松江藩の歴史が分かる松江歴史館の見学③:宍道湖の水運を有効活用して発展した松江【島根県旅行記11】

島根県旅行記2021年11月-11

旅行期間:2021年11月上旬(2泊3日旅)

水ほど重要な物は無し!

島根県松江市 松江歴史館  歴史案内

島根県松江市にある「松江歴史館」の見学は、まだまだ続きます。国宝天守がある「松江城」と、宍道湖で獲れた「シジミ」を味わって帰るだけでは松江の魅力を感じきれないので、このような歴史博物館でじっくりその土地の勉強をしていきます。

 

【松江歴史館】

住所:島根県松江市殿町279
営業時間:9時~17時頃(※月曜定休日)
電話番号:0852-32-1607
入館料:【基本展示】大人510円/小中学生250円
※松江城天守見学とのセット券あり

 

 

 

松江歴史館の見学!

島根県松江市 松江歴史館  釜甑方のカタログ

ここ松江藩では”出雲のたたら製鉄”として全国に名を馳せていたという、有名な鉄の産地であった。鉄の加工は紀元前3000年前頃の時代に既に開発されていたようで、それから長い年月を掛けて鉄の加工方法が進化していった。江戸時代には国内でも屈指の鉄生産地であった出雲国では、「釜甑(ふそう)方」が松江藩に設置されて、藩が中心となって生産を行っていた。

 

島根県松江市 松江歴史館  釜甑方の木型

そして全国に鋳物の販売を行う為に販売カタログを製作し、こちらには量産化に使われた木型が置かれている。今では殆ど姿を消しつつある”たたら製鉄”だが、観光客向け用に加工する職人が僅かに残っている位となっているようだ。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

廃れた技術は淘汰されていくわ~!

 

島根県松江市 松江歴史館  木綿の説明

それ以外にも松江藩では17世紀頃に綿作を奨励し、木綿の生産が行われていく。それまでは米中心だった経済も、江戸時代を進んで行く毎に、より付加価値のある品が好まれていき、また借金を返す為により儲かる商売の探求が始まっていた頃である。

 

島根県松江市 松江歴史館  綿織物の縞模様

そんな木綿から衣服が造られていった。それまでは麻がメインだった衣服の材質を木綿が取って代わり、松江では家内職として妻が主に織っていたという。

 

島根県松江市 松江歴史館  冬の防寒具

そして松江藩は日本海に面していたので、夏場は暑いものの、冬になると一転して日本海からの冷たい風を受けて寒い地域でもあった。そこでこのような防寒具が作られて、冬場も漁に出掛ける漁師などが着ていたという。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

昔は破れた箇所に補修して、長~く使~ちょったよ!

 

島根県松江市 松江歴史館  出雲独自の藍染製品

こちらは江戸時代にここ出雲国で藍染された、『筒描風呂敷』という独自の技法で模様を入れた藍染製品。藍染製品は江戸時代初期頃に、虫が嫌う素材や肌に優しいとされて、全国的な人気製品となった。

 

そして単なる藍染された製品だけではなく、この『筒描風呂敷』の技法は、もち米を使った糊を用いて生地に模様などの絵を描き、藍が詰まったカメに浸して染めあげる。そして染め工程が終わった後に糊を落とすと、その模様が白くなってまるで描かれたような作品となった。

 

島根県松江市 松江歴史館  宍道湖と中海の繋がり 歴史説明

この松江の地が栄えたのは、東側にある”汽水湖”の「中海」と、その中海と繋がる「宍道湖」の水が大きな影響を与えた。そして松江の町は中海と宍道湖を繋ぐ「大橋川」に架かる大橋を中心として発展していった。

そしてその大橋付近には「渡海場」と呼ばれた海上運搬の縄張り拠点が存在していて、縄張り以外の船がやって来ると奥には侵入できずにその場で荷物を降ろさなければならなかった。昔から港町などでは地元の「沖荷役」という、船からの荷物を運搬する役目の人を多く抱えていたので、このような縄張りは大事だったようだ。

 

