島根県旅行記2021年11月-32
旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)
温かい方も乙!
さて島根県の世界遺産である石見銀山やその銀山から採れた銀を出荷していた港跡の温泉津、そして日本イチの高さを誇る灯台の出雲日御碕灯台を見学して、暗くなった出雲市内に戻ってきました。当日1日だけ借りていたレンタカーを返して、これから晩飯を食べに行きます。
「献上そば 羽根屋」で晩飯タイム!
いつもは晩飯を食べるお店を探す際にウロウロと歩き回るのだが、昨日この出雲市内にあまり入りたくなるようなお店が見当たらなかったので、今日は事前に調べていた。そして選んだのが、こちらの「献上そば 羽根屋」という、皇室の人達も度々食べた事のあるという蕎麦屋さんだった。
こちらは「献上そば 羽根屋」のメニュー。島根県に来てから名物である冷たい「割子そば」は既に2回食べたので、ここでは温かい方の出雲そばを注文してみた。
割子そばはこの丸い段の容器が何ともいい雰囲気を醸し出しているけど、毎食食べてしまうと飽きるのも早くなりそうだったので、ここでは一旦割子そばを食べたい気持ちを抑えて、温かい方も味わってみる事にしたのである。
このお店の名前が「献上そば」という名前になっているのは、過去に大正天皇や昭和天皇、また平成の天皇などが食べた事のあるお蕎麦で皇室にゆかりがある事から来ているそうだ。
そして注文して蕎麦が運ばれてくるのを待っている間に、店内に展示されていた、こちらの明治時代初期頃に使われていたという割子そばの容器を見学してみた。今では丸い容器となっている割子そばも、昔はこのように桝箱のように四角い箱だったようだ。
こちらは明治時代中頃に使われていた割子そばの容器で、初期に比べると角が増えて八角形に近い形に変化しているのが分かる。居酒屋で日本酒を飲む際に桝箱に入れて飲む事があるけど、四角い容器だとその隅っこが洗いにくくて、不衛生なのでそれが嫌われて割子そばの容器も段々角が取れていったようだ。
四角から角が取れて丸い容器になっていった割子そば。川の中にある石のように、長い年月を掛けて角が取れていった容器が、柔らかいというか、見事な調和を見せつけているかのようにも感じる。
こちらは「献上蕎麦」という文字が入った容器も置かれていた。この名前は明治時代の末に当時皇太子だった大正天皇が山陰地方に行幸してきて、この出雲市に宿泊した際にこちらのお店で蕎麦を食べて気に入った事で、この名前を付ける事が許されたという。
そして頼んだ、温かい方のそばが運ばれてきました。割子そばは冷たいので秋口の夜には、自然と温かい蕎麦が食べたくなる時期でもある。
温かい蕎麦は既に色んな薬味などが載せられたり、ツユだらけの状態で一般的に運ばれてくる事が多いだけに、このような素の状態で蕎麦を眺めるのは珍しいと思う。
こちらは薬味が載せられた小皿。個人的には薬味はそこまで欲する人間ではないけど、付け合わせとして出てくるので入れて食する。
タレと共に蕎麦湯も付いていた。食にあまり興味が無い人間からすれば、「何故そばに蕎麦湯が付き物なのか?!」をイマイチ理解できない。この感覚は日本人でも育った場所によって違うらしく、関西人はうどん文化の方が強いので、そば湯に対してそこまで理解がないんだとか。
今回の島根県旅は”出雲蕎麦三昧”の旅でもあったので、蕎麦好きなオカンは文句を言う事もなく、蕎麦を食べる準備に取り掛かります。今回の旅では食の殆どで出雲そばを食べたのであるが、日本古来より食べられて来た料理だけあって、毎日食べても嫌にならない蕎麦であった。

島根で蕎麦食べ過ぎたので、当分はイランわ!
まずは温かい出雲蕎麦に薬味を載せます。鰹節や刻み海苔などはまだ水分を含んでいないのでパリっとしているけど、蕎麦に載せると水分を徐々に含んでシナシナになってくる様子を楽しむ。
そしてタレをドバドバ~~っと蕎麦にかけていく。このように温かい蕎麦にタレを掛ける機会が少ないので、出雲そばを食べ慣れていない人にはちょっと戸惑いそうな瞬間でもある。しかし、”郷に入れば郷に従え”の言葉にもあるように、出雲市に来たなら戸惑う事すら忘れて思いっ切りタレを掛けるのみである。

