島根県旅行記2021年11月-37
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
届かない本殿?!
さて出雲大社でも奥の方にある拝殿を抜けて、更にその奥にある「八足門(やつあしもん)」という本殿を囲む建物の方へと向かいます。
出雲大社にて
出雲大社で国宝にも指定されている本殿の手前に、拝殿のように造られているのが「八足門」で、1667年頃に造られた歴史ある門でもある。
この「八足門」が正面側から本殿に最も近寄れる所となっていて、一般人はこれ以上先へは立ち入る事が出来ないようになっている。なので「拝殿」の役割も果たしているように思う門であるが、この八足門が造られる前に立派な拝殿が既に建てられていたので、拝殿と呼ばれる事が無かったのだろう。
普段は全く神様への信仰心を見せないオカンも、周りに同調する日本人らしく、このように周りの雰囲気に吊られて参拝する姿を見せていた。
やっぱり出雲大社まで来たら、拝んでしまうわ!
個人的にはそんな本殿のお参りをする事よりも、国宝の建物を正面側から写真に撮りたかった。しかし、本殿の周りは廻廊のような木造の塀が取り囲んでいて、このようにその隙間から本殿を覗き込むしか出来なかった。。
本殿を拝まない者へのバチだね!
その八足門の脇には、日本神話の神様を先祖に持つとされている天皇家などの皇室から「御下賜金」や「神饌料(しんせんりょう)」が備えられた記念の札が設置されていた。ちなみに普段聞きなれない「神饌料」とは、食べ物を祀る代わりにその対価としてのお金を奉納する事を指しているようだ。
そんな本殿にお参りした人達が向かうのが、そのすぐ脇に造られていた「御守所」。日本人は古来から日本神道に親しんだ環境で生きてきているので、神社を訪れたついでにお守りなどを買ってしまう習性が付いているようだ。
御守りと共に日本人が神社を訪れると、必ずと言っていい位に購入してしまうのが、こちらの「御神籤(おみくじ)」である。なお、こちらのおみくじは1つ100円となっていたが、ご覧のように容器内に入れられた100円玉が簡単に盗まれるような構造になっていた。ただ日本人は神様への賽銭を盗む人間など存在しないように考えている節があるけど、今までこのような容器でお金が盗まれた事がないのだろうか・・・?!
そげな罰当たりはこの世に存在しぇんのだわ!
そして「御守り」と一口に言っても、このように”交通安全”から”家内安全”や”開運守り”などと色んな種類が販売されている。近年では科学が発展して、神様が存在しないと考えている現代人が増えてきているらしいけど、出雲神社に来ると普段信仰心を見せない人でも、このような御守りに手が伸びてしまうのだろう。
キーホルダーのお守り、欲しかった・・・
こちらには「剣先」とも呼ばれる、「御神札」も販売されている。信仰深い日本人は、よく家などの建物にこの御神札を置いて、それで建物を守るおまじないをしている光景をよく見かける。
本殿の周囲を取り囲むように、この塀のような障害物が建っていて、本殿に近づけないようになっている。ただし、正月三が日などの特別な日に、一般人もこの中に入れる機会があるらしく、そのような特別な日に出雲大社を訪れる事が出来ればラッキーである。
なお、この本殿を取り囲む塀などを「荒垣」と呼んでおり、出雲大社ではこの「荒垣」の内側を境内としているという。
そんな本殿の姿を見れない一般人向けに、こちらにはその本殿の写真がわざわざ飾られている。なお、現在見られる本殿は1744年に建てられた建造物となっているが、その後60~70年が経過する毎に合わせて改修工事が行われている。
また荒垣内でも本殿の周辺には、更に一層の塀で囲まれている。これは「門神社(もんじんのやしろ)」と呼ばれる、本殿を守る”宇治神”と”久多美神”が祀られた社と一体になっている。
そして荒垣外の周辺に、このような木の根元にビッシリと何かが取り付けられている状態を目にする。初めはこれが何なのかを理解できなかったけど、時間が経過すると共に、これが御神籤が巻き付けられた木だと認識していったのである。
御神籤というと、木に結ぶ事で願い事がしっかり叶えられるようにと”願掛け”の意味合いがある。しかしなかなかこれだけビッシリ隙間もない程に御神籤が結ばれた光景もあまり見られないだけに、思わずビックリとしてしまったのである。。
そしてそんな御神籤だらけの木の幹を注意深く観察してみると、このようにその内側には直接木の幹ではなく、このような格子みたいな御神籤を巻きやすくする物が取り付けられていた。
そしてこちらも神社では定番の、「絵馬」も飾られていた。しかし個人的に理解できないのは、この絵馬に自分の住所を書いたり、また「可愛い女性とのご縁がありますように!」と、まず叶いもしないような願い事を平気で自分の名前を入れて書くという神経だ。
それだけ絵馬に書けば叶うと信じる人間がいるという事やけ!
