尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-㊱
旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)
立派なホタテ貝?!
今回も引き続き、しまなみ海道サイクリング途中に訪れた因島にある「因島水軍城」という、村上海賊でも名を馳せた因島村上氏の資料館を見学して行きます。
因島水軍城見学の続き!
こちらの鎧兜は「藍糸縅具足」という名前が付けられていて、名前からも分かるように藍色の糸で縫われている鎧。こちらは江戸時代の鎧のようで、特に実戦向きに作られた物ではなさそうな感じ。
こちらの鎧兜はシンプルにただ「甲冑」とだけ表示されていた。せめてもう少し長い名前を付けてあげてもいいように思えるけど、それだけ特徴の無い鎧だったのかもしれない・・・。
このようにただ「甲冑」とだけ表示されている。昔は腐る程にその辺に大量の鎧兜が存在していた為に、特別に目立つ物以外はそれほどの価値も無かった頃だろう。
シンプル イズ ベストじゃけ!
こちらの絵は「岡崎勇次」(1924~1991)という因島出身の画家が寄贈した、『水軍回想』とタイトルが付けられた因島水軍をイメージした内容となっている。水軍というと水の上で戦うので、このように水飛沫が飛び散る戦闘シーンがイメージされる。
そして因島村上氏にゆかりのある、毛利家の大名を説明するパネルが展示されていた。左側は毛利家の跡取りとなった「毛利輝元」、右側はその叔父で小早川家に養子に行き、後に豊臣政権時に”五大老”の1人に名を連ねた有能な大名だった「小早川隆景」。
こちらはその毛利輝元の祖父、そして小早川隆景の父親である「毛利元就」が、左側で説明されている。毛利家の祖として名高い毛利元就の導きによって、毛利家は中国地方を代表する大名に成長していくのである。
こちらの書状は小早川隆景から、因島村上氏の当主(6代)だった村上吉充に充てられたもの。村上吉充が小早川隆景に大きな鯛を一匹献上し、それに対して感謝の文を送った内容となっている。礼儀作法が日本国内でも重視されてきた時代で、献上された贈り物に対して、今みたいに電話はなかった時代にはこのように礼状を送っていたのだ。
こちらの書状は毛利輝元の長男で、長州藩初代藩主となった「毛利 秀就(もうり ひでなり)」から、当時は配下となっていた因島村上氏の村上元充に送られたもの。この時は藩主に鷹を献上し、それに対しての礼状だったようだ。
ただ村上海賊はこの瀬戸内海全域を支配していたようなイメージがあるけど、実際には広大な瀬戸内海全域をテリトリーとしていた訳ではなく、広島県付近のしまなみ海道が通過する島付近を管轄としていたようだ。
車でしまなみ海道をドライブすると、高速道路となっているので一気に今治から尾道の本土まで行ってしまう可能性もある。そうなると途中の展望などを楽しむ事が出来ないけど、今回のようなサイクリング旅では、道中で寄り道ばかりできるのである。
因島水軍城の「隅櫓」にて
そして資料館となっている建物の見学を終えて、次は隣に造られている「隅櫓」という展望台ともなっている建物の中もついでも見学してみる事にする。
この隅櫓内はこのように先程の資料館とはちょっと違って、現代の因島で行われている祭などの写真などが展示されていた。
1990年代から”村上海賊”をアピールしてきた因島では、因島村上氏の存在を強調する為に若い女性にも鎧を着てもらって、それを宣伝するイベントが行われているようだ。この写真だけ見ていると、「とりあえず来てくれ!って言われて行ったら、いきなり鎧を着せられて・・・」という顔をしている女の子に見えた・・・。
そんな戸惑いを見せていた女の子も、こちらの写真では別人のように凛々しい顔つきで、兜が似合わないオジサンの脇に立っていた。因島の偉いさんみたいなオジサンが喋るよりも、この凛々しい顔つきの女の子に喋らせた方が良かったようにも感じる一枚。
兜と眼鏡は似合わんね!
この建物自体はそんなに広くなく、1階は今のような村上水軍をPRするイベントの写真ばかりが飾られているだけだったので、早々に2階へと向かう事にした。
2階に登ると、1階よりも一回り小さな空間になっている。そしてそこまで高くはないけど、「ここからの景色を楽しんでくれ!」という感じの内装となっている。
展望台からの眺め! 動画
一応360度の景色を見れるようにはなっていたものの、周辺は山しか見えず、写真を撮るにしてもこの南側に見える「青陰城跡」のある方角位かと。ただこちら側だけは、下に登ってきた階段脇に村上氏の家紋が入った赤い旗が並べられており、更には下にある「金蓮寺」の本堂やお墓なども一望できる。
因島水軍城の「二の丸」も見学!
そしてその更に隣に造られている、こちらの「二の丸」という中が展示室になっている建物も見学してみる。ここまでに既に村上氏の資料館と高台からの展望台があったので、この建物内に何が展示されているか、楽しみである。
なお、この「因島水軍城」の施設は1983年に造られた模擬城郭の建築物なので、大昔からここにあったとされる建物を復元した訳ではなく、あくまでも観光客向けの施設として城っぽい外観をした建物が造られている場所である。
そして「二ノ丸」の建物内に入ると、このようにここでもリアルな蝋人形が4体設置されていて、誰も居ない空間かと思って入った人をビックリさせる仕掛けも施されているかのようだった。ちなみにこちらの部屋では”水軍戦法の会議”が行われているシーンを再現していたようだが、普通の戦法会議と水軍の戦法会議との違いがあまり分からなかったが・・・。
なお、脇には大型のモニターが置かれていて、そこで因島村上氏などについての説明VTRが放送されていたけど、思っていたよりも展示品が興味を持ちそうな内容でもなかったので、特にVTRにも反応しなかった・・・。
こちらには”水軍戦法の会議”についての説明が張られていたけど、”水軍戦法らしさ”がこの空間で表現されていなかったのが残念ではあった。確かに水軍の場合は、地上戦に比べると風向きに大きく影響を受けるので、その時期に風が吹く向きを知り尽くしている必要があっただろう。
何というか、ちょっと建物を持て余したような展示がされている「因島水軍城」にも感じた、今回の見学。3つも建物を造らずに、本丸の建物1つだけで2階建として造れば良かったようにも思うが。。
色んな思惑が裏にあるはずじゃけ!
そしてこちらは因島水軍城に置かれていた、観光地には付き物の顔出しパネル。海賊というよりは、ホタテ貝の前立ての方が印象深かったように思えるパネル。海賊の資料というよりは、海に関係するイメージの前立てがメイン展示のようだった。
この因島水軍城は因島村上氏の菩提寺となっている金蓮寺の敷地内となっており、その奥には金蓮寺の墓地へと繋がる道も用意されている。因島村上氏当主やその家臣団の墓なども境内にあるようだけど、そろそろ12時近くを迎えるという事で、気分は近くにある食べ物屋を探すモードに入っていたのである。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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