江戸時代から現存する、被災した熊本城内でも耐え抜いた宇土櫓の夜姿

九州縦断旅:熊本編

 旅行期間:2020年8月中旬

 

暗闇に浮かび上がる、被災した熊本城

すっかり暗くなった熊本城へ向かう

さて熊本市内ですっかり陽が落ちてきて、辺りは真っ暗になってきました。ただ夜になるとお城などの歴史的な建物は、近年はライトアップされている所が多く、熊本市内を代表する歴史的な建造物である熊本城周辺もライトアップされているので、ちょっとそんな綺麗な景色を見に、再び熊本城へとやって来ました。

 

 

暗くなってきた夜に、明るく照らされる熊本城

夜にライトアップされた加藤清正公の像

さて今日の昼間に熊本城を訪れた時と同じルートで城へと向かうと、まずは本丸へと続く行幸坂の手前に建てられている、初代熊本藩主となった加藤清正公の像が早速黄色くライトアップされているのが見えてくる。

 

夜にライトアップされた加藤清正公の像-1

この加藤清正という戦国時代の武将を知らない人からすると、「怖い形相をしたオジサンの像・・・?!」と思うかもしれない。築城の名人や勇猛果敢というイメージの武将であるが、彼の人生前半は遠い親戚関係にあったという羽柴秀吉の配下になった時からどんどんと出世していく事になる。その加藤清正が配下になった時の羽柴秀吉は、まだ長浜城の城主になったばかりで織田信長に仕えていた時代。

 

夜にライトアップされた加藤清正公の像を眺める

そんな信長が本能寺の変で亡くなり、その後の天下取りレースを制した羽柴秀吉の下で戦に活躍した加藤清正。そして天下取りに王手を掛けた羽柴秀吉が九州平定で、一揆が一向に収まらない肥後を2つに分けて加藤清正と小西行長に託した。この肥後入りから加藤清正は、ここ熊本を制定して堅固な熊本城造りなどを行い、今でも熊本県民に愛される存在となっていったのである。

 

夜に熊本城入口の桜の馬場に向かう

こちらは行幸橋を渡って進むと見えてくる桜の馬場:城彩苑という場所は、熊本城の観光案内所やお土産屋さんなどが集まっている商売スペースである。ただ今の時間20時前頃にはほとんどのお店は閉まっていて、手前には自転車をクルクルと乗り回すお兄ちゃん達の練習場と化していた。

 

夜に熊本城入口の桜の馬場に到着

2020年8月でコロナ禍の影響で観光客は少なくて、更にクソ暑い真夏の時期だったので粘って遅くまで営業するお店も無かった。こういう場所だったら閉店時間が一律で決められていた可能性もあってか、ヒッソリとしていた。ただしこのようにお店の照明などは煌々と光っていたので、全然暗くて怖いという感覚は無かった。

 

夜に熊本城で本丸方向へと向かう

暗くなっている時間帯といっても20時前頃なのでそんなには遅い時間ではなかったけど、この熊本城内には全然人影が見られない。ただ個人的には人が多い所はあまり好きではないので、このようにガラガラな場所の方が好きに動けるので好都合なのである。

 

夜に熊本城で本丸方向へと向かう-1

夜は天守閣近くまで入れる有料ゾーンへの入場も勿論閉まっていたので、日中にも行った加藤神社を目指して1人進んで行く。そしてさっき乗った循環バスも、当然運行は終わってしまっているのでこの時間は歩き限定でしか本丸周辺には行けない。

 

夜に熊本城で二ノ丸公園へと向かう

このような熊本城内は深夜でも好きに入れるのかと思っていたけど、この看板にもあるように深夜の時間帯は通行できないようだ。ただ23時50分から入れなくなるようだが、意外と遅くまで滞在できるという感じに見える看板であった。

 

 

