代官所跡の石見銀山資料館見学②:鉱山で使われた道具と、鉱山経営に貢献した大久保長安【島根県旅行記28】

島根県旅行記2021年11月-28

旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)

内政の名人!

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 館内

世界遺産の「石見銀山」の歴史が学べる場所となっている「いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)」の見学を、引き続き今回も行っていきます。

 

【いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)】

住所:島根県大田市大森町ハ51-1
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:火曜&水曜)
電話番号:0854-89-0846
入館料:大人550円 / 小中学生 250円

 

 

 

石見銀山資料館の見学!

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀鉱石サンプル

こちらは銀が含まれている「銀鉱石」のサンプル。鉱山では銀は大きな塊として見つかる訳ではなく、こういった銀の成分が含まれた鉱石として産出されてくる。こういった銀鉱石を多く掘ってきて、それから次はこの石から銀を抽出していくのである。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀鉱石アップ

このような大きな鉱石を採掘してきても、この石に含まれる銀は僅かな量しかない。しかしその銀は大変貴重な物質だったので、考えられない程の労力を掛けてまで人海戦術で江戸時代に採掘されていたのである。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 輝銀鉱石

こちらは「輝銀鉱」「黄銅鉱」でもあるサンプル。「黄銅鉱(おうどうこう)は文字通り、銅が含まれている鉱石である。ここ石見銀山では銀だけではなく、銀を掘り尽くした後半は銅の採掘がメインとなっていた。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 黄鉄鉱

こちらは「黄鉄鉱(おうてっこう)で、鉄と硫黄が含まれている鉱石である。黄鉄鉱はありふれた鉱石で硫酸の原料となっていたが、時代が進むと石油から採れる硫黄が使われる事になっていったので、その価値は低くなってしまっているという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 蘭銅鉱

こちらは「藍銅鉱(らんどうこう)で、『ブルー・マラカイト』とも呼ばれる宝石の1つでもある。本来の色はその名前の通りに「藍色」に近いのであるが、湿気のある空気中にあるとこのような緑色の外観に変化するという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 含マンガン砂岩

こちらは「含マンガン砂岩」で、砂岩は石英粒から成り立っているがマンガンはその接着剤的な役割をしているのだとか。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 江戸時代の測量技術の説明

江戸時代に鎖国をしていて海外からの技術や文化が国内に入って来なかったと思っている人も多いかもしれないけど、江戸時代には唯一貿易を許されていたオランダから、多くの西洋式技術が海を渡って日本国内に入って来ていた。その影響で鉱山技術に西洋からの技術がもたらされて、進化していくのであった。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山の模型

こちらには石見銀山の模型が展示されていた。石見銀山では「間歩(まぶ)という採掘坑道が数百も掘られており、今では想像もつかない程に大規模な鉱山となっていた。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山の模型 輪切り

こちらはその石見銀山で、銀の鉱脈が地中に埋まっている様子が再現されている。このように銀の鉱脈は横に走っているので、鉱夫は穴を掘って銀鉱脈にブチ当たると、それに沿って横に掘り進んで行ったのだ。

 

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山の地図

こちらは江戸時代の19世紀頃に描かれたとされる、地中に走る鉱脈を描いた「銀山麁絵図」。朱色の斜線で描かれている部分が銀鉱脈部分のようで、この鉱脈に沿って掘り進んでいたようだ。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山採掘の坑道図

こちらはこの銀山で掘られていた坑道の地図なども展示されていた。傍から見ればモグラの穴のようにも見える穴蔵だったが、人類の欲が象徴された穴でもあった事だろう。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山採掘のイメージ図

こちらは銀山での採掘作業などを分かりやすくまとめたパネルとなっていた。このようにここ石見銀山では、アリの巣のように地中に何層もの穴を掘って採掘を行っていたのである。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山採掘の道具

この石見銀山の採掘が本格化されたのは戦国時代~江戸時代で、勿論その当時は重機などは無かったので、全てこのノミと槌を使っての手作業だけで掘られていたのである。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山採掘のノミ

ひたすらこのような道具で一日中地盤を削っていたので、過酷な重労働だった事だろう。現代ではまず間違いなく『ブラックな仕事』に入る鉱山業であったが、それなりの金銭という見返りがあったのかもしれない。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山採掘の灯具

そんな採掘道具と共に必要だったのが、暗闇の坑道内を照らす照明の道具だった。今みたいに電気が開発されていない時代だったので、油を燃やしてそれを照明代わりに使っていたようだ。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山採掘の灯具 栄螺

