明石&加古川旅(2023年)-4
訪問:2023年1月下旬(1泊2日)
別荘跡!
舞子にやってきて明石海峡大橋の中を少し見学した後は、橋の袂に見えていた、今では”国の重要文化財”にも指定されている歴史ある建物の「孫文記念館(移情閣)」を訪れる事にした。
住所:兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051番地
営業時間:10時~17時頃(※定休日月曜日)
電話番号:078-783-7172
入館料:大人300円/70歳以上200円/高校生以下無料
「孫文記念館(移情閣)」の見学!
この建物は元々は中国との貿易で儲けた華僑の貿易商が別荘として建設した物で、「孫文記念館」として開館されたのは1984年になってからである。
その入口手前には「可愛らしい猫ちゃんが居るな!」と思ったが、よ~~く見てみると猫の置物だった。

猫の置物は糞せえへんから、エエね♪

糞するのは生きてる証拠ナラ!(怒)
入口の古そうな木のドアを開けて建物内に入ると、玄関にも早速孫文の小さな像が置かれているのが見えてくる。
ちなみに「孫文 中山」と名前が見られるがこれは『号』で、孫文が日本滞在中に「中山」という表札に見惚れて付けたという説があるようだ。

「孫文 明石」にすれば良かったのにタコ!
孫文は亡命してきた日本での滞在中に現地妻をもうけていたが、国には残してきた妻が居たようだ。
現代21世紀にはこういった事は批判の対象になるかもしれないが、昔は亡命先や離島などで現地妻をもうける事は普通に行われていたようだ。

島国は特に違う血を取り入れる必要があったけ!
この孫文記念館は今では3棟が繋がった記念館となっており、入口でスリッパに履き替えてから、受付のある最も古い建物「付属棟」に進んで行く。
この付属棟は1890年代に貿易商を営んでいた「呉 錦堂(ご きんどう)」の別荘として建設され、明治時代中頃に造られた建物らしい雰囲気が漂っていた館内。
呉 錦堂が築いた『松海別荘』には、1913年頃に亡命中だった孫文一行が訪れ、歓迎会が行われたという。
ただしこの建物は松海別荘の1つにしか過ぎず、他にも本館などの施設があったが、その後の時代に道路拡張事業でこの建物以外は残念ながら取り壊されてしまっている。

舞子浜沿岸では、数少ない生き残りの建物タコ!
孫文は勿論日本国内だけではなく、最近では中国国内でも評価が高くなってきているので、日中国交正常化以降は海を越えた交流会が実施されているという。
過去に時の絶対的な政権に対して牙を剥き、人生を掛けて国の改革を訴えた革命家:孫文。
その甲斐あって清国が滅びて中華民国が設立され、孫文はその14年後に死去したが「革命未だ成らず」と、最後に無念の言葉を残したという。
孫文は1866年に清国の広東省香山県(現在は中山市)翠亨村で5人兄弟の末っ子として生まれた。
そして12歳頃に、先に出稼ぎでハワイに渡っていた兄に誘われて、ハワイに移住する事になる。
ハワイには約5年滞在した後に中国に戻された孫文だが、海外で西洋思想などを学んだ事もあり、当時の清国の体制に不満を抱くようになっていったようだ。

外洋を見ると、明石海峡も小さく見えるタコ・・・
最初の「中華民国」(臨時政府)は1912年1月1日に南京にて、孫文が臨時大総統に就任して樹立された。
それまでのアジアは王族などが支配する国が多かったが、”アジア地方で最初の共和制国家”となった。
しかし、中華民国は第二次世界大戦後に台頭してきた中国共産党に敗れ、中国大陸本土を失って台湾に逃れていき、その台湾で中国国民党での支配権だけとなっている。
こちらは1905年に孫文などが中心となって、日本の東京で結成された『中国同盟会』の主要メンバーの顔写真が展示されていた。
孫文記念館で最初に足を踏み入れる建物となっている「付属棟」は、よくある明治時代の建造物っぽいベランダのような廊下が造られていた。
この付属棟が造られた明治時代の人々からすれば、対岸の淡路島まで架けられる大きな橋が造られる時代なんて、想像にも付かなかった事だろう。。

時代は大きく進んでしまったぜい!
孫文は亡命への賛同と支援を求めて、日本だけではなく北米やヨーロッパまでにも足を何度も運んでいる。
ただこの当時は現代程に交通網が発展していなかった時代なので、長い時間を掛けて危険性のあった船旅をせざるを得なかった事だろう。
孫文の亡命活動中に最も訪れた国は、中国大陸から近くて、経済的にも武力的にも成長期にあった日本だった。

この当時の日本は、アジア支配を目論んでいたぜい!
最近では中華人民共和国(中国)内でも革命者:孫文の評価が上がってきているとされ、革命家の世間的な評価は死後数十年を経ないとなかなか認められない事例が多い。
孫文は中国同盟会を結成して1911~1912年に辛亥革命により清国を滅ぼす事に成功したが、清朝の実力者であった「袁 世凱(えん せいがい)」を仕方なしに中華民国の臨時大総統にした所、袁世凱が暴走して”立憲君主制”を目指して政権を推し進めるようになってしまった。
その為に袁世凱の政権を打倒すべく、1913年7月の『第二革命』を蜂起したが袁世凱政権の前に敗北してしまい、袁世凱は独裁者として1915年に皇帝となって中華帝国を樹立する事になる。
『第二革命』で敗北を期した孫文は、日本に多く亡命してきた中国同盟会のメンバーを集めて、次は1914年7月に再び東京の地で新たな革命団体の「中華革命党」を結成する事になる。
近代中国の歴史って知っているようで知らない事が多く、「孫文」や「袁世凱」などはBS-TBSのテレビ番組『関口宏のもう一度!近現代史』を見ている際にも何度も出てきていたが、全くその内容が思い出せない。。
なのでこの孫文記念館を見学するにあたって、”近代中国の歴史をしっかり勉強していきたい!”という意気込みを持って行う事としたのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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2023年1月下旬に訪れた、1泊2日の兵庫県:明石&加古川旅です。