島根県旅行記2021年11月-25
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
高台からの景色!
ここは島根県の世界遺産となっている石見銀山の町だった「大森町」。さっきまで雨が降っていたけど、このように分厚い雲の向こう側から太陽が顔を出してきて、一気に地面に降った雨が蒸発していく頃合いを迎えていた。
住所:島根県大田市大森町イ1597-3
営業時間(龍源寺間歩):9時~17時(12月~2月は16時まで)
電話番号:854-89-0183(世界遺産センター)
入場料(龍源寺間歩):大人410円/小中学生210円
大森町を歩く!
この大森町は石見銀山と共に発展した町で、石見銀山は掘り尽くされて衰退してしまったが、その町だけは何とか生き残っている。ただし完全に生き残っている訳ではなく、かつて数万人も暮らしていたとされる人口も大きく減って、建物も近代化されつつあったが、昔の景観を守る人達が立ち上がって、町の景観を保護して今に至る。
この石見銀山では、銀山で働く労働者と共に、その銀山を管理する役人達もそれなりに暮らしていた。江戸時代に入って江戸幕府の天領となって直接管理された石見銀山だが、その送り込まれた代官の下で「地役人」が雇われて、彼らが銀山労働者などを管理していた。
こちらは「大森区裁判所跡」の建物で、1888年頃に造られたもの。第二次世界大戦まではここで周辺の村の裁判などが取り仕切られていたが、戦後は使われなくなって、公民館などとして使われる建物になっていったようだ。
観世音寺に寄り道!
そして大森町の中間地点付近に、こちらの岩場が見えてきた。この岩場の上に登れる階段が続いており、また上の方に何かの建物が見えたので階段を登って上に上がってみる事にした。
この岩場の上に造られていたのは、「観世音寺」という寺だった。銀山の繁栄を祈願する為の寺として設置された寺で、現在の建物は江戸時代末期に再建された物のようだ。
銀山での労働者は労働環境の厳しさから若くして命を落とす者が多かったので、この大森町ではその魂を鎮める為に寺などが多数造られていた。特に江戸時代などは人々の苦しさを救うのは、こういった宗教による信仰でしか、救える手段がない時代でもあった事だろう。
個人的にはそんな寺の境内を見たいというよりも、大森町の中でも高台に造られていた寺だったので、その境内に登ってみたら町並みの景観を見下ろせる事を期待してだったのだが。。
そして石段を駆け上っていくと、観世音寺の本堂が見えてくる。人口が大幅に減っていった大森町の寺ではありながら、想像していた以上に綺麗な建物だった印象を受けた。
そして上に登ってみると、このように期待していた以上の景色が待ち受けていた。ここ石見銀山の大森町を特集するテレビ番組などの中で、ここからの景色が映像として使われる事が多い。この観世音寺は大森町でも人気の景色撮影スポットとなっていた。
こちらは代官所跡方面の景色で、手前には改装中の建物の骨組みなどが見られる。江戸時代頃の町並みを残すには、定期的な補修工事などが必要で意外と費用が掛かる。外壁が漆喰で塗られた建物は今では見る事が少なくなったけど、これも長年放置してくるとひび割れしたりして、それを放置していると汚く見えてしまう。
古い景観を残す方が費用が掛かるんだわ~!
大森町の町並み! 動画
そして足元には、大森町の人々の魂を安らげたお地蔵様が多々鎮座していた。21世紀となった現代では、30代までに命を落とす可能性が高い鉱山で働きたいと思う若者はまずいないだろうが、当時は貧しい人が多かったので避けて通れない道だったのかもしれない。
ちなみにこの場所は2022年に放送された、テレビ東京の人気番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか? –藤原紀香が初充電!山陰パワスポ街道SP』の中で、はるな愛チャンと共にゴールに到着したシーンを撮影していた場所でもあった。
こちらの掘られたような穴の中にも、小さくて可愛らしいお地蔵様が見られた。ただコロナ禍で全国の像やお地蔵様にマスクを取り付けている光景をよく目にしたけど、個人的にはあまり好ましい光景ではないと思ったが。。
そんな観世音寺からの景色を楽しんだ後は再び下に降りて、代官所跡を目指して歩く。すると見えてきたこちらの建物は、郵便ポストが立っているという事で「石見銀山大森郵便局」の建物だった。
このように全国に造られている郵便局の建物も、昔の景観を傷つけないように日本家屋風の外観をして造られているのだ。ただ建物内では帳簿を使っての管理ではなく、今どきのATMなどが置かれているのであるが。。
こちらの建物の前には数台の自転車が停められていたが、この自転車を見るだけで若い人達に喜ばれそうなショップである事が分かる。こちらは「ひまわり館」という倉庫跡だった建物を改装して、今ではジェラードなどを提供するお店になっている。
その建物の左側にあったこちらの「Eis&Café Bäckerei Konditorei Hidaka(ベッカライ コンディトライ ヒダカ)」が、一緒に経営している。こちらはドイツでパン作りを勉強した主人が、島根県に誘われて移住して開いたドイツ風パン販売店。
そしてその隣に、そのパン屋の奥さんがドイツでお菓子作りを学んだ経験を活かして、新たに開いたお店だったようだ。このように古臭い町でもある大森町だが、昔ながらのお店ばかりではなく、現代人が入りたくなるようなお洒落なお店が徐々に増えつつあるのだ。
町も時代に応じて変化していくんだわ!