島根県松江市 松江歴史館  宍道湖と中海の繋がり 大坂への繋がり

”天下の台所”とも呼ばれた大坂の町が江戸時代当時には国内で一番栄えていた市場だったので、その大坂に特産品を出荷する必要があった。ただ出雲国は中国地方の中でも日本海で近畿地方に向かうには不便な土地柄であったが、江戸時代前半に北前船が西廻り航路を運航するようになった為に、喉から手が出るほどに欲しかった海上運搬ルートが確立したのであった。

 

 

島根県松江市 松江歴史館  宍道湖と中海の繋がり 美保関の賑わい 絵

その北前船が寄港する場所が出雲国の日本海沿岸に造られ、その土地は大きく賑わう事になる。昔から大きく発展する場所は、荷物運搬の利便性が良かった場所などで、今みたいに陸上輸送が発達した時代ではなかっただけに、この北前船の西廻り航路が出来た時の喜びは半端が無い程だった事だろう。

 

島根県松江市 松江歴史館  宍道湖と中海の繋がり 加賀の説明

そんな北前船の西回り航路が順調に動き出すと、松江藩もその輸送ルートを最大限活用していく事になる。先日訪れた尾道などの瀬戸内海地方では目の前に大坂に行き易い海があるが、松江藩は貿易には不利な立地であった。

 

島根県松江市 松江歴史館  大坂~松江の海路図

しかし、出雲松江藩10代藩主「松平 治郷(まつだいら はるさと)の時代に、中海としか繋がっていなかった宍道湖が度々増水を起こす問題と、日本海側までの海上運搬ルート開設を目的に、日本海とを繋げる計画を行われた。そして1788年に開削された運河「佐陀川」は、日本海までの物資運搬が大きく改善し、松江藩はより貿易で利益を上げていく事になる。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の街 模型 昔

こちらには中海と宍道湖を繋ぐ「大橋川」に架かる大橋周辺の、江戸時代の様子を再現した模型が展示されていた。現在の日本国内の水際の町では、このような昔の光景が消えつつある町が多いけど、江戸時代にはこのように水運に頼っていた時代だったので、岸沿いには倉庫となる蔵や商家が立ち並んでいた。

 

島根県松江市 松江歴史館  宍道湖と中海の繋がり 城下町

なのでこの地図のように岸に沿って、建物が密集していた。今でも昔の港町に行くと、海沿いに建物が密集している場所を見る事が出来るけど、このように荷物の運搬が経済を大きく動かしていた事が分かる地図でもある。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の街 模型 昔2

この模型の大橋を見ると、今の橋みたいに真ん中が跳ねる「跳ね橋」ではなく、大きな船がやって来ても宍道湖川に入るには、艀の小さな船に積み替える必要があったみたいだ。今ではコンテナが主流となって海運などの物流革命が起きた為に、ほぼ「沖荷役」という長く続いた伝統業が世界的に消滅してしまっている。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の街 水との戦い 説明

普段水際に住んでない人からすれば、たまに海沿いなどに行くと「水の近くに住む人達は羨ましい!」と思う事も多いだろうけど、海の近くに住めばいい事ばかりではなく、その海が逆に問題となる事もある。宍道湖近くに築かれた松江城下は、湿地帯に町を作ったので、大雨が降ると宍道湖が増水して度々水害が問題となっていた。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江藩の土木技術

そこでその水害を解決する為に、宍道湖から日本海側に繋がって運河の開削事業が行われた。勿論現代とは違って機械のショベルカーなど無い時代だったので、全て手作業で堀を掘ったのである。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江藩の測量方法 

そして今みたいに精密な計測器が無かった時代であるが、コンパス1個と鎖だけで正確な測量を驚く程に迅速に行えていたという。何でも機械に頼りがちな現代人だけど、このようなアナログの方法の方が優れた物も多いので、何でもかんでもデジタルばかりを推進するのもどうかと感じてしまうが。。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

アナログには個人の能力が大きゅう関わってく~けん、こ~からの時代向きじゃなえよ!

