島根県旅行記2021年11月-19
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
趣ある道!
世界遺産に登録されている石見銀山は、どちらかというとその鉱山跡を見る場所というよりも、その鉱山周辺で暮らした人々の生活跡を見る場所になっている。なので鉱山跡の見学を楽しみにわざわざ遠くからやって来た観光客にとっては、その肝心の坑道などをちょっとしか見れないので、それで”ガッカリ名所”とも言われたりする場所ともなっているようだ。
期待が大きえ程に、落胆した際の衝撃が大きえんだわ!
銀山目指して進む!
この大森町でも山奥の銀山に近い場所程、ひと気があまり感じられない場所となっていた。そんな道の脇に並ぶ建物には、このような松ぼっくりなどで飾られた可愛らしい人形も見えるけど、その人形を作った人の存在感は全く感じられない場所となっていたが。。
こちらはかつての銀山街道の旧道部分であるが、そんな道の脇にはこのような今にも倒壊しそうな家屋もあった。戦前に完全閉山となってしまった石見銀山なので、この銀山脇に暮らす必要が無くなってしまった人々は、仕事を求めて他の場所に移っていったのだろう。
銀山の近くにあった銀の鍛練所も、その銀山閉山と共に全く必要のない建物となったので、今では姿を消してしまっている。銀山の閉山と共に観光地として開発が進んでいたのであれば、そのような建物なども残されていた可能性はあったのだが、その当時の人達は銀山跡が観光地になるなんてという発想すらなかったので、このように全て取り壊されているのだ。
そんな生活する人間が減って町は廃れていっても、逆に自然に生きる植物は力強く成長していく。こちらには傘のように、しっかりと開いたキノコも見られる。
こちらは「クサギ(臭木)」と呼ばれる植物で、葉に悪臭があった為にこのような名前が付けられたという。ただ収穫後にはその嫌な匂いは消え去ってしまうらしく、食用にも使われる植物だという。
このような山奥の集落でもやっぱり電気が必要なようで、電線と電柱が設置されているのが見える。現代人にとっては、生まれた時代から電気が一般的に使われていた世代が多くなっているので、電気の無い生活を想像できない事だろう。
清水寺に寄り道!
そしてこの旧道を進んで行くと、脇に寺のような歴史ある建物が見えてきたので、ちょっと寄り道をしてみる事にした。
この「清水寺(せいすいじ)」の創建は、今から約1400年程も昔だという。元々は近くの仙ノ山の山頂に造られた寺で、800年頃にこの地に移転したという。それから江戸時代に再び仙ノ山に移転し、明治時代になってまたこの地に戻ってきたとか。
こちら清水寺の山門の扁額や不動明王像などは、太田市の指定有形文化財にも指定されている程に歴史があるようだ。
こちらはその扁額で、万延元年(1860年頃)当時の代官の筆跡となっているようだ。しかし、その当時から160年が経過しているので、このように扁額の文字はほぼ消え去ってしまっているが、『銀華厳(きんかごん)』という文字が辛うじて見えている。
その山門内にはこのような石像も飾られており、これも太田市の指定有形文化財となっているようだ。この辺りは石見銀山の代官などに信仰されていた寺で、当時の大森町の人々の多くに信仰されていた場所でもあった事だろう。
ここは境内に入れるようになっていたけど、ここも全くひと気を感じられない場所となっていて、夜に来れば肝試しになりそうな場所にも思えた。
石見銀山では銀山で働く労働者が早死にした事もあって、特に寺院の信仰が人々に求められていたようだ。逆に労働者をこき使う代官としても、ただ早死にさせるのも申し訳なかったので、このような寺を通じてその死を尊いものとして扱っていたのかもしれない。
この大森町に来るまでに見た「五百羅漢」の場所も、約500体の石像が銀山労働者の死に手向けられた物となっていたようだ。特に今から約400年も昔の世界では、労働条件などの規制も無かったので、”金が欲しかったら命を削ってでも働く”という世界観が出来上がっていたのだろう。
『信じる者は救われる!』という有名な言葉があるけど、まさしく宗教という存在が人々に求められているのは、心の苦しさの逃げ場であったからだ。江戸時代には江戸幕府が仏教を国教と認定した為に、国内で至る所に寺が設置されていて、江戸幕府はその寺を利用して庶民の苦しみを緩和していたのでもあった。。
人間は希望が無えと生きていけん生物だわ!
