信州松本旅行記2022年3月-12
旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)
これまた改修中・・・!
松本城近くを歩いて、更にはGoogleマップの力も借りて見つけた蕎麦屋さん。
ウロウロしている間に13時半近くになってしまっていたけど、「商い中」という札が出ていて、まだ営業中のようなので中に入ってみる事にした。
「手打ちそば 北門」で昼食!
この「北門」という名前の由来は、この辺りに松本城の北門が設置されていたからだそうだ。
江戸時代から現存する天守のある城郭も、その周囲まで綺麗に江戸時代のまま残されている訳ではなく、明治時代以降に城の門などが解体されて大きく様子が変わってしまっているのである。
さて店内に入ると、13時30分頃という昼食のピークタイムを過ぎていた事もあって、空席の方が多かった。
店舗の外観からはちょっとイメージできなかったけど、店内は檜を使った数寄屋造りとなっていて、日本家屋風の建物になっている。
こちらは「北門」のメニューだけど、なかなかの”いいお値段”になっている。
メニューには”厳選した国産の玄そばを特別注文によって配合”という文字も見られるだけに、その味を純粋に楽しむ為にここは一番安い「もり」蕎麦を頼む事にした。
そして注文から約10分ほどで、シンプルな盛り蕎麦が運ばれてきた。
蕎麦というと半年前に島根県を訪れた際に、”嫌という程に”毎食食べたけど、ここ信州で味わう蕎麦はまた別である。
ざるに盛られている蕎麦の形も、趣深く見える。ただ単にあがった蕎麦を無造作に載せただけか?
それともわざわざちょっと捻りを加えて、フワっとしているように盛り付けたのか?
目の前で嬉しそうな顔をしていたオカンは、温かい方の「天ぷらそば」を注文していた。
ワタシ、天ぷら蕎麦が好きなんです、ブフフ♪
蕎麦は日本全国で気軽に食べられる国民食ともなっているけど、やっぱり蕎麦が有名な場所で食べる蕎麦は、美味しく感じてしまう。
それは本当に美味しいからか、それとも脳が先入観で雰囲気に盛られてしまって美味しく感じているだけかは分からないけど、文句の言いようがないままに蕎麦が喉を通ってしまう。
ただ蕎麦も冷やの場合はそのまま食べる人は殆どいなくて、このようにめんつゆに浸けて食べるのが一般的だ。
その為に蕎麦の味というよりもめんつゆの味に引っ張られる事が多く、このめんつゆの味が地方毎に風合いが違うので、自分が食べ慣れていないめんつゆだと、ちょっと違和感を感じてしまうのかもしれない。
そんなに大盛の量を食べたい訳じゃないけど、あっという間にざるに盛られた蕎麦が消えてしまった。
このざるもなかなかに趣深い器となっていて、どういった器で提供してくれるかで、その店のレベルが垣間見れる事もある。
ただ横から見てみると、このように中央部分がだいぶ上げ底のように盛り上がっていて、まさに「盛り」蕎麦という名前にピッタリなざるとなっていた。
このように上げ底で多く盛られているように見せて、実はそこまでの量が無いという事は、逆に食べ過ぎないようにという配慮の裏返しだったのかもしれない。
食事は腹八分がいいんだよ!
そして冷たい蕎麦に付き物の「蕎麦湯」が運ばれてくる。
個人的にはこの蕎麦湯の意味合いが分からなかったのであるが、どうやら蕎麦は茹でてる時にその成分がお湯に染み出てしまうので、その染み出た成分と共にお湯をめんつゆで割って飲もうという趣旨のようだ。
そしていい感じにお腹が膨れた事もあって、再び松本市内の散策を開始する。
今まではこの長野県松本市の存在など殆ど気にして来なかったけど、三谷幸喜監督のドラマ『大空港2013』と、江戸時代から現存する国宝天守の「松本城」に惹きつけられるようにやって来たのである。
そして松本市内を散策していると、こちらの「日本基督教団 松本教会」というプロテスタント系の教会が見えてくる。
この教会は明治11年(1878年)に創建された教会だが、近くにはカトリック教会も別にあり、同じキリスト教でも宗派が違えば交わる事が無いようだ。
宗教は一度分裂したら、元鞘に戻る事はないよ!
