代官所跡の石見銀山資料館見学①:鉱石や昔の資料を眺める【島根県旅行記27】

島根県旅行記2021年11月-27

旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)

銀山の歴史!

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 館内の様子

今では世界遺産となっている「石見銀山」。その石見銀山の歴史が学べる貴重な場所となっている「いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)」を見学していきます。

 

【いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)】

住所:島根県大田市大森町ハ51-1
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:火曜&水曜)
電話番号:0854-89-0846
入館料:大人550円 / 小中学生 250円

 

 

 

石見銀山資料館の見学!

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 藤田組 法被

石見銀山という名前は聞いた事があっても、「その石見銀山を誰が支配していたのか?!」という所まで正確に答えれる人も少ないと思う。戦国時代には中国地方で大きな勢力を誇った尼子氏や毛利家、そして江戸時代になると江戸幕府の天領として直轄地となっていた。そして明治時代になると民間に払い下げとなり、藤田組が管理する鉱山へと移管していった。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 藤田組 法被 説明

こちらの法被は、大正天皇が皇太子時代に山陰地方を行幸した際に、藤田組の関係者が着ていた物だという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 磁鉄鉱

こちらに置かれているは「磁鉄鉱(じてつこう)(FeFe3+2O4)という、鉄の酸化鉱物。表面はこのように黒っぽくて金属っぽい光沢があり、名前からも分かるように強い磁性を持っている鉱石でもあるので、そのまま天然の「磁石」となっている場合もあるという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 輝銀鉱

こちらは「輝銀鉱(きぎんこう)という、銀の硫化鉱物である。銀などはもっと大きな塊で採れるのかと思っていたけど、このような鉱石に混ざった形で出土されてくるようだ。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館  金鉱石

こちらには「金鉱石」も展示されていた。人類は太古から大空に黄金色に輝く太陽の存在を崇めて生きてきた生物なので、大昔から「金」という金属体を人命よりも重宝しているのかもしれない。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 坩堝

こちらには「坩堝(るつぼ)が展示されていた。よく”人種のルツボ”というフレーズを耳にする機会があるけど、その「ルツボ」とはこのような金属を溶解させる際に入れる耐火性容器の事を指すのである。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 坩堝2

原始人時代には鉱石に混ざっている金や銀の物質を取り出す方法を知らなかった人類だが、それから長い時間をかけて進化と研究を重ねるに従って、このような道具を活用して物体を取り出す事に成功している。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 カーバイドランプ

こちらは「カーバイドランプ(carbide lamp)という、”炭化カルシウム(カルシウムカーバイド/CaC2)と水を反応させる事によってアセチレンを発生させ、そのアセチレンを燃やす事で発火させる仕組みのランプである。

 

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森鉱山の歴史 説明

明治19年の1887年に大阪の藤田組が石見銀山の採掘権を取得し、翌年から鉱山の操業を開始する。そして良質な銀鉱石が採れる福石鉱床に狙いを定めて大金を投資して開発していったものの、見込んだ高品質の鉱石が採れなくて結局頓挫してしまったようだ。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森鉱山の歴史 説明2

藤田組は他の鉱山で培った技術を生かして、大森鉱山に積極的に設備投資を行い、大正時代の最盛期には年間で450トンの銅が採れる規模にまで成長していった。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森鉱山の歴史 資料

明治時代に入ると、それまで国内だけで培った鉱山技術だけではなく、西洋からの優れた技術なども導入されていった事により、鉱山採掘のレベルが向上していった。しかし、鉱物という物もその時代のニーズに応じて値段が変動するので、常に激動の社会情勢に応じて業績が安定しない仕事でもあった。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森鉱山の歴史 説明3

大正時代には第一次世界大戦が勃発して、軍需物質でもあった「銅」の需要が大幅に上昇した。その流れを受けて大森鉱山で銅を採掘していた藤田組は大きく儲ける事が出来たが、その世界大戦が終結すると銅の需要が大幅に減少し、大きな需要に対して大幅に生産量を増やしていた事もあって、それが供給量の大幅増加となってしまって銅価格が急落して経営が圧迫されていった。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

バブルも必ず崩壊ぐる時が来うんだわ~!

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森鉱山の歴史 鉱脈の説明

こちらには石見銀山を代表する2つの鉱床が描かれている。素人には同じように思える鉱床も、その気の遠くなる程の成り立ちによって、厳密には種類が異なる鉱床となっているようだ。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森鉱山の鉱石サンプル

こちらには石見銀山で採れた鉱石のサンプルが、箱に散りばめられていた。こういった石が好きな人からすれば垂涎の的みたいなサンプルだが、石の性質などの知識がない人間からすれば、特に何も感じないサンプルでもあるが。。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森鉱山の鉱石サンプル2

同じように見えても、それぞれに種類が異なる鉱石。それもそのはずで、その鉱石が長い時間をかけて出来上がってきた過程が違うので、全く同じ物になる訳がないのである。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

鉱石にも個性があ~んだがね!

