宮崎県綾町にある、伊東氏が支配していた綾城を訪問【宮崎旅行記㉛】

宮崎県旅行記2020年-㉛

 旅行期間:2020年10月18日~22日
(Visit Aya Castle in Aya Town, Miyazaki Prefecture, which was ruled by the Ito Clan.)

朝イチは誰もいない・・

さて迎えた宮崎旅3日目の朝。今日は昨日とは違って朝日が差し込んでおり、いい天気になりそうである。昨日はホテルを出るのにグズグズして出発が遅れた事を反省して、今日はホテルの朝食会場がオープンした朝イチに訪れる。昨日は宮崎県でも北西部にある高千穂町を訪れたので、今日は西側にある綾町と、宮崎県でも南端になる都井岬を訪れる予定となっている。

 

昨日の朝食は少し取り過ぎて食べるのがしんどかったので、それも反省して今日は少なめにする。ただ今日もカレーの匂いに釣られて、今日こそは白飯を食べようと思っていたけど、結局カレーに手を出してしまった・・・。

 

 

宮崎県の西側にある「綾町」を訪れる!

宮崎市内から下道を走る事約30分ちょいで、目的の宮崎県東諸県郡綾町に到着。ここに来た目的は大きな吊り橋と、この目の前に見えている山の上に立っているお城を訪問する事である。

 

 

 

こちらに見えている綾城は、昔からあるお城ではなくて、1985年に新しく再建されたお城。元々の綾城は1300年代初めに足利尊氏の家臣であった細川氏が建城したとされて、その後は伊東氏・島津氏と支配者を代え、そして江戸時代になって一国一城制度によって廃城となった城である。

 

綾町にある綾城にて

最初はこの綾城の存在を知らなくて、この綾町にある「照葉大吊橋」という高さ142mの橋を見に行くつもりだった。その際に地図を調べていると、この綾町にお城があると書かれていたので、途中に寄り道した訳である。

 

【綾城】

住所:宮崎県東諸県郡綾町北俣1012
営業時間: 9時~17時頃(※定休日:木曜日)
電話番号:0985-77-1223
入場料:大人350円/高校生300円/小中学生250円

 

 

この綾城があるエリアは「綾国際クラフトの城」と名付けられているので、思わず「まさか、綾城は紙で出来ているのかな?!」と思ってしまうけど、綾城は紙ではなく木造建築物となっている。

 

綾城の入口手前には大きな駐車場(無料)が用意されているので、よほど混雑していない限りは問題なく車を停めれると思う。そして駐車場からお城へと向かう橋を渡って、進んで行きます。

 

こちらは綾城の入口となっている門だけど、ここにはチケット売り場が無いので、この門内までは無料で入れる。もう少し奥に進むとまた別の門が出てきて、そこがチケット売り場である。

 

この綾城を訪れた時点では、この綾町については何も知識がなかった。悪く言うと農業が中心の町で他にこれといった特徴がない町ではあるが、この綾城綾馬事公苑道の駅発祥地となった場所もあるという。

 

まずはチケット売り場を探して門を進んで行くと、中にあった広場になにやら銅像らしきものが見えているので近寄ってみる事にする。この辺りを支配していた伊東氏も戦国時代にはあまり目立った活躍をしていないので、全然誰の銅像か想像もつかない。

 

こちらは有名な武将の像ではなくて、伊東氏に属していた刀鍛冶「田中國廣」(のちに堀川国広)という人物のもの。主に戦国時代に活躍した刀鍛冶で伊東家が没落後に京へ上がり、そこで刀鍛冶の技術をさらに磨いて、名刀鍛冶の1人となった。その残した刀は重要文化財に指定されているものも現存しているという。

 

刀鍛冶をしていた人が城の敷地で銅像として置かれているなんて、初めて見た。普通は伊東家で一番有名な人物の銅像になるんだろうけど、それだけ秀でた刀鍛冶だったという事だろう。

 

特にこの田中國廣が活躍した戦国時代は刀鍛冶の仕事が芸術作品作りになりつつある頃だけど、まだこの頃は贈呈用の刀ではなくて実戦用の刀を作っていたのだろう。

 

逆に言えばこの地域を支配していた伊東氏の印象が薄いという事の裏返しかもしれない。確かに「伊東氏当主の名前を言ってみろ!」と言われても、誰の名前も浮かんでこない・・・。辛うじて伊東氏が滅びる時にこの田中國廣に背負われて逃げる事に成功した、「伊東マンショ」ぐらいしか出てこない。ちなみにこの伊東マンショという人物は秀吉政権時代に『天正遣欧少年使節』の一員としてヨーロッパに渡り、日本人として初めてローマ皇帝に謁見した人物とされている。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

パンチョ伊東は、この伊東氏とは関係ないんか?!