松本城近くには、明治時代に建造されて2019年になって国宝指定された”小学校建築”があるという情報を得ていたので、その建物を探してウロウロとしていた。
すると見えてきたのがこの「松本市立 開智小学校」という学校で、その明治時代に創立された小学校を継いでいる学校だった。
国宝に指定されている明治時代に建造された「旧開智学校」は、今見た「松本市立 開智小学校」として1963年頃まで現役で使われていた校舎だったようだ。
そして1963年にこの地に建物が移転され、合わせて隣に新しい校舎が建設されて、お役御免となって建物は保存されているようだ。
2019年に国宝に指定される事になった「旧開智学校」は、明治時代以降に建造された”近代建築物”としては3番目になる建物だという。
明治時代以降に建てられた建造物で国宝に指定されているのは、東京都港区にある「旧東宮御所」と、群馬県富岡市にある「旧富岡製糸場」のみとなっている。
時代は平成から令和へと進んでおり、これからはもっと明治時代に建造された建物が国宝に指定される例が増えていきそうだ。
そして近くにあったデザインマンホールは、このように小さな女の子が手毬を付いているデザインとなっていた。
近くにある「松本市立 開智小学校」から小学校の生徒たちが下校する姿なども見られたので、このデザインマンホールに描かれた子供がより生き生きと見えた印象を受けたのである。
「旧開智学校」にて
そしてやっと国宝に指定された「旧開智学校」の建物が、目の前に広がってきた。
ただ、残念ながらこのように耐震工事が行われていて、内部の見学は中止となっていた。
どうやらこの耐震工事は2021年6月頃から開始されていて、約3年に渡る工事期間を経て、2024年度中に工事終了の予定になっているようだ。
「旧開智学校」の正面門側に回ってみる。改修工事の為に入れないのは残念だけど、まだ建物のほぼ全景が見られるだけマシだった。
どうもコロナ禍に突入して観光客が激減した事を受けて、「どうせ観光客が来ないのであれば、改修工事をした方がいいんじゃない?」というような感じで工事を決めたとか。
古い建物は耐震工事が必要だからね!
明治9年(1876年)に建造された建物は、当時としてはとても目立つ”擬洋風建築”となっていて、”和洋折衷”とも呼ばれた、西洋風でありながら、日本建築の良い部分も取り入れて造られた建物である。
明治時代初期は、まだ欧米で建築技術を習得した人間も国内に少なかった為に、まるまる洋館という造りではなかったようだ。
この建物は江戸時代の1829年頃にこの地で大工棟梁の家に生まれた「立石 清重(たていし せいじゅう)」が、幕末から明治時代となって一気に国内に建てられだした”擬洋風建築”を見学して回り、その特徴を調べて設計したという。
明治初期には、山梨県で『藤村式建築』と称される西洋建築物が一気に建てられ、その数は100を超えていたという。
そのような洋風建築物を自分の目で視察した立石清重は、『藤村式建築』の特徴でもある、正面に2段のベランダと塔のある姿をそのまま流用している。
洋風と和風ではなく、中華風も入った”和洋中折衷”だな!
「松本市旧司祭館」の見学!
残念ながら旧開智学校の中は見学できなかったけど、代わりに隣にあったこの「松本市旧司祭館」は見学できるようだったので、こちらの建物を代わりに見学する事にした。
この「松本市旧司祭館」も明治時代の1889年に建造された洋館で、カトリック松本教会の宣教師用住居として建てられた。
そして平成元年(1989年)にカトリック松本教会前の道路拡張工事計画の際に取壊しを考えたが、後に松本市に建物を寄贈し、平成3年にこの地に移転されてきたそうだ。
建物内には、さっき本物を見た「旧開智学校」のミニチュア模型が飾られていた。
ただ旧開智学校は”擬洋風建築”であるが、この「松本市旧司祭館」は純粋な西洋建築となっている。
フランスからやって来た宣教師が造ったとされているので、”擬洋風建築”になる事は無かったようだ。
それに対して「旧開智学校」は海外で建築を学んでいない日本人が設計した事もあって、屋根には伝統的な瓦が使われていたり、壁には漆喰が使われたりで、外観は洋風だけど、まさに”擬洋風建築”という言葉が似あう建物である。
日本国内では大きな被害を出した大震災が発生する度に、耐震基準を引き上げていくので、このような昔に造られた建築物ほどにその耐震基準を満たせない事が多い。
その為に内部見学が中止になってしまっている建物も多いけど、建物を管理する側からしても残念な気持ちになっている事だろう。
耐震工事が終われば、また入れるようになるんだ!
こんな旅はまた次回に続きます!
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