 

島根県松江市 松江歴史館  歳徳神の説明

そして松江では、毎年正月を迎えると「歳徳神(としとくじん)という神様を祀る祭が行われていた。今どきの現代人からすれば「祭り」というと、屋台が沢山出て活気があって楽しいイベントのように思っている人が多いけど、元々は神様を称える行事であった。

 

 

島根県松江市 松江歴史館  小松山富吉の錦絵

こちらは「小松山 富吉」という、江戸時代の相撲力士の錦絵。今では考えられないけど、江戸時代の相撲力士は全国の藩がスポンサーとなっており、相撲部屋ではなくて各藩に在籍していた。この小松山 富吉は、出雲松江藩の第9代藩主:松平斉貴の”お抱え力士”となっていた。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

江戸時代の相撲力士は、武術指導役の藩士だったわ!

 

島根県松江市 松江歴史館  江戸時代の相撲番付表

力士の中には浪人的に興行毎に雇われて出張して取り組みを行う者もいたようだが、普段の生活を考えると藩の傘下に入った方が安定したので、”長い物には巻かれろ”という考えだった。

 

島根県松江市 松江歴史館  江戸時代の相撲番付表2

現代でも未だに発行されている「相撲番付表」だけど、200年近く前からこのように殆ど内容が変わっていないのが驚きである。明治時代に文明開化となって大きく西洋文化が流入してきた中、未だに”国技”として残されている相撲らしさが分かる。

 

島根県松江市 松江歴史館  陣幕久五郎の絵

こちらの錦絵に書かれている力士は、この出雲国で生まれた第12代横綱で、”江戸時代最後の横綱”でもある「陣幕 久五郎」である。陣幕久五郎というと先日訪れた尾道にお墓がある人物でもあるが、徳島藩のお抱え力士として始まり、ここ松江藩や薩摩藩などを渡り歩いた。

 

島根県松江市 松江歴史館  雷電の説明

そしてこちらも松江藩お抱えの力士で、”江戸時代最強の力士”とも称される「雷電 為右衛門(らいでん ためえもん)について説明されている。信濃国生まれだった雷電は、松江藩10代藩主:松平治郷(不昧)に召し抱えられて、松江藩お抱えとして活躍した。

 

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の食 説明

そして海運としての機能だけではなく、それ以上に宍道湖が松江の人々にもたらしてくれたのは「食」の恵みであった。宍道湖は普通の湖ではなく、海水が混ざった”汽水湖”だったので、普通の湖では獲れない貝類などにも恵まれる事になる。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の食 春の献立サンプル

こちらには、昔の人達が食べていたと考えられる献立が再現されていた。松江では正月に食べる”雑煮”で、「海苔雑煮」「小豆雑煮」の2種類があったという。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の食 夏の献立サンプル

こちらは夏の献立を再現した物であるが、内容的に裕福だった商人などが食べていた料理と考えられている。”質素倹約”しか頭に無かった庶民にはこのような立派な料理は手の届かないものであったが、裕福な人間はこのような美味しそうな料理を食べていたのだろう。

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の食 秋冬の献立サンプル

昔は満足に飯を食えなかった時代なので、一番の贅沢がこのような「贅沢なご馳走」だったのだろう。そしてその贅沢という考えは現代人にも引き継がれていて、昔よりも簡単に”贅沢なご馳走”が食べれる時代となっているので、ご馳走を食べ過ぎて太っている人が増えているのだろう。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

飯は”腹八分目”で充分だがね!

 

島根県松江市 松江歴史館  松江の食 不昧公の説明

松江藩10代藩主だった松平治郷は江戸時代を代表する茶人として知られていて、その茶人の号から「松平 不昧(ふまい)とも呼ばれている。”贅沢は敵”という言葉もあるけど、人類の歴史で文化などが発展してきたのは、”人間の贅沢心”から生まれた物ばかりである。

しかしその”贅沢”が極まり、今普通に食べられる美味し料理を我々は口にする事が出来るのである。

オカン
オカン

ワタシは、もっと贅沢な料理を食べたいワ!

 

島根県松江市 松江歴史館  松平不昧公の肖像画

こちらの肖像画がその「松平 不昧」とも呼ばれた、松江藩10代藩主:松平治郷を描いた物。父親の代から引き継いだ財政改革を大きく進めた功労者としても歴史に名が残っている人物であるが、それと共に茶道具などにも多額のお金を使って、藩財政を大きく揺るがした人物でもあったようだが。。

シメ縄兎吉
シメ縄兎吉

芸術の価値は、数百年後に判断され~ぞ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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