そんな油を入れる照明として土器なども使われたけど、こちらの「栄螺灯」というサザエの殻をそのまま利用した道具も使われていたようだ。このような貝殻を鉱山で使っていた日本人は、さすが海に囲まれた国に生きた人種という事を感じる一品でもある。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 薬蒸管の図

こちらは「薬蒸管之図」という、坑道内に煎じた薬草の蒸気を送って労働環境を改善しようと開発された道具の絵である。坑道内で働く坑夫は粉塵などを吸い込んだり落盤などによる事故などで、30歳を迎えれる人が少ない程に命を削る仕事であった。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 薬蒸管の図2

しかし、その短命な坑夫の問題は鉱山経営者側からも働き手調達に苦労する難儀な問題であり、当時からその労働環境を改善する策が色々と考えられていたようだ。この道具は農業などで使われる物を改良して、薬草を蒸した空気を送り込んで坑道内の環境を改善していたという。

 

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山で使われていた道具の資料

銀の採掘はまず鉱脈を見つける所から始まり、銀を含んだ銀鉱石を採掘して終わりではない。採掘された銀鉱石から、有用な鉱石が選別されて、銀と合金になり易い鉛を炉の中で混ぜる事によって、銀鉛合金に精製する。そして最後に『灰吹法』という銀鉛合金から銀と鉛を分離する工程を終えて、やっと銀が精製されるのである。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

これだけ手間が掛か~銀の精製だけん、多うのしが従事しちょったんだ!

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 銀山で使われていたマスクの資料

その石見銀山では”日本最初のマスク”が使われていたと考えられている。世界的にマスクという物が付けられだしたのは、1918年頃に世界的に流行した『スペイン風邪』からで、日本では1879年頃から使用されていたとか。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 石見銀山御料の説明

江戸時代に天領となっていた石見国の幕府領は「銀山付御料」と称されていて、石高にすると48,000石前後だったという。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 江戸時代(天保10年)の代官所一覧図

こちらは江戸時代の天保10年(1839年)に、国内に置かれていた郡代役所代官所の一覧図である。江戸幕府は江戸だけではなく、所々に天領地を設けており、これだけの数の直轄地を抱えていたようだ。

 

個人的には訪れた事のある、天草地方の「富岡城跡」があった場所を思い出す。その富岡では江戸幕府から送られてきた代官が、富岡の所領に対して実際の石高以上の評価を下げるように嘆願したものの認められずに、それに抗議する形で民の為に切腹して幕府に抗議した逸話が思い出される。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

オレが連れて行ってやった場所やけ!

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 代官・奉行の説明

江戸時代には幕末に長州藩に占拠されてしまうまで、大森鉱山には合計58名の奉行や代官が送られてきたという。今で言うサラリーマンの転勤みたいなもので、僻地に飛ばされる者ほどに島流し的要素が強かったのかもしれない。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大森町の陣屋説明

江戸幕府の天領を治める代官などが駐在するエリアは、「陣屋」と呼ばれていた。この陣屋は「代官所」とも呼ばれるが、大森町では陣屋から1キロ圏内に、代官所に関わる地役人などの住宅が多く建てられていたようだ。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 能面

こちらの能面は、江戸時代に天領となった石見銀山に送り込まれてきた「大久保 長安(おおくぼ ちょうあん)が城上神社に寄進したという3面の能面となっている。大久保長安は猿楽師の息子として生まれた事もあってか、このような能楽にも力を入れていたのかもしれない。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大久保長安の能面

大久保長安は武田家に仕えた武将で、武田家滅亡後は徳川家康に仕えて、主に内政面で大きく尽力した人物である。しかしその裏で金遣いが荒い生活を送っていたようで、その儲けたお金をクスねて懐に入れていた疑惑も向けられていたようだ。その大久保長安の死後に江戸幕府から財産の調査が入り、その子供達が調査を拒否した為に長安の息子7人は全て切腹の刑に処せられたという。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

あの世までお金は持っていけんだわ!

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大久保長安の能面の箱

こちらはその大久保長安が寄進した能面が入れられていた、「大久保長安:寄進能面箱」。能面を入れる箱が黒漆塗りに金蒔絵という装飾が施されている贅沢な造りとなっていて、いかに派手にお金を使っていた人物だったかが垣間見える一品となっている。

 

島根県太田市 大森町 石見銀山資料館 大久保長安の位牌箱

こちらはその大久保長安の位牌で、1607年に自身の菩提寺となる「大安寺」を建立して、その境内に死後の冥福を祈って生前葬とされる「逆修墓」を建てたとされている。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

徳川幕府の金を横領して、地獄に落ち~と判っての事かもね!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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