島根県旅行記2021年11月-21
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
横穴だらけ!
島根県にある世界遺産の「石見銀山」にやって来て、唯一常時見学できる坑道「龍源寺間歩」に辿り着きます。この石見銀山ではもっと沢山の坑道を通れると、現地に行った事のない観光客だと思ってしまうけど、実際には殆ど昔の坑道は見学できないのが実情であった。。
住所:島根県大田市大森町イ1597-3
営業時間(龍源寺間歩):9時~17時(12月~2月は16時まで)
電話番号:854-89-0183(世界遺産センター)
入場料(龍源寺間歩):大人410円/小中学生210円
龍源寺間歩の見学!
坑道内に入ると、如何にも「坑道跡」という穴が奥まで続いている。ただ観光客が多く来る場所でもあるので、地面は歩きやすいよう真っ平になっていた。個人的にはもっとデコボコしていた方が臨場感があって楽しめるのだが、躓く人もいる事から歩きやすさを優先していたのかもしれない。
しかし石の知識が殆どない人間からすれば、ここが銀山跡なのか? それとも鍾乳洞のような洞穴なのかが分からない・・・。ただ言えるのは自然に出来た穴ではなく、人が人為的に掘っていった穴という事だけ。
そして坑道内には多くの横穴が見られる。銀山では銀の鉱脈が横にも走っていたので、それを追うように縦横無尽に手で穴を掘り進んで行っていた。
ただそれらの横穴は狭いので、立ち入りは全て禁止されている。横穴も奥の方まで掘られている物もあれば、そこまで深くない穴など様々である。
この鉱山採掘は戦国時代~江戸時代初期に最盛期を迎えた頃は、全て手作業で掘って、採れた鉱石は周辺の鍛錬所に送られていた。まさに”人海戦術”という昔ながらの方法だが、当時としては最先端の技術で採掘されていた銀山でもあった。
『世界遺産』という”箔”が付くと、わざわざやって来る観光客はどんな素晴らしい光景が待ち受けているのだろうかという大きな期待を持ってしまう。しかしこの石見銀山は素朴な銀山跡という飾り気のない場所なので、同じ世界遺産でポーランドにある「ヴィエリチカ岩塩坑」程の娯楽性は用意されていない。
ポーランドにある「ヴィエリチカ岩塩坑」は、坑道内に教会があったり、レストランがあったりで観光客が充分楽しめる場所になっている。そして当時の作業者の様子を再現した模型なども展示されていたが、この「龍源寺間歩」では皆無だったが。。
「銀」というと、銀色の塊が埋もれているのかと思ってしまうけど、実際には銀が含まれた鉱石が埋もれているのである。だから掘っても”銀の延べ棒”のような物が埋まっている訳ではないので、このような横穴を覗いても銀の塊は見つからないのである。
せめて当時の採掘の様子を再現した人形などを設置してもいいのかと思うけど、それを設置するとなると今の坑道を削って拡げないと展示するスペースもない。そして坑道を削って改造する事は昔の遺構跡を破壊する行為にも繋がるので、今更そういった事も行えないのである。
想像力で楽しむ場所だわ!
この鉱山では銀だけではなく、銅も採れたという。銅は銀より金銭的価値が低いけど、導電率や熱伝導率の高さで電化製品最盛期となった現代では、身近な物に必ずといっていい程に使われている物質でもある。
そして坑道を掘り進んで行くと、水が湧き出てくる問題もあった。掘って出てきた水をいちいち排水するのも大変な作業で、穴によってはわざわざ下側から掘削を開始して、掘った時に出てくる水が自然と下に落ちるようになどの工夫もされていたようだ。
そんな排水問題と共に、こういった閉ざされた空間では「空気」の循環も問題になる。人間が何人か作業する炭鉱などでは、人間が吐き出す二酸化炭素による「二酸化炭素中毒」なども問題もあった。それを解消する為に、空気窓的な穴を天井に向けて掘ったりなどもされている。
今では空気の循環はキチンと行われているが、約400年前当時は命を落とすのが普通でもあった炭鉱労働。それだけの報酬が貰えたから炭鉱労働をしたのか、それとも炭鉱労働という選択肢しか無かったからか?!
