仙台市博物館で学ぶ(Part4)、歴代藩主の絵画や伊達家の工芸品の数々【仙台旅行記㊳】

仙台旅行記2020年秋-㊳

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(Learning at the Sendai City Museum (Part 4), paintings by successive feudal lords and many artifacts from the Date family.)

仙台のお勉強タイム4!

さてまだまだ仙台市博物館の見学は続きます。このような市立の博物館もその場所毎に特色が違い、期待して入ったものの意外と目立った物が無くてガッカリする事もありますが、この仙台市博物館には伊達家から約8000点にも及ぶ品々が寄贈されているので、伊達家に由来する多くの所蔵品を見学できる場所ともなっています。

 

【仙台市博物館】

住所:仙台市青葉区川内26-仙台城三の丸跡
※令和6年3月31日(予)まで大規模改修工事の為に休館中
電話番号:022-225-3074

 

 

※仙台市博物館は令和6年3月31日(予)まで、大規模改修工事の為に休館中です。

 

 

仙台市博物館の見学!

こちらは仙台藩第5代藩主:伊達吉村が描いた『鳳凰図』という、永遠の命を持つと考えられていた伝説の鳥を描いた作品。この伊達吉村が描いた作品は先程からも何点か目にしてきたけど、仙台藩主の中でも特に絵画を得意としていたようだ。

 

鳳凰というとヨーロッパではフェニックスとも呼ばれている、伝説上というか空想上の生き物。小さい頃に流行った漫画『聖闘士星矢』のメンバーでフェニックス一輝という、一番強いセイントの記憶が鮮烈に脳に焼き付いているのを思い起こしてしまう。

 

こちらはそんな鳳凰が飛び去ろうとしている瞬間を描いたもので、何とも神々しく思える尾っぽの羽がとても細かく描写されている。もしかしたらこの尾の羽に一番注力して、伊達吉村はこの絵を仕上げたのかもしれない。

 

こちらは隠居したのち約20年後に剃髪した、仙台藩第3代目藩主:伊達綱宗の様子を描いた肖像画。ただこの肖像画も伊達綱宗が存命の時に描かれた物ではなくて、彼が死んで数十年が経った後に伊達家歴代当主の肖像画集を作成した時に描かれた物のようだ。

 

このように肖像画というと実際にその人物を見ながら画家が描いた物だと思ってしまうけど、実際には直接その人物を見ながら仕上げた訳ではなくて、その人物が描かれている別の肖像画などを見比べて参考にして描かれている物も実は多いのである。

 

こちらは仙台藩第4代目藩主:伊達綱村の様子を描いた肖像画だが、これものちに伊達家歴代当主の肖像画集を制作する際に描かれた物。なお余談ではあるが西郷隆盛の肖像画で最も目にする絵も、実は外国人肖像画家が本人を見て描いたものではなく、西郷隆盛が描かれている何点かの肖像画と彼の従弟を参考にして描いているのである。

 

そのように実際に本人を見て描いた肖像画でも全く似ていない訳でなくて、ある程度似ていないと依頼者に怒られるので、ある程度再現性があった事だろう。ただもうそのモデルの本人が亡くなっている場合にはその肖像画を現物と比較しようがないので、少し違いがあってもそこまで批判される事は無かったかもしれない。

 

こちらは先程まで自身が描いた作品を目にしてきた、仙台藩第5代藩主:伊達吉村の肖像画である。なおこちらの肖像画は彼が藩主を引退する直前頃に製作されたものらしく、肖像画としての再現性は高そうである。

 

肖像画には甲冑姿の凛々しい姿で描かれている物もあるが、それは松島海岸にある瑞厳寺に保管されているという。ただ江戸時代には戦が殆ど無かった事もあって、甲冑姿よりはこのような束帯姿の方がイメージ的にフィットするような気がする。

 

 

伊達家の工芸品コーナーにて

さて藩主が描いた絵画コーナーを見終わって進むと、次は伊達家が所蔵していた工芸品コーナーに差し掛かる。江戸時代には焼き物などの工芸品文化が花開いた時代なので、特に陶器でこだわった作品が見れそうだ。

 

こちらの瓶は『染付牡丹蛸唐草文らっきょう徳利』という名前が付けられており、かなり大型の徳利である。これは有田焼から派生した『切込焼(きりごめやき)』という、仙台藩お抱えの窯元が製作していた焼き物だそうだ。

 

今の宮城県加美町に作られた窯元で、主に江戸時代後半に多くの作品を残しているが、明治時代になって途絶えてしまった事もあって昔の詳しい資料やその歴史については不明だそうだ。

 

その切込焼は伊達藩お抱えの窯元でありながら、殿様への献上品と合わせて、庶民向けの日常品なども作っていたという。また陶器によくあるように、白地に藍色のデザインとなっている物が多いそうだ。