二ノ丸公園周辺にて

夜に熊本城で二ノ丸公園に到着

こちらは本丸西側に造られている二の丸庭園である。昼間はここに駐車場がオープンしているけど、クローズするのも早そうで、この時間帯は既に閉まっていた。それとその駐車場脇に造られていた売店も勿論閉まっていた。

 

夜に熊本城で二ノ丸公園に到着-1

そして加藤神社に向かおうとしたら、昼間に加藤神社へと向かって歩いた道が通行禁止となっていた。一瞬「もしかして加藤神社に行けないのかも・・・?!」と思ったけど、とりあえずこの道以外の、二の丸庭園の北側からグル~~っと本丸側へ回り込んでみる事にする。

 

夜に熊本城で二ノ丸公園から本丸を眺める

そして二の丸庭園は広い運動場のようになっているので、この辺りではウォーキングをしている人や犬の散歩している人などをチラホラ見かけた。そんな夜に散歩する人達もこのようなライトアップされた天守閣などを、見に来ている人が多いのだろう。

 

夜に熊本城で二ノ丸公園から本丸を眺める-1

一応名前が付けられている上では天守閣は右側の大小天守閣の2つであるが、昔は左側の宇土櫓も含めて「3つの天守閣」とも呼ばれていたそうだ。この左側の宇土櫓は知識がなければ普通にお城の天守閣にしか見えない。それもそのハズで宇土櫓は昔に造られたお城の建物の中では、4番目に高い建物だそうだ。

からし蓮君
からし蓮君

大小の天守閣は焼失して何もなかった時代があるので、宇土櫓を本当の天守閣と思う人もいるばい!

 

夜に熊本城で加藤神社へ向かう

そして本丸の内堀の外側を二の丸庭園側から回り込むように加藤神社の方向へと進んで行くと、このようにコンクリートのようなもので固められた石垣もどきが見えてくる。これらは元々石垣だった場所が4年前の熊本地震で崩れた為に、撤去するのも時間が掛かるので、応急措置的な感じでこのようにコンクリートで包み込んだように見えた。

 

夜の加藤神社にて

夜に熊本城で加藤神社に到着

遠回りをしたけど加藤神社が夜も入れるかは知らずに進んでいたけど、L字になっている道を進むとこのように加藤神社の入口には金網などが無くて入れるようになっている景色を見て、ホッした。

もし加藤神社に入れなくなっていたら、先程のコンクリートの石垣をよじ登ろうかとも考えてました・・

 

夜に熊本城で加藤神社脇から宇土櫓を眺める

今初めて熊本城にやって来て本丸の景色を見た人には理解できないだろうけど、後ろにある白いライトでライトアップされている大小の天守閣は、明治10年(1877年)に焼失してから昭和35年(1960年)に外観そのままに再建されるまでは、この本丸には大きな建物は手前の宇土櫓しかなかったのである。

からし蓮君
からし蓮君

そういう意味では、この江戸時代から現存する宇土櫓が熊本城のシンボルばい!

 

 

夜に熊本城で加藤神社から天守閣を眺める

でもやっぱりお城というと一番のメインは天守閣にあるけど、熊本藩主となった加藤清正の2代目の加藤忠広の後に、加藤家は残念ながら改易となってしまう。その加藤家の代わりに小倉からやって来た新しい熊本藩主:細川忠利は、この熊本城内の本丸は不便で使いにくいという事で、熊本城の南側にある花畑邸を居城としたそうだ。

 

夜に熊本城で加藤神社にもいた清正くん

暗くなって人の姿も殆ど見られなかった加藤神社の境内には、「てっきり帰ってしまっているのかな?!」と思っていた清正くんが暗闇の中でひっそりと待ってくれていた。

「ボクは24時間、ず~~っと仕事中だよ!」という顔をしてましたね(笑)

 

夜に熊本城で加藤神社から宇土櫓を眺める

この宇土櫓が熊本城内の本丸の中でも象徴的に見えてしまう理由の1つには、宇土櫓が立っている場所の石垣が本丸内でも最も高い20.5メートルの高さにあるからのようだ。この宇土櫓は隣国を任された小西行長が居城としていた宇土城の天守閣をここに移設したという説もあるけど、加藤清正が肥後入りする前から宇土城に出入りしていた事もあって、この宇土城に気に入る所があったのかもしれない。

