長閑な一本道沿いに形成された、銀山に関わる人達の町だった大森町を歩く【島根県旅行記18】

島根県旅行記2021年11月-18

旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)

賑わいの跡!

島根県太田市 石見銀山  大森町の景観

ここは島根県太田市の山間にある、世界遺産に認定された『石見銀山遺跡』がある場所。ただ単なる日本で最大規模だった銀山だけがあった場所では無く、その銀山の経済活動を支えた人々が暮らした町並みも含まれている。

 

 

 

銀山目指して、大森町を進む!

島根県太田市 石見銀山  大森町の自動販売機

そんな道の脇に置かれていたのは、町の景観に馴染むように木枠が被された自動販売機だった。日本国内には自動販売機が至る所に設置され過ぎているので、せめて昔の景観を守る場所には”自動販売機を設置しない”という考えを取り入れてもいいのでは? と思ってしまった。。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

自動販売機は儲か~けん、設置は仕方なえんわ!

 

島根県太田市 石見銀山  大森町の景観 道案内

そして観光客の目当てである「石見銀山」の象徴ともなっている坑道は、「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)という名前の坑道が一般見学可能な場所になっている。坑道は何箇所も掘られた跡はあるものの、一般見学できる場所はたった一箇所となっている。

(特別ツアーなどであれば、他の坑道も見学可能)

 

島根県太田市 石見銀山  大森町 飛び出し坊や看板

こちらは建物の脇にひっそりと立っていた、飛び出し坊やの看板。このボロボロになった看板が、この大森町の廃れた雰囲気を醸し出しているようにも見える。。

 

島根県太田市 石見銀山  大森町 パーマ屋看板

この大森町は江戸時代頃の面影を残しつつあるも、近代化の波を受けて、普通の田舎町のように街並みが変わっていった。しかし、そんな町でも昔の景観を取り戻そうとする運動が起こり、あまりにも町の雰囲気を壊すような建造物や看板は撤去されたり修繕が行われたが、このようなパーマ屋さんの看板なども見られたりする町並みとなっている。

 

島根県太田市 石見銀山  大森町 住民憲章の案内

こちらは「大森町住民憲章」で、この銀山の町を残す守り事が記載されている。約400人ほどが暮らす大森町では、大森町で生まれた時点で自動的に町内会に所属になるとか。

 

 

島根県太田市 石見銀山  大森町の道

そして道路はまだまだ先まで進んでいるけど、観光車両はこれ以上の侵入は禁止となっている。この大森町は狭い道が続く場所なので車で移動する場所では無く、徒歩かレンタサイクルでの移動となっている。

 

島根県太田市 石見銀山  大森町 大森銀山重要伝統的建造物群保存地区の記念碑

この大森町はかつて「大森銀山」とも呼ばれていた事もあり、こちらの記念碑には『大森銀山重要伝統的建造物群保存地区』という文字も見られる。なのでこの場所は「石見銀山」という銀山跡だけではなく、その銀山に関わった人達が形成したこの町並みも重要な文化財として認識されている場所でもあるのだ。

 

島根県太田市 石見銀山を目指して進む  大森町 

それにしても周囲は小高い山に囲まれて、今では車などでそれなりに簡単に行き来できる場所になっているが、江戸時代にはほんとに不便な場所だった事だろう。しかし、昔の銀山はかなりの利益を稼ぐ場所でもあったので、人通りが多い場所よりも、このように山奥のひっそりした場所の方が好都合だったのだろう。

 

島根県太田市 石見銀山を目指して進む  大森町 渡辺家住宅 建物

道沿いにあったこちらの家は「渡辺家住宅」という、この大森町にあった代官所に勤める役人が住んでいた武家屋敷跡である。戦国時代には石見銀山の支配権を狙って尼子氏や毛利家などが争ったが、江戸時代に入ると江戸幕府の天領となって、江戸幕府から出向してきた代官が治める地域となった。

 

 

島根県太田市 石見銀山を目指して進む  大森町 花

そしてまた道なりに進んでいると、とある御宅の庭先にこちらの綺麗な花が見えてくる。こちらの花は「ダリア(dahlia)」という多年草で、日本では「テンジクボタン(天竺牡丹)」とも呼ばれている。

 

島根県太田市 石見銀山を目指して進む  大森町 花2

個人的に花にはそこまで興味がないボクだけど、このように雨粒が軽く乗った感じで、その水滴が花びらに沁み入らずに、まるで撥水加工されているかのような花びらに惹かれてしまった。。

 

島根県太田市 石見銀山を目指して進む 2 大森町

そしてまだまだ一本道は先に続いているが、このように道はそんなに広くないので、これ以上観光客などの車が奥に入ってくると、住民や徒歩などで移動している観光客にも迷惑になるので、観光車両の通行が禁止されているようだ。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 軍鶏育場

そして何やら賑やかな声が聞こえてくるかと思っていたら、こちらで鶏のような鳥の飼育がされていた。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 軍鶏育場2

この銀山周辺では「銀山赤鶏」「軍鶏」が育てられているようで、普段はこのような鶏の飼育されている様子を見れないだけに、貴重な光景に思えた。しかも無農薬のエサが使われており、また抗生物質などは使用されていないので、自然に近い状態の”オーガニック”な鶏のようだ。

