石垣を登り、国宝に指定された松江城天守と念願のご対面!【島根県旅行記5】

島根県旅行記2021年11月-5

旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)

国宝の城!

島根県松江市 大手門跡から本丸へと進む

ここは島根県松江市の中心部にある、松江藩の居城となっていた「松江城跡」。この松江城の天守は”江戸時代から現存する12天守の1つ”となっている。

 

 

 

松江城の見学!

島根県松江市 松江城 大手門跡 景色

この入口にはかつて大きな大手門があった場所だけど、明治時代の廃城令によって、天守以外の建物は払い下げられ壊されてしまった。なので天守以外の建物は後年になって復元された建造物で、一度壊された物をまた費用を掛けて直していっているのである。

 

島根県松江市 松江城 松江城山公園 景色

大手門があった場所を入った正面には、かつて二ノ丸の下ノ段となっていた「外曲輪(そとぐるわ)跡があって、今では松江城山公園として整備されている。

 

 

二ノ丸の下ノ段跡の景色! 動画

 

 

島根県松江市 松江城 松江城山公園 案内板

そしてこの外曲輪には「米蔵」が作られていたようで、城の物資貯蔵庫のような場所でもあったようだ。城という建造物は基本的に敵が攻め込んできた際に逃げて籠城して戦う施設であるが、堅固な造りと共に、多くの兵士の胃袋を満たすだけの食料も常備しておかないといけないのである。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

最後は人肉を喰ら~で!

 

島根県松江市 松江城 石垣 階段

左の二ノ丸を支える石垣の上に建っている建造物は「太鼓櫓」で、2001年になってその周囲を取り囲むように設置された塀と共に復元されたもの。昭和前半頃には天守以外の建物は殆ど消えてしまっていたけど、かつての松江城の景色を取り戻そうという地元の頑張りで、このようにかつての城の景観が戻りつつあった。

 

島根県松江市 松江城 石垣 階段 登る

昔の城は全ての入口に門や櫓などが設置されていて、それぞれに警備の兵士が常駐していた。しかし門などの建造物は明治時代にその多くが取り壊されているので、現代の城跡しか訪問した事のない人からすれば、「簡単に登っていける」というイメージの城となってしまっている。

 

島根県松江市 松江城 石垣 階段から見える天守閣

城の中でも最後の砦となっていた天守はこのように城の周囲から見渡す事が出来るけど、実際に天守に近づこうと思えば、敵兵が詰めている門や櫓などを1個ずつ攻略して行かないと辿り着けなかった。

 

島根県松江市 松江城 見学料決済手段

そして近年は”キャッシュレス決済”が世の中に浸透しつつあり、コロナ禍で非接触の支払い方法は依然と比べてもより活用されるようになっていった。地方の観光名所の入場料支払い時には、未だに現金しか使えない場所もあったりするけど、ここ松江城は交通系ICカード決済なども使えるようになっていた。

オカン
オカン

ワタシが使う「AUペイ」はないやんか!(怒)

 

島根県松江市 松江城 二の門跡 碑

登っていくと二ノ丸跡に差し掛かり、「二ノ門跡」という標識が建っていた。このような境の場所には昔はその全ての場所に門が設置されていたとは、なかなか想像しにくい景色が目の前に広がっている。

 

 

島根県松江市 松江城 松江神社

そして二ノ丸跡敷地内には、こちらの「松江神社」が建てられているのが見える。この松江神社は明治時代になってから、出雲松江藩初代藩主となった「松平直政」を祭神として祀る為に作られた神社となっている。それ以外にも松江藩7代藩主:松平治郷や、この地に城を建造させた「堀尾吉晴」なども祀られているという。

 

島根県松江市 松江城 本丸へと向かう階段

城内には神社が作られている光景はよく見られて、こういった所には歴代藩主のお墓などはない事が多いので、とりあえず神社はパスして天守の建物に向かう。歴代藩主のお墓には興味があるものの、城内には無くて、菩提寺としていた寺院に設置されている事が多い。

 

島根県松江市 松江城 一ノ門

そして進んで行くと、雰囲気のある石垣と共に、奥に二ノ丸と本丸を繋ぐ「一ノ門」とその右側に造られている「南多聞櫓」が見えてくる。この2つは1960年に復元された物で、石垣だけではなく、その上に乗っている建造物があるだけで城っぽい荘厳な雰囲気を醸し出してくれる。

 

島根県松江市 松江城 一ノ門 石垣

松江城の石垣は”野面積み”という、様々な形の石を積み重ねて造った石垣となっているが、同じような大きなの岩を均等に配置したというよりは、その時の石の入荷状態でデカイのが届いた時にすぐ石垣に設置したかのように思える石垣だった。

 

島根県松江市 松江城 一ノ門 入場券売り場

そして今は門番の居ない一ノ門を通過すると、松江城の天守への入場券売り場が待ち構えている。有人の窓口だけではなく、無人の券売機も設置されていて、好きな方で入場券を買えるようになっていた。

 

島根県松江市 松江城 見学料案内

料金は大人680円と、それなりのお値段となっていた。それ以外には、セット券として城近くの「松江歴史館(基本展のみ)も一緒に入れる券:大人950円となっていたので、今回はこのセット券を購入する事にした。

 

またそれ以外にも「小泉八雲記念館」「武家屋敷」にも入れるセット券は、大人1100円という値段だった。

 

 

松江城天守とご対面!