 

夜に熊本城で加藤神社から大小の天守閣を眺める

大小の天守閣は目下、復元工事中で夜は遠くから見るしかない。昼間は有料ゾーンへ入れば、東側の天守閣近くから見られるけど、夜は見学場所が閉まっているのでここから見るしかない。そして昭和35年(1960年)に再建された天守閣は、外観は昔の写真などを参考にして再現されているが、基本的に建物自体は鉄筋コンクリート造りとなっている。しかも今の復元作業が完成すると城内にエレベーターも設置されるそうで、ますます城らしさが消えてしまうのかもしれない。。

からし蓮君
からし蓮君

じぶんは、天守閣のエレベーター設置には反対ばい!

 

夜も熊本城の本丸近くへは入れない

このように2016年に発生した熊本地震で被災した熊本城の復元作業中という事もあって、熊本城内では立ち入り禁止のゾーンが沢山あって自由に歩き回れなかったのが残念である。今回の地震による熊本城内の復元作業は、全体の修復を終えるのに20年計画を予定しているので、あと16年程すれば自由に敷地内を歩き回れる日が来るハズ。

 

夜に熊本城で加藤神社脇から宇土櫓を再び眺める

冷静に見ると、宇土櫓と、後ろの天守閣とライトアップされている照明の色が違う。たぶん意図的に色を変えているのだろうが、昭和時代に建てられた新時代の天守閣と、江戸時代前半に建てられたとされる歴史ある宇土櫓との対比をしていたのかもしれない。

 

夜にライトアップされている宇土櫓を眺める

奥の天守閣が焼失した後にこの熊本城内で内部が見学できて、かつ博物館的な展示もされていて、今までに多くの人達が観覧してきた宇土櫓。

江戸時代から熊本城を引っ張ってきた、1人横綱のようにも見えてしまう!

 

夜の加藤神社を去る

この加藤神社も明治10年の西南戦争の時には、熊本城本丸で籠城する新政府軍に襲い掛かる、西郷隆盛率いる薩摩軍が陣を敷いていた場所。約50日に渡った熊本城籠城の戦いは新政府軍が調達した、最新鋭の銃の効果が発揮された場面でもあったという。新政府軍は1日の消費弾丸数が30万発を超えたといい、薩摩軍は旧式銃を使っていた為に雨の中では銃剣を取り付けて戦っていたという。

 

 

夜の加藤神社周辺の固められた石垣跡

そんな西南戦争は”日本で最後に起きた内戦”とも言われている。この文化が進んだ21世紀でも世界各地では、いまだに同じ国の人々が殺しあう内戦が起きているけど、日本は今日以降もこの西南戦争を最後の内戦にしたまま、歴史を重ねていく事が出来るのだろうかと思ってしまった。

からし蓮君
からし蓮君

国の将来を見据えて戦うのが内戦だけど、西郷どんが戦った西南戦争が最後であって欲しいばい!

 

夜の加藤神社近くにあった、案内板

この加藤神社がある辺りには北大手と呼ばれる櫓門跡があった場所で、熊本地震の際にここの石垣は崩壊を免れはしたものの、倒壊の可能性があったので応急処置としてこのように覆われて固められているという。

 

夜の加藤神社近くにあった、案内板-1

石垣の修復っていう作業も想像以上に長い時間が必要なようだ。特に熊本城の石垣は”武者返し”とも呼ばれるだけあって、現存している建物だけでなく、石垣の積み方1つとっても貴重な資料なのだ。なので崩壊した石垣もすぐに撤去するのではなく、まずはしっかりと崩壊した石垣の状態を写真などで記録して、次に石垣の岩一つ一つに番号を割り振る。そして石垣の岩を大事に扱って、保管場所で管理する。

