島根県旅行記2021年11月-1
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
今回はバス!
さて今回から始まる”島根県旅”は、2021年11月上旬とこのブログが公開される約1年半前に訪れた旅行記。いつもながら実際の旅行時期とブログ公開時期に、大きく差があるこの旅行記ブログである。
それはさておき、大阪府から島根県までの移動には高速バスを選択。他にも電車とかの交通手段を検討したけど、高速バスだと乗り換えする事なく目的地まで辿り着く事が出来る為に採用したのである。ちなみに島根県松江駅までは、大阪の梅田から1人5,000~6,000円ほどの片道乗車料金となっている。
一畑バスで島根県に向かう!
そして今回の旅の相棒は、毎度お馴染みのオカンである。色んな所に旅行に行きたいけど、1人じゃ行けないオカンを誘って島根へと旅立つのであった。
毎度、ヨロシクです~!
これまでの国内旅行では飛行機に乗って現地へと移動する事が多かったので、新しい旅をする際には最初に飛行機の移動手段から調べていくクセが付いてしまっている。しかし、国内には沢山の飛行場が造られているものの、地方になればなるほどに空港の利便性が低くて、そういった地方では逆にバスの方が本数が多かったり、意外と利便性が高い事に気付くのであった。
今回のバス旅で乗り込んだのは、こちらの「一畑バス」という島根県で電車やバスといったインフラ事業を昔から担っている「一畑電気鉄道」の子会社のバス。島根県を訪れた事のない人にとっては「一畑」という名前を聞いてもピンと来ないけど、一度でも島根に行けば、この会社が地域にどれだけ密着しているのかが分かるようになる。
この高速バスには朝7時30分梅田出発の便に乗り、島根県の松江駅に到着予定は昼の12時頃と、約4時間半の移動時間。関東などへ向かう深夜バスの約8時間程の乗車だと、体の関節などが痛くなって長時間バスに乗りたくないけど、4時間ほどなら何とか我慢できる範疇である。
バス乗って体痛くなるなんて、アンタもオッサンやな!(笑)
この一畑バスには車内にWi-Fiもあって、所定のパスワードを入力すれば使えるとの事。ただこのパスワードが書かれた冊子が各席には無くて、車両前方のカゴにしか用意されていなかった。途中のパーキングに休憩タイムの時に気付いたのだが、高速バスの中では小さいスマホの画面を見てるよりも、初めて訪れる地の景色を見ている方が価値があったと考える事にした。
そして島根県松江市に入ってきて、松江駅に近づいてきた。島根県は人生で初めて訪れたのでどんな街並みだろうかと楽しみにしていたけど、地方の街らしく、全国チェーンの飲食店などドコでも見られる光景だったが・・・。
島根県松江市に到着!
そして約4時間半の移動で、島根県でも宍道湖の東側にある「松江駅」に到着する。JR西日本の山陰本線が通る駅で、梅田から電車に乗っても、高速バスとそんなに変わらない時間と料金で来れるようだ。
今回の島根県旅での目的地は、江戸時代からの現存天守で国宝でもある「松江城」の見学と、島根定番の「出雲大社」と「石見銀山」の見学も予定している。
島根県というと、シジミでも有名な「宍道湖」がある。松江駅から出雲市の方へと行く場合には西側の方角へ移動する事になるのだが、宍道湖の南側を通るルートにJRの路線が、そして宍道湖の北側を通るルートに一畑電車の路線がある。それ以外には、このようなローカルバスを利用しての移動となる。
この松江の街には、”国宝”となっている江戸時代からの現存天守「松江城」を居城とした松江藩が治めていた場所である。その松江城の周辺では昔からの武家屋敷などの佇まいを残した雰囲気が残されており、宍道湖と並ぶ名所となっている。
こちらは松江駅の南側から見た駅舎で、どうやらこの南口よりも、さっき到着した時に見た北口の方がメインの出入り口となっているようだ。特に駅前には歴史的な建造物などは見当たらなく、その代わりにホテルがよく見られた。
そして松江駅のすぐ脇に建てられている、こちらの「松江テルサ」にちょっと寄り道する。この建物は都市型複合施設となっていて、メインは勤労者福祉施設となっているが、それ以外にも芸術や文化などの展示も行っている場所のようだ。
この施設に立ち寄ったのは、オカンがトイレに行きたかったからである。ただ、この建物にコインロッカーが設置されていたものの、有料だった為にここで預けるのを見送った。オカンとしてはどうせこの松江駅に戻ってくるのだから、ここの有料でもコインロッカーに荷物を預けたかったようだが、松江城近くにある無料のコインロッカーの存在を知っていたので、ここで荷物を預ける事はなかったのである。
ホント、この子、ガンコで変わり者です・・・
そしてその「松江テルサ」の入口付近には、こちらの小さな像が置かれていた。どっかで見た事のある形をしていた像だけど、この松江市と何か関係があるのだろうか?
こちらの像は『はじめ人間ギャートルズ』という1960年代に生まれた漫画のキャラクターで、1970年代にはアニメともなって人気になった作品である。
【公式】はじめ人間ギャートルズ 第1話
この『はじめ人間ギャートルズ』を生み出した漫画家が、ここ島根県松江市出身の「園山 俊二(そのやま しゅんじ)」である。
松江市出身の有名人は、テニスの錦織圭や、イチローの奥さん:福島弓子さんなどがお~よ!