島根県松江市 松江城 天守 正面からの写真

そしてここまで来ると、目の前に松江城の天守閣の建物が見えてくる。松江城の天守は外観4重となっていて、内部5階となっている。この松江城の天守は1611年頃に建造された建物となっており、近年になってから「慶長16年(1611年)」建造を裏付ける史料が出てきて、それを証拠に国宝に指定されたという。

 

島根県松江市 松江城 本丸 小泉八雲の案内板

こちらには「小泉 八雲(こいずみ やくも)という、明治時代の新聞記者や小説家や英文学者でもあったギリシャ出身の人物の案内板があった。フランスやイギリスで学んだ後にアメリカに渡り、ジャーナリストとして活躍する。そして1890年に出版社の特派員として日本にやって来たが、日本到着後にトラブルの為に契約破棄となり、その後はここ松江市の中学校で英語教師となり、後には今の東京大学や早稲田大学で英文科を教えたという。

 

島根県松江市 松江城 本丸 松江城の案内板

この地を治めていた松江藩(出雲富田藩)は、元々はここよりも南方にある、かつて尼子氏の居城だった「月山富田城」が本拠地してあてがわれた。しかし月山富田城は”難攻不落の山城”とも言われた程の城だったので、普段から藩政を行う場所には程遠かった。その為に送り込まれた堀尾吉晴は、この地に新しい城を築く事になった。

 

島根県松江市 松江城 一ノ門 内側からの景色

この山陰地方は室町時代以降に尼子氏が勢力を強めて、長年支配していた国であった。そこに戦国時代に群雄割拠してきた毛利家が襲い掛かり、難攻不落だった月山富田城も攻め落とされてしまう。その後は毛利家の支配下となった月山富田城だったが、関ヶ原の戦いで毛利家は西軍に加担した為に、江戸時代になってから領地を取り上げられる事になる。

 

島根県松江市 松江城 天守 正面からの写真 アップ

そして空席となった山陰の出雲国富田24万石は、東軍に加担した堀尾吉晴に与えられる事になった。ただ移封されてきた大名は、前までの大名に使われていた建物よりも、新しく自分好みの城を造って、その地で気分一新して国を治める事を選ぶ事が多かったのかもしれない。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

組織刷新わや!

 

松江城の天守に入城!

島根県松江市 松江城 天守 入場券購入

さて、この旅で最も楽しみにしていた”江戸時代からの現存天守”である松江城の天守閣へと進みます。そして城見物をした後は、毎度の歴史博物館での勉強もしたいので、こちらはその2つの共通券となっている。

 

島根県松江市 松江城天守の出入り口

こちらが松江城天守への入口となっている玄関で、このように大きな天守という建造物の割に小さめの玄関となっている。これも天守が砦でもあった証拠のように、一度に大群が入れないようにとこのような小さな入口にしたのだろう。

 

島根県松江市 松江城天守の出入り口 靴の履き替え

そして江戸時代からの現存天守では”土足禁止”の所が多いけど、この松江城天守も入口で靴を脱ぐシステムになっていた。そしてこの入口部分はこのように狭い空間となっていたので、靴箱は設置されておらず、用意されているビニール袋に自分の靴を詰めて、城内見学時はそれを提げながら状態で行うのであった。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

ブーツを履えてく~と、見学の邪魔にな~わ!

 

島根県松江市 松江城天守内 石打棚

こちらは靴を脱いでから階段を少し登っていった場所にある、「石打棚」という侵入してきた敵に対して守備兵が鉄砲などを放つ場として設置されている木枠の足場が見える。このように天守内には、客人を出迎える応接間ではなく、客人を撃退する仕掛けが随所に施されているのである。

 

島根県松江市 松江城天守内 下層部

1611年頃に建造された松江城だが、勿論その当時の姿のまま、現代に残っている訳ではなく、過去に何回も補修や解体工事などが行われている。江戸時代中期頃に大規模な補修工事が行われて、その工事で今の天守の外観が仕上がったとされる。そして1950年から数年掛けて、天守の解体修理工事も行われている。

 

島根県松江市 松江城天守内 旧鯱の置物

そして脇には、1950年から始まった「昭和の大修理」までの時代に、ず~~っと天守の屋根に鎮座していた「鯱(シャチホコ)」が、その大修理の際に御役目御免となった為に、ここに保管されていたのである。

 

島根県松江市 松江城天守内 旧鯱の置物 アップ

こちらの鯱は江戸時代に作られた物で、木彫りとなっていて、その上に銅板張りがされている。高さは約2mとなっていて、現存する木造の鯱の中では”日本イチの高さ”となっているようだ。

 

島根県松江市 松江城天守内 使われていた木材

それ以外にも使われなくなった、古くからの木材なども保管されていた。”昭和の大修理”で全ての木材を入れ替えた訳ではなく、老朽化して朽ちかけている木材のみ取り替えて、まだまだ使えそうな柱などはそのまま使用されている。

 

島根県松江市 松江城天守内 井戸跡

そして、城に欠かせない「井戸」がここ松江城では天守の中に設置されていた。天守の建物自体には水はそこまで必要としないけど、その城に籠る人間にとっては欠かせないのが、この井戸から出てくる「水」なのである。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

人間を滅ぼすには、水を絶てばええんだ!

 

島根県松江市 松江城天守内 2階に上る階段

そして江戸時代からの現存天守に付き物の、味のある木造階段を登って中へと進んで行きます。松江城の内部は、12の現存天守の中でも2番目に広いらしいので、見学が楽しみである!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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