出雲そばの食べ方が、世界のスタンダードだわ!
こちらのお店では勿論手打ちそばとなっているので、場合によっては麺の在庫が切れてしまって早めに閉店になる事もあるようだ。今では機械で麺を打つ店も増えてきているようだが、やっぱり料理は職人の心が籠った手作業で作られた物が、その気持ちが隠し味となって美味しいのである。
夜の出雲市内を散策!
さて美味しかった献上そばを食べ終わって、ホテルへ戻る事にする。この出雲市ももう少し色んなお店があるのかと思っていたけど、コロナ禍と人口減少社会の煽りを受けて、以前より飲食店なども少なくなっているのだろう。
それと出雲市に「おろち通り」という通りがあった。古事記に書かれている日本神話の『ヤマタノオロチ退治伝説』の舞台が、この出雲市を流れる斐伊川の源流だったと考えられているので、それで日本神話に纏わるストリートとして任命されていたようだ。
ただこのように出雲市内の昔は栄えたような商店街跡の通りも、夜には人も殆ど歩いておらず、とても寂しい場所に成り果てている光景が見られた。
そしてこちらは「出雲の商店街:サンロード中町」という、商店街のあるアーケード通りに差し掛かる。大阪ではこのようなアーケードのある商店街は、車などの車両が乗り入れ出来ない所が多いだけに、このように普通に乗用車がアーケード商店街内へと進入していく光景を見ると違和感しか感じない。。
大阪ではそうでもないけど、地方に行けば行く程に車社会となっているので、このようなアーケード商店街でも車の進入が出来るようになっているのかもしれない。この商店街では夜という事もあって居酒屋はそれなりに人が入っていたけど、それ以外のお店は固くシャッターが閉まっている姿ばかりであった。
こちらは出雲市の繫華街的な場所となっている「代官町」。スナックやらラウンジやら飲み屋が密集している場所だったけど、コロナ禍という事もあって、思った以上にひっそりとしていた。
そしてそんな静かな繫華街も特に見るべきお店もなくて、出雲市駅前に戻ってくる。こちらの駅前広場には、このような日本神話に纏わる人形が収められたカラクリ時計のような物が設置されていた。
それぞれのオブジェの前には楽器の形が入れられていたけど、どうも故障中らしくて音が鳴らないんだとか。このようなカラクリ時計なども設置した時はいいけど、定期的にメンテナンスしないと故障してしまって、無用の長物となってしまう事が多い。
この出雲市駅前は出雲大社にやって来る観光客が多く通る場所でもあるので、せめて修理していて欲しかったけど、このオブジェも音が鳴らなくてもそこまで支障がないという事で放置されていたのかもしれない。
ホテルで夜鳴きソバ!
イマイチ散策し甲斐の無かった出雲市駅周辺。仕方なしに駅前のホテルに戻って、部屋で飲酒タイムとする。旅先ではご当地の酒蔵で作られたお酒を呑む方が雰囲気があっていいのかもしれないけど、手軽に買える値段という事もあって、自然と「八海山」に手が伸びてしまったのだ。。
こちらはオカンが使っているスマホの万歩計アプリで、今日はレンタカーの移動ばかりであまり歩いていないと思っていたけど、意外と26000歩も歩いていた。というのも石見銀山の世界遺産センターに車を停めて、龍源寺間歩や代官所跡までの移動は全て徒歩だったので、想像していた以上に歩いていたようだ。
いつもは安ビジネスホテルに泊まるのだが、今回はそんなビジネスホテルでもちょっと色の付いた「ドーミーイン」に宿泊。ここでは夜間に無料で「夜鳴きソバ」が提供されているし、大浴場脇にアイスや乳酸飲料が無料で提供されていたりと、思わず手が伸びてしまう無料のサービスが提供されていた。

大浴場入った後に、無料のアイス食べれて幸せ♪
ただ21時30分以降にしか食べれない「夜鳴きソバ」は、本来なら晩御飯を食べた人間には不要なのであるが、”無料”というワードに吊られてホイホイとまた食堂に姿を現してしまった。
このドーミーインホテルに泊まる人の中には、晩飯を抜いてこの無料の夜鳴きソバを食べる事によって、一食分のお金を節約する事も出来るので、そういった観点でこのドーミーインホテルを選ぶビジネスマンも多いように見受けられた。
そして部屋に帰ると、オカンが見た事のないような動きをしていて、ちょっとビックリしてしまった。

これはゴキブリ体操や、体にエエねん!
こんな旅はまた次回に続きます!
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