、同じこの中州にあった教会も勿論津波の被害にあっている。この中州にあった建物の殆どは津波で流されてしまったけど、ここに移転された時にその基礎をしっかりと補強していた事もあって、津波に襲われはしたものの、幸いにも建物自体は流されずに残ったという。

 

明治時代の歴史的な木造教会も普段は内部の見学が可能であるが、この時は祝日の翌日という事もあって、残念ながら内部見学は出来ずじまい。日本ハリストス正教会はロシア正教会の系統で日本に入ってきたものであるが、最初に国内に造られた教会はロシア領事館の付属聖堂として江戸時代の1860年造だそうだ。

 

その近くにあったこちらの駐車禁止マークとコラボしていたオジサンのキャラクターは、昭和を代表するとてもとても厳しい教育パパさん。今のゆとり時代の日本国内では考えられない位のパパさんだけど、昔の日本ではこのような厳しい親が多かったのだろう。

 

石ノ森萬画館を訪れた時にはその周囲の道路が工事中で、その他にはさっきの教会以外に目立つ建物が無かった。その時は記念館周りには何もない辺鄙な所に建物を建てたのだと思っていたけど、後から冷静に思い返すと周囲に何も建物が見当たらなかったのは、そこにあった建物が流された跡だったからである。

オカン
オカン

何も無い所じゃなくて、何も無い所になってしまったのね!

 

だからこのように川沿いには綺麗に緑が植えられた堤防などが見られるけど、これも大震災の被害を受けてこのような物が造られた訳である。だから今は表立って大震災の爪痕が見れないように思うけど、実際にはその爪痕の影が今でも見方によっては浮かぶように見えてくるのである。

 

北上川の中州に造られている石ノ森萬画館だけど、また大きな津波がやって来ると小さな堤防ぐらいでは全く歯が立たない事だろう。しかし堤防を高くすればするほどに窮屈感というか、逆に堤防によって閉じ込められているような気分にもなり、一概に堤防をどんどん設置すればいいという訳でもなさそうだ。

 

そして記念館見学を満喫したので、石巻駅まで石巻マンガロードを通りながら帰る事にする。こちらのキャラクターは1974年に少女漫画雑誌に連載されていた『星の子チョビン』のキャラクター。やっぱり少年漫画に比べると少女漫画のキャラクターの方が、少し優しく可愛らしい顔をしているのが分かる。

 

 

この川沿い近くでは大震災の後に住民が少なくなった事や、まだ地方過疎化もあって人口が減少している。しかし石巻市では町興しも兼ねて色んな取り組みが行われており、こちらでは橘通りという小さな横丁などが造られていて、飲食店が並ぶ場所となっていた。

 

こちらは『がんばれ!! ロボコン』という1974年からテレビドラマが放映されて、意外と人気になったキャラクターだという。ロボットの世界で怒られてばかりいたロボットが人間界に派遣されて、奮闘する様子を描いた作品だとか。

 

 

そしてこちらには石ノ森萬画館でも見たような、著名な漫画家が寄せたデッサンとサインが入ったプレートが展示されている。石ノ森萬画館には東日本大震災後に描かれた物ばかりだったけど、こちらのプレートは2001年頃に描かれた物になっているようだ。

 

『バカボン』でもすっかりお馴染みの赤塚不二夫は、石ノ森章太郎と同時代に伝説のトキワ荘に入居していて、自分の作品を仕上げるよりも石ノ森章太郎の作品を手伝う事の方が多かったとか。その時代には漫画界の大物が一つのアパートに集まっていた事もあって、切磋琢磨の環境が出来上がっていた事だろう。

 

こちらはギネス記録にもなった『ゴルゴ13』の作者である、さいとう たかをのサインが描かれている。さいとうたかをはマンガ界では珍しく分業制を導入した為に、何個かの漫画の連載を手掛ける事が出来た。また石ノ森章太郎とは深く交流をしており、同じくヘビースモーカーだったそうだ。

 

こちらの藤子 不二雄Ⓐは『オバケのQ太郎』(共作)/『忍者ハットリくん』/『怪物くん』/『まんが道』/『プロゴルファー猿』/『笑ゥせぇるすまん』などでもお馴染みの漫画家で、『ドラえもん』や『パーマン』の作者である藤子不二雄と最初はコンビを組んでいて、あの伝説のトキワ荘にも入居していた人物である。そのトキワ荘時代の話は自伝的な『まんが道』でも描かれており、手塚治虫が入居していた部屋の後に彼らが入り、感激していた漫画のシーンを思い出す。

 

 

こちらには『ゲゲゲの鬼太郎』でも有名な水木しげるや、『野球狂の詩』や『ドカベン』でも有名な石ノ森萬画館の初代館長でもあった水島新司などのサインも描かれている。ただこのように漫画界の巨匠たちも戦前に生まれた人が多いので、今では既に亡くなられているか、生きていても随分高齢だったりするが。

 

こちらは先程記念館でも見たモンキー・パンチのサインが入っている。彼の代表作である『ルパン三世』もそれを知っている人の大半はアニメから見始めている人が多いので、彼の漫画作品を見るとアニメと全然違う世界観だったりするのに驚いてしまう。。

 

アンパンマンの作者で有名なやなせたかしも、1万以上のキャラクターを生み出したとしてギネス記録保持者であるが、こちらも既にお亡くなりとなっている。しかし彼の生み出した作品は時代を超えて、これからも多くの人を楽しませていく事だろう。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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