 

こちらが綾城の有料ゾーンへと入る門で、この先の右側にチケット売り場が設置されている。しかしこの時は営業開始の午前9時の5分前に来てしまったのでまだ準備中で、係のお姉さん曰く「あとで戻ってきた時の支払いでいいよです!」との事。

 

てっきり小さな綾城だけかと思っていたけど、何個かの建物が敷地内に見られる。中には明治時代に造られた綾小学校の校舎を、そのまま移築してきたものとかもあり、また工芸品の販売所織物や陶芸の体験教室もあるようだ。

 

こちらは「工芸館」で綾町の工芸家が作ったガラス製品陶芸作品木工品などが販売されている所。ただそういった物にはあまり興味が無いので、こちらの建物はスルーする。。

 

綾城はまだ奥にあるようで、この辺りは二ノ丸となっていて、この奥に進んだ本丸に綾城が造られている。この綾町で知り合ったオジサンに話を聞くと、この綾城も綾町としては大きな予算を次ぎ込んで作った割りには、全然元が取れなくて困っているという。ただでさえ財政難にあえぐ田舎の町で観光客を呼ぼうと城を再建したものの、この城だけでは簡単には観光客がやって来ないんだとか。。

 

しかし1985年に再建されたとは言え、それまでの道はなかなかに風情が感じられて、いい期待感を持って進んで行ける。ただしこの綾町は宮崎市内からは比較的近い場所にはあるけど、存在が地味すぎるので宮崎県に観光に来たといってもわざわざここに来る目的がないと中々訪れようと思わない場所でもある。

 

 

綾城の本丸に到着!

そして橋を進んで行くと、綾城の本丸が顔を段々と覗かせてくる。さっき下から見た時は、山の上に小さな城がチョコンと乗っているだけのように見えたけど、さすがに目の前にするとそれなりの大きさのお城となっている。

 

この綾城は3階建てのように見えるけど、一応は2階建プラス屋上に物見櫓(天守閣代わり)が付いているという内容らしい。ただしこの綾城は昔この地に建っていたとされる城の図面などから再現されたものではなく、日本城郭協会という所に調査考察を依頼して出てきたのがこの形らしく、実際に昔あった城がこの形という訳ではないという。。

 

この綾城は1330年代に築城されたとされており、そこから伊東氏・島津氏と主君を替えて約300年に渡り、城の役目を全うしていたお城。なおこの地を支配していた伊東氏は、当時この日向国に48個もの城を構えていたので、そこまでインパクトのあるお城だったという訳でもなさそうだ。

 

この綾城は20m×24mの石垣サイズで、非常にコンパクトに造られた城でもある。この城が築城された1300年代に造られた他の城を模範にして再現された為に、中世時代の城の外観になっているようだ。

 

再建された綾城の入口は、このように正面を横から見ると10段ぐらいの階段が造られていたにも関わらず、今では木のスロープが取り付けられている。もしかしたらバリアフリー対応の為にスロープが取り付けられているのかもしれないけど、ただ城の中はエレベーターは勿論ないので、城の中に入るだけのバリアフリーだったようだ。。

 

それにしても今日は気持ちのいい晴れ空が広がっていて、ドライブには最高の天気。この後に宮崎県でも南端にある都井岬に行く訳だけど、それでも2~3時間は車で走らないといけない。なので天気がいいと逆に途中で眠たくなったりしやすいので、注意が必要である。

 

今の日本国内で見られる城の石垣は大きな石が綺麗に積み重ねられている状態をよく見るけど、こちらの綾城は中世時代の城を再現している為か、このようにいびつな大きさの石が敷き詰められているのが見える。築城技術が進歩する程に綺麗な石垣を造るようになっていった訳であるが、中世の頃はこんな石垣で充分というか、このような技術しかなかったというのがこの石垣を見れば勉強できる。

 

このように城の足元から見える綾町は、田んぼなどの緑色がとても綺麗な町。しかし後で出会うオジサンに話を聞くと、過疎化に苦しんでおり、また田舎へやって来る若い家族連れも実際に田舎に暮らしてみると想像以上に大変な事に気付いて、すぐにUターンして帰ってしまう事が多いという。

 

最近ではよく田舎暮らしを上手にPRする自治体などが多いけど、それらは田舎のいい所しか言わないので、実際にやって来た人達は田舎だからこその大変さに直面して難儀するという。田舎といえば農業をしたいという若者がやって来ても、農業をするにはまず土地を取得して、さらには農業用の機械を購入しないといけない。そんな費用は補助金では出ないので、先行投資で多額の資金が必要になるという。

オカン
オカン

便利な都会に慣れると、田舎には住めないで!

 

そんな寂しい町になりつつある綾町が、何とか観光客を増やす為に再建した綾城へと入っていく事にします。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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