 

 

イキの軍鶏 動画

 

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 軍鶏育場3

この石見銀山では”江戸幕府の天領”だった事もあって、「天領軍鶏」とも呼ばれているようだ。今では大量生産の為にブロイラーで陽の目に当たる事もなく育った鶏が多く流通するなか、このように自然環境下で育った天然に近い鶏は貴重である。

 

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 下河原吹屋跡

こちらの空き地は「下河原吹屋跡」という、江戸時代初期に銀山で産出された銀鉱石から銀を抽出する為の重要な施設があった場所である。『灰吹法』と呼ばれる精錬技術で銀を抽出していた石見銀山で、江戸幕府が直接管理する大事な施設でもあった。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 建物

この大森町では、町の真ん中付近から東側の代官所跡の方に掛けて街並みが形成されており、お店などもその代官所方面にはあるものの、反対側のこの龍源寺間歩へ向かう道沿いには殆ど見られない。こちらには「銀の店」なる建物もあったけど、営業はしていなかった。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 建物 蕎麦屋

その先にも古そうな「出雲そば屋」さんだったような建物が見えてくるけど、こちらも営業している雰囲気はなくて廃業したお店かのように見えた。

 

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 建物 蕎麦屋正面

ただネットで調べてみると、2022年にまだ営業している情報が出てきたので、この時はコロナ禍もあって店を閉めていただけだったのかもしれない。コロナ禍で観光客が激減した観光地では、多くの店舗が閉鎖せざるを得ない状況に陥ってしまった事が分かる光景でもあった。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 豊栄神社

こちらは「豊栄神社(とよさかじんじゃ)という、昔からの神社らしいが、このように廃墟のようにも見える場所となっている。この豊栄神社では、かつて尼子氏を破って石見銀山を手に入れた毛利家の毛利元就を祀った神社でもあり、長州藩が石見銀山を支配した時にこの場所に置かれていた毛利元就の木像を見て驚いたのだとか。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 極楽寺 地蔵

その横には「極楽寺」などがあって、この銀山に関わった労働者は早死にする事が多かったので、その魂を供養する寺などが多く設置されていたようだ。銀山労働に関わって30歳まで生きれば”長生き”と言われていたらしく、銀の価値よりも人間の価値が低かった事が伺えるのである。

 

脇道に入る!

島根県太田市 石見銀山 大森町 横道に入る橋

そしてこの辺りで、すぐ脇を流れる銀山川に架かる橋が見えてくる。そしてその橋を渡ると奥に道っぽいのが見えているので、普通にアスファルト舗装された道を歩くよりも、このような舗装されていない道の方が面白そうなので、橋を渡ってみる事にした。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 横道に入る橋 銀山川

こちらは大森町に欠かせなかった銀山川で、このようにそんなに水量のない川に見えるけど、これでも大雨が降ると川が氾濫して、その川沿いに形成された大森町で何回も水害を起こしてきた川でもあるようだ。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 道案内

そして、”いい雰囲気”の道標が見えてくる。この大森町でさっきまで歩いてきた道は車社会になってから新しく造られた道の部分もあるけど、昔はこっちの舗装されていない獣道みたい道がメイン街道となっていたようだ。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 横道

このように昔の景観を残していると思い込んでしまっている大森町も、あくまでも現代人から見た”昔の景観”である。この銀山が繁栄した戦国時代や江戸時代には広い道はなくて、人は歩きのみだったのでこのような狭い道ばかりだったのだ。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 横道を進む

そして石見銀山に向かう道は、やはりこちらの舗装されていない道を選んだ方が正解に思える光景が待ち受けていた。このように背の高い木々が立ち並ぶ道と、その高い木々の隙間から照り付けてくる太陽光のコンビネーションが何とも趣を感じさせてくれる。

オカン
オカン

ワタシは歩きやすい道の方がエエんやけどな・・・

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 横道を進む2

アスファルト舗装された車道を通っていると、このような昔の人達が何回も行き交った道の存在を知る事が出来なかった。しかもこの大森町の歴史などを全く知らない観光客からすれば、何も知らずに車道を歩いたりレンタサイクルで駆け抜けたりで、このような昔の街道を知らずに帰ってしまう事にもなりかねない。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

石見銀山を満喫してえ人は、現地ガイドを頼むのがベストだわ!

 

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 横道を進む 龍昌寺跡

そして左手に、奥の方に登っていく階段が見える。こちらは「龍昌寺跡」という、この近くに造られた山吹城の寺ともなっていた場所で、かつては石見銀山の歴代代官の菩提寺ともなっていた寺でもある。しかし今では廃寺となってしまっており、その跡の碑ぐらいしか残っていないようだ。

 

島根県太田市 石見銀山 大森町 安養寺

このように銀山の町も最盛期は江戸時代初期頃で、それ以降は廃れていき、1943年を持って閉山となってしまった。その銀山の閉山に伴って、この地で暮らす理由が亡くなった大森町の人々であったが、先祖が住んできた土地から離れられない人々が、その歴史を守るために暮らす町ともなっている。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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