代官所跡から世界遺産センターまでの帰り道も、やっぱり徒歩?!【島根県旅行記29】

島根県旅行記2021年11月-29

旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)

計画的な徒歩?!

島根県太田市 大森町 大森代官所跡 建物

前回に引き続き、石見銀山の代官所跡に設置されている「石見銀山資料館」の見学が続きます。かつては考えられない位に人で溢れていたと推定されている大森町だが、その歴史を垣間見れる場所となっていた。

 

【いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)】

住所:島根県大田市大森町ハ51-1
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:火曜&水曜)
電話番号:0854-89-0846
入館料:大人550円 / 小中学生 250円

 

 

 

石見銀山資料館の見学!

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 天明飢饉の図1

こちらの絵は「天明飢饉之図」という、天明2年(1782年)~天明8年(1788年)に掛けて起きた”天明の大飢饉”に遭った会津藩の惨状を描いたもの。現代のように食糧に溢れた時代ではなかった江戸時代には、米作中心だった日本で悪天候が続くと不作に陥り、長く不作が続くと全国で考えられない程の飢餓が発生していた。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 天明飢饉の図2

特に大きな火山が噴火すると、その火口から吹き上がった噴煙が周辺一帯を取り囲むように広がり、太陽の光を遮断してしまうので、大きな火山噴火の後に大きな飢餓が続けて発生する事が多かった。藩によっては備蓄米を放出して飢餓者が少なかった所もあったけど、上手く藩経営が行えていなかった場所程、被害者が多かった。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 井戸平左衛門の木像

こちらにあった木像は、「井戸 平左衛門」という享保16年(1731年)に第19代目:大森代官に60歳で就任した人物である。その就任した翌年の1732年に、冷夏と米を襲う害虫「ウンカ」の大量発生により、西日本を中心とした未曾有の大飢饉が起こった。

 

稲の害虫であるウンカ(浮塵子/Issus coleoptratus)

稲の害虫であるウンカ(浮塵子/Issus coleoptratus)

その際に代官だった井戸平左衛門は、江戸幕府の許可を待たずに陣屋の米蔵を開放して、庶民に米を配給し、被害の大きかった村の税を免除する事にした。また合わせて痩せた土地で冷害にも強いイモの栽培を奨励し、鹿児島からサツマイモを導入した。このようなスピード感溢れる対応のおかげで、彼の領地では殆ど飢餓者を出さなかったと言われる。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

芋を導入したけん、”芋代官”と呼ばれ~ようになったんだがね!

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 ジンが入っていた空瓶

こちらにあった黒いボトルは江戸時代にオランダで造られた、酒のジンが入っていた瓶。ただこの石見銀山の人達がそのジンを呑んでいた訳ではなく、出島周辺でこの瓶を入手した庶民が転売し、それを購入した人達は花瓶や容器にして活用していたという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 押絵作品 日本海の荒波

そして別の部屋には、石見銀山とは関係のない特別展示も行われていた。こちらは押絵の展示が行われており、日本海の荒波に抗いながら進んで行く北前船のような景色にも見える。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 押絵作品 馬に乗った女婦

なかなかに興味深い、銀山で栄えた大森町。今では静かな集落と化した大森町だが、かつては数万人規模の人が行き交う、中国地方でも特に栄えた場所だった事だろう。

 

 

世界遺産センターに戻る!

島根県太田市 大森町 代官所跡広場のバス停

石見銀山資料館で約30分間に渡る見学を終えて、車を停めている世界遺産センターまで戻る事にした。バス停の時刻表を確認はしていたものの、次のバスがやって来るまで約30分ほど待ち時間が発生していた。

 

島根県太田市 大森町 ガソリンスタンド

30分も待って有料のバスに乗って移動する位なら、徒歩で世界遺産センターまで移動しても同じくらいの時間で到着できるという事もあって、オカンを説得して徒歩で世界遺産センターまで向かう事にした。こちらは大森町にあったガソリンスタンドだが、ここでもレンタサイクルの貸し出しを行っており、自転車を借りてこれから大森町の観光に出向く人達の姿を見かける。

 

島根県太田市 大森町 銀山川に架かる橋

この銀山の町である大森町は、その坑道跡まで行くには結構な距離がある。歩くのが好きな人や時間に余裕ある人は徒歩で移動するのがいいけど、そこまで歩きたくない人は自転車を借りての見学が無難な所でもある。

オカン
オカン

ワタシもあまり歩きたくないんやけど・・・

 

島根県太田市 大森町 銀山川

この訪問時はチョロチョロとした流れとなっていた銀山川だけど、この大森町の住民は過去に何回もこの川が溢れての水害を経験しているようだ。そしてその水害対策として、川沿いに石垣が設置されていき、今ではこのように立派な石垣となっていたのである。

 

島根県太田市 大森町 道を歩く

とりあえず世界遺産センターまで向かう道を歩きながら、万が一早い目にバスがやってきたら飛び乗ろうかと思っていたけど、バスの姿は当然全く見られなかった。この石見銀山はかなりの山奥にあって、交通手段が不便な事もあって、小回りが利きにくい観光地となっていた。

 

島根県太田市 大森町 道を歩く2

ボクらと同じように世界遺産センターまで向かうバスに乗りたそうな老夫婦もバス停付近に居て、ボクらが歩き出すとそれに続いて歩いて来ていたけど、途中でその姿が見えなくなってしまった。知らない土地ではあまり歩きたくないのか、それとも既に疲れ果てていたのでやっぱりバスに乗りたくて引き返したのか・・・。

