彦根城旅行記2022年1月-3
旅行期間:2022年1月(当日旅)
残念な電柱と電線!
滋賀県の琵琶湖の東側に造られている、国宝にも指定されている天守閣を持つ「彦根城」。
江戸時代から現存する歴史ある建造物が残されている場所だが、世間的にはそんな城よりも、可愛らしい存在のマスコットキャラクター「ひこにゃん」の方が有名かもしれないが。。
彦根城の見学!
1月の滋賀県は雪が積もって寒い地域でもあるが、そんな時期に敢えて訪れた彦根城。
というのも雪が積もる寒い時期に歩き回る事は普段ほとんどないだけに、その寒い日に行ってみたかった彦根城まで遠路はるばるやって来たのである。
彦根城の内堀と中堀の間にある土地は、家老の屋敷跡が残されていたり、また明治時代以降に造られた学校や省庁が多く見られる。
ただ、他の都市では不要になった中堀などを埋め立てている所が多いが、この彦根城ではそんな中堀は残されているので、歴史的にも貴重な町でもある。
そして本丸の周囲には更に内堀が設けられていて、本丸を守る役目をしている。この本丸は基本的に周囲と陸続きになっておらず、目の前に見えているような橋を渡らないと辿り着けないようになっている。
こういった構造は本丸を守る役目をしており、侵入者が簡単に本丸内へ入れないようにという意図があった。
大手門橋を渡る!
彦根城の本丸へと向かうには、3つの入口となっている橋を渡る必要がある。こちらの橋は「大手門橋」という、大手門があった場所の前に架けられていた橋である。
この橋以外には、先程の本丸御殿があった「表門橋」と、反対側にある「黒門橋」がある。
一般的なお城の正面玄関は、大手門側になっている。この彦根城が築城された江戸時代初期は、豊臣家の残党などが残る大坂など西側を警戒していたが、時代を経ると平穏な時代となって西側の警備の手が緩み、それよりも中山道など経済発展に大きく貢献する街道に近い門が玄関的存在になっていったようだ。
この彦根城を治めていた井伊家は、徳川家康の信頼する家臣から成っていた「譜代大名」の1つだったが、譜代大名の中で最も石高が多かった大名でもあった。
井伊家は初代藩主となった井伊直政と2代藩主:井伊直孝が、徳川家康だけではなく、江戸幕府3代将軍:徳川家光などからも厚く信頼されていた事もあって、譜代大名の代表格的な存在にもなっていった。
この大手門橋には、位の高い人物が渡る橋に取り付けられていた「擬宝珠」も見られる。
ただ江戸時代と比べて簡単に色んな橋が造れる時代となってしまった為に、現代では単なる飾り的存在として、その辺の橋でも多々見られるようになってきているのだが。。
そして大手門橋を渡って進むと、道の左右に大きな石垣が見えてくる。
この石垣が「大手門跡」となっていて、かつての城郭ではこのような石垣を左右に築いて、中に重厚感ある扉を設置して往来する人々を制限していたのである。
井伊家は関ヶ原の戦いなどでの殊勲として、成敗した石田三成の居城だった「佐和城」を与えられる事になった。
それを機に上野国から移封されてきた井伊家は、この彦根城ではなく、当初は石田三成の居城:佐和城に本拠を築いていた。
しかし、江戸時代当初の各藩は前の時代に治めていた大名の居城を嫌い、新たに自分らしい城を築城した所が多かった。
古い時代に造られた城郭は時代遅れとなっていて、新しい築城技術が用いられた最新鋭の城郭を、将来の事も見据えて建造した事だろう。
何百年も使う城だけに、大事な選択だね!
築城技術と共に合戦の方法も変わっていった事もあって、この江戸時代初期の築城ラッシュは大きな転換点だったのだろう。
ヨーロッパでは中世の城が残されている所が多々あるけど、日本人は常に新しい物を取り入れる考えの民族だけに、こういった城を見ているだけでその歴史が垣間見えるような気がする。
そのように最先端の築城技術と合戦技術が籠められて造られた城だが、ただ残念なことに江戸時代には平穏な時代となってしまった事で、攻城戦が行われる機会がほぼ無くなってしまった。
せっかく強固な天守などの建造物を築いたものの、敵に攻められて壊されるのではなく、落雷などによって焼失してしまったのが多いのも皮肉な事であるが。。
そんな大手門跡を進んで行くと、入場券売り場が見えてくる。ここから先は「有料ゾーン」となっており、天守閣を間近で眺めるには入場券を買わないといけない。
また、ここにも「本日のひこにゃん」の看板があるが、ひこにゃんが出没するのはこの先の有料ゾーンではなくて、無料ゾーンとなっているので注意である。
※「本日のひこにゃん」ショーは、有料ゾーンの天守閣前で行われる事もあります。
彦根城の本丸に足を踏み入れる!