”ガッカリ名所”とも揶揄される石見銀山だけど、わざわざ遠くからやって来た観光客を満足させる為に、やる気ある若い世代を呼び込んで新しい町造りに努力している姿勢が見える大森町。
少子高齢化が更に進んで行く21世紀では、若い世代の取り合いが国内でもこれからもっと激しくなっていく事だろう。近年は田舎への移住誘致を大きく宣伝しているけど、実際に田舎に移住したものの、想像していた豊かな自然に囲まれた生活が出来なくて、逆に失望して帰っていく人も多いんだとか。
理想と現実は違~んだわ!
特に誘う側は”良い事”しか宣伝しない為に、その謳い文句をまんま信じてしまった人からすれば、現実を見せられた時に「騙された!」と思ってしまう事が多いのであろう。都会では周辺の住民との人間関係は殆ど無くなってきているが、田舎に行く程に周辺住民との人間関係が大きく影響してくるので、そういったしがらみを最初に知っておく必要がある。
こちらの建物は大正時代に造られた、「理容館アラタ」という”理容遺産”に認定された散髪屋さん跡だった。この『理容遺産』というのは全国理容生活衛生同業組合連合会が次世代に残したい理容関連施設を認定したもので、2012年に第1次認定が行われて、この建物を含む4箇所が認定されたようだ。
今から約100年程に造られた散髪屋さんも、今では営業はしておらず、中を見学できる施設となって保管されている。散髪屋さんの建物が「遺産」として残されていたのは珍しかったけど、何でも100年程経過するだけでそれなりの風格を備えていくのだろう。
こちらの建物は「山陰合同銀行」となっており、こちらも銀山の町:大森町の雰囲気に合わせた外観となっていた。山陰合同銀行は島根県松江市に本店を置き、この山陰地方では最大規模の地方銀行となっている。
地方を訪れると普段は目にしない名前の銀行を、よく見かける事が出来る。バブルが弾けた後の日本国内では、銀行の統廃合が進んでメガバンクが生まれて大きな銀行が支配力を強めているが、地方の地盤はこういった地方銀行が今でも根強く生き抜いているのである。
こちらの建物は世界遺産の中にも組み込まれている「熊谷家住宅」。熊谷家は江戸時代になって鉱山業から財を成して、銀山関連の事業を拡げていき、代々大森町を代表する家柄だったようだ。
ただそんな熊谷家住宅は国の重要文化財にも指定されている事もあってか、入場料が必要な場所になっていた。そこまで建物に興味が無かった事もあって、入場は見送る事にしたのであった・・・。
このように大森町の町並みも江戸時代から残っている建物もあれば、それに似せたような近代に建てられた建物もあったりで、新旧が入り交ざった町並みともなっていた。住んでいる住民の都合にもよって建物は変わっていくので、そういった血の入れ替えじゃないけど、この大森町では建物も入れ替わって時代を過ごしていっているようだ。
こちらには昔懐かしい外観のタバコ屋さんも見える。NHKで放送している『ブラタモリ』の番組内でこの大森町を訪れたタモリさんが、このタバコ屋を見て「懐かしい!」と反応していた建物でもある。ただ、こちらも今では営業していないようで、”タバコ屋遺産”に認定される未来を待っているかのようにも見えた・・・。
そしてやっと大森町の端にある「代官所跡」に到着します。この石見銀山の町:大森町は小さく思えるけど、意外と縦長に造られていて、坑道跡からこの代官所跡まで訪れるにはそれなりに時間がかかる場所となっていたのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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