札幌中島公園にある明治時代に造られた歴史的な建物「豊平館」の内装

北海道/札幌旅行記
 旅行期間:2020年9月1日~4日

天皇の間

札幌市の中島公園内にある「豊平館」2

ここは札幌市内のやや南側に位置する中島公園内に移転された、明治時代に建てられた洋風木造建築である「豊平館」(ほうへいかん)。元々は大通公園の脇に建てられていたけど、そこに新しい公民館を建てる事になって、取壊しを逃れたがここに移転されて今に至る。だから同じように近くにあった札幌時計台も、同じような運命で移転される時が来るかもしれない。

 

歴史的な「豊平館」にて

「豊平館」の芙蓉の部屋

そんな「豊平館」は明治13年(1880年)と、約140年も前に造られた木造建築物。当時としてはハイカラなアメリカ式建築様式で造られた建物で、2階部分にはアメリカのホワイトハウスを思い起こさせるような円形のバルコニーまで設置されている。明治政府より送り込まれた開拓使は特にアメリカから技術者などを招聘しており、そのアメリカ風文化などがその時に多く北海道に入って来たようだ。

 

 

「芙蓉」の間にて

豊平館の芙蓉の間の天井

こちらは「芙蓉」の間という事で、このようなシャンデリアが取り付けられている天井部分に飾られている漆喰も、そんな芙蓉の花を表している。昔からの日本人文化の中では特に天井裏という物に、このように贅沢にこだわる習慣が無かったので、このような内装を見た当時の日本人達は大いに驚いた事であろう。

 

豊平館の芙蓉の間の内観

芙蓉の間では、このように会議やお話スペースの作りとなっていて、テーブルと椅子が丁寧にセットされていた。なおこちらの部屋もレンタル可能で、1時間500円(25㎡、定員10名)という料金設定になっている。なおこの展示されている物以外に、別にテーブルや椅子やマイクやCDラジカセもレンタル可能なので、思ったよりは使い勝手のありそうな貸し部屋となっている。

 

豊平館に飾られている、ここで行われた結婚式の名簿

そんな芙蓉の間の奥には、この豊平館がこの中島公園に移転後に一旦美術館などとして使われた後に結婚式会場として使われていた時の、結婚式を行った人々の名簿が飾られている。最盛期には年間で1000組がここで結婚式を行ったそうで、単純計算すると1日で平均3組がここで挙式を行っていた計算となる。

メグちゃん
メグちゃん

ワタシもここで結婚式、やりたかったわ~!

 

豊平館に飾られている、ここで行われた結婚式の名簿1

このように沢山の名簿が飾られているけど、時代が時代だっただけにこのようにアナログな名簿として保管されている。しかもよ~~く見ると最初の頃の挙式を上げた人の名簿が、単に「七」とか「十九」とかと番号しか振られていなかったのも見える。

 

豊平館に飾られている、ここで行われた結婚式の記録映像

そして奥の部屋では「幸せの記録」と称された、その当時に行われていた結婚式の記録映像などが流されている。ちょうどこの昭和43年(1968年)頃が、ここで結婚式を行う件数が多かった時期だそうだ。結婚式の申し込みだけで長蛇の列が出来ていたという。

 

豊平館の1階廊下

館内の廊下はこのように建物の表側に塗られている薄いブルー色の装飾はなく、シックな感じの重厚な木の色が表現されている造りとなっている。そしてこの建物は鉄筋コンクリート造りではなくて、完全木造建築物なので万が一火の手があがった際を考慮して、館内には所々に消火器などが配置されている。

 

 

「会食所・下の広間」にて

豊平館の1階廊下1

1階部分の西側部分には今でもお茶などが、楽しめるカフェコーナーが設置されている「会食所」がある。個人的にはこんな豪華な内装の建物を万が一汚してはいけないと思うけど、利用者を増やすにはこのようにカフェなどで利用者が寛げる空間も置いておく必要があるのだろう。

 

豊平館1階の会食場広間

この豊平館には全部で6基のこのような暖炉が設置されているらしいけど、元々あった暖炉はその後に姿を消して、1980年代に改修工事された時に復原されたものだという。だからこの暖炉の役割も昔であれば火を起こして室内を温かくするものであったが、今では西洋風の内装を一段と引き立てる物という役割に移行しているようだ。

 

豊平館1階の会食場案内

この会食場では「喫茶室ハレルニ」という名前で、オリジナルの焼き菓子(200円)とオレンジジュース(400円)を提供しているようだったが、オープン時間が11時~15時までとなっていたので、ここにやって来た時には残念ながら閉まっていた。ただ焼き菓子よりもオレンジジュースの方が値段的には高いという、微妙な設定にも見える。