この『はじめ人間ギャートルズ』の存在自体は知っているものの、ボクの世代より上の人達の時代に放映されていたアニメなので、殆どそのストーリー性なども知らない。原始人を題材にしたもので、そのシルエットだけ知ってここで反応したのであった。
そんな風に無料のコインロッカーに荷物を預けて身軽になった所で、早速松江きっての観光名所でもある「松江城」に向かう事にする。ちょっと調べた地図のイメージでは、松江駅からまず西側に進んで行き、宍道湖にブツかったら、それから右に向かって真っ直ぐ進んで行けば、松江城に辿り着ける様子が浮かんでいた。
こちらの歩道の上にあった案内板も、真っ直ぐ行けば「松江城1.7km」との内容となっている。ただしこの道を1.7km真っ直ぐ進めば松江城に着く訳ではなく、右側に折れ曲がる必要があるので、正確には右斜め上の矢印にしておくべきなのだろうが。
こちらは松江駅北側の県道22号線を西に向かって進んでいる途中に見つけた、明治7年に創業したという和菓子屋「彩雲堂(さいうんどう)」の本店。ここ松江市は京都や金沢と共に”三大菓子処”とも称される和菓子が昔から有名な場所で、訪れた記念に思わず食べたくなるお菓子が販売されている場所でもある。
ワタシ、和菓子はイランねん・・・
そしてそのまま22号線を進んで行くと、こちらのT字路に突き当たる。奥の方にはチラリと湖面が顔を覗かせていて、あの有名な「宍道湖」の雰囲気を感じる光景が待ち受けていた。宍道湖というと、淡水と海水が絶妙な加減で混ざっている湖で、そこで採れるシジミが名物ともなっている。
そして信号待ちをしていると、こちらの「ぐるっと松江レイクライン」というバスが通り過ぎていった。このバスは松江市交通局が運営する観光客向けのバスで、松江駅から松江城までの間をグルっと周遊している路線である。
観光客向けの1日乗車券は大人520円となっているが、松江駅から松江城までは充分歩いても行ける距離となっているので、ハナからこのバスに乗る気はなかったが。
ワタシはバスに乗りたかった・・・
宍道湖/白潟公園にて
そして信号が青になって、横断歩道を渡って宍道湖の方に近寄っていく。今日は晴天で良い天気だったので、その周りに植えられている松の木や、宍道湖の水の色などがとても綺麗に見えたのである。
日本国内でも7番目の広さとなっている「宍道湖」、その周囲は約47kmとなっている。この宍道湖は東隣にある「中海(なかうみ)」という湖と繋がっており、その中海が日本海とも繋がっている事もあって、淡水ではなく海水も混ざった「汽水湖(きすいこ)」となっているのが特徴でもある。
宍道湖を眺める! 動画
そんな珍しい汽水湖では、淡水でも海水でも見られない海洋生物が独自の生態系を育んでおり、同じ水でも塩分濃度の違いによって生息する生き物に違いが見られるのが、この自然の醍醐味でもある。
こちらはこの公園内に設置されていた「青柳楼の大燈籠」という石灯籠で、ここよりもう少し東側にある「白潟天満宮」の裏に建てられていた物がここに移設されたそうだ。明治初期には白潟天満宮周辺は歓楽街として賑やかな場所だったらしく、この石灯籠の脇には「青柳楼」という料亭があったという。またその時代にはそこが波打ち際になる程に湖に近かったが、その後に行われた埋め立てにより、灯台の役目が消えてしまっていたようだ。
昔からのそのままの景色が残っているように思ってしまう宍道湖だけど、近年になってからの埋め立てや淡水化事業でその姿が変わってしまっているようだ。この地球上で多くの生命体に命を与えている自然環境も、科学が発達した人間の手によって汚されているのが分かる場所でもある。
人間って、なして自分の事しか考えん行動をす~のかな?!
そしてここには珍しく、おばあちゃんのように見える女性の像が設置されていた。こちらの人物は「玄丹(げんたん) かよ」という、松江藩士の家に生まれて松江で芸者として活躍していた女性。
ここにあった松江藩は、外様大名の堀尾家から京極家、そして徳川家の親戚となる「雲州松平家」が治めており、大政奉還を受けて明治政府が樹立されると、江戸幕府とそれに関わる徳川家が朝敵としてなってしまった。それを受けてこの松江藩も朝敵として、山陰道鎮撫使の西園寺公望が視察に来て、家老などに切腹を突き付けた。
その際に芸者として料亭で働いていた「玄丹 かよ」は、料亭に立ち寄った山陰道鎮撫使の西園寺公望の傍若無人な行為を引き受け、その嫌がらせにも近い行為を我慢して耐えた代わりに、松江藩への罰を帳消しにさせたという。
刀の先に蒲鉾を差えて、「コレを食え!」って言われたりしたしぇ~や!
江戸時代から大きく時代が動いた明治時代。それまでは徳川家との親藩で大きく恩恵を受けていた立場が一転して、朝敵として明治政府に追いやられる存在となってしまった。しかし、その裏では今までいじめられっ子が急にいじめっ子に変わったかのような状態でもあり、そんな急変したいじめっ子の理不尽な行為に立ち向かった女性の像だったのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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