 

夜の二ノ丸公園内にあった、崩れた熊本城石垣が保管されている

そんな崩壊して撤去された石垣の岩が二ノ丸公園内に、このように1つ1つ丁寧に並べられているのが見える。勿論これで作業が終わる訳ではなく、復元の前段階にしかない。次はこの岩を元にあった石垣の状態に、復元して積んでいくという作業が必要にある、そして今の建物みたいに鉄筋を造ってからコンクリートを流し込めば終わりのような建物ではなく、昔の石垣職人が行ったように形が均一ではない岩をうまい事嵌め込んで石垣を造らないといけない。

 

そんな石垣造りの職人自体、城造りが無くなってしまった現代の日本には数える位にしか存在しない。しかしそんな昔の日本で行っていた石垣積み職人も少ないながらも残っている。そんな人達の頑張りによって新しく復元される熊本城が待ち遠しいのである。

 

夜の二ノ丸公園内にあった、崩れた熊本城石垣が保管されている-1

こんな石垣に使われていた岩も番号を振って、石垣になっていた時の写真などを見て嵌め合わしていく訳だが、パズルのように簡単に石垣に嵌っていくとは限らない。昔の石積み職人は近代的な機械が無いなかで、このような岩を動かして石垣を造っていた訳だけど、現在の石垣職人はクレーン車を使って過去の職人にチャレンジするような感じなんだろう。

 

夜の本丸を遠くから眺める

昼間に熊本城周辺を散策した際に北東側を歩いていなかったので、近くから天守閣が見れたらラッキーと思いながら歩いていたけど、残念ながら熊本地震の影響が大きくて至る所が立ち入り禁止になっており、結局こんな遠目にしか天守閣を見る事が出来なかった。

 

現段階では夜のライトアップされた天守閣を眺めるベストスポットは、加藤神社境内からです!

 

夜の熊本城周辺を歩いて見えた景色

この熊本城東側は明治10年に起きた西南戦争の直前に、原因不明の出火で天守閣などが燃えた本丸での大火事になった時に、火の粉が飛んできたのでこの辺りにあった城下町まで火が移って大規模なエリアが焼失してしまったという。昔は木造の建物ばかりで火が付き易く、かつ道幅などが狭かった為に燃え広がりやすかったようだ。

そういう大火事を何回も経験しながら、火事対策が備えられた街に生まれ変わっていくのだろう。

 

夜の熊本城周辺を歩いて見えた景色-1

熊本城の本丸東側から南側へと流れている坪井川。日本に限らずに世界中にあるお城は、人類に不可欠な水が流れる川沿いに造られている立地が多い。

からし蓮君
からし蓮君

人間の体の約50~70%を占めるのが水分ばい!

 

夜の熊本城周辺を歩いて見えた景色-2

坪井川を渡って熊本市内の繁華街側から、再び先程近くまで行った熊本城天守閣方向を眺める。ここからだと天守閣だけではなく、手前の坪井川沿いにある石垣も作業中の柵が敷き詰められていて、想像以上に大規模な修復工事になりそうだと実感できる景色であった。

 

 

夜の熊本市繫華街で晩御飯を

夜の熊本市内繁華街を歩く

さて夜の熊本城周辺を散策していると20時を過ぎていたので、そろそろと晩飯タイムとなってきた。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

熊本やったらやっぱり馬肉やけ、それも上等なのを少しだけでいいから食べろや!

と言ってくれてたけど、馬肉は食べた事があるし、あまり食べたいとも思わなかったので、とりあえず雰囲気が良さそうなお店を探して繫華街周辺をブラついてみる事にした。

 

夜の熊本市内繁華街を歩く-1

熊本市内の繁華街でもエリアによってその様子が全然違っていて、こちらの北側のエリアは地面が石畳になっていて、お店も綺麗な感じで上品そうなエリアに感じた。

 

夜の熊本市内繁華街を歩く-2

こちらから先は商店街のアーケードだけど、このようにアーケード内にもタクシー乗り場があって、ちょっと違和感を感じた。他の場所で見るアーケードは基本歩行者専用の道路だから雨に濡れないようにアーケードが設置されているのだけど、ここは全部じゃなくこのアーケード出口部分周辺だけ車の乗り入れが可能となっていた。

自転車は乗り入れ不可だけど、車はいいというアーケードでした!