 

豊平館1階の会食場広間1

「会食所」はこのように隣の「下の広間」と呼ばれる部屋と繋がっているので、両方合わせるとそこそこな広さになっている。なおここ会食所はレンタルしていないが、左隣の「下の広場」はレンタルスペースとして貸し出されており、1時間1200円(60㎡、定員30名)という料金設定で1階では最も広い貸し部屋となっている。

 

豊平館1階の会食場広間のカーテン

こちらの部屋は広間となっているので、このようにカーテンやカーペットも先程の部屋とは違って、ちょっと華やかな柄が入れられているのが見える。なおこちら豊平館のレンタルスペースは商業目当てでも貸し出しが可能で(ただし通常よりは値段アップ)、そういった商業目当ての場合はこういった豪華な内装を利用した方が訪れたお客さんによりいい印象を与えてくれるかもしれない。

 

豊平館1階の会食場広間のカーペット

床には真っ赤なベースでバラがデザインされているカーペットが見えている。ここの会食所ではオレンジジュースのみ販売していた飲み物であるが、もしコーヒーを販売してコボされたらこのカーペットが特に汚れてしまうから、オレンジジュースのみの販売になっていたのかもしれない。

 

豊平館1階の会食場広間で嬉しがる女性

メグちゃん
メグちゃん

ひゃ~~キレイだわ~~!

と隣で嬉しそうに写真を撮るメグちゃんの姿が見える。

 

豊平館1階の会食場広間で嬉しがる男

そんなメグちゃんの隣には、こんな真っ黄色のTシャツを着た男が立っていた。。

夏場は赤色か黄色のTシャツばかり着てました!

モ~モ~子
モ~モ~子

モーモー柄もいいよ!

 

豊平館1階の会食場広間のシャンデリア

こちらは建造当時から設置されているシャンデリアで、その吊り下げ天井部分には漆喰で造られた模様が見えている。この部屋はパーティールームとして使われるからか、この天井裏の漆喰には一部に赤色が塗られて、一段と豪華な内装になっている。

 

 

豊平館1階の会食場広間の椅子に横たわる女性

こちらでは牛のようにゴロンとなっているメグちゃんの姿が見える。

メグちゃん
メグちゃん

ここでちょっと居眠りしたいよ~~!

 

豊平館1階の会食場広間の景色

というようにこのような豪華な部屋が借り部屋として、今は一般人でも使えるようになっている豊平館。値段的にも1時間500円からレンタルできる手軽さなので、いつもと気分を変えてしたい事をする場所にはうってつけかもしれない。

 

豊平館の2階に登る

豊平館で2階へと登る階段

そして1階部分を見学した後は満を持して、この赤いビロードが敷き詰められた階段を登って、明治天皇などが宿泊したという2階部分へと進みます。なおこの豊平館本体にはバリアフリー化はされていませんが、真横に建てられた豊平館と繋がっている事務所側の建物にはエレベーターが設置されているので、車椅子の人でもそこを通じて2階にある明治天皇などが宿泊した部屋に行けるようになっている。

 

豊平館で2階へと登る階段1

日本に住んでいるとこのような西洋の宮殿などでしか見かけない、ビロードが敷き詰められて、段毎にこのような金具で固定されている光景などは目にする事が出来ない。そしてこういった豪華な造りの階段は、男よりも女性の方が憧れてしまう装飾のようだ。

メグちゃん
メグちゃん

う~~ん、ベルバラの世界で憧れてしまうのよ~!

 

豊平館で2階へと登る階段から眺める

そんな階段の途中から、窓の向こう側にある事務所に居た可愛らしいお姉さんの姿をチェックする男。するとそのお姉さんと目が合ったので手を振ってみたが、向こう側のお姉さんからすると普段そんな風にして自分の手を振って来るいい歳した男性からそうされた経験がないからか、呆然とどうしたらいいか困っていたような顔に見えたのであった。。

 

2階の「紫」の部屋にて

豊平館2階の紫の部屋

まずは見えてきた「紫」の部屋は、この豊平館に初めて泊まった客である明治天皇のお付きである侍従が使った部屋だという。明治天皇は明治維新のおかげで思わぬ表舞台の一番上に登場する事になったが、江戸時代は徳川家将軍が天下人で天皇はお飾りという存在だった。だから天皇を立てた明治政府はまずそんな全国的に知名度が低かった明治天皇を、全国に行幸させて全国民に知ってもらう宣伝活動を始めた。だから明治天皇は他の天皇と比べても多くの行幸をしており、今でも日本各地にはその全国行幸時の記念碑が建てられているのが見られる。