この龍源寺間歩は600mほど掘られている穴であるが、観光用に通れるのはたった160mの部分のみ。観光客からすれば探検気分でやって来る坑道跡だけど、管理する側からすれば、これ以上先に進むと問題しかないので、これで勘弁してくれという声が聞こえてくるような気がした場所でもあった。。
戦国時代の終わり頃には世界で流通する銀の1/3が、日本で産出された物だという説がある。それだけ日本では早くから銀などを取り出す技術が導入されていた訳であるが、このような天然資源は有限な物なので、当然の如く、掘れば掘る程に資源は消えていく。
そして掘り尽くされた銀山に残されたのは、このように何も残っていない穴ばかり。銀を採掘する立場からすれば、鉱石をわざわざ残す必要もなかったので、手当たり次第に掘られていたようだ。
このような道が約160m奥まで続いている龍源寺間歩。コロナ禍もあって観光客も少なかったので、余計にひっそりしていた坑道内。ヴィエリチカ岩塩坑の坑道内見学の際は、壁に付いていた岩塩を舐めたりできたけど、ここ銀山跡では坑道内に銀を見つける事は出来なかった。
観光客目線からすれば、銀鉱石のサンプルを展示していたり、銀の塊を展示してくれていたりすれば参考になるのだが、この坑道内ではこのように何も残っていない横穴ばかり。ガイドさんとの見学であれば色んな説明を教えてくれるからいいけど、何の知識もない観光客が歩くと、ただ横穴がチラホラとある穴にしか思えないのである。。
そしてこれぐらいの洞穴だったら、鍾乳洞の方が楽しめると思って、次第に退屈になってくるのだろう。それが”ガッカリ遺産”とも称される結果になっていると、今回の見学で体感したのであった。
ただこの石見銀山のある地域も、世界遺産となって急に多くの観光客が押し寄せた事で、色んな問題が起きて、住民達は困惑して迷惑な日々を迎える事になった。またこの島根県太田市もそんな大勢の観光客を迎える程のインフラや設備も用意できないので、”ほどほど”の観光客を迎えるだけの姿勢のようだ。
そして坑道を160m進んで行くと、こちらのちょっとした広間になっている部屋に辿り着く。ここが行き止まり地点で、本来なら奥までまだ坑道が続いているのだが、見学はここで終了となる。
岩石に興味がある人からすれば、岩の質を見ながら楽しめるのであろうが、一般人はそこまで知識がないのでただ「岩」とだけしか認識できない。ちなみにここまで歩いてきた道の岩石は「石英安山岩」と呼ばれるもので、火成岩の一種である。
ここから先の部分は落盤の為に塞がっているから、立ち入りできないようになっているという。このような坑道では落盤という危険性も伴っているので、観光資源としての活用が難しい場所でもある。
奥には大人1人が入れる程の穴が見える。ここは鍾乳洞とは違って、人為的に掘られた坑道なので、ここまで掘ってきた人々の血と汗と涙の結晶が蓄積している場所でもある。
そしてこの広間の真ん中付近にあった柱は、このように染み出てきた水を長年受け続けたせいか、鍾乳石のようになっていた。
そして坑道内には係員は駐在していないので、万が一場合にはこちらに備えられている固定電話でスタッフに連絡を取れるようになっていた。
そして突き当り左手には、こちらの後から掘られた「新坑道」が見られる。この新坑道は「栃細谷新坑」という名前が付けられており、綺麗に四角く突き通る穴だと思っていたら、どうやら近年に掘られた穴となっていたようだ。
観光向けに坑道を開放す~には、こげな出口がなえと難しえんだわ!
「栃細谷新坑」を進む!
この「栃細谷新坑」は出口へと向かう道となっているが、その脇にはこの銀山跡でどのような作業が行われていたかを説明するパネルがズラ~~っと設置されていた。なので帰り道途中に、銀山での採掘や銀加工などの様子を学んでいく事にする。
こんな旅はまた次回に続きます!
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