そして本殿の周囲には、日本全国から集まってくる神様用の社が設置されている。こちらは「氏社(うじのやしろ)」という、出雲国造家の祖となる神様の「天穂日命(あめのほひ)」と、その第17代目の「宮向宿禰(みやむきのすくね)」が祀られているという。
こちらはその氏社で天穂日命が祀られている、北側の建物。天照大神と須佐之男命から生まれたとされる神様の「天穂日命」が祀られており、そしてこの出雲大社で代々宮司を務める出雲国造家の祖ともなっている神様である。
そして塀の外側からでも見えている、こちらの大きな建物が国宝に指定されている「本殿」である。一般人は立ち寄れない建物であり、このように外側から眺めるだけしか出来ないのがちょっと残念ではある。
こちらの木はまだ御神籤が巻き付けられてからの日が浅いのか、さっき見た木に比べれば、巻き付けられている御神籤が少なく見える。しかし、時が経過すると、この木にもさっき見た木のように巻き付ける隙間がない程にビッシリと御神籤が巻き付けられる時が来るのであろう。
そして本殿の北側に進むと、こちらの「彰古館(しょうこかん)」という建物が見えてくる。この建物は大正時代の1924年に”宝物庫”として建造された木造2階建ての建物だが、後に拝殿脇に新しく宝物庫が造られた為に、今では古文書類などが保管される倉庫となっている。
この出雲大社では江戸時代前半に建てられた建造物などが残っている為に、このような大正時代に造られた木造建築物を見ても古そうに感じないけど、この建物単体で存在していれば、かなりの目を惹く歴史的な建造物のように思えた。なお、この「彰古館」は”国の登録有形文化財”にも指定されており、倉庫として使うには贅沢な建造物ともなっていた。
そして本殿の北側の方には、このようにこれまたかなりの年代物のような木が生えている場所があった。この林は地面一面に苔がビッシリと生えていて、とても神秘的な光景をしていた。
そしてもう少し先に進むと、そこで写真を撮っている人の姿が見られる。どうやらこの辺りからが一番本殿に近づける場所のようで、本殿近くに立ち入れない一般人が本殿の写真を撮影するには最適な場所となっているようだ。
そんな撮影スポットから撮った、本殿の裏側の写真。立派な建物の本殿だけど、大昔には今の2倍ほどの高さにこの本殿が造られていた可能性があるというので、もしその話が本当なら驚きである。
そしてそんな本殿の撮影スポットの傍らには、こちらの可愛らしいウサギの像も設置されていた。どうも周りにいた観光客の姿を見ていると、本殿の写真を撮りにここに来たものの、ここで発見したウサギの像が可愛らし過ぎて、本殿よりもこのウサギの像を撮影している人が多く見受けられたが。。
可愛らしい、ウサちゃんの像♪
こちらは本殿を参拝しているように、合掌しているウサギの像も置かれていた。かなりの歴史を誇る神社にこのような可愛らしいウサギの像が、このように設置されるなんて昔の人には想像も出来なかった事だろう。
今では出雲大社の核的存在でもある本殿よりも、このウサギの像を目当てに写真を撮っていく人が多い時代となっているのかもしれない。人々は中途半端にしか撮影できない本殿よりも、確実に撮影出来て、そして可愛くもあるウサギの像を好む時代なのだろう。
そして本殿の北側には、このように灯篭の上に苔が生えている、これまた趣ある灯篭が見えてくる。この奥にある建物が「素鵞社(そがのやしろ)」と呼ばれる、日本神話でヤマタノオロチを退治した人物とされている「素戔嗚尊/須佐之男命(スサノオノミコト)」を祀る社である。
このように出雲大社には、日本神話に出てくる沢山の神様が祀られている。近年は海外旅行で行った先で、ギリシャ神話やローマ神話などの海外神話を勉強してきたが、コロナ禍を機として国内回帰の日本神話を勉強していく必要を迫られた出雲大社の見学であった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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