 

豊平館2階の紫の部屋に進む

こちらの「紫」の部屋は、今では展示室となっているのでここでは貸し部屋とはなっていない。天皇が宿泊すると格式があがるというか、その部屋を汚してはいけないと思うからか、その後はもう一般客を泊める部屋としては使えなくなる。使えないという訳ではないけど、ホテル側が「使えないと思ってしまう・・・」という方が正しいかもしれない。となると必然的に使える客室数が減って、ホテル側の利益は減ってしまう。という事でこの豊平館も当初は明治政府が運営していた唯一の高級ホテルとして売り出していたが、早々に民間に無料貸付されてしまうのであった。

 

豊平館2階の紫の部屋では天皇関連品が展示されている

こちらの菊の御門が入った椅子は実際に天皇陛下が座った椅子だという。さっきのベルベットのように綺麗な朱色した生地が、その後は誰にも座られていないだけに、禿げずに綺麗な状態なのが見える。ここは明治天皇だけではなくて、後に大正天皇や昭和天皇なども皇太子時代に宿泊した場所でもある。

 

 

豊平館2階の紫の部屋での展示品

そしてこちらにはこの豊平館で、外装に塗られている「ウルトラマリンブルー」という薄いブルー色と、内装に塗られている「春慶塗」という木材の上に塗装しているやり方の説明が展示されている。このウルトラマリンブルーというあまり聞き慣れない色はてっきりマリンブルーにウルトラを付けただけかと思っていたけど、「ウルトラマリン」とは「Ultra marine(海を越える)」という意味のブルー色の事。ラピスラズリが原料として使われていた”天然ウルトラマリン(ブルー)”は原料が高価だったので高級なものにしか使えなかったが、19世紀になると安価な”合成ウルトラマリン”が発明されて、この色が使われる機会が増えたという。

メグちゃん
メグちゃん

「ウルトラマリンブルー」なんて色、初めて聞いたよ~!

 

豊平館2階の紫の部屋での展示品1

ここまで内装も完全洋式建造物の、しかも宮殿のような雰囲気を再現したのはこの建物を高級ホテルとして売り出す為であった。そして最初のお客さんが明治天皇になってしまう訳であるが、もしここに明治天皇など3代の天皇が宿泊していなければ、今頃は跡形もなく取り壊されていたかもしれない。

 

豊平館2階の紫の部屋での展示品2

地中海付近やイスラム宗教国に行くと、ここまでは薄いブルー色じゃないけど、ブルー色の建物をよく目にするけど、日本ではまずこれだけのブルー色の建造物を見かける機会すらない。日本人は”和を以て貴しとなす”という人種なので、周りには素朴な家ばかりの中に、このような派手な建物を建ててしまうと周辺住民の反感を買ってしまうという事で、公館でしかこういったデザインの外装が使えなかったのであろう。

 

豊平館2階の天皇が宿泊した、紫の部屋

隣にある「芍薬」の間は明治天皇などが泊まった部屋で、実際にここが使われた部屋だそうだ。明治天皇も明治維新によってそれまでの歴代天皇の中でも生活様式を含めて、一気に人生が激動して色んな新しい文化の波に飲まれながらも、生きた人物ではなかろうか。小さい頃までは完全な和式生活様式で暮らしていた人生が、急にこのような西洋文化だらけの建物暮らしをするようになってしまった訳である。

 

豊平館2階の天皇が宿泊した、紫の部屋1

小さい頃は畳に布団を敷いて寝ていたのだろうが、それが北海道に行幸してくると、このようにお姫様ベッドが用意されていたので、思わず「オレ、こんなベッドで寝るのか・・?!」と言ってしまいそうだったのかもしれない。

メグちゃん
メグちゃん

白いレースというよりは、白い蚊帳だったんだろうね~!

 

豊平館2階の天皇が宿泊した、紫の部屋2

ここに明治天皇が宿泊した時は高級ホテルと言えども、まだ今のように全室に水道やトイレなどが行き渡っていない時代なので、このように手洗いは水差しに入れられた水を使うように洗面器が置かれている。トイレも無かった部屋なので代わりにオマルのような物が置かれており、そこに小便などをして係の者が取り換えるようになっていたそうだ。

メグちゃん
メグちゃん

便利な時代に生まれて、ほんと良かったわ~!

 

豊平館2階の天皇が宿泊した、紫の部屋3

こちらの「梅」の間も天皇が宿泊した部屋で、見学は入口を少し入った所までしかできないようになっている。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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