 

島根県太田市 大森町 昔の金鳥の看板

このような人口が少なくなって寂れた情緒の町を歩いていると、今では滅多にお目に掛かれないようなレトロな看板などを目にする事が出来る。このようなレトロな看板を見ていると、昔から日本人にお馴染みの商品があった歴史なども、何気なく勉強する事が出来る。

 

島根県太田市 大森町 昔のナショナルランプの看板

こちらの家には「ナショナルランプ」の錆びて良い雰囲気になった看板も飾られていた。この「ナショナル」は松下幸之助が創業した世界的な家電メーカーの松下電器で主力のブランドだったが、2008年に社名をパナソニックに変更してからは、「ナショナル」ブランドが廃止となってしまっている。

 

島根県太田市 大森町 茅葺屋根の建物

そんな世界遺産センターまで向かう帰路の道を歩いていると、道の脇に昔ながらの立派な茅葺屋根の建物が見えてきた。かつてはこの大森町にはこのような茅葺屋根の建物が何軒もあった時代があったようだが、江戸時代に発生した大火の後に茅葺屋根の建物が禁止となり、姿を消してしまっている。

 

 

島根県太田市 大森町 茅葺屋根の建物2

こちらの茅葺屋根の建物からは、中から湯気のようにも見える煙がモクモクと染み出て上がっているのも見えた。帰ってから調べてみたら、こちらの建物は「株式会社 石見銀山生活文化研究所」という所が運営していたようで、昔ながらの文化を近代にも残そうという取り組みをしていたようだ。

 

 

島根県太田市 大森町 茅葺屋根の建物3

茅葺屋根の建物は日本古来の文化が詰まった建物だが、近年はこの屋根に使う材料の茅が少なくなって入手しにくくなっているので、余計に昔から続いてきた茅葺屋根の建物が消滅していっているのが現状である。このように建物を維持したくても、それに使う材料が手に入りにくい時代になっているので、これからも国内からどんどんと消えていく運命にあるのだ。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

今の日本人はたえぎい事が嫌な人種となってしまったわ!

 

島根県太田市 大森町 街並み

こちらは大森町のちょうど中間あたりの場所で、この大森町にやって来た時に最初に到着したポイントである。行きの時に歩いた経験があるので、それが帰りの道で生きて、迷わずに自信を持って歩いて帰る事に繋がるのである。

オカン
オカン

そんな自信イランから、バス乗って帰ろうや・・・

 

島根県太田市 大森町 羅漢寺の五百羅漢

そして大森町の銀鉱山で働く労働者の魂を鎮める為に、建造された「五百羅漢」が収められている羅漢寺。昔は今では考えられない程に身分階級が強かった社会だったので、力のない庶民は地蔵様などに願掛けする位しか、鬱憤を晴らす事が出来なかったのかもしれない。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る道

このように徒歩で大森町を歩いていても、かつて最盛期には数万人規模の人が住んでいた町とは思えない、寂れた田舎の町という雰囲気しか感じなかった。どんなに賑わった場所でも、100年以上が経過すると建物は老朽化するし、その時代を知っている人間は生きていないので、その当時の歴史は過去になってしまうのである。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る道を歩く

本来ならバスに乗って楽に移動できる換算をしていたオカンも、あまりにもバスなどが通らないのでそろそろ諦めて、歩きに集中していたような顔をしていた。せめてシャトルバス位運行してくれていたら良かったのだが、コロナ禍で観光客がより少なくなった時期でもあったので、そういった事を行うのも難しいのかもしれない。

 

世界遺産センターに向かう遊歩道を進む!

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る遊歩道入口

そして少し歩いて行くと、世界遺産センターまでの近道となっている遊歩道に辿り着く。大森町まで行く時に通った道なので覚えていたけど、意志を持って歩いていないオカンからすれば、

オカン
オカン

こんな道、歩いたかな?!

という感じだったようだ。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る遊歩道入口 看板

それなりに整備されている道だけど、初めてこの道を通る人からすれば、警戒感を高めてしまいそうな道でもある。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る遊歩道を進む

しかし息子から「一度通った道」という事を聞かされて、納得して道を進んで行くオカン。人間という生き物は歩く事によって進化してきた生き物なので、こういった所で歩く事が重要なのである。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る遊歩道を進む 階段

進んで行くと、このように竹林の中を綺麗に整備してくれている階段なども設置されており、また周囲には自然の音しか聞こえなくて、非常に趣ある場所となっていた。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る遊歩道を進む 登る

せっかく世界遺産センターまでの帰りのバスの時刻表を事前に確かめといたのに、結局いつもの通り、歩かされてしまったオカン。

疲れと諦めの気持ちが混在し、

オカン
オカン

何も言えねえ~~ガクッ・・・

という気分だったようだ。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る遊歩道を進む 到着

しかし代官所跡前のバス停から約30分掛けて歩いてきた末に、車を駐車している世界遺産センターまで何とか戻ってくる事が出来た。不便な場所に石見銀山がある事は知っていたが、事前に移動手段などを細かく調べていないと、もっと不便になる場所だった。

 

島根県太田市 大森町 世界遺産センターまで戻る遊歩道を進む 到着2

こちらの「世界遺産センター」の施設内にも、石見銀山などに関する資料などが展示されていて見学できるけど、既に歩き疲れたオカンは、

オカン
オカン

早く、次に行こや!勿論、車でな!

との事だった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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