そして「玄宮園」という大名庭園がセットになった一般入場券を買うのであるが、博物館の見学もセットになった”セット券”を1200円で購入する。
この彦根城の博物館は入場料500円なので、セット券で買ってもたった100円しかメリットが出ないのがちょっと微妙にも思えたが・・・。
彦根市民はマイナンバーカードを見せれば、タダで入れるよ!
彦根城の天守閣は、このように高台に造られているので坂道を登っていく必要がある。平地にある城でも大事な天守の建物は、このようにちょっと高台に造られている。
ただ坂道ではありながらも、そこまで大変な道でもないし、段々近づいてくる天守閣の建物を見て登れるから、そこまでシンドイと思わないだろうが。。
そんな国宝にも指定されている、江戸時代から現存する天守を持つ彦根城の”ガッカリポイント”が、この景色である。
約30年前ぐらいから世界遺産登録を希望している歴史的な建造物とは思えないような、醜い現代的な無機質の電柱と電線が見えるのだ。
現代は昔と違って何でもかんでも電力に依存してしまっている時代なので、電線を引いて電力を持ってくるのは分かるけど、せめて世界遺産に登録したいという意思を持っているのであれば、この僅かな部分だけでも地中化するなりの対策が必要ではないかと思ってしまう光景でもあった。
下手に石垣の下を掘れないから、電線問題は悩ましいんだよ・・・
こちらは本丸の角石だが、素晴らしい技術で積み重ねられた石垣はいいのだが、ここも残念な事にその手前を電線が横切っているので景観が壊れてしまっている・・・。
昭和時代に再建された天守閣などでは仕方ないかなと思ってしまうけど、このように江戸時代から現存する天守でしかも国宝に指定されている天守のある城では、電線はなるべく控えるに越した事がないのだろう。。
これからは城内にソーラーパネルがある城も出てくるかも?!
そんな電線などの景色も一応楽しみながら坂道を登っていくと、このように川も堀もない場所に大きな木造の橋が見えてくる。
こちらは天秤櫓との間に架かる「廊下橋」で、この構造を見れば分かるように、もし敵が天守に向かって攻め込んできた時には、この橋を落として防衛できるようになっていたという。
このように江戸時代に築城された城郭を見学すると、全ての造りが「攻城対策」を意識した仕掛けとなっていたのが分かる。戦国時代までは「戦いで生きるか死ぬか?!」だっただけに、特に戦時の事を優先して築城されたのだろう。
ただそんな有事の際に壊せる橋も、今では平和な時代となっている事もあって、簡単に壊れないように補強されている。
現代では観光地ともなっている彦根城なので、万が一観光客が通行している時に橋が崩れてしまったら大問題となるので、このように固く補強がされている。
城も時代に応じて、その姿を変えていくね!
そんな廊下門を渡るには、こちらの「鐘の丸:虎口」と呼ばれる道を進む必要がある。この辺りも周辺の石垣を見れば分かるように、その上に櫓がかつて設置されていて、そこからこの階段を登ってくる敵兵を狙い撃ちしていたのだろう。
階段を登って鐘の丸に辿り着くと、このように1軒の売店が見えてくる。しかし、この2022年1月は雪が降って寒い時期で、またコロナ禍でもあったので、一応営業はしていたけど、店頭で客引きする様子は見られなかった。
「天秤櫓」の前に立つ!
そして先程下から見えていた「天秤櫓」が、このように真ん前に見えてくる。この天秤櫓は”国の重要文化財”にも指定されている江戸時代初期から現存する櫓で、一説には秀吉がかつて治めていた長浜城から移築された物ともされているという。
ここで約400年間、数回の補修工事が実施されているが、ずっと彦根の歴史を見守ってきた「天秤櫓」。
ただ窓などの建物の構造は左右非対称となっており、江戸時代にこういった左右非対称のデザインとなった建物は珍しいんだとか。
天秤櫓を眺める! 動画
本丸内への正面玄関でもあった「天秤櫓」の扉は、とても重厚な雰囲気となっている。またこの写真では少しだけしか見えないが、この天秤櫓の石垣もこの廊下橋の左右でその積み方が異なっている。
右側の石垣はちょっと隙間が見えて古い時代に造られたもので、左側の石垣は幕末に建て替えられた事もあって隙間のない綺麗な積み方になっている。
こんな旅はまた次回に続きます!
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