 

このような陶器類は主に中国大陸で発展した物であるが、秀吉時代に朝鮮半島へ出兵した際に朝鮮の窯元職人を連れて帰り、その技術が日本国内で広まり有田焼などから全国に焼き物文化が派生して広がっていったのである。

 

高級料亭などに行くと出てくる食材のレベルもそうだが、このようなお皿などもありきたりの安物ではなく、値の張るお皿などで出される。料理は味で楽しむものではなくて、食べる前にまず見た目で楽しめるものでもあるという。

高級料亭に行った事ないけどね・・・

 

こちらは『染付団 龍菊水流文角皿』というタイトルになっていて、文字通りお皿に龍と菊がデザインされている。こちらの作品は伊万里焼らしく、鍋島家からの献上品なのか、それに準ずる物だったのかもしれない。

 

この仙台を訪れる前月に佐賀県の有田焼(鍋島焼)の窯元を訪れた事を思い出す。同行する自称現地ガイド役のエロ坊主オジサンがどうしても連れて行きたいとの事だったので向かうと、現地は既に真っ暗となっていて、殆どの窯元が閉まっていたのであまり窯元らしい雰囲気を感じられなかったのである。。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

そう昔の事をネチネチ言わず、前を向いて生きんしゃい!

 

 

こちらの壺はまた先程の切込焼とは違った雰囲気の壺になっていて「堤焼」という、同じ宮城県でも仙台市青葉区の仙台城近くにあった窯元で作られた作品。焼き物と言うと伊万里焼などメジャーな物しか知らないけど、実は全国で同じように独自の焼き物文化が栄えていたようだ。

 

堤焼の特徴は黒と白の焼物の釉薬(ゆうやく)を一緒に垂れ流す事によって出来る、独特の風合いだという。なので意図して塗ったような柄ではなくて、自然に絵の具が垂れた作品のように見えるのだ。

 

 

こちらには東北地方にあった窯元の所在地が点々と、地図に記されているのが見える。このように東北だけでも数えきれない程の窯元があり、それぞれに独自の風合いを出す焼き物を作成していたようだ。しかし時間が経つ程に人気のない窯元は淘汰されてしまうのであった。

 

こちらは日本古来からの伝統文化であった「土人形」という、人形の形をした焼き物に色を塗った物。江戸時代には簡易に製作できる事もあって、農民が収入を稼ぐ為にこのような人形を沢山製造した為に、東北各地では至る所で製造されていたようだ。

 

古くは中世頃から作られてきたともされているが、明治時代になって国民の目が西洋文化に向けられると、日本古来の文化があまり取り沙汰される事も無くなって、土人形製作は下火になったという。

 

このような色が付いた土人形が量産される事によって、貧しかった農民たちの家にも少しは文化的な置物が増えていった事だろう。特に江戸時代後半には全国の藩が財政難に喘いでいた事もあって、農民たちが家で内職してお金を稼ぐ方法としてもこの土人形づくりが奨励されていたという。

 

そんな土人形もどんどん作られる内に技術が上がっていき、細かい凹凸や色彩などで凝った作品が登場していく。今まではベタ塗りが多かった服装なども、時が進むにつれて細かい色付けがされていく。

 

みんなが土人形を作り出すと、他の人よりもいい物を作らないと買い取ってくれないので、そこに競争が発生する。競争が発生する事によって工夫が生まれて、どんどんといい物が生み出されていく。そしてその進歩がかなり研ぎ澄まされていくと、芸術品の域に辿り着くのである。

 

こちらは「割木瓜型水指」という名前が付けられている、1396年頃に製作された備前焼の焼き物。これまで江戸時代に作られた作品ばかり見て来たけど、1300年代後半の物が出てくるだけで、紀元前の作品のように感じてしまう。。

オカン
オカン

そんなオーバーな・・・同じにしか見えんけどな。。

 

こちらは箱に「元禄四年(1691年)」と年号が書かれていたらしく、恐らくその時代に伊達家の所有物になったのだと考えられている。このような焼き物も実際に使われる庶民向けと、大名向けの贈与品として実際には使われずに観賞用となる焼き物もあった。

 

こちらの薙刀は仙台藩お抱えの刀鍛冶であった本郷国包(仙台国包)という、代々同じ名前を名乗って技術を継いできた2代目が製作した物のようだ。

 

この仙台藩の刀鍛冶であった初代:本郷国包は伊達政宗が登用した人物で、その後代々継がれていった国包は明治時代の第13代まで続いたとか。

 

そんな13代まで続いた歴代の本郷国包のお墓は、仙台市若林区にある善導寺の境内に安置されているという。江戸時代後半にはなかなか実戦で使われる機会が無くなっていった刀であるが、明治時代に入るまでは武士の命として大事にされていたのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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