石見銀山だけあって、このような狛犬も銀で出来ていたら面白いのだろうが、さすがにそんな訳にはいかないのだろう。かつての銀山跡でも「銀」が全然見られないので、観光客からすれば「本当にここが鉱山跡?」と思ってしまうのかもしれない。
更に進んで行くと、銀山川が右手に見えてくる。銀山ありきの大森町か、それとも銀山川ありきの大森町だったのか?!
小さい子供からすれば、このような場所で川遊びをしたい所に見える。「銀山川」というと体に悪そうな物質が混ざっているようなイメージを持ってしまうけど、この川を見ている分には綺麗な川に見えた。
そして山奥の方へ進んで行くと、このように銀山川を挟んだ向こうに家が建っているのが見える。そしてその家に向かうには、この苔がびっしり生えた橋を渡る必要がある。
銀山川の向かい側にあった家は廃屋っぽくは見えなかったけど、このように橋の上にびっしりと苔が生える状態になっているという事は、それだけ誰も通っていないという事でもあろう。
それにしても木の橋にこれだけの緑の飾りが付くと、とても趣を感じる橋となっている。このような景観は人工的にはなかなか作れないので、ある意味”芸術的な”橋でもあった。
もう少し進んだ先にあった、こちらの木造の橋は残念ながら観光客などがそれなりに利用する橋ともなっているので、先程の橋みたいにびっしりと苔が生えた橋ではなく、ちょっと残念に思ってしまった。。
そして11月上旬という事もあって、このように赤く染まった紅葉も見えてきた。紅葉のシーズンを狙ってやって来た訳でもないのだが、このように綺麗に赤く染まった紅葉を見つけると、ちょっと嬉しくなってしまう。
この紅葉が面白いのは、隣にも同じ紅葉の木が生えているにも関わらず、奥の木の葉っぱは全く赤く変色していない。人間からすればほぼ同じ環境で育っている木にしか思えないけど、木側からすれば大きく違うと思っている事だろう。
去年(2020年)の紅葉は、仙台で見た記憶が蘇る。このように毎年訪れる紅葉シーズンも、場所を変えて眺めるだけで、その趣が大きく違ってきて楽しいのである。
去年の紅葉なんて、すっかり忘れてしまったワ!
こちらの先にも紅葉の木があったけど、このように全く赤くなっておらず、「赤くなるのは、まだまだ先だぜ!」と木が語り掛けてきているような光景でもあった。
このように地球上に存在する生命体はとても奥深く、それが地球の多様性として豊かな星に発展していったのである。だから逆に人類が支配する地球となってしまうと、生物多様性の環境が失われてしまって、貧しい星になってしまう事だろう。。
人間は進化し過ぎて、自滅す~んだわ!
普段都会に住んでいる人間からすれば、このように岩にびっしりと植物が生えた光景など、全く目にする事が出来ないだけに、久々に自然を目の前に見られて楽しくも思える。
地球環境破壊問題が騒がしい21世紀だけど、自然は人間の手を借りる事なく生きていく。なので下手に人間が手を加えれば加える程におかしな方向に進んでしまうので、人間は何もしないのが地球環境にとって一番いい事なのかもしれない。
そして道を進んで行くと、左手に趣深い階段が見えてくる。ここは「吉岡出雲」という戦国時代後半~江戸時代初期にかけて、鉱山採掘などで優秀な手腕を発揮した人物の墓がある場所となっている。
吉岡出雲は毛利家の銀山を管理する役人だったが、江戸時代になって江戸幕府の天領となって送り込まれてきた大久保長安に、その手腕を認められてそのまま採用された。そしてこの石見銀山だけではなく、伊豆の銀鉱山や、佐渡金山などの採掘も手掛けて、大きく貢献した人物でもあった。
そんな場所近くにあった杭のてっぺんも、このように非常に趣が深い苔が生えていた。今ではすっかり廃れてしまった大森町だけど、このように素晴らしい自然の景色が見られるので、”ガッカリ名所”と感じるのはその土地の素晴らしさに気付けなかった観光客の負け惜しみにしか過ぎないのである。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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