からし蓮君
からし蓮君

車はいいと言っても、主にタクシーばい!

 

夜の熊本市内繁華街を歩く-3

いつもの事だけど晩御飯を食べる店がなかなか決まらない。せっかちな性格の連れがいたらすぐに店を決めてくれるのであるが、色んな要素を兼ね備えた完璧に近いお店を探そうとボクはしてしまうので、いつもひたすら歩き回るという儀式的な行動をするのである。。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

コイツに任せてたら陽が昇ってしまうから、サッとドコでもいいから決めて入るけ!

 

夜の熊本市内繁華街を歩く-4

そして繫華街の歓楽街であまり綺麗なエリアじゃない南側とかも散策していると、気付けばお店探しを始めてから優に1時間が経過していた。さすがにこのまま歩き回っているといつまで経ってもホテルに帰れないので、意を決してドコか適当にお店に飛び込む事を決意する。

最終的に何でもいいという店選びになるのも、毎回の事なんです・・・

 

夜の熊本市内繁華街で入った居酒屋で晩御飯を食べる

で意を決して入ったお店がホテル近くの銀座通りにあった、小さめの居酒屋っぽい飲み屋さん。店の扉がガラスになっていて店内の様子がまる見えなお店で、お客さんが居なかったのも選んだ理由の1つである。熊本に来たら絶対食べようと思っていた辛子蓮根だけど、お店に入って大将に辛子蓮根を置いているかと尋ねると「ウチは辛子蓮根は置いてません・・・」と返事が返ってきた。しかしここで引き返しても、またもう1時間歩く可能性があったので辛子蓮根無しながらもこの店に決める。

だけど瓶ビールが小瓶だったので、それにガッカリでした・・・

からし蓮君
からし蓮君

じぶんは辛子蓮根が無い時点でガッカリばい(怒)!

 

 

夜の熊本市内繁華街で入った居酒屋で晩御飯を食べる-1

普通の飲み屋さん的な内装をしていたけど、飲食店で瓶ビールを頼むと基本中瓶以上が出てくるものと常識的に思っていただけに出鼻を挫かれる。今までに入った居酒屋などの飲み屋さんで大手ビールメーカーの瓶ビールがこのように小瓶で出されたのは、このお店が初めてだった。ただ”接待を伴う飲食店”のようなクラブやラウンジなどでは、ビールと言えば量が少ない小瓶が常識だけども、ここはそんな可愛らしそうな女性のかけらもないような店。。

ただ普通の飲み屋っぽい割には、料理はそこそこ美味しかったですね!

からし蓮君
からし蓮君

辛子蓮根が置いてない居酒屋なんて、熊本県内では営業禁止にするばい(怒)!

 

夜の熊本市内繁華街で入った居酒屋で晩御飯を食べる2

こちらはチーズが入ったちくわ(チーチク)を揚げたもので、こちらも比較的美味しかった。ビールが小瓶だったので物足りなかったけど、貧乏旅らしく追加オーダーは我慢する。そして辛子蓮根も今日は食べれなかったので、明日のリベンジ項目に入れる事にしたのであった。

からし蓮君
からし蓮君

是非、明日は本場の辛子蓮根をご賞味あれ!

 

ほてるでの晩酌

そして消化不良の晩飯だっただけに、帰りにコンビニに立ち寄り、ビールと酎ハイを購入する。

部屋で1人晩酌するのが、ついついクセで!

からし蓮君
からし蓮君

貧乏旅って言うんだったら、こんな晩酌も我慢ばい!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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