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 映画「アイラブピース」のポスター

こちらには2003年に発表された、映画『アイ・ラヴ・ピース』のポスターが飾られていた。ロケ地はこの島根県大田市やアフガニスタンなどとなっており、大田市を中心に撮影した数少ない映画のようだ。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 資料 大森町焼失届

こちらは1800年頃に製作された「大森町焼失届本控え」という書類である。1800年3月に栄泉寺付近から発生した火が大森町を包み込み、町の大半を焼き尽くしてしまった事件の詳細が記されているようだ。そしてその火事後の再興では、燃えやすい茅葺屋根を禁止にして、瓦や板葺の建物にするように奨励したという。

 

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 資料 町方間数帳

こちらは大森町の間口の規模を記した「町方間数帳」という、1825年の帳簿となっている。この大森町では土地税は免除されていたが、屋敷の間口によって税を納める必要があったという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大屋組郷宿株譲渡書

こちらは1814年に書かれた、「大家組郷宿株譲渡相続願書」という大家組が管理していた郷宿を「肥後屋」が引き受ける事を承知する証文。他で郷宿を管理していた5つの家が、その内容を承知してそれぞれのサインも書かれているのが分かる。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 五百羅漢発起帳序

こちらは石見銀山の世界遺産内に構成されている羅漢寺の「五百羅漢像」を、製作する運動を行った際に書かれた「五百羅漢発起帳序」となっている。これは1757年に書かれた物らしく、五百羅漢像制作の為に1人12文というお金を10万人から寄付を募る目標が記されているという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 旗

「五百羅漢発起帳序」で10万人に寄付を募る予定だった事が記されている事から、それに近い人口がこの石見銀山周辺に存在していた可能性が考えられている。もしそれが本当なら、この石見銀山は下手な城のある城下町以上に、住民が居た計算になる。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 資料 鎧兜

こちらは牛の角を模った兜が見えている。意外とこのような牛をモチーフにした兜は見られず、個人的には漫画「聖闘士星矢」で黄金クロスを着る、牡牛座のアルデバランを思い出してしまった。。

 


牡牛座のアルデバラン 聖闘士星矢

「牡牛座のアルデバラン」–漫画『聖闘士星矢』より

星矢に折られてしまった片方の角が印象的ですね!


 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 吉岡出雲 肖像画

こちらの肖像画は石見銀山や佐渡金山の開発に大きく貢献した、「吉岡出雲」が描かれている。当時の鉱山技術もまだまだ発展途上段階だったが、その中で試行錯誤を繰り返し、毛利家からだけではなく、その後の江戸幕府からも信頼されて、他の鉱山にまで派遣される程に信頼が置かれていた人物であった。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 吉岡出雲 肖像画 アップ

それまでの戦国時代には戦に明け暮れてばかりいた時代で、”勇猛果敢”な武将など位しか名前が残らなかったが、平穏な江戸時代となるとその内政に大きく貢献した智を活かした人物の名も多く残るようになっていった事だろう。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 吉岡出雲 墓の説明

この石見銀山は江戸幕府の管理となって、派遣されてきた大久保長安が全てを取り仕切っていた訳ではなく、それまでの毛利家が支配していた頃の役人で優れていた人物をそのまま登用した。特に鉱山採掘という仕事は専門性が高い仕事でもあったので、経験者は優遇されたのであろう。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 宗岡佐渡 資料

こちらは同じく江戸時代初期に、銀山の地役人として活躍した「宗岡 佐渡」という人物の説明がされている。この宗岡 佐渡も吉岡出雲と同様に毛利家時代から銀山開発に従事しており、大久保長安からそのまま召し抱えられた。またその技術を見込んで佐渡金山開発に送り込まれ、その功績から伏見城で徳川家康に謁見した際に「佐渡」という官名を頂戴したのだという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 地役人 資料

天領地となって江戸幕府の管理下に置かれた石見銀山も、その特殊性ある鉱山業では地元の代々「地役人」を努めてきた家を雇って業務を委託していた。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 地役人の出身地

当時の日本国内にはそれぞれの鉱山がある場所毎に地役人がいたが、こちらの地図を見るとこの石見銀山出身者だけ飛び抜けて地役人が多かったようだ。それだけここ石見銀山で培ってきた技術が、他の地域に比べて突出していたかが分かる。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 吉岡出雲 鉱山開発の歴史

火山が多い日本列島では昔から多種の鉱物が存在しており、また新たに開発された鉱山技術の導入と、海外との交易が増えていった事を受けて、鉱山採掘が飛躍的に発展していった。そして江戸時代中頃になると、その鉱山技術により国内で多くの銅山が開発されていき、世界で第一位を誇る程の銅が産出される国だったという。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

日本も昔は資源大国だったんだわ!

 

こちらは江戸時代に国内にあった鉱山の分布図で、この当時に生きていた人達からすれば、現代の日本が資源大国でない事に驚くかもしれない。しかし、この当時の資源はこのような金・銀・銅であり、現代は石油や石炭・天然ガスなどという、求められる資源が違うのであるが。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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